<ひきこもりでネガティブで、そんな自分が大嫌い>
ユーコンリバークエスト。
カナダのユーコン川、715キロをほぼ不眠不休で3日間で下る、世界規模のカヌーレース。
こんなアドベンチャーレースにこの自分が参加するなんて、思いもしなかった。
そもそもの始まりは、夫がある起業家の人たちとつながっていたこと。
その起業家の人たちは、今回の世界規模のカヌーレース、「ユーコンリバークエスト」やサハラマラソン、キリマンジャロ登頂などなど、さまざまなアドベンチャーレースに参加していた。
昨年(2012年)に、その起業家の人たちの間で「ユーコンリバークエスト完漕報告会」というものが行われた。
文字通り、2012年度のユーコンリバークエストに参加した起業家メンバーによる報告会、シェア会のようなものだった。
起業家の人たちが共同生活をしているマンションで行われたその集まりに、当時私は特に興味を惹かれることはなかった。
だが、夫に引っ張り出される形で参加することになった。
そのユーコン完漕報告会のラストに主催者より、「来年の女性参加メンバーを募集しています」と発表があった。
自分には関係ないと思って黙っていた。
すると、すでに参加表明をしている、今回のリーダーである「みなちゃん」という女性より、「出ましょうよ~」と誘われた。
もちろん断り、笑って曖昧にごまかした。
なぜ断ったのかというと、いろんな意味でハードだからだ。
まず、お金がかかる。日数もかかる。
あと、なんといっても人とそんなに長い時間、一緒にいたくなかった。
人と関わりたくなかったのだ。
そのときの私は、ネガティブだった。
当時は、公私ともにがんばりすぎて約1年間苦しんでいた不眠・うつ病からやっと開放されたばかり。
そして満を持してリラクゼーションサロンを独立開業したものの、色々とうまくいかず、フルタイムの派遣で生命保険のコールセンターの仕事をしていた。
コールセンターの仕事は特にやりたいことではない。
やりたくもない仕事をやって、同僚と下らないおしゃべりをして愚痴を言って、そんな毎日にうんざりしていた。
そしてプライベートでは、これといって特にハッピーなことがなかった。
当時私たち夫婦は妊活に励んでいたものの、一向に結果が出ず、毎月生理が来るたびにひどく落胆していた。
でもこんなことは誰にも言えない。
それまでいつもポジティブに振舞っていた私は、ネガティブな自分には価値がなく、誰からも受け入れてもらえず、愛されないと思っていた。
そんな私に比べて、この起業家の人たちの集まりはとてもポジティブに見えた。
全員が起業して、成功していると思っていた。
起業していない人たちもやりがいのある仕事をして、成功していると思っていた。
実際はそんなことはないのだが、そのときはそう思い込んでいた。
「この人たちと私は違う」
彼らと接するたびにそう感じた。
だから居心地が悪くて、彼らとの関わりを避けた。
しかし最初にユーコンリバークエストの誘いを断ってからも度々、夫を始め、色んな人たちに参加を勧められた。
その度に断った。断り続けた。
悶々とした毎日が続く中、ある日、一人の男性が、夫を通じてあるセミナーの無料体験会に誘ってきた。
女性限定「女性性コミュニティ Our Garden 女性として生きる歓び」
さほど興味はなかったが、無料だし、引きこもりが続いたので行ってみることにした。
女性オンリーなら、起業家の人たちの集まりに比べて、それほど居心地が悪くないだろうと思った。
セミナー自体はためになったし、楽しかった。
しかし、最後に有料セミナーの案内があって、なんだか気持ちが覚めてしまった。
「そうだよね、ボランティアでやってるわけじゃないもんね」
当時、相当やさぐれていた私は、申し込みする気もなく、そそくさと帰った。
帰りのエレベーターで、一緒にセミナーを受けていた女性と一緒になった。
「申し込みするんですか?」と私が聞くと、彼女からは、
「はい、申し込みしましたよ~」と、当然のように返ってきた。
どうやら、以前に申し込みしたみたいだ。
彼女は帰りに「フェイスブックで友達申請するので、名前を教えて欲しい」と言ってくれた。
彼女とフェイスブックでつながり、早速メッセージが届いた。
すぐに返信した。なんだか、すごく嬉しかった。
家に帰り、夫に早速「どうだった?」と聞かれた。
「今日のセミナー自体は良かったけど、有料セミナーを申し込む気はない。
興味ないし、高い。そんなお金ない。」と答えた。
夫は、有料セミナーの案内チラシを見て、
「この内容でこの金額なら、安いよ。何より、コミュニティに入れるんだよ。
そこでできる仲間は、なにものにも代えがたいよ。お金は、貯金から出せばいいじゃん」
と言ってくれた。
それはまさに、彼が起業家の人たちとつながり、実感していることだった。
そう言われて気にはなってきたものの、「いや、やっぱりいい。申し込まない」と断固拒否していた。
それから数日。やっぱり気になってきたので、夫に改めて「申し込みしようかな」とつぶやいてみた。
「うん、しなよ」と、背中を押してくれた。
次の日の夕方、思い切ってお金を振り込んだ。
<新しい仲間との出会い>
有料セミナーは、期待以上だった。
まずは男性性と女性性(男性らしさと女性らしさ)を理解し、その中で、調和を学んでいく。
自分の内面と向き合う。両親との関係について深く考える。
その中で、ネガティブな自分を受け入れるということをした。
また、それまで多かった、完璧主義や「~でなければならない」という価値観を、少しずつ手放せるようになった。
気持ちが楽になり、家庭で、職場で、友人の間で、次第に居心地がよくなっていった。
男性性と女性性の特徴の一つとして、
男性性が「与える」、女性性が「受け取る」というものがある。
これは、狩猟時代に、「男性が捕ってきた獲物を家族に与える」、
「女性はそれを受け取る」という由来からきている。
「受け取る」とは、「受け入れる」ということだ。
セックスについても同様である。
「男性が与える」「女性が受け取る」。
そして、「自分が望む方向に進む」ためには、
「受け取る」というアプローチをすれば、ストーリーは進んでいく。
逆に、拒絶して受け取らなければ、ストーリーは止まる、ということを学んだ。
そんなこんなで、だんだん自然体に振舞えるようになり、
今まで拒否してた自分を受け入れられるようになり、
毎日がとても楽しくなってきたのである。
その頃、私はコールセンターの仕事を辞め、
リラクゼーションサロンを再開した。
コミュニティの女性たちが、数人来てくれて、
フェイスブックなどで紹介してくれた。
こちらが何も言わなくても、そうしてくれて、
とても嬉しかったし、感謝だった。
「仲間っていいなあ」と素直に思った。
ユーコンリバークエスト参加を表明したのもこの頃。
「受け取る」ことをしようと思った。
