初めての入所施設
この期間はB事業所(特別擁護老人ホーム)に勤務していました。一口に介護職といっても在宅のホームヘルパーやデーサービス職員とは求められる素養が違います。介護を始めたときから特別擁護老人ホーム勤務を目指していたのですが、2つ理由がありました。介護の専門性が高いのは入所施設のほうかな?とその当時思っていたのと、賃金の問題でした。在宅系介護職員と比べ、特養職員の賃金の方が比較的高いのでした。いずれも臨時職員でしたが、前職が年収160万円、今回が190万でね。なかなかでしょ(笑)。
生きるだけなら何とかんるのですが、自分の目標を達成するためには、お金がかかるのです。何かの資料を買うにしてもね。研究費が足りないのでアルバイトをしていました。
知識・技能「ssps-v2」
「スケジュールをこなせるようになるには」このために3種類のものが必要だと思いましたが、それを身につけるにはどうすればいいのか?
そのためには成功哲学への理解が必要だと思いました。「思考は現実化するにする」に影響を受けているので。
株式会社SSI(「思考は現実化するにする」を出版された、きこ書房の親会社にあたるのかな?)から「ssps-v2」という自己啓発のプログラムを購入しました。非常に高価なものでした。
その当時の自分は「これしかない」と思いました。「やる気や、意志の強弱にかかわらず、大脳生理学の研究成果に基づいた手法を用いることで、ヤル気が自然と起こり、継続するしくみになっている教材です」こう紹介されています。私が喉から手が出るほど身につけたいものが、この教材を購入することで手に入る。これは買いますよ。
中身は
成功哲学のCD(これを聞いて思考の成功回路を作る)
脳波をα波の状態を訓練する機器
アファメーションの技法
速聴器(CDを最高4倍速で聴くというものでした。そのことで脳の活性化を図るというもの)
スケジュール管理の方法
目標の設定の仕方
というラインナップです。使いこなすことが出来るなら確かに効果はあると思います。ただ使いこなせる人はいるのかな?私は無理だったね。
まずマニュアルが弱く感じました。この膨大な教材に対してあまりに少ないかな。サポート体制がしっかりしていれば、まだ救われるのですが。購入後1年間月1回で30分程度の電話サポートがあるのですが、疑問を質問するとでは「セミナーに来てください。詳しく説明します」と言われます。しかも電話応対してくれる人が必ずしもそのプログラムの使用しているわけではないのです。ついでいうと、セミナーもお金かかるのです(笑)。あくまでその当時の私の感想です。今のことは判らないですよ。
ただ私は今でも「あの時の私には必要な物だった」と思っています。正直全部の教材を使いこなすことは出来ませんでしたが、このプログラムのお陰で身につけたものがやはりあるので。でも興味を持たれて購入を検討される方は冷静に考えて結論を出して下さい。
成果物系「目的意識の強化 目標を壁に貼ること」②発達障害の克服をする
この時期に計画の練り直しをしました。16年に立てたもののブラッシュアップですね。「ssps-v2」の影響を受けています。
確かに自分の目標の「発達障害者を幸せにする」これでは明らかに漠然としていますね。そこで30年の長期スパンで考えました。3「発達障害者を幸せにする」このことを実現するために30年かけようと思ったのでした。そのために10毎に区切りました。10年毎に目標を明確に定めて、その目標を達成するために必要な行動を考えました。第一期は平成16年9月から13日から平成26年9月12日。
この期間の最大の目標は「発達障害の克服」ですね。
「発達障害者を幸せにする」このためには当時者が生活しやすい状況を作らなくてはいけない。方法をしては大きくわけて2種類あるなと。福祉的な考え方、障害はあるものとして、生活していく。医療的な考え方、障害の克服治療を目指す。
