<第1章>
『絶対にすぐ潰れる』
友人や親戚にそう言われ、心配されながら開業したクレープ屋が17年目に入った。

今だから言えるが、僕自身も「もって2年だろうな」と思いながら開業したのである。
■「もって2年だろうな」と思った理由は2つある。
① 自分の納得のいくクレープが完成していないのにオープンせざるを得なかった。
② そもそもクレープ屋なんて都会もしくは大型ショッピングセンターでしか成立しないと思っていた。
<では何故クレープ屋を開業したのか?>
当時、うちには銀行から借りた数千万円の借金があった。
その借金は様々な事情で膨らんだものなのだが、数千万円もあると返済するのにはかなり長い期間と苦労を要するのである。
元々、地元では大手の会社に勤めていた親父だったが、早期退職をしてサラリーマン人生に終止符を打ち、今度は自分で事業をすると言い始めた。
借金もあるし、そんなリスクの高い事はやめて欲しいと、家族は全員大反対していたのだが、
結局、なんだかんだで「餃子屋」を開業することになったのである。
結局、修行もそこそこに開業したこの餃子屋は案の定全然繁盛ぜず、赤字続きで、借金はどんどん膨らんでいった。

当然銀行への支払いも滞り、生活は貧しく、借金は膨らむ一方で、その当時、僕は東京で働いていたのだが、実家がそんな状態なので毎月10万円を仕送りしていたのだが焼け石に水だった。
朝から晩まで一生懸命働いてもちっとも金は貯まらず、借金は減るどころか膨らむ一方という最悪のスパイラルに陥ってしまったのだ。
このままではどうしようもないので、約5年間続いた餃子屋は閉店することになった。
ただ、閉店したからと言って、毎月の借金の返済は待ってくれないのである。
夫婦共々働きに出るか、また何かしら商売をしてお金を稼がないと借金の返済どころか、日々の生活ですらままならない状況だったのだ。

そうは言っても親父とお袋の年齢は50後半で、アルバイトすら見つけるのに苦労する年齢で、就職なんて逆立ちしてもできる訳ないのである。
親父とお袋の間には僕を含め5人の子供がいるのだが、当時僕らはまだまだ若く経済力も無かったので、そんな二人を支えられる力を持っていなかった。。。。
だから親父もお袋も何かしらの商売をしてお金を稼がないと、借金が返せなかったのだ。
当然の事、うちにはお金は無く、借金まみれでもう銀行もお金を貸してくれないので、新しく商売を始めると言っても初期投資にかける金がないのだ。
しかも、親父とお袋が特別な技術や高度な知識をもっているはずもなく。。。。
そうなるとやはり参入障壁の低い飲食業に。
しかも初期投資があまりかからない、いわゆる粉モノ商売に。
という所に行き着くのである。

そこでお袋が昔から好きだったクレープ屋をやってみよう!という結論に至ったらしい。
その当時僕は、ブラック企業として有名だった居酒屋チェーンの某ワ○ミという企業で働いていたのだが(現在は労働環境も改善されて良い会社になっていると聞きました。)、仕事に嫌気がさして、次はIT企業に就職しようとワ○ミを辞め就職活動をしていたのである。
運よく最初に受けた1社目の某IT企業に内定をもらい来月から入社という段階だった。
【そんな時にお袋から僕の人生を変える1本の電話が掛かってくるのである】
電話の内容をざっとまとめるとこんな感じだ↓↓↓
クレープ屋を開業したいが、美味しいクレープの作り方も店舗のオペレーションもわからない、何もわからないから、ちょうど都合よく東京に住んでいる僕に東京で人気のクレープ店にアルバイトとして潜り込み全てのノウハウ盗んできて欲しいという事だった。
とにかく実家の借金を返さないといけないので、しょうがなく僕はもらっていた内定を一身上の都合で辞退し、日本では一番大手の「マリ〇ンクレープ」というクレープ店でアルバイトとして働き始めたのである。
もう時効だと思うので告白するが、お店の開店前に早く行ったり、閉店後意味もなくずっと残ったりして、店舗マニュアルや使用材料や原価表などクレープ屋開業に必要な情報をメモしたりデジカメで撮ったりしながらノウハウを拝借した。
そうして約半年が過ぎた頃、技術もマスターしたし色々なノウハウも蓄積したので「アメリカに留学することにしました」と言う今考えると何でそんな理由にしたかわからない理由で退職を告げ、宮崎に帰郷しクレープ屋を開業することになるのである。
1つだけ問題があったのは「クレープ生地のレシピ」という最も重要な部分はさすがに秘密だったので成分がわからず盗むことができなかったのだ。
とにかく「クレープ生地のレシピ」が完成しないと始まらないので、帰郷してからの約2ヶ月間、お袋と一緒に連日連夜試行錯誤を繰り返し「クレープ生地開発」に勤しんだのだった。
マリ○ンクレープの味に近づけようと、開発はオープン当日の朝まで続いたが、マリ○ンのクレープ生地の味は再現できなかった。
本来であれば、レシピが完成し準備が整ってから開業するのが常識だと思うが、家には「お金が無い」ゆえに一日でも早くお店をオープンしてお金を稼がないと明日の食費もままならない状況だったのだ。