1年近く拒否し続けてたのに、それでも誘い続けてくれるみなちゃん、夫や周囲の人たちに感謝した。
そして今年4月上旬、参加メンバーの初顔合わせに行った。
メンバーは、リーダーのみなちゃん、ジョナサン、トマスキーさん、ゾロくん、はるかちゃん、
ユーコンリバークエストに過去2度出場しており、アドベンチャーレースの第一人者であるKENさん。
みなちゃんとはるかちゃんと私以外は男性。
男性4人、女性3人の、男女混合チームメンバーだ。
初対面の人たちも多く、なんか違和感があった。
どうも居心地がよくない。自然体でいられない。
今まで好調だったのに、どこかおかしい。
発言するにしても、何をするにしても、過剰に人目を気にしている自分がいた。
「こんなこと言って大丈夫かな。嫌われないかな」
「わたし、一体どんな風に思われてるんだろう?」
そんなことばかり考えてるから、萎縮して身動きが取れない。
なんだか息苦しい。
そして、取り立てて、ものすごく仲がいい人がいるわけでもなく、運動音痴な私は、
なんだか浮いてるように思えた。
<『受け取る』ということ ~フィードバックは愛~>
違和感を抱えたまま、最初のトレーニングである、群馬県水上の合宿へ行く。
野宿、テント宿泊の2泊3日。
精神的にかなりハードルが高かったが、行くしかなかった。
アウトドア、カヌー経験がほとんどない私たちに、
KENさんは至れり尽くせりでたくさんのことを教えてくれる。
熱心なKENさんとは対照的に、私たちは受け身で接しているように感じた。
申し訳なくなり、また、そこまで会話も盛り上がらずシーンとしていて、
私は必要以上にオーバーリアクションをとった。
例えば、KENさんが作ってくれた食事に対して、「おいしいです!!」を連発。
何か話を聞けば、「すごいですね!!」を連発。
無意味に何度も頷いた。
正直、気を遣いすぎて疲れてしまった。
トレーニングは順調に終わり、
私たちはその後、KENさん以外のメンバーで、スカイプを使いミーティングをした。
そこで、のっけから、衝撃的なフィードバックを受けたのである。
「あなたは、セルフイメージが低い」
心理学に詳しい、ジョナサンからの一言。
あまりに衝撃すぎて、その後の会話を覚えていないくらい、ショックだった。
私にとって、かなりの大事件だ。
どうやら、水上合宿での私の言動を見て、そう分析したらしい。
ショックでよく覚えていないのだが、
セルフイメージが低いと、恥の感情が強いのだそうだ。
すると、例えばレース本番で、低体温症やケガなどで、自分が原因でリタイヤしたとき、
精神的ダメージが大きくなるとのこと。
要は、メンタルが弱いらしい。
あとは、ストレスを溜め込む性格、というのも指摘された。全部お見通しのようだ。
それから3日間、ずっと落ち込んでいた。
「お前は何の価値もないダメ人間だ」と言われているように感じた。
自分は、体力や筋力がないし、身体能力も低い。ヘタレだ。それは認める。
でも、メンタルは決して弱くないと思っていた。
段々腹が立ってくる。
何ですごく仲良くもない人に、そんなことを言われなきゃならないのか?
一体私の何を知ってるのか?
ユーコン行きが憂鬱になった。
ひとしきり落ち込んだ3日後、変化が訪れた。
「受け取る」ことをしようと思った。
「受け取る」というのは、自分にとって心地が良いことも、そうでないことも、
両手で有難く受け取ること。
以前の私なら、共感してくれそうな友人に連絡してグチって、
もうその人から離れていただろう。
でもそうすれば、ストーリーが止まってしまう。
もう止まりなくなかった。逃げたくなかった。
というよりも、既にユーコン行きを表明しているのだから、逃げられないのだ。
よく考えてみれば、取り繕ってもお見通しということだ。
だったら、自然体でいていいんだと思った。
そう考えたら、気持ちが楽になった。
自分のことを分かってくれる人がいるというのは、安心する。
同時に、「フィードバックは愛」という言葉を思い出した。
コールセンター時代に、社員が言っていた言葉だ。
当時は「何が愛だよ。ただのダメ出しじゃん」と受け付けなかったが、今ではよく分かる。
とにかく、有難かった。
ジョナサンに感謝を伝えたいと思い、メッセージを送った。
優しい返信だった。改めてアドバイスをくれた。
セルフイメージの低さの原因になっているのは、
「~でなければならない」といった価値観からきていると。
そういうのを手放せば、楽になると。
とても嬉しかった。
メンタルもヘタレな自分を受け入れて、少しずつ前に進んでいこうと思った。
このとき、起業家が集まる勉強会や、
女性のコミュニティの場、親しい友人に、勇気を出して、このことを思い切って話した。
みんな温かく受け入れてくれた。共感してくれる人もいた。
ありのままの自分をオープンにすることによって、
みんなが、世界が、自分の望む方向に導いてくれていると感じた。
場の力を感じた。とてもありがたかった。
<自分のためじゃなくて、みんなのために>
それから私たちはずっと、ジョナサンの提案で、
フォームを改善、定着化することにひたすら集中した。
KENさんに、プロのトレーナーである、
「御岳レースラフティングクラブ」のだいごさんを紹介してもらい、毎週練習に通った。
私は時間に自由が効くのと、身体能力が低く、飲み込みが悪いのもあり、ほぼ出席率100%で参加した。
ここでも変化があった。
以前なら、義務感で参加していただろう。
でも、「練習した方がいいし、練習したい」という気持ちで通っていた。
実際、とても楽しかった。
数回通い、まだまだ改善余地はあるものの、
自分だけのことを考えるなら、フォーム改善についてはソコソコ満足していた。
しかし、ここで気がついたことがあった。
すでに御嶽での練習日は数日決まっていて、全体練習はたった1日。
それまでに、最低でも一人2回は練習に通っておきたいところだ。
しかし、メンバーのうち数人が、全体練習までの練習日が足りない。
そこで私は、追加の練習日を提案することにした。
だいごさんに直接コンタクトを取り、
調整中といわれた日については、ゴリ押しをしてなんとか調整してもらった。
正直、ユーコンのトレーニングは、自分は受け身で参加すると思っていた。
誰かが提案してくれたトレーニングに従うだけ。
でも、みんなをフォローしたかった。
「しなくちゃ」ではなく「したい」で行動していた。
全体練習は5月17日の1日のみ。
その前の練習で、ジョナサンと話す機会があった。
「ゾロ君とはるかちゃん、もっと練習に来れたらいいのにね。
あの二人は大きな戦力になるから。16日、練習来ようかな。。。」
元々予定のなかった16日に、来るか迷っているようだった。
聞けば、その日は高額セミナーに参加する予定だという。
もうお金は支払い済み。
私も迷っていた。16日は調整可能。
でも、16日~17日、連チャンでトレーニングして、果たして体が持つのか?
