D事業所(軽費老人ホーム)に就職それと障害年金受給
平成21年11月またD軽費老人ホームに正職員として就職をします。当然ながらクローズとしての一般就労です。また働くことができると思ってなかったので、嬉しかったですよ。ただいつまで続けることができるか、内心は非常に心配でした。家族にはその不安感などはなかなか言えなかったのでね。発達障害を抱えながら、 どうやっていき辛さを軽減して働くか、 1種の壮大な実験でした。ここが正念場という事は理解していました。
就職後しばらくしてから、障害年金受給の通知が来ました。正直驚きましたね。受給は無理なのではないかと思っていたので。就職しましたがいつまで持つか非常に自分自身でも疑問ではあったので、嬉しかったです。生きて行くだけなら。パートだけでも、何とかなるのです。幸い扶養家族もいないので。駄目であればホームレスに戻るだけの話です。嫌ですが。
嬉しかったのは、対発達障害の研究資金だと思ったからです。障害年金は私にとっては研究費用だと感じました。私の中では国からの援助金です(笑)。生きていくだけなら何とかなるのですが、目標を達成するにはお金が足りないのです。就職して、稼いだお金を対発達障害の研究資金に回すには早くて3年かかると思っていましたから。
「君になりに頑張ってやっているね。このお金で研究して、社会に還元して下さい」と言われた気がしましたね。そして、高揚感であり緊張感も感じましたね。身震いしました。平成16年から、役割を決め目標を定めて自分なりの努力をしていました。自分のお金でやっていたことですから、「やめた」といえばそれまでです。誰も私を責めることが出来る人間がいないのですが、こうなると私だけの問題ではないと考えてしまいました。国から援助資金ですから(笑)。でも、私はこういうのは嫌いじゃない。意気に感じましたね。
「援助金ありがとうございます。精進します。必ず損はさせません。援助金を出して良かったと思われるよう頑張ります」。そうやって誓いました。うーん、ここまで正直に書いていますが、私、大丈夫ですかね?全体的におかしいのは理解しています(笑)。
出会い
このD事業所で色んな事を学びましたね。私の成長の手助けをしてくれた方がいます。この人に会えただけでも、多分ここで勤務したことは間違いじゃないと思えます。介護職のまとめをされていた方で、T主任と言います。第一印象は「なんという業の深い顔なのだろう」でした。今までしてきたことが顔に出ている。私の経験からすると非常にやばいタイプです。あくまで私の感想ですが、「悪相」でしたね。ふと周りを見ても、この人の危険さを私だけしか気がついていない。いつも通りただ判るのでした。
自分を抑えられない人でした。本人からするとそういう自覚はないと思いますが、基本的に常に人の悪口を言いっているひとでしたね。気に入らなければ、上司に対しても、その人が席を立ったら、「あのハゲ」とかね普通に「死ねばいいのに」とかを、途端に言う人でした。ただそういう人は自分が被害者なのですね。「あいつが悪いからいうのだ」と。自分が悪くはないのです。そして、そのために気に入らない人のネガティブキャンペーンをするのです。その人にとっては正義の行為なのでしょう。悪いのは「他人」ですから。ちょっとした失敗とかを誰彼構わず言いふらして、そして職場に居辛くさせるのです。
人の悪口を言う人なのですが、誰かから違う人の悪口を聞いたのなら、悪口を言われた人のことを嫌いになる人でした。これだけなら女性にあるタイプなのかもしれませんが、彼女の特徴としてダメージを受けるのでした。
悪口言う人は独特の瘴気のようなものを出しています。何かを憎んでいたり怒りを覚えていたりするときにそういうものが出ています。私はそういうのに敏感な質で、皮膚感覚としてそういうものがはっきり把握できます。皮膚に突き刺さる感じですね。周囲に精神的に不安定な人がいると大抵、体調を崩すのです。
T主任も非常に鋭敏な感覚の持ち主でした。悪口を言ったり聞いたりすることで、てきめんに体を壊すのです。目に見えて体調が悪くなる(言わなければいいのにね)。その事業所の中で1番休んでいた人じゃないのかな。
私は何らかの発達障害の方なのかなと思っていました。そして、非常に興味深く観察していました。
本人も相手の感情に非常に敏感だということを、たぶん自覚はしていたと思います。そういう敏感さは利用者様の気持ちに気づくことが重要な介護の現場でも活かされていましたから。