■そして、2007年4月10日オープンの日を迎えた。
「もうダメかもしれない。。。。。」そう思った。
納得のいく生地も完成できなかったし、お金が無いからお店の内装や外装をいじる事もできないので、初期投資も最低限のお金しかかけれない。日々発生するであろう「日銭」で営業して行くしかない。お客が来なくて売上がなければその日から家族全員が路頭に迷い、最悪の場合自己破産とか生活保護になるかもしれない。。。。
『まさに背水の陣でのスタートだったのだ。』
とりあえず何を売っているお店なのかくらいは伝えないとお客は来ないので、それまでやっていた餃子屋の看板を外し、クレープ屋の看板を付け替えただけの、とてもクレープ屋さんとは思えない外観の「クレープティファニー」という「店名と外観が激しくミスマッチしたクレープ屋さん」が開業したのである。

そして、そのオープンの日に僕は信じられない光景を目の当たりにする事になるのである。
<第1章 ここまで>
■経営ワンポイントアドバイス(=^・^=)
ここで少し、僕が失敗から学んだ事を参考になればと思い書きます。↓↓
■売れなくなったら「広告」や「販促」は間違い!?
多分、多くの経営者が僕と同じような間違いをしているかもしれないので、
僕の失敗の経験が役に立つように一つアドバイスしておきます。
多くの経営者が陥る間違った構図として、営業、接客、販促と称して小手先で売上高をあげようとする行為だ。これは多少の効果で一時的に売上高は上がる場合もあるが、忙しくなるばかりで利益は出ない。なぜならば多少の売上高を取るために販促経費、営業経費、接客経費をかけすぎてしまうからだ。
売上高を上げることは、粗利益高を確保し利益を上げるための手段ではあるが、そのために経費をかけすぎて利益が出なければ本末転倒なのだ。
本来、売上高とは販促や営業や接客等で上げるのではなく、経営戦略と商品戦略で上げるものなのだ。
『まさに親父とお袋の餃子屋もその典型的な間違った構図になってしまっていたのである。』
売上が下がってくると「ここは一発逆転!広告を出して。」とか「販促チラシを作ってキャンペーンしよう!」とか考えると思う。
これは大きな間違いです。
確かに「広告」と「販促」は売上を上げるための効果的なテクニックではありますが、「広告」や「販促」を打つ前に絶対にしないといけない事があります。
●売れないのは、自分のお店(または会社)に問題があるからだ!
「広告」や「販促」の前に、何故お店の売上が下がってしまったのか?原因を特定して解決してからでないと「広告」や「販促」をしても経費がかかり利益を圧迫するだけで意味がないのです。
なぜならば、「広告」「販促」は『お店の良さをお客様に知らしめる行為』だからです。
売上が上がらないという事は、どこか自分の店に問題がある、悪いところがあるという事です。そんな時に「広告」や「販促」を行うと「お店の問題点をお客様に露呈することになり、かえって逆効果」なのです。
<第2章>
2007年 4月10日 AM:11:00
宮崎県延岡市平原町という小さな町に「クレープティファニー」という小さなクレープ屋さんがオープンした。
前回もお話したが、とにかく家には「お金が無かった」ので、オープンを告知する広告の掲載やチラシを撒く事も出来なかった。
その日の営業のための材料と釣り銭を準備するだけでギリギリだったのだ。
オープンまでにかかった看板の製作費や設置費などの経費はすぐには払えなかったので、業者さんに頼んで月末まで待ってもらった。
つまり、お客が来てくれなければ生活も出来ないし、明日の営業に必要な材料を購入する金もない、お店の看板を作ってくれた業者さんに払うお金もないという気が狂いそうな状況だったのだ。

そんな中でのオープンだったものだから、当然心に余裕があるはずもなく、笑顔も作れずに、やつれた顔でお店に立っていたのかもしれない。
オープンする日時は身内や友達には伝えていたが、それ以外は広告を打つ金もないので、お店の前にボードを立て、カレンダーの後ろに「本日11時開店」とだけ書いたものを貼り付けて告知していただけだった。
☆そして迎えたAM11:00。
恐る恐る入り口のブラインドを上げて僕はビックリした。
数名だがお客が並んでいるのである。
お客を迎え入れ、注文を取り、クレープを作り始めていると
なんと次から次へとお客が来店してくるのだ!
その日はまともにお客様の顔を見る事ができないくらい忙しく、ずっとクレープを作る作業だけに集中していた。