迷ったまま、ある日、kenさんからメンバーの一人に対して、フィードバックがあった。
「はるかちゃんは、御岳トレーニングに1回も参加できてない。
他の人と圧倒的な差があるから、自主練習してください」
私なら、ショックすぎてまた3日間凹むような言葉だった。
(本当にメンタルがヘタレである)
はるかちゃんは、教育実習に3週間励んでいた。
そのため、正確には1日、練習は参加したものの、
だいごさんからの直接指導は受けていない状況だった。
ここで私は、今年のサハラマラソン完走者で友人の、「ひでさん」の言葉を思い出した。
「自分ひとりでゴールしたって意味ない」
ひでさんはサハラマラソンの一日目、自分がゴールした後、
道に迷ってゴールできていなかった仲間のサポートをしなかったことに対して、
自分自身に怒ったのだった。
そして、次の日からは、仲間をサポートしながら走っていた。
「自分ひとりでフォーム改善に満足したって意味ない」
そう思い、メンバーに16日も練習するよう提案した。
とりあえず、参加表明があったのは、はるかちゃんのみ。
だいごさんは、2名以上の参加者がいれば見てくれる。
翌日予約を取った。
予約は取れた。
だが、午前中はフォーム指導を行ってくれるが、
午後は別の予約があり、難しいと言われた。
今回はゴリ押しは難しそうだ。
女子2人で湖での自主練習は危険だった。
一人がラダー(舵)をするから、効率も悪い。
自分から言い出したものの、不安になる。
「男子、誰かあと一人でいいから、参加して。お願い」と祈った。
16日を目前にしたある日、ジョナサンから、
「16日は空けたので、一日参加できます」とメッセージがあった。
一言で言うなら、感激した。
「誰かのために」というより「みんなのため」なんだなと思った。
深く、広く愛を与える人。男性性が強いなと思った。
<一人じゃなくて、みんなと一緒にいたい>
16日の練習は無事終わり、
私たちは、17日の朝に全体ミーティングを行った。
議題は主に、目標設定と、レース中の停泊所であるキャンプ場「カーマークス」での
宿泊をテントにするか、ホテルにするかの決定を予定していた。
カーマークスでは、ホテル宿泊も可能だった。
意見は2つに分かれた。
私は結局、ホテルを選んだ。
色々葛藤はあるものの、ホテルのほうが楽で衛生的だったからだった。
しかし、KENさんの提案で、チームメンバーの中で、
テント組とホテル組とで分かれることになった。
私は「分かれてしまうのはさみしいです」と言った。
KENさんは、
「何も問題ないよ。だって、レース中はみんなずっと一緒で、
自分の時間が取れるのはこのときしかないんだよ。これで決別することはないから」と答えた。
それでも、私はみんなと一緒がよかった。
だから、ホテルはやめてテントを選んだ。
レース中、ホテルの部屋のベッドで一人で寝るなんて、想像するだけでぞっとする。
「みんながこうしてるから、私もそうしなきゃ」ではなく「みんなと一緒がいい」と思った。
以前の私なら、たとえ一人でホテルを選んでいても何の躊躇もなかっただろう。
むしろ、一人が好きだし、一人になりたかっただろうから。
誰かとずっと一緒に行動するなんて、面倒くさいし、息がつまると思っていたから。
この変化には、自分でも驚いた。
<いざ、ユーコンリバークエストへ>
さて、いよいよカナダのユーコン準州へ。
現地到着して装備品チェック、準備、買出し、練習など、2日間はあっという間に過ぎた。
現地日本人サポーターの手厚いサポートのおかげで、余裕がないながらもなんとか準備が終わった。
驚いたのは、パドル(カヌーを漕ぐ道具)の軽さ。
まるで羽のような軽さだ。何も持ってないような感覚。
なんと3万円以上もする、超高性能なパドルである。
私は握力が9キロしかなく、今までの練習では腕が痛くなることが多かったのだが、
このパドルを持った瞬間に「これはいける!!」と確信した。
いよいよスタート。
ボートでの席順は、
前・・・ジョナサン、ゾロくん
真ん中・・・はるかちゃん、わたし
後ろ・・・みなちゃん、トマスキーさん
一番後ろ・・・KENさん(ラダー ※舵)
ユーコンリバークエストは、世界規模のカヌーレースである。
「パドラーの聖地」と言われており、わたしたちのような「ド素人集団」が出場することは皆無に近い。
カナダ人をはじめとした、世界各国のカヌー上級者、ベテランの猛者たちが出場するレースだ。
当たり前だが、周囲のボートは早い、早い!
