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13/3/8

Scala Conference in Japan 2013の裏側

Image by Olia Gozha

3/2-3に、日本で初めての大規模なScalaのカンファレンスが開催されました。

一般参加者200名、登壇者やスポンサー、スタッフも入れると300人規模。これに加えてキャンセル待ちが70人(会場の関係で追加販売できませんでしたが。。。)と、かなりの規模になりました。

また、開催中はずっとtwitterの日本のトレンド1〜2位に#scalaconfjpが入っていたのが、一番嬉しかったりします。

あと、twitterとかで参加した人が運営の良さを褒めてくれたのもかなり嬉しい。

Scalaというまだメジャーとは言えない言語に関する、初の大型イベントでしたが、間違いなく大成功と言えると思います。

思えば、2012/7/21に第1回のスタッフMTG、というか決起集会みたいなのを開いてから、実に7ヶ月以上もの準備期間を経ています。この辺の舞台裏について、ちょっと長くなりますが、記憶が薄れる前に書き留めておきたいと思いました。

そもそもScalaと僕の関係

最近知り合った人には、たぶんあんまり知られてないですが、僕の本質はプログラマです。

母国語はJAVAです。

高校の時にJAVAでプログラミングを学び始め、そこから大学院を卒業するまで、ほとんどの時間をコードを書く事に費やして来ました。

(それなのに何故か外資金融に飛び込んだことについては、別エントリで書く予定です。)

しかし、投資銀行に入ってからの約3年は、さすがにコードを書く暇がありませんでした。それどころか情報収集の時間もなかった。

その間に業界にはかなりの変化が起きていました。

2007年ごろはマイナーな言語だったRubyが主流になりつつあったり(STORYS.JPもrubyですね)、バージョン管理はgitがデファクトになり、さらにgithubによってプログラマの文化が相当な変化を遂げていたり。。。

J.P. Morganを辞めて暇になり、コードを書こうと思った時には浦島太郎状態でした。

そこで色々と考えて、今からRuby on railsを学ぶより、もっとエッジのきいた言語をやるべきじゃないかという考えに至りました。

そんなわけで、もともとJAVA使いということもあって、自然とScalaを選び、時間を見つけてScala+Playでこそこそ何か作ったりしてた時に偶然、たぶんATNDとかでScala Conferenceの決起集会があると目にして、Scalaをごりごり使っている唯一の友人である麻植くんを巻き込み、参加してみたところ、面白そうなのでどんどん深く関わって行った、という感じです。

Scalaconfjpが成功した3つの理由

blogタイトルみたいですけど、大事な事なので、あえて3つ挙げて整理してみます。

1. Scalaの人気

まあ当然と言えば当然ですが、これがとても大きいです。

運営スタッフが想定している以上にScalaに対する熱は高まっていました。

早い段階で、会場の都合から、200人という規模は決まっていましたが、正直募集開始するまで200人に到達するか不安で仕方なかったです。

でも、販売を開始して一晩で50人突破したのを見て、これは間違いなく突破するだろうなと確信しました。事実、わずか5日で完売しました。

さらに凄いのは、その後もキャンセル待ちが増え続けた事。

普通に考えて、10人くらいキャンセル待ちいたら諦めますよね?最終的には70人以上もキャンセル待ちに登録するという異常事態になりました。

会場の都合上、追加販売できなくて残念でした。次回はもっと大きな箱を使うのもアリですね。

また、当日のお客さんの反応もアツい。

朝10時から開始で、エンジニアの性質上、午後になってから増えて来るかなと思いきや、10時のスタートの時点で50人超、最初の講演開始までに100人を越える人が集まっていました。

そうして集まったお客さんの中に、学生時代にスカイライトでバイトしていた頃の後輩である福島君がいたのも結構嬉しかった。懇親会では直接Jonasを捕まえて相当盛り上がっていたようで、こういった身近な友人が楽しんでくれるのを見ると感慨深いですね。

2. コミュニティに貢献するという考え方

今回のスタッフは全員ボランティアです。

そして、ボランティア=無償だからこそ、このクオリティが出せたんじゃないかと考えています。

ある登壇者の言葉の中で

"ScalaはGithub時代の言語"というフレーズが心に残りました。

Scala自体も、そしてそれにいち早く関心を持つ、Scalaconfjpに関わった今回の数百人は、みなイノベーターやアーリーアダプターであり、コミュニティの重要性を言葉ではなく心で理解できてる人たちなんだと思います。

みなボランタリーに自分の出来る部分で協力して行く、そんな空気が、運営の質を押し上げたのだと思います。

あとたぶん座長である水島さんの人柄も重要なファクターですね:)

3. Co-meetingを使った継続的なコミュニケーション

ステマじゃないですがw、これも相当大きかったです。

現在も引き続き、イベント後の様々な業務に大活躍中です。

今回のようにスタッフも大人数で、様々なことを様々なチームで決めないといけない時に最適なコラボレーションツールなんじゃないかと思いました。

co-meetingには、色んな良さがありますが、「同期でも非同期でもシームレスにコミュニケーションできる」ことや、「フローではなくストックで議論や発言が残る」ことで、無数のタスクが決して置き去りにされる事なく、着々と片付いていったのだと思います。

もともとMLの件名に「会計」とか「広報」とかタグをつけてコミュニケーションしていたのですが、回数を重ねるごとに破綻しつつあり、第5回くらいのスタッフMTGで、co-meetingを試しに導入してみる事を提案し、そのまま本採用となった、そんな感じです。

その後、スポンサーにもなって頂きました。

一つだけ言えば、モバイル版はROMるにはいいですが、書き込むのはしんどいため、当日だけは結局MLで連絡していたということでしょうか。これは改善余地があるのか、状況に応じて使い分けるべきなのか微妙なところですね。。。

まとめ?

こういった素敵なイベントに深く関わることができ、とても良い経験を出来ました。

何よりもコードを書く意欲がもりもり湧いて来た。

今後もエンジニア魂を忘れずにいるためにも、まずは次回のLT出場を目指し、ものを作りたいと思ってます。

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Image by Jukka Aalho

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