閉店時間の19:00を待たずして、その日準備した材料が全て売り切れてしまったので早々に店を閉め、僕は畳の上に倒れこんだ。
天井を見上げてボーっとしながら、告知をしなくてもこんなにお客が来るというオープン効果にビックリしながらも手放しで喜べずにいた。
とりあえず今日は何とかなった。明日もなんとか営業が出来そうだ、でもこんな事長くは続かないだろう。最初だけに決まっている。もしかしたら明日から全然お客が来ないかもしれない。。。。とネガティブにしか考えられなかった。
しかし、次の日も、その次の日も、そのまた次の日もずーっと連日お客だらけの大盛況の日々が続いた。
オープンから3ヶ月経った頃はさすがに平日こそは客足が落ち着くものの、週末には必ず行列ができるという繁盛店になってしまっていたのだ。
月末に支払う予定だった業者さんへのお金も前倒しで支払うことが出来たし、毎月の返済金も滞ることなく支払えるという奇跡的な状況に家族そろって歓喜したのである。
お店は週末になる度に行列ができる繁盛店になり、そんな状況がオープンから2年も続いた時、僕は「もっと売上を上げたい」と思うようになっていた。
この様に書くと、さぞかしクレープ屋は儲かっていたのだろうと思われるだろうが、実際は昔のように借金が膨らむ事はなくなったものの、毎月の銀行への返済金や税金や家族全員分の年金や各種保険やイレギュラーの出費などを支払い、生活費を差し引くと僕の手元に残るお金は10万円程にしかならなかった。
僕は月収40万のワ○ミの店長から一転して月収10万円のクレープ屋の店長になってしまっていたのだ。
もともと親父とお袋を幸せにしたい一心で頑張っていたので、自分の給料が少なくても、あの地獄の様な日々から解放され安堵している両親を見ているだけで幸せだった。
しかし、月日が経つに連れ、自分のやりたい事ができない、給料が少ないから買いたいものが買えない、車も欲しい、このままでは貯金もできない、結婚もできないと不満や将来への不安を感じるようになってきた。
このままのペースで借入金の返済をしていっても完済する予定の20年後には僕は48歳になっている。。。これは堪ったもんじゃない!いくら両親のためとは言え48歳までこんな事を続けるのは御免だ。
だからもっと稼いで、借入金を早期完済し、自分の給料を増やすために「もっと売上を上げたい!」と思うのは至極当然の流れだと思う。
そしてこの瞬間からクレープティファニーの崩壊が始まることを僕はまだ気づいていなかった。
●もっと売りたい!!
クレープ屋の営業も3年目に入った頃、僕は売上を上げるために色んな手を打ち始めた、その打つ手が全て裏目に出ていくのである。
第1の失敗:週末の行列解消のためにアルバイトを大量雇用した。
ありがたい事にオープンから3年目に入っても相変わらず週末は行列ができる程の盛況ぶりだった。最大で40分待ちが発生する事があったりして、待ちきれずに帰ってしまうお客様も居たりした。

お客様が帰るという事はその分売上が減るということだ。僕はまず売り損じをなくすために、それまで僕とお袋の2人で切り盛りしていたお店にアルバイトを複数人雇用したのである。
当然だが、最初から仕事のできるアルバイトさんは居ない、しかもクレープ屋というのは生地を焼く技術を習得しないと肝心なクレープ生地が焼けないので、全ての持ち場がこなせる様になるまでには時間がかかるのである。
僕はアルバイトに接客やサービスの教育、クレープを焼く技術を習得させるために、平日にも余分な人員をシフトに入れた。これによりさらに人件費は上昇したが、一日でも早く週末の戦力になって欲しかったのだ。
■そうしてアルバイトを育てて、週末の営業を迎えたが。。。。。
確かに2人でやっていた時ほどお客様を待たせる事はなくなった。
提供時間の早さも向上した。
しかし、不思議な事に売上はアルバイトを雇用する前とほとんど変わらなかったのである。
●なぜ売上が上がらなかったのか?
理由は簡単。
もともと週末の土日に待ちきれずに帰ってしまうお客様は3~4組しか居なかったのだ。
1組当たりの客単価が900円だとしても、4組で3600円の損失である。
僕は3600円の売上を取るためにアルバイトを雇いその何倍もの人件費使ってしまっていたのだ。
客数や売上は変わらず、人件費だけが上昇し、利益が低下。
上手く教育ができずにサービスや接客の質も低下した。
目先の売上に目が眩んで、状況を的確に判断できていなかった僕の最悪のミスだ。
こんな事冷静に考えればわかりそうだが、現場でワーカーとして働いていると周りが見えない上に、当時の僕には知識も力もなく、根拠のない勘と思い込みで経営している「おままごと経営」だったのだ。
本来僕が取るべき対策は、「アルバイトの雇用」ではなく、「オペレーションやメニュー構成や作業手順の見直し」だったのだ。
第2の失敗:手当たり次第に祭りやイベントに出店を開始した。
それまで2人でやっていた作業が人数が増えたことにより、負担が減り楽になったが、負担が減った分、手が空く事が多くなった。その暇な時間と余ったスタッフをどうにかするために、各種イベントやショッピングセンター等に手当たり次第に出店を開始した。