ただ、職員を相手にした場合にすると、それを治そうとするのです。「人を正そう」とするのです。相手の感情に気づくのでね、見過ごすことができないのです。端から見ていると相手の感情をいじくり回している感じでしたね。何の権利があってそんなことが出来るのか?と常に感じていました。
幸せでは無い人でした。自分の家族の悪口も言うのです。その頃の職員は彼女の旦那さんが何回浮気をしたか、全員知っていたと思いますよ。だって言いふらすのですもん。常に相手が悪く自分が被害者だと、私からすると主張しているようにしか見えませんでした。私はああはなるまいと思いましたね、似ているところがあるので。でもいろんなことを学べた人ですよ。
知識・技能「ライフハック」
生産性を高めるためのノウハウやちょっとした工夫、裏技などのまとめのことですが、現在のライフハックでは各種デジタル機器とクラウドサービスの徹底活用をすることで生産性を高めることが主流です。それとパソコンだけでなくスマートフオンの活用をする。パラダイムシフトだと思いましたね。感動で身が震えました。これにより私の不得手をしていることを大部分克服できると確信しました。
「基本的に記憶力が弱く、物事の順番が決めることが難しく、そして整理整頓ができない」
私はそういう人なのです(他にも出来ないことはたくさんあります)。私なり工夫をしてタスク管理をしていましたが。方法はノートパソコンで管理をして、仕事では手帳を使うわけです。ノートパソコンが母艦で端末アイテムとし手帳です。二度手間なのです。パソコンから手帳に必要なことを書き写すことをしますから。非常に作業効率が悪いとかんじていました。端末アイテムとしてスマートフォンを使えば解決するのです。
記憶力が悪く整理整頓が出来ないと、仕事をするうえでやはり支障がでますよ。ただ、技術の進歩ってすごいですね(笑)。必要な情報をクラウドサービスに保管することで大幅に改善するのです。記憶力が弱く細かい内容が思い出せなくとも、情報にすぐアクセスすることが出来れば何の問題がないのです。整理整頓が出来なくとも、クラウドサービスで必要な情報を一元管理すればいいのです。圧倒的に「探す」という作業を簡略化できます。そしてこの場合も端末としてスマートフォンを使用するのです。
私は弱点をたくさん持っています。基本的に非常に体力がないですしね、思考も飛びます。こういう人間は徹底的に効率化を目指さなきゃダメだと思う。そしてここまでするのなら、まだまだ戦うことができる。障害があってもね。
知識・技能「変な人の書いた成功法則」
「「困ったこと」は起こらない」
斎藤一人さんという方がいます。漢方をベースにした化粧品や健康食品の販売をされている方です。銀座日本漢方研究所(現・銀座まるかん)を経営されています。成功もされており、長者番付の常連だった方です。作家活動もしています。内容は経営戦力的なお話ではなく、主に「生き方」について書かれていますね。私の印象では偉いお坊様の説法を聞いている感じです。
はじめに読んだ本が「変な人の書いた成功法則」です、平成22年11月頃ですね(多分)。
内容に惹かれました。その中で「「困ったこと」は起こらない」ということを解説されています。
緑字引用
「困ったこと」は起こらない。常日頃あなたに困ったことが起きます。そのとき、あなたが、本当にこのことで私は困るのだろうか」と考えるのです。そして、本当は困っていない。困った出来事が、本当は困ったことではないと気がついたとき、あなたの魂のステージが上がるのです。困ったこと、それは、あなたの魂のステージを向上させる、神様からのプレゼントです。「どうして私だけがこんなに苦しまなければならないのか」という考えは今から捨ててください。そして、本当にこの問題であなたが困るのかを考えるのです。「私は、本当は困ってなんかいない」そう思えたら、もうこっちのもの。外で起きた現象は、心の中で解決すると、パッと消えてしまうのです。でも、ひとつの問題が解決すると、また次に別の〃困ったこと“が出てきます。それでも、神様はあなたに苦労を与えようとはしていません。人間は苦労をするために生まれてきたのではないのです。このことだけを頭に入れておいて行動してください。それでも苦労ばかりしているとしたら、それは、神様があなたに「やり方が間違っているんだよ」と教えてくれているのです。ただ、神様は言葉ではそれを教えてくれません。この世に起きる現象として、それを教えてくれるのです。
「私は困ってはいない」