福祉的な考え方というのは個人では難しいかな。法整備とかを考え出すとね。やれることといったら、当事者会のようなものを作って意見交換をしながら、行政に働きかけることぐらいかな。その当時は発達障害者への福祉サービスはあったのかな?そういえばあまり調べなかったです。
私の選んだのは医療的な考え方です。障害の軽減克服を目指すという方法を選択しました。自分に幸せにできない人間が人を幸せにすることは出来ないですからね。
成果物系「目的意識の強化 目標を壁に貼ること」③思考持続
壁に思考持続という目標を貼ることは、私の弱点である「思考空白」「思考が飛ぶ」対策です。その当時、対応策は五里霧中でしたが、壁に貼ることで、私はこれをするのだと言うことが明確になりました。特に「思考が飛ぶ」の場合、記憶自体も相当持っていかれていますね。そのため弱点自体をこれまで人生で何度も忘れてしまうのでした。。
そしてまた思い出すのです。その度に「またか」と思うのです。この繰り返しでした。壁に貼ることで忘れなくなることと、「思考が飛ぶ」からの回復が早くなった気がしますね。これは私にとって非常に大きな事でした。2度と忘れない。
対「思考が飛ぶ」の発見①
この時期、対「思考が飛ぶ」の方法を発見しました。中々奇跡的ですよ。世紀の大発見ですよ、私の中では。さて、方法ですが、「思考が飛ぶ」この状態になったときにイヤホンを耳にさしこみ自己肯定のCDを流すというものです。イヤホンいうのがポイントです。普通にテープを流していただけでは効果が薄い。イヤホンでダイレクトに鼓膜を刺激することで一番効果がでます。
この方法だと「私」が戻るのです。例えボロボロの状態でも精神と身体を「私」がほんの少しだけ、コントロール出来るようになるのです。素敵でしょ。こんなに私の人生影響を与えている「思考が飛ぶ」、これが解決出来る。奇跡的ですよ。ただ1つ問題点があるのですね。なんだと思います?イヤホンを自分でさすことが出来ないのです
笑える話でしょ?私も他人事なら大笑いしたかもしれません。「ナイスジョーク」なんてことも多分言うのではないかな。
せっかくの対応策を作っても、自分では出来ないのでした。もう少手を伸ばせば今の状況を改善できる。この「思考が飛ぶ」を打開できるのだ。もう少しもう少し手を伸ばして、イヤホンを耳に差し込み再生ボタン押すだけ。これだけで私が「私」をコントロールすることができる。でもね、自分では出来ないのです。体が動かない。 どうやっても無理だったね。
こういうことが続くと、自分の精神が少しずつ崩れてきますね。希望の光があってさ、そこに進むことができない。これは最初から希望の光が見えないことより残酷ですね。相当なストレスがかかります。さてこの状態だとどうなると思います?「思考が飛ぶ」この状態に陥るのです。こうなると記憶も持っていかれる。「テープをイヤホンで聴くと「私」をとりもどせる」このことも忘れてしまうのでした。これまた「ナイスジョーク」でしょ?つくづく酷い話ですね(笑)。
対「思考が飛ぶ」の発見②
自分ではイヤホンを自分の耳に差し込むことができないので、同居している両親に頼むしかないのです。父親の方には頼めないですね。発達障害者の事を知ろうとはしないですし、私が一生懸命努力していると思うよりも、「なぜできないだ」を怒る人なのです。「いやいや出来るようにするために、イヤホンをさすのだ」と言っても理解はしてくれないですね。
じゃあ母親に頼むしかないのですが、でもね、イヤホンを差し込んでくれたことがないのでした。 1週間もたつと忘れてしますのです。というより関わりたくないのです。本当にね、したくないのなら、断ればいいのですがね。「判った私やる」と言ってくれた人をアテにしますよね。他に方法がない。
でもね、入れてくれないですよ。未だに私は理解できないよ、ただ単にイヤホンを指して再生ボタンを押せばいいだけの話ですよ。そんなに複雑なことではない。だけども継続してはしてくれないのでした。とことん私は精神的に追い詰められました。「思考が飛ぶ」中、かすかに残っている私の中で、いろんな失敗とか自覚するわけですよ。でも修正できないのです。「私」のコントロールではないから。
