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14/9/20

継母(8歳)

Image by Olia Gozha

新しいお母さんが来ることを聞かされてからしばらく経った頃、引っ越しをしました。
そして引っ越しして間もなく、新しいお母さんが家に来ました。


家に来る前は、あれだけ楽しみにしていたのですが、

実際に新しいお母さんとの生活を始めてみて気が付いたことは、

その人がどうしても、”お母さんと思えない”、ということ。

当然です。だって他人なんだもん。


『人に懐かない可愛い気のない少年』
継母にはきっとそう映ったのでしょう。
家に来て2週間後位から、日に日に継母の態度が変わってきました。

そしてある日、継母がボソっと言いました。
『このガキ・・・ほんっと可愛くないなぁ。』

この辺りを境に継母の虐待が始まりました。


些細なことを理由に殴られます。

それは父から受けていた暴力と同じです。

殴る蹴る…時には真冬にも関わらず全裸で外に締め出されたり
アイロンを体に押し付けられたり、食事を与えてもらえなかったりなど。
継母の顔が鬼に見えました。

色々な言葉も、浴びせられました。
『アンタさ…本当腹立つ顔しているね。前のお母さんに似ているのかな?その顔。

目障りだからこの家から出ていけば?だいたいアンタなんで生きているの?死ねよ!』

こんなことを言われるのは日常的です。

これらの行為のほとんど、父が居ない時に行われていました。

僕はそれを父に伝えることができません。
仕事で毎日帰りが遅い父と話す時間などないですし、

告げ口するともっと酷いことをされるのでは?

と子どもながらに感じていたからです。
もっとも父に伝えたところで、父もまた暴力人間。
そんな人は味方でもなんでもなかったのです。

父と継母の両方からの虐待により、
僕はどうしようもなく追い詰められました。
誰か大人に助けてもらいたくても、助けを求める大人は誰もいません。

学校の先生に助けを求めたことがありました。

しかし、家庭訪問の拒否。

そして父による脅しで先生達はだいたい尻込みしてしまいます。

父は体が大きく見た目にかなり迫力があるのです。

とにかく誰か大人に助けを求めたくて、通っていた床屋のおばちゃんに言ったこともありました。

『ごめんね…そういう話は学校の先生にした方がいいよ。』

そこで話は終わりです。


僕のたった一人の理解者は、

意外にも継母の母…義祖母でした。
理解者と言っても、義祖母と会ったのは全部で2~3回程度。
そんな義祖母は会うと必ず僕を抱きしめてくれます。

その感触がとても母と似ていて、僕はいつも泣いていました。

”あ母さん…あ母さんに会いたいよ…。”って。


『いっぱい泣いていいのよ…私をお母さんだと思ってね。』


泣いている僕の頭を撫でながら義祖母は優しくそう言ってくれました。


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Image by Jukka Aalho

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