この「困ったことは起こらない」という考え方は、そうだなと思いましたね。特に私は困っていない。平成16年に発達障害と判明してから困ってはいないのです。
正直自分のやることが出来ましたから。むしろ生き甲斐のように感じている。「発達障害者を幸せにする」このことに私は支えられていることに気がついていました。人生の目標があるからです。これも私が発達障害者と診断とされたからですよ。正直私は全く困ってないの。むしろ有難いくらいだね。
確かに社会生活送る上で。弱点はありますけども、自分の目標は「発達障害者を幸せにする」と言う目標のために克服すべき課題なわけですね。これらを改善すれば自分の目標に近づく。正直ただそれだけの話なのです。目標か叶えようと思ったときに、なんらか困難や課題がないなんてことはありえないですよ(笑)。困難がなければ、目標が叶えることができたとしても、たいして嬉しくないじゃないかな。
克服する過程で私は確かいろんなもの学んでいて、他の人から見たらどうかはしらないですが、自分の中で着実に進歩している事を実感しています。発達障害であることを私にとって全くもって困ることではない。すっかり斉藤一人さんに魅せられました。もっと学びたいと思うようになりました。
知識・技能「100回聞きCD」
「100回聞きCD」について①
斎藤一人さんの会社の銀座まるかんが提供しているもので(今では中止のようですが)、「100回聞きCD」というものがあります。斎藤1人さんが「はじめにこれを聞くといいよ」といわれたものです。18種類のテープを100回づつ聴くのです。そうすると「いいことが起きるよ」とのこと。私は代理店(健康食品、美用品等の)通して申し込みましたが1枚100円です。ですが、ダビングして配布することを奨励しています。YouTubeでも普通にきけます。このことを商売にはしていないです。「いいものだから皆に聞かせてあげな」というスタンスですね。
<「100回聞きCD」一覧>
0初級入門 覚悟の話・無から有を生みだす 19:02
①つやこ49 47:59
しあわせになるコツの話(つや編) 14:36
しあわせになるコツの話(言葉編) 21:15
「気楽な修行」の話 0:52
「因果」の話 11:16
②弟子入りおめでとう 16:06
③上級の話(4話の話) 45:56
④魅力の話(うなずく話) 13:55
⑤一人で二人分働く 19:53
⑥あなたは観音菩薩 11:22
⑦マスターの教え1・2 19:55
⑧幸せの道 08:36
⑨天の声を聞く、世間の声を聞く 24:11
⑩絶対に勝てる人、絶対に負ける人 08:15
絶対に勝てる人 6:59
絶対に負ける人 1:16
⑪大人の目 11:00
⑫人は天にかわいがられている 11:49
⑬幸せにならなきゃいけない理由 07:04
⑭すごく簡単に幸せになる方法 07:39
⑮毎日損をしない為のお店のつやこ 10:18
⑯あなたが生まれる前に決めたこと 35:29
⑰道の話 12:13
というラインナップです。
「100回聞きCD」について②
この「100回聞きCD」は自己規範として使えると確信しました。今まで私が習得できなかった社会との関わり方、人との付き合い方等、ストレスへの対処の仕方、外見について気をつけること、日常の心のあり方等、生きていくうえで必要なものは揃っていました。
当事者として、いろんな出来ないことがあるのですが、一つの特徴として、学習スピードが遅いという特徴がります。きちんと「このことはこういう背景があり、ここはこう理解したほうがいいよ」とまず初めにレクチャーして頂くと理解できるのですが。そうではない場合はまず理解できません。「なんとなく察する・理解する」ということが壊滅的に無理なのです。思い当たる方は結構いると思います。
こういう人間が成長するとですね、同年代の人よりも幼くなるとおもいます。年齢の応じた経験をしていない。それよりも、経験から学ぶことが出来ないのでね、人生の知恵の蓄積が出来ていないのです。
例えば、定型発達者に「あなたにとって人との関わり方はどうしていますか」と聞いても、答えられないかもしれません。ですが、その状況になったら、年齢・経験に応じた行動をとります。私にはそれが難しい。自分なりの行動をとるのですが、大きく違うようです。そしてちがっていることに気がつかないことが多いです。自分では修正できないですよ。なにが違うか判らないですから。教えてくれる人もいないしね。こうなると周囲にとっては、「迷惑な人」なのです。この状況をどうするか?