最終的に母親に土下座をしましたね。号泣しながらですよ。「泣きながらお願いします「イヤホンを差し込んでください」と。もちろん当然状況はしますよ。懇切丁寧にね。
でもしないのでした(笑)。この繰り返しが2年半ほど続いていました。この間家族への不信感が募りましたね。ただ離れることは出来なかったね。正規職員になれば収入が増え、親に頼らない「思考が飛ぶ」この対応の仕組みが作れる。この希望のため親から独立しようと思わなかったですし、我慢していました。多分最後のほうは、まともな判断能力は残ってはいなかったね、私は。
知識・技能「イメージ記憶術」
平たく言うと、覚えたい事柄をイメージに変換して記憶する方法です。
私の子供のころに(今も掲載されているのかな?)、よく漫画週刊誌の後ろのほうの広告ページに渡辺式記憶術がありまました。中学生2年生のころに購入した経験があります。「これは効果がある」と思ったものです。対思考空白ですね。
ただ買った教材は部屋のゴミの山に紛れてしまう(弱点「整理整頓」)。いずれ忘れてしまう(弱「思考が飛ぶ」)。この時期に再びチャレンジすることになりました。
参考にしたのが、椋木修三さんと藤本忠正さんの書籍ですね。結論からいうと現在、日常生活で実践出来るレベルではないです。現在はIT機器やクラウドサービスを駆使して記憶する、ということにシフトチェンジしています。
ただ、きちんと習得するなら間違いなく学業とか資格試験等で効果は発揮すると思います。
イメージ記憶術は視覚だけではなく、五感をすべて使ってイメージ化するのです。この訓練をしたことが後々私のためになりました。
知識・技能「未来ノート」
著者は渡邉 幸義さんです。1963年、静岡県生まれ。武蔵工業大学機械工業科を卒業し、日本ディジタルイクィップメント(現、日本HP)入社。2000年1月にlTネットワークエンジニアの育成・派遣会社㈱アイエスエフネットを創業された方です。秘訣は、「未来ノート」の継続にあるとされています。
この本で始めてタスク管理ということを学びましたね。基本的に紙ベースのタスク管理の本です。私はその中では完成系だと思います。この本の通りにするだけで計画、実行、だけでなく、目標達成に必要なことすべてが管理できてしまう。
この本の思想背景はタスク管理だけでなく自己啓発の「ツール」として考えられています。その分野で有名なデール・カーネギーさんに影響を受けていると、文中言われています。
「人生の正しき目標達成=正しき考え×時間の二乗×質」
こういうことが目標達成するには必要なのだと未来ノートを使ううちに悟られたようです。そして人間としても成長した。
基本的なルールは
鉄則1.はじめから完壁にやろうとしてはいけない
鉄則2.今日やるべきことは、今日のうちに必ず何かしら進める
鉄則3.決して利己的なことを書かない
ノートの構成は下記の通りです。
タスク管理(長・中・短期)のページ
未解決・懸案事項の案件(文中ではTアイテム)のページ
記憶(特に覚える事柄のページ)
知識(業務にで必要なことがらのページ)
資料作成(パワーポイント的な表現のページ)
アイディア(マインドマップ的な表現での「アイディア」のページ)
非常に完成度が高いです。普遍性も高いと思います。様々な職種で応用可能と思います
それ以外にも7本人の工夫が随所にあります
タスク管理で色分けをすること
◎重要度が高く、緊急度が高いもの……赤色
◎重要度が高く、緊急度が低いもの….青色
◎重要度が低く、緊急度が高いもの……黒色
◎重要度も緊急度も低いもの……緑色
実際にいかに効率的にタスクの実行をするかも工夫されています。
(1) その仕事を捨てられるか?(本当にやる必要があるのか?)
(2) その仕事は自分でやる必要があるか?(他の人でもできるのではないか?)
(3) その仕事にかける時間をもっと短くできないか?(そのためにはどんな準備をしたらよいか?)
