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14/11/8

失敗が『怖い』から『オイシイ』になっちゃった! ~価値観の変化~

Image by Olia Gozha

失敗は恥ずかしい!

私の出身は神奈川。小学生の時から『失敗は恥ずかしいもの』という風に強く思っていた。

実際は思わされていたということだが。

なぜ、失敗が恥ずかしいものと思わされるようになったかというと、失敗をすると周りがそれを馬鹿にしたり、見てはいけない物を見てしまった、、みたいな雰囲気を作っていたからだ。

幼稚園の頃まではそんな事は感じなかった。

失敗なんて言うものは当然であり、だれも茶化したりしなかったからだ。




行きたくなかった運動会

小学生くらいから、『周りとの競争心』というものが生まれてきた。

そして、何でも『一番が偉い!カッコイイ!』という雰囲気がこれまた作られていた。

自分は友達とキャーキャー騒ぎながら走り回るのなんかは大好きだった。

鬼ごっこ、ポコペン、泥警など、、、本当に楽しかった。

それなのに、、走るのが嫌いになるタイミングというのも存在した。


『運動会』だ。


運動会だと、走り終わった後に強制的に順位が決められ、その順位の数字が書かれた旗の列に並ばされるのだ。


自分はコレが嫌でたまらなかった。


自分がそれほど脚が速いこともなく、一位を取れなかったということもあるが、やはり、自分が嫌だったのは『競争』それ自身だった。


負けるのは全校生徒の前で辱めを受けるのと同じこと、、、

もし自分が勝っても、他の誰かは負けて悔しがる、、、

勝っても負けても嫌だ、、、

これが自分の正直な思いだった。

この気持はあまりにも強く、当日、仮病で休んだりもした。



夕方に一人公園で、、

さて、失敗を恥ずかしいと思わせる周囲の行為とはどんなものだったのだろうか?

小学校の昼休み、自分はクラスメイト達と校庭に遊びに出た。

そのうちの一人が言った。


「鉄棒やろうぜ!」

「お~、やろうやろう!」という子もいれば、「俺、いいや、、、」という子もいた。


自分は「俺、いいや、、、」の方だった。

なぜやろうは『!』で、いいやは『、、、』なのだろうか?


『いいや、、、』と答えた背景には、『俺、鉄棒出来ないから、いいや。皆の前で失敗したくないし、、、』という意味が込められているのだ。


もちろん、鉄棒が出来なくても『鉄棒をする!』と言うことはできる。

しかし、そうなるとどうなるか。


もちろん人気者とか、その人の性格にはよると思うが、バカにされたり茶化されたりすることが非常に多かったのだ。



「鉄棒やろう!」と誘われたタイミングというのは、丁度体育の授業で逆上がりを始めた頃だった。

なので、誘われた瞬間にピンときたのだ。

「逆上がりだな!俺、まだできないぞ、、」

他の「俺、いいや、、、」の子供達も同じような背景だったのだろう。

顔つきなどを見ればお互いにそれは分かる。


それでは、鉄棒の誘いを断った自分はずっと鉄棒の誘いを断り続けることになるのか?

もちろん、そんなのは嫌だ。


小学生の出した答えはコレだ。


「人気のない公園で、夕方に一人で練習だ!早く逆上がりできるようになって、皆に交じるぞ!」

自分はこうして逆上がりをマスターすると、後にこう言うのだ。

「なぁ、今日は鉄棒しようぜ!いつもハンドベースばかりだから、今日は鉄棒やるわ^^」


こんなことをしていたのは恐らく自分だけではなかったはずだ、、、

 


関西へ ~異文化を体感!~

大学が京都だったため、神奈川を出て関西で一人暮らしをすることになった。

そして、『関東と関西の文化の違い』をまさに体で感じさせられることになる。

大学と大学院の併せて6年の関西性活が、自分の物事の捉え方に激変を及ぼしたのだ。



失敗は『ネタ』、オイシイもの♪

大学に入った自分はバスケットボールのサークルに入った。

そこで自分と同じ新入りが体育館でバスケの練習?遊び?をしていた。


その光景が自分には衝撃的だった!