週末の大きなイベントになると、お店を閉めてスタッフ総出でイベントに出向く。
お店で営業するより、イベント出店の方が売上がとれる場合があるからだ。
当然、その日お店に来店したお客様はお店が開いてない事にがっかりする。
イベントは天候に等に左右されるし、いつもあるわけではない。
それにショッピングセンターの催事は競合が多数あり思った程は売上がとれず赤字になることもあった。
時間をかけて、手間暇かけて、人件費をかけて、イベントに出店して赤字を出すという何をやってるのかわからない時もあった。
そんな事を続けていると徐々にお店の売上が下がり始めたのである。
●鬱病寸前の精神状態
売上をあげるために労働時間を増やし、朝から晩まで働いて、手元にはちっともお金が残らない「貧乏暇なし状態」が続くと心身ともに疲れ果て、「売上を上げたい!」というモチベーションも下がってくる。
そして、オーナーである僕の負のオーラはアルバイトにも伝わりお店の雰囲気は悪くなり、イライラするので家族に不平不満を言うようになる。
僕「俺はこんなに頑張っているのに何でわかってくれないんだ!!何で俺だけがこんなに苦労しないといけないんだ!!いつまでこんな生活が続くんだ!!このままじゃ将来が見えない。。。。etc」
いつしか僕は自分に力が無い事を棚に上げて、周りの環境や人のせいにして当り散らし、この現状を親父とお袋のせいにして毎晩文句を言いまくるという最悪の精神状態に陥ってしまっていたのだ。
そして、とうとうお袋の口から
「あなたがそんなに苦しいなら辞めてもいいんだよ。自分の好きなように人生を生きなさい。あとはお母さんとお父さんで頑張るから、苦労かけてごめんね。。。」という言葉を出させてしまったのである。。。。
親父とお袋を幸せにしたい一心で頑張ってきたのに、俺は何をやってるんだ。。。今まで自分を育ててきてくれた両親にちっとも恩返しができないじゃないか。
自分の力のなさが悔しくて悔しくて堪らなかった。
【現状をなんとかしなければならない、でもどうしたら良いのかわからない】
僕は手当たり次第に経営書や自己啓発本を読み漁さり、各種団体が主催するセミナーに出まくり、少しでも商売に繋がればと地元の団体に所属したり、地域のお祭りの実行委員になったり、ボランティア活動をしたりととにかく行動をした。
本やセミナーで教えてもらった売上を上げるテクニックを実践してみたら、一時的には売上は上がるが、それ以上に経費がかかり、結果として利益は減る。
その頃には毎月10万あった給料も無くなり、携帯料金の支払いも滞り、付き合いで飲みに出る金もない、遊ぶ金もない、欲しいものを買う金もない、だからア○ムやアイ○ルやプロ○スといった複数の「消費者金融」で金を借りるという状態で気づいたら「消費者金融」からの借金は500万円以上に膨らんでいたのだ。
『結局、また餃子屋の時の親父とお袋と同じ状況に陥ってしまったのである。』
僕は鬱病寸前の精神状態に陥り、死んだら楽になれるんじゃないかとまで思い始めていた。
しかし、そんな時に僕は人生を変える奇跡的な出会いをするのである。
<第2章 ここまで>
<第3章>
■どうやったら売上が上がるかわからない。
この頃の僕は、経営書や自己啓発本を読んだり、各種団体が主催する経営セミナーや自己啓発セミナーを片っ端から受講したりして、もがきにもがいていた。
僕はお店の売上を上げようと、本やセミナーで学んだ事をお店の経営に取り入れ、あの手この手を打ってはみたものの、経費がかかるだけで、売上はほとんど上がらず、利益は減っていき、心身ともに疲れ果て、朝から晩まで働いてもちっとも手元に金が残らず、金が無いから家族には黙って「消費者金融」に手を出し、その借金を返そうと必死になってまたあの手この手で売ろうとして経費をかけ利益を減らす、そしてまた金が無いから「消費者金融」で借金を作るという。「地獄のスパイラル」へと落ちて行ったのだ。
■金は無いけど、見栄はある。
当時、辛かった事はお店が繁盛しているから僕自身が「お金を持ってる」と周囲の人に思われていた事だ。
チヤホヤされていい気になり、飲み屋では全て自分が払い、彼女には高価な物を買い、貧乏だと思われたくないので、いかにも羽振りが良いように振る舞っていた。
先に書いた通り、金なんて全然持っていなかったのだが、くだらない見栄を張り、どんどん自分の首を絞めて行った。
「消費者金融」の貸付残高が30万円残っていると、まるで自分の金であるかのように錯覚し、「あと30万自由に使える」と思うまでになっていた。

そして、とうとう気づいた時には「消費者金融」からの借金は500万円を超えていた。
年利20%近い返済が重くのしかかり、もうこれ以上「消費者金融」も金を貸してくれないので、恥を忍んで銀行に勤めている友人に相談したが、そんな状態では金は貸せないと言う。当たり前だ。クレジットカードは遠の昔に止められて、もう落ちるとこまで落ちたのだった。
「もう死にたい」
僕はいつ死んでも大丈夫なように準備を始めた。
自分が死んだら6000万円出る死亡保障のついた生命保険に加入した。
これで僕が死んでも残った家族はとりあえずはお金に困らない。
自殺ではお金は支払われないから、何とか上手く事故に巻き込まれないだろうかと考えたり、ちゃんと保険金の支払われる苦しまない楽な死に方をネットで調べたりした。
極限まで追い込まれたことのない方は、どうしようもない馬鹿丸出しな奴だと思うことだろう、僕も今考えればあの頃の自分がなんてアホで無知な奴だと思う。でもこればかりは当事者にならないとわからないと思う。それ程追いつめられると冷静な判断も常識的な思考もできなくなるのである。
そんなどん底の時に出会った、ある経営コンサルタントが僕の人生を180°変えていくことになる。
■酒と女とギャンブルが大好きな年収3億円の経営コンサルタント「井崎貴富」
僕が初めて井崎先生に会ったのは2011年4月、ちょうどお店がオープンして5年目に入った頃、知り合いの社長に先生を紹介された。
先生の第一印象はどう見てもヤクザで、話しかけづらく、近寄りがたい雰囲気を醸し出しており、変なこと言ったら殴られるんじゃないかとビビるほど強面だった。