ここで私たちは、他のボートの漕ぎ方に注目する。
漕ぎ方は3通りある。
・御嶽漕ぎ・・・だいごさんから教わった漕ぎ方。水面に対して、パドルを立てて垂直に入れる。ストローク(水を掻く)の時間が長い。
・高速漕ぎ・・・御嶽漕ぎよりもペースは速い。パドルは立てずに、少し斜めにして漕ぐ。ストロークは短く、入水のときのみ力を入れる。
・ちゃぷちゃぷ漕ぎ・・・高速漕ぎよりもさらにパドルを斜めにして、先端を持つ手の肘を曲げて楽に漕ぐ。水をキャッチする力も、推進力も弱い。体の負担は少ない。
ほとんどの早いボートが、高速漕ぎで漕いでいた。
私たちは、彼らの真似をすることにした。
かなり早く進んだ。
KENさんから「かなりいいペースだよ!」とお褒めの言葉をいただき、とても嬉しかった。
私たちは、基本的に掛け声を掛けて進んでいった。
入水のタイミングを合わせるため、入水時に音頭を取り、
パドルが水から抜けるタイミングで、合いの手を入れる。
「セイヤー!」
「ういー!」
みたいな感じだ。
誰がどのタイミングで声掛けするかは自由。
私は無意識に、自然に合いの手を入れていた。
掛け声を掛け合うのは、とても気持ちがいい。元気が出てくる。
パドリングは、餅つきにも似ている。
男性が突いて、女性が返す。
セックスと同様である。
<カナダの大自然での開放>
順調なまま、最初の難所「ラバージ湖」を迎える。
ここは全長100キロの、流れのない巨大な湖。
それまで川の流れがあって順調と感じていたが、急にボートが重く感じる。
おまけに、強い追い風で波がかなり高く、ボートは揺れまくって極めて不安定。
途中で雨も降ってきた。
最初は「海みたい!」と面白がって興奮していた。
不注意により、パドルを流してしまったり
(後ろで漕いでいたみなちゃんがナイスキャッチしてくれた)、
雨具に着替える際、ノロノロしていて
ライフジャケットをつけていない時間が長くて心配をかけたり、
着替えに時間がかかって、まだ着替えていない他のメンバーが
雨に濡れている時間を長くしてしまった。
また、左右のポジションを交換する際、
ボートに捕まらず、不安定なまま腰を下ろしたせいで、
もう一人のメンバーが衝撃で倒れてしまうということがあった。
危険な状況の中、みんなが緊張感を持ってやっているのに、それが欠けていた自分に反省した。
このときから、ボートで用を足すメンバーが続々と出てきた。
2リットルのペットボトルを半分にちょん切ったものを使って、用を足す。
隣の人と共用だ。
揺れと緊張と恥じらいから、最初はなかなか尿が出ないという。
私は2人が先にしてくれたというのもあり、特に何の障害もなく用を足すことができた。
その開放感が、めちゃくちゃ気持ちよかった。
しかし、この危険な状況も、中盤になると、徐々に恐怖になってきた。
転覆する可能性もある。
改めて、水の大きさと恐怖を感じた。
ラダー(舵)のKENさんが、神経をすり減らし、
手にマメを大量に作りながらも、必死で舵を取ってくれていた。
ユーコン川の水は冷たく、転覆した場合、
10分浸かっていれば低体温症で死ぬという。
このラバージ湖はあまりにも大きく、波も高く、
転覆してから10分で岸にたどり着くのは至難の業。
そして、他のメンバーは泳げるけど、わたしは泳げない。
本当に危険な状況であり、一刻も早くラバージ湖を抜ける必要があった。
私たちは真剣に、必死に漕ぎつづけた。
実際にはあまり進んでないように見えても、確実に進んでいる。
ひと漕ぎ、ひと漕ぎをていねいに行った。
途中で、前に座っているゾロくんが、
「これ、食べさせて」と、クルミが入った袋を渡してきた。
一番前に座っている二人は、みんなをリードする役目だ。
ましてや、この不安定な状況。手を休めるのも躊躇するだろう。
この状況でなければ、お上品に一つずつ、
手と口が触れないように遠慮しながら行っただろう。
そんなことを気にしてられなかった。
決して衛生的とは言えない手で、私はおもむろにクルミを数個取り出し、
大きく開ける彼の口の中へ押し込んだ。
当然だが、手と口が思いっきり触れた。
同様に、ジョナサンの口にもたくさんのクルミを押し込んだ。
二人とも、もっと食べられると言うので、
「ブホッ」と吹き出すほど、たくさんのクルミを口の奥まで押し込んだ。
隣にいるはるかちゃんの口にも、容赦なく押し込んだ。
その行為に、とても快感を覚えた。
手と口が触れ、相手の中に入る。
相手と繋がっているように感じた。
自分を受け入れてくれているように感じた。
調子に乗った私は、その後もチョコレートやビーフジャーキー、
レースが終わってからも、色んな食べ物ををメンバーの口の中に押し込んだ。
やっとラバージ湖を抜け、川の流れのあるところに出る。
一安心だ。
ここで私は、用を足す姿を写真や動画に撮ってきてほしいという、友人の言葉を思い出した。
後ろで漕いでいるトマスキーさんにお願いして、取ってもらった。
横向きに座り、出す前に、
「いくよーーーーーー!!!!」と、
カナダの大自然に向かって、大声で叫んだ。
予想外にたくさん出るので、
「まだまだ出るよーーーーーー!!」と再度叫んだ。
みんな笑って温かく受け入れてくれていた。
それはもう、めちゃくちゃ気持ちいい瞬間だった。
みなちゃんが、「可愛いー!」と言ってくれた。
ここでは、地位も肩書きも関係ない。
過去も未来も関係ない。
私は普段、外に出るときは大抵化粧をし、可愛く見せるためにヒラヒラしたワンピースを着ている。
ここには、メイク道具はないし、ワンピースもない。
自分を飾るものは何もない。
あるのは、今、この瞬間の、あるがままの、そのままの飾らない一人の人間。
髪はボサボサ、肌は乾燥でカピカピ。ノーメイク。格好はレース仕様。
なのに、可愛いと言ってくれる人がいる。
開放した自分を、みんなが、自然が受け入れてくれる。
「自然体で、ありのままでいていいんだ」
人間もまた、自然の一部。
生かされているのだということを実感する。
<前兆 ~嫌われる勇気~>
和やかなムードで進んでいったが、異変が訪れた。
みんな、肩、腕に負担がかかってきている。
原因は明確。慣れない高速漕ぎでずっと進んでいったからだった。
加えて、初めてのボートに初めての場所。