私には自己規範になるものが必要だと思っていました。「それを100回聞きCD」で学ぶことができる。
「100回聞きCD」について③
「100回聞きCD」は「人を変えることではなく自分の考え方・心のあり方を変えることで幸せになる」ついて示されたものです。そのためには「人はどういう性質を持つか」このことの理解も重要なのですが、通して読むことで無理なく理解できます。
何十年も人として生きていると。自分なりの癖というものがつきます。
「どういうことにストレスを感じるか」
「どういう人が苦手か」
等ね。
ある意味個性といっていいと思いますが、それで人生がうまくいっているならば問題ないですが、そうでない場合は自分の考え方・心のあり方を変えることが、必要になると思います。ですが、実際生きていくうえで、教えてくれる場所って無いですよね。
ちっちゃい頃、あいさつきちんとしなさい。とか。嘘はついていけません。といったことを親から教わったと思います。これも自己規範と言えるかなと思います。でも初歩的ですよね。さすがに何十年も生きているところ初歩的な部分というのは、多分できている方が多いのかなと思います。必要なのはもっと高度な自己規範なのです。この状況でどう振舞ったらいいかの基準になる、自己規範になる道徳が必要なのです。「100回聞きCD」を学ぶことで高度な自己規範を身に付けることが可能だと思います。
「100回聞きCD」について④
私なりの考えを述べます。自分の考え方・心のあり方を変える方法が示されていますが、この考え方自体、いわゆる心理療法・精神療法の考え方に非常に近いですね。
私は専門家ではないのでよくわかりませんが、これまでの自分を変えようと思い、心理療法・精神療法の本を読んできました。私が習得してきたものと近い技法・考え方が「100回聞きCD」にはあります。多分私が気付いている以外でも、類似している技法というものはあるのではないかと考えます。
斎藤一人さんの教えというものは仏教の考え方がベースになっていると思います。仏教の考え方自体に心理療法に通じるものが、あるということなのかなと考えます。仏教の教えの有効性を現在の心理療法・精神療法が証明したことになる?
「100回聞きCD」と「地球が天国になる話」(100回聞きCDに含まれていないですが、最高傑作と呼ばれることもある)をとおしてきくと、自分自身の理解が深まります。私の場合はなぜ二次障害をひきおこしたか理解しましたね。現在は、二次障害を克服し、「コントロール」もできています。「100回聞き+1」の中にある3つの技法を主に使いましたが、「100回聞きCD」全体的な理解が必須かなと思います。
取り組み
実際聞いてみると、私は耳で聞いたものがあまりよく理解できない、ということに気がつきました。これが私だけの特徴なのか発達障害の症状の一例なのかよくわかりませんが、 100回聞いてもよくわからない。多いものは300回聞きましたが理解出来ないのです(笑)。
正確にいうと「すること・してはいけないこと」これがすべてを把握することが出来ないのです。理論とか思想背景というものは聞き込みをすれば理解できます。
現在の学習法ではインプットとアウトプットとを、分けて考えることが主流です。例えば資格試験ではインプットはテキストでの学習、アウトプットは演習問題を解くことです。いくらテキスト学習で知識を積み重ねても問題を解くことが出来ければ意味がないです。試験に合格しませんから。アウトプットのためにインプットはあります。
「100回聞きCD」で学んでことを実践できるようなること、これが最終目標です。インプットにあたる音声やテキストでの学習はもちろん必要です。ただアウトプットを意識しなければ、「いい話を聴いたな」だけで終わることや不完全なまま(自分の理解できる箇所だけ)覚えてしまう可能性が高いです。学生時代を思い出しても教師の授業や教科書だけ読みこんでも試験ではいい点数はとれないです。インプットだけでは実践出来ません。少なくとも私は100回聞くだけでは無理でした。
<教えを実践するためのステップ>
①全CDの文字起こし
これにより内容が明確になりましたね。そして当然ながら理解度も違いますね。聞きながらよむと効果が増します。
②「すること・しないことを」抜き出す
「すること・しないことを」このことが明瞭に書かれています。すべてを理解してなおかつ記憶することは無理です。「いい話を聞いたな」で終わる可能性が強いです。実践するためには「すること・しないことを」を抜き出すという作業をする必要があります。
③「すること・しないことを」を再構成する
抜きだしただけでは実践は難しいです。抜け出しただけでは、状況に応じた対応をしやすくするという視点が欠けています。判り易い形で再構成する必要があります。できれば1.2枚ので「図」のような形で表示するのが望ましいです。視覚的に理解ができますから。私は「マインドマップ」を強く推薦します。
置口空助と名乗る訳
出し切ります。平成23年の1月下旬不思議な体験をします。普段はほぼ夢を見ない人間なのですが、不思議な夢を見ました。こういうことは初めてです。
玄関を開ける音がしました。 2fで寝ていたのですが「神様だ」を思いました。そして、階段を上ってくるわけですよ。だんだん近づいてきて、ついに枕元に立っている訳ですよ。神様的な何かが。私としては寝たふりをするしかないですね。何となく女性のイメージでした。
そして、寝ている私に「これを使いなさい」と私の胸元に何かをポンと渡したのでした。その瞬間私は飛び起きて、渡されて物を抱え込んで、まじまじと自分の腕の中を見ました。何があったと思います?「置口空助」と表現された、立体的な文字のイメージがあったのでした(表札に近いかな)。
名前をもらったのでした。その後インターネットで姓名判断のサイトを巡りましたよ。でもね、そのサイトによって良くも悪くも書かれている訳ですよ「置口空助」が。流派によって違うのです。確かに本来私の名前よりも、印象としてはどのサイトも良かったですが。でも、実際のところ頂いても扱いに困りますよ、名前は。職場で「今日から置口空助です」とは言えないよ(笑)。
正直何か応援されている気はしましたが、結論としては「保留」です。「芸能界デヴューするときに名乗ります」となりますよね。他にどうしたらいいのかね(笑)。でもずっと気にはなっていました。いつ名乗ろうか?
