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14/10/1

神さまありがとう第5回

Image by Olia Gozha

 クリスチャンになっても苦しみや辛さ、悲しみ、不遇は無くなりませんでした。それどころか苦しい事ばかりでした。

 それなら、なぜそんなに喜んでいられるのでしょうか?それはね・・・。

 わたしは16歳でキリスト教と出会ってから好むと好まざるとに関わりなく、どっぷりと神様の愛に浸りきって生きてきました。

 まずキリスト教高校に入学できたことが奇跡だと思っています。(1)から読み進めてくださった方なら、もはやいうまでもないですよね。愛に飢え乾き、すべての心の支えを失い、絶望的な状況に追い込まれていたからこそ、わたしのぎりぎりのSOSをキャッチしてくださった神様の御言葉が心に強く響いたのです。

 同じ敷地内に大学がありました。わたしはほぼストレートで進学しました。というより他の選択がことごとく消滅したゆえの苦肉の入学でした。

 専攻は社会福祉です。それを指示したのはまたも父です。理由は就職率が良さそうだからという事えでした。でもこの選択は正しかったのです。

 ここで一生の師と出会い、カウンセリングと出会い、ずっと病んでいた”心”の治療を受けることができたから。

 わたしを苦しめていた”しょんべんたらし”とさようならできたことも、ストーカーという愚行からも開放されたことも何より大きかったですね。

 敷地内にたまたまカウンセリング研究所が設置されていて、クリスチャンサークルの先輩がわたしを誘ってくれたのです。

 当初わたしの精神年齢は3歳だと言われていましたが、卒業する頃にはやっと15歳まで回復していました。

 教会会員の皆さんをわたしの勝手気ままさで、どれだけ振り回し不愉快な思いをさせてしまったことでしょうか。とにかく自分のことだけでせいいっぱいでしたから、牧師様や兄弟姉妹がどれだけすばらしいメッセージをくださっても、まったく心に残りません。

 聖書に書かれている事もわかりません。感謝の心もわきません。不平不満、つぶやき、”なぜわたしだけが?”という周囲への憎しみと恨み、不安と恐れに悩まされました。

 しかし、それでも神様は人や物事を通して「あなたを愛しているよ」と繰り返し語りかけてくださっているように感じました。

 サークルのイベントで参加した、単立教会系のリバイバルクルセード(静岡)で、わたしは田中信夫先生のカウンセリングと出会いました。そして、いつかカウンセラーとして神と人に仕えたいと考えるようになりました。わたしはそこで、ほんのちょっとだけ祈ったのを覚えています。

 二十数年の時を経て、わたしは最高の講師と出会いカウンセリングを学んでいます。

 初めての就職先は宗教法人の病院でした。ですから自動的に毎週礼拝に参加できていました。これも感謝です。他の就職先は全部だめでしたから、だめもとでアプローチしたらOKだったのです。

 でもね、体は大人でも心は15歳ですから、過酷な看護職がうまくいくはずもないですよね。一年で解雇です。

 わたしを誘ってくださった方からご紹介いただいたのが共働学舎でした。

 創立者は熱心なクリスチャンです。現在御年90歳あまり、わたしはここで"命と触れ合い”、"命を育む"体験をしました。(2015年6月に亡くなられました)

 自ら畑を耕し種を播き野菜を育てました。家畜も飼っていたので、ここではえさをやり大事に愛し育てています。

 自分の生活は自分で守る、自分で動き作る、自労自活の自然と一体化した生活。

 さらにここには自分よりももっと屈折した、アクの強い人間がたくさんやってきます。嫌でも向き合って共に生きて行かなければなりません。逃げ場がありません。自然に自分自身と向き合い、お互いに受け入れあい、理解しあい、大事にしあうようになります。

 すべて命ある者なら必ずひとつは良いものを与えられていると教わりました。

 一から人との関わり方を学んで行きました。

 自分も神様に愛されている者のひとりであることも知りました。

 そうして自分を取り戻していったのです。

 元気になってきたら、もう一度社会へ出て人との関わりの中で生きてみたくなりました。

 共働学舎にいれば、すべてにおいて守られています。安心のうちに生きてもいけます。

 でも守られて生きる生き方よりも厳しい環境に身をおいて、さらに成長したいとも思うようになりました。

 20年過ごした共働学舎に別れを告げ、わたしは今の生活を続けています。

 その背後にはいつでもたくさんの人の祈りがありました。


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