一筋縄ではいかない。だから面白いのかもしれないけれど。
バンテリンを塗ったり、ムサシ(筋肉の負担を軽くするアミノ酸)を飲んだり、
ストレッチをしたり、休憩を取って回復を試みるが、
やむを得ずちゃぷちゃぷ漕ぎになってしまうメンバーも出てきた。
あれだけフォーム改善に集中していた私たちだったが、苦戦を強いられることになった。
私ももちろん、例外ではない。
「あーもう無理ー」と思うことが多かった。
つい、負担が少ないちゃぷちゃぷ漕ぎに逃げたくなる。
だがそのたびに、御嶽でトレーニングをしてくれた、だいごさんの顔が浮かんだ。
「あきこちゃん、まだまだ、いけまっせーー!」
だいごさんの声が聞こえる。
身体能力が低く、飲み込みも悪く、
同じことを3回教えてもらってやっと少しできるようになるような私に、
だいごさんは何度も何度も、根気強く指導してくれた。
私たちは、御嶽漕ぎしか習ってない。
御嶽漕ぎしか知らないのだ。
何より、御嶽漕ぎが好きだった。
高速漕ぎだって、基本は同じだ。
「肘はまっすぐ!」「足を使って!」
「水の中は力入れて!」「上はリラックス!」
御嶽での練習風景が思い浮かんだ。
そんなことを思い、痛みをこらえつつこぎ続けたら、急に体が軽くなった。
痛みも苦痛も感じない。
なんだか気持ちよくなって、楽しくなってきた。
これが俗に言う、ランナーズハイなのか?
既にスタートから12時間以上が経過している。
私たちは、深夜のユーコンに挑戦しようとしていた。
ここからは、疲労と眠気と幻覚との戦いになるのだろう。
異様な雰囲気だった。
この時期は、ユーコン準州は白夜だ。
すなわち、日が沈まない。
だが、深夜の数時間は若干暗くなる。
あたりは暗く、とにかく寒い。
恐らく5度くらいだったのではないかと思うが、体感温度は0度くらい。
みんな、気力を振り絞って漕ぎ続けた。
掛け声にも工夫が見られた。
「よよいのよい!(うい!)よよいのよい!(うい!)」
「へんなおじさん♪(あ、そーれ)へんなおじさん♪
へんなおじさん♪(だから)へんなおじさん♪」
極限状態に浮かんでくる「へんなおじさんコール」に、志村けんの偉大さを感じる。
この頃から終わりまで、ずっと幻覚が見えていた。
岩、森などが人の顔、動物などに見える。
最初は怖かったが、
「自然が見守ってくれている」
「自然と一体化している」と感じた。
休憩や仮眠を交代で取ってはいたものの、みんなしんどかったと思う。
夜明け付近、後ろ二人が20分の仮眠を取っている際、自分以外のメンバーがみんな、
ウトウトしているように見受けられた。
漕ぎ方にも力がない。
気付けば、掛け声は自分ひとりしかいなかった。
やばいと思った。自分ひとりで漕いでもどうにもならない。
勇気を出して大きな声で言った。
「眠い方、眠眠打破あるんで言ってくださいね!!眠眠打破飲む方いますか!?」
返答がない。
「はい、要らないのね!」
自分にしては驚くくらいきつい口調だった。
嫌われないように、いつも人当たりを良くしていた自分だったが、少し殻を破った気がした。
自分だっていつ、どうなるか分からない。
とにかく、元気なうちに、出来る限りのことをしたかった。
しばらくしたら、今度は自分が眠くなってきた。
このときから、仮眠や休憩は自己申告制になったので、遠慮なく仮眠休憩をもらった。
お互い、我慢せず頼ることを大切にしたかった。
<自由とは>
スタートから約27時間、やっと停泊所であるカーマークスに到着。
カーマークスでは、最低7時間の滞在が義務付けられている。
ここまでのラストスパートは本当にしんどかった。
漕いでも漕いでも着かない。疲労はピーク。
みんな本当によくがんばったと思う。
ボートを降りたら、もうフラフラ。足元がおぼつかない。
こんなに疲れていたのかとびっくりする。
ありがたいことに、現地日本人サポーターの方たちが、
テントや食事を全て用意して待っていてくれていた。
自分たちだけでやるものだと思っていたから、本当に感謝だった。
私たちはシャワー浴びて、食べて、寝るだけ。
KENさんは、「出発時間さえ守ってくれれば、あとは自由行動」と言っていた。
その言葉が、やっと腑に落ちた。
今までは、誰かに合わせて行動していた。
誰かが食事するなら、私もする。誰かがシャワー浴びないなら、私も浴びない。
それは自由ではない。
私は一人で行動した。やりたいことを、やりたいときに、やりたいように。
誰かに合わせる必要はない。
普段、いかに人に合わせて行動していたかを実感する。
テントで寝る前、夫が出発前に入れてくれた音声を聞いた。
寝る前に聞くように、と吹き込んでくれたものだ。
どうやら夫がラジオのDJに扮して、数曲をオンエアするという内容のものだった。
ナレーションが流れ、結婚式二次会の入場曲に使った曲、夫の気持ちが入った温かい曲、
ラストは、斉藤和義の「歌うたいのバラッド」だった。
それはなんと、夫がカラオケで歌ったものを録音したものだった。
聞きながら、涙が溢れた。
自分のことをこんなにも想ってくれている人がいる。
そもそも、夫がいなければ、ユーコンに出ることもなかった。
感謝でいっぱいになった。
泣きながら、安らかな眠りについた。
出発前、私は荷物のパッキングに四苦八苦していた。
私は片付けやパッキングが苦手だ。
何をどうすればいいのか分からなくなる。
それを見ていたKENさんが、
「あきこちゃんは荷物整理が苦手だよね~ 水上のときも散らかってたし」と笑いながら言っていた。
他にも、私が一日目に水を飲みすぎて途中で足りなくなり、
他の人からもらっていたことも指摘があった。
同時に、「1日目、ちゃんと漕げてたね!他の人にもフィードバックしてあげて」とも言われた。
そうだ。フィードバックだ。
自分に出来ることをやろう。
<つらいときこそ、基本に戻る>
カーマークスを15秒フライングしてスタート!(笑)
向かうは、「ファイブフィンガーラピッド」
このレースの一番の目玉であり、難所である。
転覆する可能性が最も高いと言われている、波の高い場所。
ゴゴゴーーー という水の音に、ドキドキする。
転覆対策で、ウェットスーツを着た。水上で激流体験もした。泳ぐ練習もした。
絶対に突破してやる!!