(4) その仕事は他に並行して進められる類のものか?
他にも様々な知恵がつまっています。この「未来ノート」にかける作者の思いが感じられます。タスク管理は人生を変える力をもっています。興味のある方は是非。
弱点「異常に疲れやすい」
B事業所で夜勤というものを経験します。この頃わたしは30代前半でした。夜勤の仕事はやっぱり体が辛いのですが、辛いと言ってもね、基本的に福利厚生に恵まれている事業所で、そんなに時間外の仕事もなかったですし、休日もしっかり取れました。
同僚の皆さんも体が辛いと言いながらも仕事していました。 60歳に近いぐらいの方もいましたし、 20歳位を少し超えたばかりの若い女の子もいました。その中で1番体力がないのは私でした。
基本的にいつも疲れていて体力が回復しない。このことに気がついたときには愕然としましたね。体格には恵まれているので、筋力というものにはそれなりの自信がありましたが。スタミナと言うものがまるでない。このことに気がついたのも、周りに人がいる状況だからでした。これまでの人生であまり人に関わったこともなく、人と比較することがあまりなかったので気がつかなかったですね。弱点「スケジュールをこなせない」で体が動かない事を書きましたか、これをモチベーションの問題だと思っていました。それもあるのでしょうが、今なら弱点「異常に疲れやすい」は発達障害者によく見られる症状と、理解しています。
最近やっと、小さい頃からその傾向はありましたが、高校時代以降は学校や会社に行く時以外はほぼすべての時間、寝て過ごしていたことに気がつきました。特に友人と彼に出かけるということもほぼなく、休日もずっと家にこもっている。 1人に転がっていて、できることといったら本を読むぐらい。私の趣味だと思っていましたが、基本的に外に出かける体力がないことも理由の一つでした。少し無理をすると、後で必ず寝込んでしまう。参るね。この当時はここまで理解していなかったです。
弱点「相手の感情に影響される」
特別養護老人ホーム、いろんな利用者様がいました。お年寄りというと人生の最晩年を迎えて、穏やかなおじいちゃんおばあちゃん。と言うイメージがあるかもしれないですね。でもそれは一面です。
特別養護老人ホームの利用者様は、非常に幅広いですね。他の入所施設と比べて料金が低く済むため、あまり裕福じゃない方もいます。むしろそういう方の方が多いかもしれないです。家族に恵まれている方もいるし、孤独な人もいますね。要介護度も軽い方から重い人までね。認知症の強い方もいます。そして、行き場のない感情を介護職にぶつける人もいますし、自分の思う通りに介護職員をコントロールしようとする人もいます。もちろんきちんと思いを返しくれる方もいます。が非常にストレスを感じる場所ですよ。俺まで働いてきた人間の率直な意見として、綺麗事では済まされない世界です。
こういう場所で働き、圧倒的に私は他の人と比べて消耗しまうのでした。相手の悲しみとかね焦燥感とかダイレクトにぶつけられている感じでした。皮膚もなく神経がむき出しの状態で、極寒の世界を歩く感じ。大変です。相手の感情を自分のように感じてしまう。そして自分の責任と感じてしまう。
「理解してくれ」とはいえないですが、こういう特徴を持った人は私以外にもいるようですね。
少し深く書きます。よく霊感のある人が登場する漫画があるじゃないですか。その場合って霊のほうも気がつくのです。「あ、この人に私に気が付いている!」と。そして体を乗っ取ろうとしたり、頼みごとをしてきたりする。だいたい霊感漫画はこのパターンが多いですよ。
弱点「相手の感情に影響される」。実をいうとこの霊感の話に近いのです。こういうことは相互作用なのです。私がきがつくと相手も最終的に気が付くのです。そうなると「この人私の気持ちに気が付いている!」。となるのです。私の実感としては「集まってくる」です。