それから数年が経って私は今「置口空助」なのです。今後芸能界デヴューは多分しないのでね、このタイミングでしか名乗れない(笑)。神様的な方、結局こうなりましたけど、これでいいですかね?
私の番
平成24年2月頃、私に番になりましたね。T主任の攻撃相手です。この数年の中で気に食わない人間を、彼女の感覚では職場にふさわしくない人間を、何人も退職に追い込んだのを見ていました。
悪い噂を流し居辛くさせ、追い詰めていったのをつぶさに見てきました。みんな辞める間際は精神的にちょっとおかしくなっていましたね。はっきり言ってパワフラ以外のなにものでもないのですが、非常に巧妙ですね。あなたのためだからと言う論調ですね。
本当にそうなら、皆の前では怒鳴りつけたり、居ない所では陰口を言ったり(禿とか死ねとか。レベルが低いです)、明らかに辞職に追い込むためにしているのです。愉快なことに当時の施設長は女性の方でしたが一緒になってしていましたね。
軽蔑というか、異常な人という意識しかなかったので、それをとうとう隠しきれない時が来ましたね。とうとう見つかったのです。私の表情やそういうものも反応を見逃しませんでした。私の番がきました。
利用者さんの聞こえる前で私の悪口を言ったり、わめいたり異常な行動が止まることはなかったですね。ある認知症の入居者様に対して繰り返し「あの人(私)に嫁にもらってもらいな」いうためすっかりおかしくなった方もいました。正直まともではないですね。たぶん今までの人生でもこうなのかな。
こういう状況の中でどうやって心の平安を保つかこれがテーマでした。この当時の私を支えてくれたのが斎藤一人さんのCDでした。
車の事故
斉藤一人さんのCDを聴くことで、概ね自分の機嫌をとりながらも仕事ができていました。T主任は、非常に焦っている感じでしたね。少し私を怖がっているような印象もありました。空回りしていましたから。
私としてはやるべきことをやるだけなのでね。さてこんなわたしですが非常に苦手な部分があります。夜勤ですね。異常に疲れやすい人間です。特に夜勤明けは尋常じゃないぐらい疲れます。私としては命を削る思いでしたね。基本的にパワハラにはあまり動揺はしなかったのですが、夜勤明けは駄目でしたね。影響をうけます。もちろん私が夜勤明けに弱いということは知られていました。そこに合わせていろいろな嫌がらせはされましたよ。
平成25年2月のことでした。夜勤明けで家に帰ってから、買い物に出かけるのですが車の事故を起こします。T主任の攻撃で精神がボロボロでしたね、意識がなくなりましたね。
私の特徴「相手の感情に影響されやすい」、これがもろに出た瞬間でした。相手の邪念とかそういうものを非常に影響受けやすいのが、疲れきっている夜勤明けでした。
意識が戻ったのは病院でした。「また生き残ったか」最初に思ったのがそのことです。
別に嫌だとかそういう事ではないです。私はこれまで死んでもおかしくない目にあうのはもう数え切れないくらいです。
自分のことを強運と思っています。実をいうとその根拠になっているのが、「死なない」ことです。何度死にそうな状況にあっても、何故か死なない。たぶん私にはまだやるべきことがあるだろう。そう思うしかない。
今回の事故は私のミスでした。 特に怪我はなかったので、数日で退院して職場復帰です。相変わらずT主任は感じが悪かったのですが、あることが私におきます。
弱点「フラッシュバック」
あることに気がつきました。非常に体調が良いいのです。睡眠障害が軽減しました。あんなに重度の睡眠障害だったのですが、だいたい8割ぐらいは普通に眠ることができるようになりました。
それとですね「フラッシュバック」ってご存知ですか?