と、意気込んで臨んだが、数秒で終了してしまった(笑)。
KENさん曰く、
危険な場所であり、コース取りによっては波が低いところを進む安全コースも選択できた。
だが、それではつまらないので、あえて危険なコースを進ませてくれたとのこと。
その余裕が、さすがだと思った。
その後、強風の向かい風が続き、
漕いでも漕いでも、あまり前に進んでいないのではないかという場面があった。
こんなときは、メンタルも体力も消耗する。
ちゃぷちゃぷ漕ぎメンバーが続出した。
フィードバックしたいけど、どう言えばいいのかが分からない。
「肘まっすぐ!足使って!」は、伝えたものの、そんなことはみんな分かっていた。
「みんな基本はできている。じゃあどうすればいい?」
悶々と考えていると、ジョナサンが突然、
「御嶽漕ぎに変更するよ!」
「御嶽の練習を思い出して。目の前に鏡があると思って、
自分のフォームをイメージして漕ごう!」とみんなに言った。
御嶽での陸上でのフォーム練習のときのように、下半身の体制を変え、
ペースも御嶽漕ぎに合わせて落として漕ぎ始めた。
すると、驚くくらい、ぐんぐん進んでいく。
結局、高速漕ぎより、御嶽漕ぎのほうが、体が楽だし、進むということが実感できた。
また、だいごさんの顔が浮かんだ。
涙が自然と流れてきて、泣きながら漕いだ。
それを乗り切った後は、大分気持ちに余裕が出来ていたように感じる。
歌を歌ったり、
おしゃべりをしたり、
山に向かって叫んだり、
男子が上半身裸にライフジャケットを着て写真撮影をしたり、
男子のチクビにバンテリンを塗ったり、
基本はストイックだけど、色々と楽しんだ。
さらに、2日目は1日目よりもさらにランナーズハイ状態になり、
漕ぐリズムも合いの手もノリノリだった。
一度ノリだすと、疲れも痛みも感じない。いつまでも漕げそうな気さえしてくる。
幻覚も絶好調。
動物がたくさん見える。その一部は、くるくる回りだしていた。
他にも、ワンダーランドっぽい大きなものや、猫バスなども見えた。
ひらがなや、カタカナまで見えてくる。
気持ちよくて、楽しくてしょうがない。
<混乱期>
次の停泊所である「カークマンクリーク」に着く少し前に、目標について話が出た。
当初、私たちは55時間でゴールすることを目標としていたのだが、
今のペースでは難しいということだった。
その話は、既に出ていたらしい。
話の端っこしか聞いていなかった私は、その認識が薄かった。
もしそうであっても、
「55時間を目指してみんなでベストを尽くせばいいのではないか」
と気楽に考えていた。
目標については、そこまで重視していなかったのだ。
話し合う中で、下方修正しようという案が出た。
目標を下げようということである。
それについて、トマスキーさんが抗議した。
「55時間が難しいなら、すぐに下方修正するのは、違うんじゃないか」
それについては、すぐに解決案を出すことができなかった。
このとき思ったのは、全体の目標設定について、話し合いが足りなかったこと。
目標設定についての話し合いの優先順位が低かったこと。
トマスキーさんが、日本の練習のときから、
目標設定について話し合おうと何度も言っていたのは知っていた。
なのに、スカイプでも、17日の全体練習のときにも、目標についての話し合いはしなかった。
そのことに気付いていたのに、どうしてもっとフォローできなかったんだろう。
自分を責めたが、もう遅かった。
目標についての認識は、人それぞれだ。
だとしたら、相手の価値観を知り、それに合わせることも大切だ。
そこで、全員で調和を取っていけばよかった。
また、リーダーのみなちゃんに全てを押し付けず、
目標設定についてリーダーがいてもよかったのではないかと思った。
とりあえず、カークマンクリーク到着後に再度、目標設定について話し合うことになった。
カークマンクリーク到着前に、若干揺れがある箇所があり、少しだが船酔いしてしまった。
足元がフラフラする。
私よりもさらに酔ってフラついているみなちゃんと手をつないで歩き、食事とトイレを取った。
カークマンクリークでは、最低3時間の滞在が義務付けられている。
ここまでくると、さすがに他のボートの選手たちも疲労困憊だ。
食事に並んでいる途中に、外国人選手たちと互いに励ましあった。
あいているトイレを探してさまよっていたら、外国人選手が親切に声をかけてくれた。
余裕がないときこそ、励ましあい、助け合う。
大切なことを教えてもらった。
みんなで食事を取りながら、目標について再度話し合った。
今のままのペースだと、55時間は無理。
全力で漕げば、達成できるが、あと10時間以上ある中でそれは無理。
「そうは言っても、ミラクルが起きるかも♪」
と言っていた一部のメンバー(私もそう)にとって、
はっきり現実を言ってくれることは、逆に有難かった。
うまくまとまらない中で、KENさんが言った。
「このチームを成功させてあげたい。条件は3つ。
一つ目は、完漕すること。2つ目は、昨年チームのタイムを上回ること。3つ目は、人を責めないこと」
この条件が一つでも欠けたら、成功ではないということだった。
異論はなかった。
聞きながら、涙が出てきた。
それは悔し涙ではなく、うれし涙だった。
思えば最初のミーティングのときは、私たちはチームではなく個人だった気がする。
結束力も、そんなになかった気がする。
でも、練習を重ねて、こうやって実際レースに出て、
個人個人がチームになっている。ひとつになっている。
そのことが嬉しくて嬉しくて、泣けてきてしょうがなかった。
今までのペースで行けば、58時間台。
ちょっと早いペースなら、57時間台。
55時間を目標にしてきた私たちは、57時間台を目指すことにした。
<ありがとう>
ここでもう一つ、ポジション変更の話が出た。
一番前で漕いでるジョナサンが、心拍数が上がり、
脱水症状気味で、体がきついとのことだった。
一番前は、何もないところを漕ぐので、一番負荷がかかる。
後ろのメンバーは、前の人の推進力がある上で漕ぐので、いくらか負荷が軽くなるのだ。
確かに、見るからに辛そうである。彼を正面から見るのは久しぶりだった。
今まで後ろから、背中しか見ていなかった。
その背中で、みんなを引っ張ってくれていた。
私は、比較的元気だったので、代わってあげたかった。
でも、私に彼の代わりが務まるのか?