そのうちの一人はバスケの初心者のようで、ランニングシュートでリングにも当てられないほどだった。


自分はそれを見て、「う、うわ~、あの人恥ずかしいとは思わないのだろうか?」と見ていた自分自身が恥ずかしいような気持ちになってしまった。


そして、気の毒だなぁなんて思ったのも束の間、一気にそれらの感情は吹き飛ばされることになる。


共に練習していたバスケ経験者達の反応が自分の予想していたものとまるっきり違ったのだ。


自分は「うわ~、ダッサ!そんなのも出来ないのかよ!」とニヤニヤしながら言ったりするのかと思ったのだが、全然違ったのだ。


周りの反応はこんな感じだった。

「うわ!アホや~^^」 と言いながら喜んでいたり、

「ワシも~」 と言いながら経験者の人がもっと大きく失敗してみせたり、、、

それを見た他の人達もこぞって『いかに面白く失敗するか』を楽しんでたのだ!



その楽しい失敗の流れを作ったのが、当初自分が『本当に失敗した』と気の毒に思った初心者の方だったのだ。


周りの人から見ると、その流れを作った人は、楽しいネタを持ってきたということで、『オイシイところを持っていった存在』とされていたのだ!

この時に受けた衝撃は未だにはっきりと覚えている。

「失敗が恥ずかしいモノではなく、オイシイだなんて!!」

ずっと失敗は恥ずかしいものと思わされていた自分が、すんなりと失敗がオイシイものとは思えなかったが、6年の関西性活は、次第に私の中でも『失敗がオイシイもの』と変化させていった。



これはすべてに当てはまらないか?

それでは関西の人は皆、『失敗なんてオイシイのだからバンバンやったれ!』と思っていたかというと、実はそうでもなかった。


失敗と言っても、『ネタ』で済まされる失敗と、そこは外したらアカンやろ!という失敗があるようだった。


試験期間中など、「落ちたらヤバイわ~」なんて本気で心配してたりした。

落ちるのはオモロイでは済まなかったりするのかもしれない。

これは個人差があり、「落ちたわ~^^」と笑顔でいう人ももちろん沢山いた。


自分が生まれも育ちも関西だったとしたら、『軽い失敗はオイシイネタになり得る』というような認識を持っていたかもしれない。


しかし、自分は失敗の大きさと、それがネタになり得るかどうかなどの細かいことは把握できていなかった。


そこでいきなり衝撃的な体験をしたので、思わず自分が受け取った答えはもっとシンプルなものになったのだ。


『失敗はオイシイ!』

シンプル過ぎて、ある意味ぜんぜん違うものになってしまったとも言える。

そしてこの大いなる勘違いが、後に自分が真理探求をする際に役に立つことになる。


~関連記事~

『思考は現実化する』が本当かを突き詰めるため、仕事にも出ずに9年も真理探求をした結果、、、、『信じる力』が生まれ、神秘体験が繰り返されるようになった話 vol.1





見方が変われば受ける感情は丸変わり!

世の中にはポジティブシンキングと呼ばれるものがもてはやされていたりした。

『ネガティブな言葉などは口に出さず、ポジティブな言葉を選びなさい』

こんな感じのものが多かったのだが、自分はこれでは全然ダメたということはよくわかっていた。


そしてそんなのとはまるで次元が違う答えを知っていたのだ。


失敗して恥ずかしいと思っている時に、「いや、これは恥ずべきものではない。こうすると失敗するということがわかったのだ。一歩前進したのだ。素晴らしいことなのだ!」と自分に言い聞かせたとしても、本当に心からそう思っていないのであれば、全然顔は輝かないだろう。

しかしながら、そんな頭で考えた行為ではなく、もっと感情から変えてしまうようなことが可能なのだ。


そう、見方を変えるだけでね^^

 

失敗とすら感じない。

『だってネタやん!むっちゃオイシイで!!』

 

そんな心境があるのだ。

この心境に気づかせてくれた関西の皆様には心から感謝している。

 


環境は自分で変えられる!

『失敗はネタである』という文化がないところで、失敗したらどうなるのか?