繰り返し嫌なことおもいだす。許されることがなく責めたてるのです。時には鮮明なイメージを伴うようですね。一度失敗をして何らかのペナルティを受けている訳ですから、もう終わっていることなのですが、自分を許していないのです。結局自分を責めている。
これが軽減しました。半分位かな、比較すると。ここから面白い話で、軽減して初めて自分にフラッシュバックが起きていることに気がついたのでした。物心ついたときから常にフラッシュバック状態だったので、その状態が普通なのでした。24時間起きているときは私を責めている何がいるのです。頭の中に過去のトラウマが常に再現しているのです。そして、非常にリアルですよ。ほとんど現実と変わらないくらいの場合もある。この状態が斑になったのです。フラッシュバックが起きてない時がある。それで気がついたのでした(笑)。
発達障害は精神を病むことが多く、このフラッシュバックに苦しめられている方が多いとは知っていましたが、自分もとは気がつかなかったです。そして何故改善したのか?
成果物系「ブロック」① チャンネルの切り替え
「孔雀明王の修行」について①
睡眠障害。フラッシュバック。これが全部なくなったといませんが軽減しました。お陰でね、生きることがだいぶ楽になりましたね。この頃あることを心がけて生きてきました。生活の中である訓練をしていました。「孔雀明王の修行」を実行していたのです。
これは「0初級入門 覚悟の話・無から有を生みだす」に収められているものです。
以下緑字引用
実は人間と言うのは、『悩みというのは無くならない』んです。悩みがあっても良いんです。ないような顔して下さい。悩みがあっても良いから天国言葉を喋って下さい。いつも幸せそうな顔をしてて下さい。そうすると、あなたの周りの人が「あなた幸せなんだ、良かったね」って周りがみな安心します。どんなストレスがあっても、たとえ部長から言われようが、周りから嫌なことを言わようが、自分で受け止めて、自分は絶対に外に嫌な顔を出さないで下さい。地獄言葉を吐かないで下さい。よくそういうことすると、ストレスが溜っちゃうって人がいるんだけど、溜めといて下さい。ストレスが溜ると、早死にするっていう人がいるんですけど、死んじゃって下さい。なに言いたいのかと言うと、ダラダラダラダラ長生きしながら、地獄言葉を周りにまきちらすと、迷惑なんです。徳を積むっていうことは、嫌なことがあっても自分から絶対外には出さない。どんな嫌なことも、自分で受け止めて、人に出すときは良い言葉、良い笑顔しか絶対出さないという覚悟なの。その覚悟をすると、始めてその人に奇跡が起きるの。だから、みんなに奇跡が起きないのは、あまりにも覚悟が足りない。その覚悟で奇跡を起こしたいつっても、起きないよ。今日から自分は絶対に、嫌なことがあっても人に出さないんだって。周りの人から、「あなた苦労した事ないんでしょ!」って言われたら、自分の勝ちなの。なぜかっつうと、顔や言う言葉が、苦労に負けていないの。嫌なことが起きようがなにしようが、絶対!言葉に出さない人は、必ず苦労に負けない人なの。だから、まず覚悟しなくちゃダメなの。しっかり腹を決めて、やるぞと思った人に、必ず奇跡が起きるの。だから幸せになる覚悟をする、しなくちゃいけないよ、って。覚悟が決まった時、明日からでも奇跡が起きだすからね。顔晴ってやってください
「孔雀明王の修行」について②
どんな状況であっても「何があっても幸せそうな顔をする」。
これは思っている以上に大変です。過酷と言ってもいいですね。愚痴や不平や不満をいわず、態度にも出さないという事は、ものすごく過酷ですよ。そうするぐらいなら「死んでください」という修行ですから。この「100回聞きCD」の中でたくさんの「すること」が示されているのですが、その中で一番難しいですよ、普通の人でも。私は2次障害のど真ん中ですからね。ただ、私はこの状況が絶好の修行の機会とは理解していました。むしろ有難いと思っていました。
本文中、会社の上司とかにパワハラとか受けている状況ですね。
部長にいくらガミガミ言われても、「どんな嫌なことも、自分で受け止めて、人に出すときは良い言葉、良い笑顔しか絶対出さない」修行なのです。
T主任という方がいて、自分を抑えられない人で、パワハラ丸出しの人でした。何人も精神的に追い詰めて退職に追い込んでいました。個人的には「止まらない彼女」と読んでいました。
とうとう私が標的になるときが来たのでした。人に嫌なことをされている時にどういうこと考えているか、私なりの方法を説明します。対「T主任」戦です。
<基本パターン>
(あ、T主任が来た。修行が始まったね)
「おはようございます」