一番前で、みんなをリードできるのか?
自信がなく、躊躇していると、はるかちゃんが口を開いた。
「あきこちゃんと代わったらいいと思う。あきこちゃん元気だし、漕ぎも力強いし」と。
というわけで、ポジション交代することになった。
不安だけど、ワクワクした。
ずっとみんなを引っ張ってくれて、
彼にしか出来ない仮説検証をしてくれて、
戦略を立ててくれて、
練習の提案をしてくれて、
リーダーシップを取ってくれて、
みんなに愛を与えてくれて、
優しくしてくれて、
至れり尽くせりお世話してくれて、
フォームの指導をしてくれて、
誰もやりたがらない意思決定をしてくれて、
数え切れないくらい彼に感謝していた。
その恩返しが少しでも出来たらと思った。
タイムロスを防ぐため、ここでも滞在時間3時間きっかりで出発。
出発は非常にストイックだった。
出発までのカウントダウンが始まる。
「あと2分!!」
「あと1分!!」
アワアワしてたら、ハイドレーション(水筒のようなもの)のフタを一時的にしなかったせいで、
出発したときに水を半分こぼしてしまった。
しかも、こぼれた水が思いっきりゾロくんの夜の防寒着にかかり、
ビショビショになって使い物にならなくしてしまった(笑)。
<最も恐れているものと向き合う>
あれだけ疲れていたのに、ボートに乗ると驚くくらい体が軽くなった。
最初は不安だったが、一番前の、初めて見る景色にさらにテンションが上がる。
水の重さの違いは、たいして問題ではなかった。
とにかく漕ぐことが、気持ちよくて楽しかった。
水を掴むときの感触を丁寧に味わった。
水も、人も、自然も、みんな友達。みんな仲間。
だいごさんに習った漕ぎ方のベストができた。
体を捻って、パドルを前から入れる。水の重さを感じて、ストロークを長く。
御嶽での練習のときは、数分で疲れていたのに、今は何時間でも漕げる。
後ろから、ジョナサンとはるかちゃんの軽快な声が聞こえる。
「超気持ちいい!!超楽しい!!いつまででも漕げる!!来年もユーコン出たい!!」
みんな、復活したようだ。
カークマンクリークで、みんな死んだように疲労困憊だったのが嘘みたいだった。
指導が上手い二人は、一番後ろのみなちゃんとトマスキーさんへ漕ぎ方のアドバイスをしていた。
それにより、みんながベストな漕ぎで最終日を楽しめたと思う。
人間の可能性は未知数だ。
御嶽で練習したときは、1日の練習でぐったりだったのに、
それをはるかに超えた時間を漕いでいる。
しかも、睡眠は極めて少ない。
ハイになると、痛みも疲れも吹き飛び、
ただひたすら、気持ちよくなる。
自然との一体感を、チームメンバーと、世界と感じることができる。
絶好調のまま、ぐんぐん前へ進んでいく。
「残り100キロ。あと7時間くらい」と声がかかると、
あーもうそのくらいで終わっちゃうのか・・・寂しいな。と思った。
スタート時に比べたら、完全に感覚がおかしくなっている。
カークマンクリークを出てから、リードの掛け声は2列目以降にお願いしている。
一番前のゾロくんとわたしは、合いの手で合わせていった。
途中、リードが早くなったので、指摘して直してもらった。
残り6時間くらいになったころ、他の選手のボートが次々と現れ、
私たちはそれを鮮やかに抜いていった。
抜くときは、漕ぐペースを上げて鮮やかに抜き去る。
とても気持ちがいいのだが、ペース配分は大切だった。
2回目に他ボートを抜き去ったとき、
ペースがかなり速くなり、抜いた後も落とす気配がない。
うーん、これはどうしたものかと・・・私なりにシュミレーションしてみた。
今、絶好調の人は、きっとこのままのペースでいきたいだろう。
それ以外のメンバーは?
いけるかもしれないけど、途中で疲れてしまうだろう。
そうなると、ちゃぷちゃぷ漕ぎになる、もしくは途中で休憩が必要になる可能性大。
となると、全体のパフォーマンスは落ちる。
そもそも、このペースだと御嶽漕ぎがちゃんとできない。
実際、高速漕ぎに近くなっている。
あと5時間以上ある。このペースでいくのは危険だ。
ゾロくんにそのあたりを話してみた。同意。
ゾロくんに話した理由は2つある。
1つ目は、自信がなかったから。
そして2つ目は、ゾロ君にそれを言わせたかったからだった。
今までいつもそうしてきた。
もし、これを私が言ったらどうなる?
嫌われるかもしれない。
みんなハッピーじゃないかもしれない。
ペースを落とさないほうがうまくいって、いいタイムが出せるかもしれない。
その責任は誰が取る?わたし?
ぐるぐる考える中、勇気を出して大声で言った。
「ペースが速すぎます!
このペースだと、御嶽漕ぎができません!