何か心に鬱屈を抱えている人や、なにか疎外されていると感じている人が多いね。「人生幸せ!」という人は来ないのです。今であればこういう感情を必要以上影響されないように「ブロック」することも出来るのですけどね。この当時はやられ放題でしたね。でもこのことが現在に繋がっているのでね、文句は言えないね(笑)。
弱点「認識できない」
これもなかなか説明するのが難しいことなのですが、あまり見えてないのですね、私の目が。正確に言うのであれば、認識できていない。全く認識できてないってわけではないのですが、自分の感覚としては5割なのかなと思います。他の人に比べてね。
うーん、理解してくれとはいえないね(笑)。
ある風景を想像して下さい。草原の中に桜が立っていて、後の方には山があると。
私の場合は桜がわからないのです。正確に言うと桜にあることに気がつかないことが多い。
どうも、視覚の中で個別に認識するということが非常に難しいようです。さっきの風景のことについても、あくまで桜があって後に山がある。そういう風景としてとらえますね。
そういう1枚の絵として捉えているのかなと思っています。だから全体的な把握するということですね。細部はよくわからない。
現実の仕事の中でも困りますよ。部屋に入って椅子で座ろうとしたのなら、椅子は認識できます。ただ他のものもわからない。近くにゴミ箱があるとか、椅子の上にお菓子が乗っかっているとか難しいですね。ただこの認識にも、非常に波があるのです。斑ですね認識の度合いが。
成果物系「仮説 思考空白と認識できないこと」
自分が「認識できない」と言うことに気がついたときにいろんな考えが生まれました。弱点「思考空白」についてですが、「認識できない」ことが原因ではないかと思いました。少なくとも影響しているのは間違いない。
例えば、一般の人はごく普通にものが見えるわけです。思考というものは、外部の刺激によって動き出すことが多いかなと思っています。もちろん内省というものがあり、この場合は外部の刺激というものはそれほど必要ないかもしれませんが。
壁に囲まれているのです。壁に囲まれて情報をある程度遮断された生活をしていると考えてください。たぶんこういう表現で合っているのかなと思うのですが。
この原因はなんなのだろうか。「視覚情報を私は正確には認識していない」これはたぶん間違いない。「独特の思考になるのは、人と同じようには視覚情報をに認識していないのではないからではないか」」という仮説です。
先天的な視覚障害の方のことを考えます。まず目の前に「みかん」があったとします。においとかね、いわゆる「みかん」ということが認識できたとします。ただ、色のグラデェーションとか判らないし、マジックで「8/7日収穫」と書かれていても判らない。
そしてこのことについて視覚障害者と健常者が「みかん」について会話ができるだろうか?
基本的な共通言語「みかん」が成立していないわけです。もはや違う「みかん」ですよ。
たぶん私が感じている世界との齟齬は視覚障害者のかたの考えにちかいのではないか?
「思考は外部の情報が基礎になっている」。
目の前に傷ついた犬がいるとするじゃないですか、
普通の人たちは耳の所から血が出ている。とかねダックスフンドだわとか視覚情報からいろんな情報出ているわけですね。だから普通に皆見えているもの同士なら情報を基本とした意見交換ができるわけですね。
見ている前提ですよ。
視覚情障害者に限らず、視覚からの情報が得られない場合はどうなるか?
情報から思考を組み立てる。視覚からは「傷ついた犬」のリアルなイメージを作ることは無意味ですよ。なぜなら実際とは違うから。聴覚からは犬の様子がある程度判る。そして何か周囲の人間が騒がしいことが判る。私の場合ですよ、一緒に心配する様子をしますね。実際は無理なのですよ。リアルの様子が判らないのでね、深い共感は難しい。
そして傷ついた犬、騒いでいる人こういうことから、人の習性とかの考察をしますね。それと理解している「私」にたいする考察です。視覚からの情報が認識できないとこうならざるを得ないのかな?