相変わらず無視ですよ。他の人に挨拶しているのに私だけ目を合わせない状況です。
(なかなかのタイミングだ、今日の無視のやり方はなかなか見事だね。とパターンで言うと。Bパターンだね)※無視をする時にタメを作るタイプです。
(最近このパターン多いね。自分の中で思うところが多々あったのかもしれないね。最初はドキとしたけども、だんだん平気なってきている。ありがたいね。)
(あ、今度は舌打ちをした。最近のT主任は疲れているのだろうかね。今の舌打ちは私だけではなく、他の人にも聞こえているよ。自分の評価を下げているのだけども、精神状態とかは大丈夫なのだろうか。いやいやいや、心配するとね、相手にも悪いね。※相手に同情しすぎると逆に失礼かなと思うようになっています)。
(今のは、5メートル先の相手にも聞こえる位の音量だね。このくらいのは初めてかもしれないね。ラッキー。)
(また鍛えられているね、ありがたいね)。
他の職員
「T主任ってあなたに酷いよね」
私
「私の為を思って言っていることなのだよ(多分、彼女のなかでは)。ありがたいです。私にとってプラスしかないですね。逆にね、もう少し強めに言ってもらった方がいいかもしれません」
他の職員
「本当(笑)?」
修行にはなっているのは間違いないのです。周囲からの評価が上がるのです。こんな状況でも笑顔で楽しそうにしているから。本当にありがたいね。感謝しかない。また明日も嫌なこと言ってくれるだろうか。楽しみです。
<最初は>
このようなことが実際起こっていました。ここまで来るのにね。相当大変でしたよ。「相手を変えずに自分の考えを変える」この領域に達するのは大変でした。
まず初めは「コイツは何なのだ」と思うのです。パワハラに会うと。
最初は辛いですよ。
「この人の人間性はオカシイ」
「育ってきた環境に問題があるのではないか」
「育てた親御さんに文句を言いたい」
こんなことを考えるのです。
ある時気がつくのでした。孔雀明王の修行の
「不平不満や愚痴を言わない。態度でも現さない」。
実際に行っていて思ったのが「これは善と悪とでわけない修行なのだ」と理解しました。
<理解する>
これはあくまで私の解釈です。不平不満や愚痴を言う事は、相手が悪いのです、自分の中では。当然自分は良くて被害者側なのです。そして相手を責めているのです。実際善と悪は立場によって変わるものです。裁判をしているわけではないのでね。 善悪を判断してはいけないです。そういう修行です。
そしてこういう事は、相互作用なのですね。相手を批判的な目で見ると、相手は必ず気がつきます。時間がかかっても最終的には。そうなると不毛な戦いです。
「俺は悪くない。あんな言い方をする、アイツが悪いのだ」
「いや、お前が過去にあんなことを言うからだ」
この修行の場合、善悪で判断しているわけではないので、相手がたとえか不平・不満をもって、接してきたとしても、結局のところ相手の空回りなります。
相手と関わりが「嫌なこと」と思えば、「嫌なこと」なのです。
相手と関わりが「嫌なことではなく修行」と思えば、「修行」なのです。
相手を変えず自分の考え方を変えるとはこういうことだと思います。
25年5月頃「ささやき」
さぁ、出し切ります。この頃、何かささやく声を感じました。指し示しているのは、「D軽費老人ホームを止めなさい」そう私を受け取りました。直感的と言っていいかもしれません。そう私にささやく声が聞こえるような気がする(笑)
そういうものを感じたのは私の記憶の中では初めてでした。「これがテレビ番組で見かける霊的なささやきか」呑気にもちょっと感動を覚えていました。この頃私は自分の今後について迷っていた時期でした。この事業所では学べるべきものは学んだかなと言う気持ちを持っていました。
今後ここにいても私に良い事は無い。それは理解していました。それでも残る理由は1つだけです。収入ですね。生まれて初めて正職員になり。収入が安定したからですね。まあ介護なので正直すごく安い賃金ですよ。それでも生活の基盤になっていましたから。
そして「発達障害者を幸せにする」「発達障害の克服をする」このことについても手詰まりな感じはありました。これについても迷っていましたね。今後どうしていいか判らない。それだけでなく「投げ出してしまおうか」と脳裏をよぎったことがありました。目標が私を導く北極星のようなものであるなら、この頃は雲がでていてその目標がよく見えない時期でしたね。
25年8月ごろのこと
この事業所の中で私の立場どんどん悪くなってきましたね。
とにかく私の悪い話を広めます、T主任達が。歩き方、服の色すべて文句つけますね。基本的には私を無視しているように装うのですが、私のすることなすこと監視しているのです。一生懸命私を不快な気持ちにさせようと努力をしていました(笑)。退職に追い込むためです。