もっとペースを落としてください!」
以前の自分なら、こんなことは言えなかった。
周りに合わせて、自分の意見を言わないほうが楽だから。
うまくいかなかったら、誰かのせいにできるから。
自分は責任を取らなくていいから。
嫌われてもいい。チームのために言おうと思った。
「~です!」と断定する言い方も、
以前はしなかった。
普段はたいてい、
「~だと思います」
「~かもしれません」
など、曖昧な言い方で自分を守っていた。
<調和へ>
思い切って言って、漕ぐペースを落としたものの、
みんなテンションが明らかに下がっていた。
「このペースだと、58時間半コースだね」
という声が聞こえてきた。
「このペースでいいですか?」と後ろを振り返って聞くと、
メンバーの一人が「いいです!」と言ってくれた。
「じゃあ、このペースで、出来るだけいいタイムを目指しましょう!」と言った。
リードの掛け声は私が取り、ゾロ君が合いの手を入れてくれた。
途中で、トマスキーさんが合いの手を入れてくれた。
後で聞いたのだが、私の不安が伝わってきたのだという。
このテンションでゴールまで行くのかと思うと、
なんだか悲しくなった。
ここまでがんばってきて、こんな終わりでいいのか?
そして、私はみんなに同意を取っていなかったことに気がついた。
「みなさん、このペースで、58時間台でゴールして、ハッピーですか?」
と、聞いてみた。
いろんな意見があったが、とりあえずこのペースで、
御嶽漕ぎで、ベストを尽くすということになった。
テンションが低かった状態から、少しずつ、
みんなが掛け声をかけてくれるようになった。
ちょっとノってきた私は、掛け声をアレンジした。
そしたら、ペースが速くなってしまった。
2回目にペースが速くなったとき、
「ペースはゾロくんに合わせたほうがいい」とフィードバックがあった。
ゾロくんがリードの掛け声を掛け、私はフォローの合いの手に回った。
とてもしっくりきて、気持ちよかった。
やはり私は女で、合いの手のほうが合っているのだ。
ゾロくんも、「あきこちゃんの合いの手、めっちゃ気持ちいい!」と言ってくれた。
途中、食事や飲み物を取るタイミングがあったが、
もうここまで来ると、何が誰のものだとか、そういうのは関係なくなっていて、
「誰かが何かを求めれば、持っている人が与える」という感じになっていた。
例えば、「ゼリー食べたいから、私の食事バッグ取って~」と後ろに言うと、
「そこにあるゼリー、食べていいよ!」という感じ。
ハイドレーションの水を半分こぼしたせいで、途中なくなっちゃったけど、
補充するのもロスになるから、勝手にゾロくんの水をもらっていた(笑)。
ハイドレーションにはチューブがついていて、口にくわえて水分をとる。
口にくわえる部分を共有するのは、普段なら多分躊躇していただろう。
そういうのが、とても気持ちよかったし、嬉しかった。
もう、私たちは仲間であり、家族なのだ。
ラスト1時間になったとき、
ゾロくんが「ペース上げていいですか?」とみんなに聞いた。
そこから、怒涛のラストスパートが始まった。
ラスト30分になったとき、さらにありえないくらい、ものすごいラストスパートが始まった。
全員が大きな声を出し、全力で限界まで力を出し切った。
特に男子の声は本当に大きくて、力強い掛け声だった。
男子がリードし、女子がフォローする。
男性性と女性性のエネルギー交換のピークだった。
途中で二人乗りカヌーを抜いた。
周囲には、相当異色に映っていただろう。
「このジャパニーズは一体何なんだ?」と(笑)。
ゴールしたとき、ポーズを取る余裕もなく、みんな倒れこんだ。
ゾロくんが男泣きをしていた。
とても美しかった。
陸になんとか上がったとき、みなちゃんが泣いていた。
急に緊張が緩み、私も泣けてきた。
はるかちゃんも泣いている。
その後、みんなでハグし合った。
温かくて、安心した。
私たちは、無事に完漕したのだ。
タイムはなんと、57時間6分だった。
ボイジャー(ボートの種類)部門で堂々3位。
日本人初の快挙ということだった。
ヘタレチームと言われた私たち。
誰一人欠けても、このような結果は残せなかっただろう。
男性性と女性性のエネルギー交換。
私たちはこの3日間、ずっと愛の行為をしていたのだ。
一つになって、巨大なエネルギーとなって、完璧な調和で進んでいく。
開放的で、果てしなく気持ちよくて、幸せで、楽しい時間。
至福を追求した感じがした。
今回のレースにおける個人の目標は、
55時間というタイム以外は、全て達成できた。
その中で、私がずっと掲げてきたものの一つに、
「女性性を上げる」というものがある。
正直、アドベンチャーレースは、男性性で臨むものだと思っていた。
女性性は足手まといだと思っていた。
でも、女性性で取り組める。
これだけは自信を持って言える。
むしろ、男女混合チームの方が、男女のエネルギー交換でパワーアップできるのではと思う。
あとは、「人にどう思われているか」と、
「~でなければならない」といった価値観を手放す。
これが、自分にとって「最も恐れているもの」だったと思う。
それが、レースの中で向き合えたことはとてもよかった。
世界を信頼し、世界から受けとる。
自分が望む方向に、世界が導いてくれる。
世界はいつでも、両手を広げて、待っててくれている。
勇気を出して、ありのままの自分を出したら、世界は温かく受け入れてくれる。
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ユーコンリバークエストという大冒険が終わり、
私はすでに次の冒険に旅立っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
このストーリーが、みなさんの新たな冒険に出るきっかけとなれば、とても嬉しいです。
チームメンバー、
応援してくださったみなさま、
たくさんのアドバイスをくれたみなさま、
カヌーの漕ぎ方指導をしてくださった、御岳レースラフティングクラブのだいごさん、
手厚いサポートをしてくださった現地の日本人サポーターのみなさま、
温かく迎えてくれた現地の方々、ボランティアスタッフ、
一緒にレースに参加した外国人選手たち、
カナダの大自然、etc, etc...
感謝でいっぱいです。
ありがとうございました。
※念のためですが、このストーリーは「ユーコンリバークエストに出場しましょう!」という趣旨のものではありません。
本レースは大きなリスクが伴い、相応のトレーニングが必要です。素人のみでの参加は非常に危険です。ご承知おきくださると幸いです。
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ありがとうございました。
※一部写真 撮影:杉本淳/Photo : Atsushi Sugimoto/www.apl-as.com