しかし、話してみると、この先生、口は悪いが、気さくで面白くて、とても優しい人だった。(ただ、酒と女とギャンブル好きだが。。。)
先生の周りには常に経営者や起業を志す学生達が集り、経営に関する教えを乞い、自社やお店の悩みを相談したり、考えたビジネスプランを判定してもらったり、時には人生や恋愛の相談をしたりと、とにかく先生は大人気だった。
それもそのはず、先生にアドバイスを受けて上場した企業は何社もあり、銀行返済が出来なかった年商1億の会社が黒字に転換し今では年商30億になっていたり、たった1店舗で1日2万円の売上でヒーヒー言っていたパン屋が今では全国展開し1日600万円を売上る程に成長した等々、成功事例は数知れず、実は凄い人だったのだ!!
今まで出会った経営コンサルタントとは全然格が違った。
井崎先生ならうちの店をなんとかしてくれるかもしれない。
僕はその日から先生の元で経営と人生について学び始めたのである。
先生は月に1回福岡から宮崎に1泊2日でやって来ては、宮崎の経営者に経営について教えたり、経営の相談を受けてアドバイスをしたりして帰る。
僕はお店の現状を1日でも早く改善させたかったので、先生のコンサルを受けたかったのだが、先生のコンサルをまともに受けようとすると1時間10万円のコンサルフィーを支払わなければならない。当然ながらそんな金、逆立ちしても用意できない。
そこで僕は先生に、宮崎に来た時は宮崎空港~宿泊先のホテルの間を送迎させてもらえないかと頼み込み、先生の了承を得て送迎をさせてもらえる事になった。
これで僕はガソリン代だけで片道25分、往復50分間の送迎にかこつけた「無料コンサル」を受ける事に成功したのだ。
先生のコンサルは通常1時間10万円なので、送迎の時間合計50分に換算すると8万3333円分のコンサルを無料で受けている事になる。
僕は先生と1秒でも長く話して沢山の知識を吸収したかったので、車の速度は制限速度を超えないようにゆっくり運転してなるべく時間を稼いだ。
そうしてホテルまでの道中あれこれ経営に関する質問や悩みを相談してアドバイスを受けたり、時には先生の人生論を聞かせてもらう事もあった。
僕は先生との会話は必ずボイスレコーダーに録音し、また来月先生が宮崎に来るまで何度も何度も繰り返し聞いて復習した。そして学んだ事を少しずつお店の経営に落とし込み、実践しては次の送迎の時に現在の取り組みや結果や問題点などを報告し、少しずつお店を改善、改革していったのである。
■井崎先生の最初の教え
井崎先生「たかがビジネスごときでグズグズ言うな!仕事なんてクソくらえ!!」
先生から最初に教えてもらった事は、経営の話ではなく、人生の考え方だった。
「人生の目的は幸せになること。仕事をすることが目的じゃない、お前は仕事のために人生を生きてないか?仕事は人生を豊かにする手段に過ぎない。仕事よりお前の人生の方が大事なんだ。だからビジネスごときでグズグズ言うな!!仕事なんてクソくらえ!!」
僕はこの言葉で、一気に肩の荷が下りて心が軽くなった。
その頃の僕は正に仕事のために人生を送っていたからだ、自分も幸せになりたい、親も幸せにしたいと言いながら、朝から晩まで仕事してプライベートの時間も金も無い、毎日のように親には文句を言い愚痴をこぼし、親やスタッフとは十分なコミュニケーションを取らないくせに経営者の集まりにスコスコと出掛けて行っては偉そうにビジョンを語る。
本来、自分のビジョンを伝え、コミュニケーションをとらなければならないのは親やスタッフなのに、外部の経営者とばかりビジョンを語りコミュニケーションをとっておきながら、「親は俺の事をわかってくれない」とか「スタッフが俺のビジョンをわかってくれない」とか愚痴をこぼす、もともとコミュニケーションをとってないのだからわからなくて当たり前なのである。
頑張っているのに結果が出ないから、親やスタッフへの後ろめたさがあった、だからチヤホヤしてくれる外部の人達に逃げていたのだ。
もう仕事のために生きるのはやめよう!
僕はもう一度自分の人生の目的を考え直した。
人生には「リズム」がある。自分の心がすさんでいると、ビジネスは上手くいかない。
気持ちが吹っ切れると、ビジネスが不思議と上手くいく時がある。
これが「リズム」だ。
やっぱり僕は「家族を幸せにしたい。」
これが僕の人生の目的だと思った。
もちろん、人生の考え方を変えるだけではビジネスは上手くはいかない。
でも、人生の目的が明確でないと、仮にビジネスが上手くいったとしても幸せにはなれない。
僕は先生に経営より大切な事を、一番最初に教えてもらった。
僕はそれから、お店の経営を一から見つめなおし、先生の元で学びながら少しずつ改善していった。
すると、あれだけ本を読んだり、他のセミナーを受講したりして、頑張っても頑張っても全然良くならなかったお店の業績が徐々に好転し始めたのである。