私が何かしたらすぐ退職に追い込む体制でしたね。いつ切れるか、様々なことをします。上司がそういう態度だと、同調する職員もでてくる訳です。とにかく私のネガティブキャンペーンをしていましたので。施設内で職場移動もありました。今までそれなりに人間関係を築き、理解もされていたのですが、上司が私にどういう風に接してきたか認識していましたから、「あれこの人おかしいぞ」と思うわけです。
職場移動ですね、また人間関係を構築しなくてはならない。ただ私に人間性というのを理解されていない状況です。そこで私の悪口を吹き込むわけですよ。こうなるとなかなか難しいですね人間関係を構築するのは。
移動した先で非常にストレスを抱えて仕事をしている職員がしました。常にいらいらしており、利用者様への物言いが「すこし荒いな」と感じることがありました。
その職員とは同い年ということもあり、よく話しをしていました。思い込が激しく、話がかみ合わないと思うこともしばしばある方でした。だけど自分のこの介護の仕事を選び、それなりの理想を持っている方でしたので、「変わってしまったな」という思いもあり、残念でしたね。
さて不幸な人を私はたくさん見てきました。数えきれいなほどです。というよりもそんなに幸せな人っていないかもしれないですよ。確かに大変な状況にいる場合もあるのですが、私から見ると、好んで不幸になっている気がしますね。あえて不幸な状況から抜け出さないように見えますね。結構考え方で不幸な状況というのは変わるのですが、不幸なことに拘っているのです。これは生きてきた中での癖のようなもので、なかなか修正できないことも判ってはいます。だから人は苦しむのです。
不幸な人はだいたいある行動をします。より弱いものを見つけて苛めるのです。人間の習性かもしれないですね。本能ではないかと感じることもあります。基本的に私は憂さを晴らされる立場だったのでね。よく理解しているつもりです。
特にそのSさんという人が私に足して陰湿な行為をするようになっていました。それはともかくなのですが。
非常にストレスを抱えているのは理解していましたが、まず会話がかみ合わないのでね。
とある状況でその人の行為を叱りました。その人はパートさんで私は正職員ということもありましたので。私としては通常の業務の範囲です。
T主任の方に話を持っていくわけです。仕方がないですね。T主任としては、まってましたと言わんばかりですよ(笑)私には事情は聞かず、組織の上層部に持っていき話を大きくして騒ぎにするわけです。そして私に辞職を迫るのです。こういう行為を私もこの施設で何度も見てきましたね。なかなか見事な手際です。
思うこと
ここで私は決断を迫られます。法律的な部分に訴えるか、辞職を選択するかです。私に対する罵詈雑言や追いつめるためについて嘘とか、ある程度記録にはしてきているので法律的に戦う事は十分に可能だと考えました。
そのときの私の率直な感想は「バチが当たったかもしれない」ということでしたね。周囲の人間に対する恨みはあまり感じなかったですね。まぁまったくないと言うと嘘ですけどね(笑)。
ここで思い出したのが5月のことでした。「ささやき」の言うとおりにしなかったからかな、と思ったのです。そして自分の目標に対して情熱がなくなっている時期でした。それに対するバチがあたったのかな。
私は自分の強運を信じています。今までストーリーを読んでくれた人は驚くかもしれませんが、結構、悲惨な人生なので。物心ついたときからです。「死なない」このことが唯一の根拠ですが。
あの5月の囁きに従っていればこういう状況には多分なってないよ。この数カ月間で私の敵は非常に増えたね。当然上司の方がそういう風に仕向けたということはあるのだけども、自分のすることなすことマイナスに捕らえられてしまったってこともある。仲良くしていたけども、態度変えた人も出てきた。この数ヶ月でね。
自分の立場で考えても相手の立場に立って考えても答えの出ないことってやっぱりありますよね。何故このような結果になったのだろう?と思うことはありますよね。そういうとき「天は私に何をさせようとしているのか」こう考えると理解できることがある。斎藤一人さんの受け売りですが(笑)
今なすべきことは争う事では無い。今私がしなくてはいけないのは自分の目標に力を傾けること。多分これが正解かな。別に命をとられる訳ではないのです。職を失うわけですが、だからといって現時点で「悪いこと」と判断すべきことではない。というわけで25年9月退職です。色んな事学ばせて頂きました。感謝の気持ちしかないです。