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14/9/23

非正規雇用で働く地方在住のシングルマザーだけど子どもが東京の大学に進学できた3つの習慣「早ね早おき朝ごはん」(プロローグ)

Image by Olia Gozha

私は、子どもが小学5年の頃に離婚してシングルマザーになった。

正社員になりたかったけど、私が希望する仕事に就くのは難しくて、離婚して10年経っても非正規雇用で働いている。


一人息子は東京外国語大学の3年生。

我が子ながらすごいと思う。

私の地元からは東外大に進学する生徒はとても少ない。

私が中学生の頃、大好きだったロックバンドのゴダイゴのボーカル、タケカワユキヒデさんが東外大OBだと知ってから、この大学に憧れていた。

だから息子が東外大に合格して、ある意味、私の憧れは現実になったのだ。


お金がかかるから地元の大学でよかったのにという気持ちも少しある。

だけど、地元の大学には息子が行きたいところがなかった。

お金がなくて子どもに必要な教育を受けさせられないということは避けたかった。

教育を受けることは人生の選択肢を広げ、よりよく生きるために必要なことだと思う。



子どもの学年が進むと、進路をどうしたものか不安になってきた。

そもそも、低所得者の私がどこまで教育費を負担できるか。

ネットで知った母子家庭の上のお子さんが現役で地元の国立大学に合格したというので、うらやましいと思った。うちの子が中学生の頃だ。

母子家庭の鑑だなと。

うちの子も地元の国公立だと助かるなと思ったものだ。

それより、高卒で就職してくれることが一番助かるんじゃないか。

でも私は息子に高卒で就職してくれとはとても言えなかった。

地域のトップ校の高校に入ったからだ。

大学進学に備えなくてはならない。しかし、浪人させる余裕はない。まして私大などとんでもない。



1歳6か月健診で言葉があまり出ておらず経過観察となり、2歳から言葉の教室や児童相談所に通所してきた。

発達障害を疑われたこともあったけれど、この子が生き生きと暮らせることが大事だと思いながら子育てをしてきた。

どんな子でもどんな環境にいても持っている能力を発揮できるように。

それが出来るようにしてやることが親の勤めだと思っている。

息子が大学生になって、今まで自分が親としてしてきたことは、そのときに私が出来た最善のことだったと思える。

何より、自分が叶えられなかったことを息子に託すようなことをせずに、息子の適性とか得意なこととかを大事にした。


私の理想は理系に進んで技術を身につけてほしかったのだけれど、息子は文系でよかったんだと思う。

全国を転々とする生活で挙げ句の果てに離婚したけれど、かえって落ち着いて勉強ができたと思う。

環境に負けない子育てを支えてくれたのが、隂山英男先生の提唱された「早ね早おき朝ごはん」という生活習慣だった。







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