自分は会社に就職するため、京都から静岡に引っ越した。

そこは失敗がネタであるという文化ではなかった。


しかし、自分は『失敗はネタ』という素晴らしい文化は広めるべきだと思ったので、自分の思うままに振る舞った。

だって、どう考えてもそちらの方が気持ちが良かったから♪

そして、自分として試してみたいという気持ちもあったのだ。


「関西では通用しても、文化が違うと理解されないのか?」

「いや、それは雰囲気作りで絶対に変わるはずだ!」

「自分がその雰囲気を作ってあげることが出来れば、必ずこの良さに気付いてもらえるはずだ!」

 

静岡で飲み会に行った時のこと。

自分は隣の女の子にペットボトル入りのお茶をついであげようとした。

すると、お茶が出ない、、、。キャップを開け忘れていたのだ。

 

その際に自分に浮かんだ感情が、

「うわ!オイシイ!」

そう、頭で考える必要もなく、勝手にオイシイと思われるようになっていたのだ。


すぐさま、更にペットボトルを強く振って見せ、「あれ~、全然出てこないぞ。おい、ちょっと振るの手伝ってくれよ^^」と隣の子に告げた。


隣の女の子は笑いながら「キャップ、、開いてませんけど?」と言ってくれた。

これをきっかけに打ち解け、会話も弾みやすくなったのだ。

 

自分が関東にいた時のままの行動をしていたとしたら、次のような展開になった可能性がある。

 

■ キャップが開いていなかったことに気づくと、ハッとしてさり気なくキャップを外し、そのままお茶をつぐ。

■ 周りの人達は失敗をして恥ずかしいだろうと気遣い、キャップをさり気なく外しているところは見ないふりをしてくれる、、、

 

そうだったとすれば、自分だけでなく、周りの人々の気持ちもややモヤモヤしたものになっていただろう。



しかし!『失敗はネタ』というシンプルなものの見方をしていた自分が、実際にネタとして分かるように示したことで、周りの反応は物凄く明るいものに変わったのだ!


そう、文化が違うとかそんなのは問題じゃないのだ。


失敗と呼ばれる行為をした人がそれをどう受け取り、どう行動するかが重要だったのだ。


そして失敗というのは、ネタとしてごまかすとか、そんなのではなく、本当にオイシイものなのだ!

 

その飲み会では、先ほどのネタは一度だけでなく、何度も使ったりした。

敢えてキャップを閉めてから注いだり、わざと空にしてから注いだりね^^

そういう一見意味のないような行為が、人との距離を縮めたりするのだ。



これは失敗だけに言えることではない!

 自分はこのような経験を通して、素晴らしいことに気づくことが出来た。


「失敗とか成功とか、、これは自分がどう捉えるかの問題だったんだ!」

「周りがいかに失敗と思おうが、自分がネタだと思い、それが本当にオイシイものであると示すことが出来れば、結局は周りも『オイシそう、、、』となるではないか。」


これは本当に素晴らしい気づきだ。


「これは『失敗』だけに限られることではないはずだ!」

「善とか悪とか、社会の常識とか、全てに当てはまるのではないか?!」

「見方さえ変われば、感情さえガラリと変わる、、、そんな境地があるはずだ!」

自分は物凄く大きなヒントを得ることが出来た。

本当に物凄く大きなヒントを、、、


このヒントが後に、『不安を超える』という境地を自分が実際に体験できるきっかけを作ってくれたのだから^^


今度は自分がこのヒントを他の人に伝えていく番だ^^

ビヨンド自然塾を通して、、、


『失敗なんて無いんだよ』

 

『失敗した!!

穴があったら入りたい!』

そう思うとしたら

あなたの行為を

ひとは失敗とみなす


『失敗した?

こんなのネタだよ

オイシイだろう?!』

そう思うとしたら

あなたの行為は

人々に笑顔を運ぶだろう


ジョーク、冗談というものが

世界中で好まれるのは

このためだ


『失敗なんて無いんだよ

そのネタ面白いね!』

相手にそう伝えてあげることが

相手の気持を軽くするんだ

失敗なんて無いんだよ

それが『失敗』だと

自分で決めつけない限り

失敗なんて無いんだよ



このSTORYで伝えたいこと

■ 失敗かどうか、、そんなのは自分の見方次第でどうにも変わる!

■ 見方が変わると感情さえ変わる!

■ 嫌だ!を抑えこむのではなく、オモロイ!に変わるような心境を体験しよう~

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