top of page

14/9/22

実の姉と20年間話していない。という話とその確執。

Image by Olia Gozha

今はLINEやメールなどでやり取りすることはあるが、実際あった時に話をすることはない。


事の発端

 姉は、小学生の頃は、陽気な人だったが中学生になると不登校になった。ある日双極性障害の母がすごい剣幕で姉を怒鳴っていた。

 後日、姉は家出した。捜索届けが出され、母は何事もなかったかのように、外面で警察官と話していた。父もそんな感じだった。両親は恐ろしいと、子供心ながらに思った。それ以来、姉は家族と話さなくなった。

 私がご飯が出来たと家族に告げる係りで、ご飯が出来たといってもうなづくだけで、一方的に告げているだけだった。

 姉は、変わりたかったらしく、高校に入ると活発になった。母から学園祭や面談で学校に行った時、や、ちょっとした出来事を聞くだけで、私と姉はまったく関わりがなかった。

 姉はバイトに精をだしてがんばっていた。家から逃げるように。一方、家にいる私は家族のさまざまないざこざに巻き込まれて悩み切っていた。


 姉の高校や専門学校の学費に関する愚痴というより、罵声を姉の代わりに母から聞かされ続けた。私はバイトすら働けるような精神的な余力もなく、ひたすら耐え続けた。バイトをして、好きな生活をしている姉を羨み、そして憎んでいた。私はなぜこんなにも、他人の愚痴を聞かされなければならないのだろうと思いながら。


 私と姉、二人とも携帯電話をもつようにっても、電話番号、メールアドレスすらお互い知らなかった。長いことそうだった。確かに一緒に住んでいるのだが、家族だったのだろうかという、想いは今もある。


ようやく電話番号とメールアドレスを交換するが・・

 父が泥酔して暴れたり、そういう家庭の崩壊が見えてきたときにようやく電話番号とメールアドレスを交換した。だが、やり取りは全くなく。感情のない事務的な連絡のみにとどまった。


 2011年母が閉鎖病棟にはいったときもあまり見舞いに行かなかった気がする。もちろん、私もそうであるが。

 家族とは何なのだろう。そう考えていた。答えは出ない。罵声を浴びせ合う両親と、ただただ罵声を聞かされる私。そして、それから距離を取る姉。


 姉は考えを変えたようだった。家族を大事にしようと考えたようだった。母とやり取りしているようだった。

 姉は両親を大事にしていた。旅行からのお土産も私だけお粗末なお菓子のみだった。

 姉は有名な会社に就職した。私はボロボロで、何もなかった。集めたものくらいしか無かった。姉はさらに、活動を広げ、自己啓発的なセミナーや勉強会に参加していた。姉とはなんのやり取りもなく、その活動の報告を母から一方的に聞かされるだけだった。

 母の精神的な調子がとても悪い時、2013年の9月ごろのことだ。閉鎖病棟への入院を検討していた。私はものすごい剣幕で私は怒鳴られていた。私は部屋がなく、仕事から帰っても、逃げ場はない。父は知らない顔をして、私は怒鳴られ続けた。

 精神的に限界だった。わらをも掴む気持ちで、姉に助けをLINEで求めた。だが、帰ってきた答えは「私は結婚するかもしれないから、父、母、祖母、叔父をよろしくね。長男なんだから。」だった。私は絶望した。閉鎖病棟への入院を検討していると告げても、「家族で話し合って。」と冷たくあしらわれてしまった。

 家族とはこんなものだと、絶望した。口内炎がひどく、交通費なしの最低時給で働いていたので、お金がなく、「胃に優しいものが欲しい」と頼んだところ、「父と相談すればいい」とあしらわれた。私は父ともほとんど会話をしておらず、父から皮肉を言われるばかりだった。

 いろいろやり取りするうちに、ようやく、姉は状況が良くないと気づいたようで、掃除だけ少し手伝って、自分の家に帰って行った。

 私は安い賃金でこき使われ、姉は家族の喧騒から距離をおき、エリート企業に勤め、自己啓発に勤しみ、旅行に行き、楽しい生活を送っていた。

 その直後、母にガンがみつかり、姉は何の埋め合わせかわからないが、よく見舞いに行っていた。


 姉はいいとこ取りだった。旅行にだけ連れて行く、お見上げを渡す。イベントがあったら呼ぶ。

 逆に私は毎日のようにサンドバックのように、罵声を浴びせられ、ボコボコなされていたのに、姉は見舞いとか、旅行とか、いい面だけ関わっていた。

 私は精神的に折れてしまったので、家族のあうんの呼吸でいつも私が悪者にされる。家族に貢献しようという気持ちも、私からは失われた。


 良い姉と、ダメな弟。



 エリート企業に勤め、勉強会プロデューサとして活躍する姉。


 何をやっても上手く行かない私。家族三人揃って私を、出来損ないの私を否定したり、非難したりし続けた。


 きっと、テキストを1000回やり取りしても、姉との精神的な距離は1cmも近づけないだろう。



 今も姉とは会っても話すことはない。家族かどうかわからない家族だ。


<了>


HP

http://underthesky.info


note.mu

https://note.mu/underthesky

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

忘れられない授業の話(1)

概要小4の時に起こった授業の一場面の話です。自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はど...

~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1...

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は...

テック系ギークはデザイン女子と結婚すべき論

「40代の既婚率は20%以下です。これは問題だ。」というのが新卒で就職した大手SI屋さんの人事部長の言葉です。初めての事業報告会で、4000...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

bottom of page