僕が井崎先生から学んで実践したことは「難しい経営理論」や「素晴らしい経営理念」や「気合と根性の精神論」ではありません。
とてもシンプルな事を実践するだけで、お店の業績は好転していったのです。
多くの経営者がわかっているようでわかっていない、出来ているようで出来ていない、
そのシンプルな事とは。。。。。。
*井崎貴富先生は令和3年2月3日に逝去されました。
井崎先生には僕の人生の窮地を救っていただき、本当に感謝しかありません。
井崎先生を通して沢山の出会いもありました。
それらは全て僕の財産になっています。
本当にありがとうございました。
<第3章 ここまで>
<第4章>
■すべてはFor the Customer(お客のために)
僕は井崎先生に経営より大切なのは「自分の人生」だと教えてもらい、心は軽くなったが、そうは言ってもお店の経営は相変わらずのピンチなのである。
当然のことだが、考え方を変えるだけではビジネスは上手くはいかない。
次に必要なのは「正しい知識」と「行動」なのだ。
僕は井崎先生の元で必死に経営を学び、次々と手を打っていった。
「本当にお客様のために商売ができているか?」
本当にお客のために行動が出来て、お客の望む状態が実現出来ているならば、お客が来てるはず、売上も上がるはず、でもお客も来ない、売上も上がらないという事は、お客のために出来ていない、お店のどこかに問題があるという事なのだ。
本当の「お客のために」とは、考え方や心構えではなく、「行動の仕方」と「実現している状態」のことを言うのである。

■間違った「お客のために」
僕が最初に取り組んだ事は、それまで100種類以上あったメニューを半分以下に減らすことからだった。
その頃、豊富にあるメニューの中には、月に1回注文があるかないかくらいのメニューもあった。
それまでの僕の考え方は、たとえ月に1個しか注文されなくても、注文するお客様が居ればそのメニューは無くさない。という方針だった。
しかし、このやり方だと、材料を仕込んでもなかなか出ないので、時間が経つにつれ品質が低下していき、期限が切れロスになる。ロスになると利益が減る。
利益が減ると満足のいくサービスが提供できなくなる。
結果、出数の少ないメニューを残す事は「お客のために」ならないのだ。
そしてもう一つ僕が間違っていたのは、クレープのメニュー数が多い事は「お客のために」良い事だと思っていた。
お客は豊富なメニューの中から選びたいのだから、選択肢は多い方がいいに決まっていると思っていた。
しかし、メニューが多すぎるとお客は迷い、選ぶ気持ちが萎えてしまうのだ。
しかも、作る方も手間がかかり、効率も悪いのでオペレーションが複雑になり、提供時間も遅くなる。
結局、メニューが多いことも「お客のために」なっていなかったのだ。
「豊富さ」とはあれこれ沢山ある事ではなく、お客の欲しいモノが欲しい価格で沢山ある事なのだ。
■仕入れ業者の変更
その頃の僕は「1つの仕入れ業者さん(以下業者さん)と末永く付き合うことが、業者さんと良好な関係を築く事ができるし、お店にとってもその方が良い」と思っていた。
しかし、それは大きな間違いだった。
業者さんを1社だけにしていると、仕入価格は絶対に下がらない。
仲良くなった担当の人に「もうちょっと安くしてよー」と言って、まれに少しだけ安くしてくれるのが関の山だ。
●仕入れの大原則:「仕入れは2~3年置きに、3~4社で相見積もりを取り競争させよ」
僕はそれまで付き合っていた業者さんとは別の業者さんを3社見つけてきて、仕入れていた食材や備品の見積もりをそれぞれに出してもらい競争させたのである。

すると、これ以上は安くならないだろうと、自分で勝手に思い込んでいた原価が、いとも簡単に下がったのである。
これで僕は仕入原価を大きく下げる事に成功したのである。
仕入原価が下がれば「利益が増える」→「利益が増えるからお客様へのサービスが向上する」という正のスパイラルを生み、結果として「お客のために」なるのだ。
*ここで再確認しておかなきゃいけない大事な事がある。
業者さんは大切にすること、関係性は良好に!
当然の事だが業者さんがいなければお店は存続できない、業者さんが食材や備品を欲しい時に欲しいタイミングで提供してくれるおかげでお店の運営がスムーズにできるのだ。
業者さんはお店を一緒に運営していく大切な「パートナー」なのだ。
ゆえに、相見積もりを取って業者さん同士を競争させるのは「2~3年に1度、全品目ではなく半分の品目の仕入れ価格を見直す程度」にしておかないと、業者さんから嫌われてしまい、最悪の場合取引を打ち切られたり、良い情報も貰えなくなってしまう。業者さんだって人間なのだから当然の事である。
値下げ交渉をすることは、業者さんにとって必ずしも悪いことではない。
お店も仕入価格が下がれば、利益が増えるからお客様に良いサービスが提供できる、良いサービスが提供できるからお客が増える、お客が増えるから業者さんから仕入れる量も金額も増える。
こんな具合に、「お店もお客も業者さんも喜ぶ、三方良しの構図」が出来上がる場合もあるのだ。