成果物系「認識できなくても仕事をこなす方法」
「認識できない」。特に視覚というものがあてにならない。この状態で仕事をこなすか。ただ幸いなことに全く見えてないわけではない。これはラッキーかなと思いましたね。たぶん本当にすべてのものが認識できないのだとしたら、さすがに私としても対策が思いつかないですね。
自分の幸運に感謝したい。
これは徹底的なタスク管理をするということで、おおむね解決することが出来ました。まずその日にやる行動をリストアップしてまずそれをこなすという作業する。実際仕事をしていると、こういうことに力を注いでいる人はあまりいなかったですね。
自分のすべき事が分かると言う事は、非常に強い影響力を持つことになりますね。その場をコントロールすることもできますね。自分の行うべき作業をまずすることで、「余力」が生まれます。
私は認識能力に不安があります。そのときに困るのが「突発事故」なのですが、その部分を「余力」が担当する。ただ、「突発事故」といってもそれほどを自分の予想外のことがそれほど起きないですよ。あくまで介護の現場に起きることの範囲内ですね。
そして仕事の方針としては「認識できない」この状態で、 100点満点もしくは100点に近い点数を狙うのは無理と見切りをつけました。私の能力で100点を目指すことは身の危険さえある。であるならば、 75点を狙おう。それを数多く狙おう。という発想に変えました。この発想を支えてくれたのはタスク管理という技術でした。これで結構うまく行きましたが、綱渡りをしている自覚は常にありましたね。ただ一方で非常に面白いことをしているなとは思いましたね。「こんなことをする奴、日本にいる?」多分あまりいないですよね(笑)。
今思えばやめとけばよかった
このB事業所に勤務しているとき、バイトばかりしていました。無理のきく体じゃないのですけどもね。自分に数々の苦手なことがあって、体力的にも問題があってさ、今ならば全力で止めますよ。バイトしたいなんて言ったらね。
その頃私は追い詰められていました。と言うよりも自分で追い込んでいましたね。常に発達障害を克服するという意識がありましたから、アイディアが次々浮かびます。ここをこうしたらいいのではないかとか、こうゆう失敗をしたからこうした方がいいのではないかとか。そのアイデアを実現しようと思うとお金がかかるのですね。例えばこの知識が欲しい。なら、本を買おうとかね。この技術が欲しい。誰かに習いに行こう。お金がかかりますね。
今ならば、お金がないなら無いなりの方法は思い浮かびます。知識や技術を身につけようというのではなくて、例えばもっと重要なこと、職場での人間関係をもっと良くしようとか。いかに自分の機嫌をとって仕事をし続けていくかとか。お金がないなりの工夫をして課題に取り組むとかいくらでもやり方があるのだということは理解できます。このとき私はそんな意識はなかったね。
それともう一つ重要なことがあって、その時私は自分が疲れやすいことはモチベーションや性格の問題と思っていた。そうなると「私にはもっと気合が必要だ!」と思いますよね。そして、一層過酷な状況に自分を追い込むのです。普通の生活をするだけで常に負担をかかるのですが、それだけで相当な無理をしている。
ただ、弁護をすると、もともと無理をしているので、一層の負担をかけても、普段と同じようにただ辛いだけなのですね。より負担をかけたことで辛さが増したのかということが全くわからない(笑)。であれば力の限り無理をするのです。気合で何とかなると思っていましたから。多分性格的にこういうノリが好きなのでしょうね。体が付いていきませんが。
間違いなく強烈な情熱持って生きている時期でしたね。ところが、そうは問屋がおろしませんよ、この「毒を食わらば皿まで作戦」もしくは「気合でなんとかするぜ作戦」。気が付いていないだけで体は悲鳴を上げているわけです。うまくいくわけない。案の定本業に影響がかなり出ていましたね。最後の方ぐらいはミスしまくりです。お陰で非常に信用というものを失われてしまった。それでも私はそれでいいと思っていました。「目標が達成できれば、それでいいのだ」と。なんていう傲慢な考え方かね。その当時の私はそんなことには思い浮かばず。暴走機関車のように前に進むだけでしたね。非難をあびながら。
当時の私に代わって、関わってくれたすべての人に謝罪します。「すいませんでした」これしか言えないです。反省が多い人生なのです。