■人件費について
この頃にはお袋と僕以外に3人いたアルバイトの内2人が高校卒業で県外へ就職等の理由で退職し、新規の雇用もしなかったので、お袋と僕とアルバイト1人になっていたので、人件費の負担は軽くなっていた。
■オペレーション改革
僕は当初、僕を含めお店に居る従業員の人数で効率的に運営するオペレーションを組んでいた。
しかしそれでは欠員が出た時に、どこかのポジションに負担がかかる事になる。
そこで従業員が1人でもある程度の売上までは対処できる様に、食材の配置から備品や物の配置まで全て見直しオペレーションを作り変えた。
これで提供時間は早くなり、作業効率は大幅に向上したのだった。
■NO2の育成
次に僕が取り組んだのは、「自分の分身」を作る事だった。
僕は現場を離れる事を決意して、アルバイトを正社員として雇用して、ほとんどの権限を与える店長として育成を始めたのである。
●信じる事の大切さ
井崎先生に出会う前の僕は「自分の分身」を作りたくても、「一番仕事ができるのは俺だ」とか「これは俺にしかできない」とか「他人に任せるとちゃんとできるか心配」などと思ってしまい、ずっと現場に入り続けていた。
経営者が現場に入ったらその時点で「経営者」ではなくなる。ただの「ワーカー」だ。
本来、経営者の役割は「VISION」を実現するための「戦略」を立て、それを実現するための「経営戦略」の構築であり、いつまでも現場で汗を流して働くことではないのだ。(但し、成長の段階によっては現場で働くことも必要)
それから僕は「最低限のルール」だけ作って、店長に全てを任せたのだ。
大切なのは「相手を信じる事」
お袋を信じ、店長を信じ、全てを任せる。
心配はいらない。人は信頼されて任されると必ず成長するのだ。

もう一つアドバイスしておくと、「信じるだけ」ではなかなか相手に伝わらない、「信じていることを態度で示すこと」が大切だ。これができると相手に伝わる。
これで僕は「NO2の育成」に成功した、任されたスタッフはイキイキと仕事ができるし、イキイキしているからお店の雰囲気も良くなる。結果として僕が現場で働いていた時よりも売上も向上し、素敵なお店になった。
■「量の論理」から「数の論理」へ
今はクレープ屋さんに限らず、多くの業界で競争が発生している。
うちのお店で言うと、競合は「クレープ屋」だけではなく、コンビニを含め「おやつ」やスイーツを扱っているお店は全て競合になる。
ご存知の通り今ではいたるところにコンビニがあり、1店舗当たりの売上高を向上させるのは至難の業であり、マーケットの大きさにも上限があるわけだから、どんなに頑張ろうとも1店舗当たりの売上高には限界があるのだ。。
この様に1店舗当たりの売上高を増やそうとすることを「量の論理」という。
これは先にも説明した通り、今の時代では限界がある。
次に、1店舗当たりの売上高はそこそこだが、そんなお店を複数店舗出店することを「数の論理」という。
これがまさにコンビニやマクドナルドや吉野家などのチェーン店の戦略なのだ。
例えば、月商200万円を売り上げるお店を1店舗持っていたとすると、既に200万円を売り上げる店を作れるだけの実力があなたにはあるのだから、もう1店舗200万売り上げるお店を作れば売上は2倍である。
これを言うとほとんどの人が、
ほとんどの人「簡単に言うけど、月商200万のお店を作るのにどれだけ苦労したことか。。。そんなに簡単にもう1店舗なんてできませんよ!」
と言うと思う。
ではこう考えたらどうだろうか?
月商200万のお店は作らなくていい、その代り月商100万のお店を2店舗作りましょう。もしくは月商50万円のお店を4店舗作る。と考えたらどうだろう?
あなたが200万のお店を作れるのなら半分の100万はそれ程難しくないはずだし、ましてやその4分の1の50万なら眠っていても出来るのではないだろうか?(もちろんその売上高でも経営が成り立つ経営構図は必要だが)
これが「数の論理」だ。
■2号店の出店へ
井崎先生の元で学び、僕は2号店の出店を決意した。
だから先に書いたように「NO2の育成」に入ったのだ。
ティファニーを安心して任せられる環境を作り、僕は2号店となる「スイーツ工房 Every(エブリィ)」を宮崎市内に出店した。

この話は長くなるのでまたの機会に(^^;
■クレープフランチャイズ展開
2号店も無事に立ち上がり、僕が現場に入らなくてもしっかりと運営できる「仕組み」ができた。
「仕組み」さえ作れば後は数を増やすだけで良いのである。
こうして2012年にクレープティファニーを本店とするクレープ店のフランチャイズ事業がスタートしたのだ。
ありがたいことにゆっくりとしたペースであるものの加盟店が増えていき、
2017年には念願の東京進出を果たし、東京フランチャイズ1号店が誕生した。
その1年後の2018年には宮崎県青島と埼玉県狭山市にもフランチャイズ店舗が開業したのである。
そして、2020年には宮崎県内で新たに1店舗、福岡に1店舗、大分県に1店舗、長野県ではクレープティファニーグループ初のキッチンカーでのフランチャイズ店舗が開業した。
その後、2021年に香川県、大阪府、東京都、鹿児島県などと加盟店が順調に増え
2023年9月現在、本店含め20店舗のグループになった。
加盟店一覧はこちら⇩⇩⇩
https://ameblo.jp/crepe-tiffany/entry-12698190596.html
フランチャイズ募集要項⇩⇩⇩
https://ameblo.jp/crepe-tiffany/entry-12501111709.html
■人の大切さ
僕は「経営の知識」だけで、ここまで来れた訳ではない。
家族や友人や仲間の支えがあって今がある。
「経営の知識」も必要だが「人との関わり」も同じくらい大切な事なのだ。
辛い時や苦しい時に支えてくれるのは「経営の知識」ではなく、やはり人なのだ。
同様に嬉しい時、楽しい時に喜びを分かち合えるのも人なのである。
前向きな気持ちで頑張っていると必ず誰かが手を差し伸べて助けてくれる。
後ろ向きな気持ちで、周りの環境のせいにして愚痴ばっかり言って、頑張ってるつもりになっているだけの時は人は離れていく。以前の僕がそうだった様に。。。。
■運をひきよせる
人生の目的を実現させるためには3つの要素が必要だと思う。
一つ目が「知識」、二つ目が「人との関わり」、三つ目が「運」である。
運は必ずひきよせる事ができる。
そのためには、
●目的を持ち、絶対にできると信じてあきらめないこと。
●自分の事も周りの人の事も大切にすること。
●向上心があり、前向きに生きている人と付き合うこと。
●自分のビジョンを共有できる仲間が集まるコミュニティに参加するもしくは自分で作る
●ただ頑張るのではなく、「正しいやり方」で頑張ること。(これには知識が必要)
etc
運をひきよせる事ができれば、「人生のリズム」ができるのだ。
■ビジネスの勝者ではなく、人生の勝者になる
ビジネスは人生を豊かにする手段にすぎない。
その手段のために人生を振り回される必要なんて全くないのだ。
大切な事はあなたが自分の人生をどうしたいのか?
それが決まれば、後はその実現のために「正しい知識」を学び、「行動」するだけなのである。
■自分のやりたい事にフィットした学びをする
世の中には成功したいと努力しながらも、「成功する人」と「成功できない人」がいる。
なぜなのか?
① やりたい事が明確になっていない。
② 学ぶ内容が間違っている(フィットしていない)
③ 学んでも行動していない
④ 行動してもやり遂げていない
やりたい事が明確になっていても、その実現のために学ぶ内容がフィットしていなければ何の意味もない。
以前の僕は例えるなら「東大に入りたい!」と言いながら、試験問題には出題されない科目をがむしゃらに手当たりしだいに勉強していたのと同じなのだ。
大学入学にも「出題科目」がある様に、経営にも各々の会社のVISIONにフィットした「科目」がある。
僕の場合はその科目が「井崎先生から学んだ経営の原理原則」だったのだ。
■決断力
何かにチャレンジする時には誰しもが「決断」をしなければならない
決断に必要なのは「精神力」や「勇気」ではない。
決断力とは「知識の種類と量」のことなのだ。
例えば、バンジージャンプをする時には、腰につけたワイヤーとロープがあるから、ここから跳んだとしても死ぬことはないという「知識」が決断させるのだ。
もし、その知識がなければ怖くて飛べないはずだ、死ぬかもしれないと思いながら飛ぶ奴は勇気があるのではなくて、ただのバカだ。
わかりやすくもう一つ例をあげると、外科医は手術をする時に「勇気」で腹を切るのではない。ここにメスを入れても大丈夫という「知識」があるから手術ができるのだ。
もしこれが知識のない素人だったら死亡である。勇気で腹を切られたらたまったもんじゃない。
経営も同じなのだ。
例えば、どこかに飲食店を出店する時に「精神力」と「勇気」だけで出店するような博打を打つだろうか?
もしそんな経営者がいたら経営者失格である。
成功している経営者が決断できるのは、この立地に出店すれば収益を出すことができるという「知識の種類と量」を持っているからに他ならない。

●よくある間違い
経営者に多いのが、「知識がないのは自分の頭が悪いからだ」と思っている事だ。
それは全く違う。
頭の良さは持って生まれたものなので、もうどうにもならない。
でも知識は学んで覚えればいいだけで、極端に言えば「英語の単語帳」を覚えるのと同じである。
もし頭のいい人間にしか経営ができないのならば、僕は絶対に経営者にはなれない。
■何かを始める時に大切な事
もし仕事でもプライベートでも何でも良いのですが、「何かを始めたいと思った時に大切な事」が3つあると僕は思います。
●一つ目が「何をしたいのか?やりたい事を明確にすること。」
当然ですが、やりたい事が明確でないと、手順が組めないし、実現のためには何が必要なのか?、不足している知識が何なのかすらわかりません。
例えば、「東京に行く!」と明確になるから、自宅から駅までタクシーで行く、それにはお金が○○円かかる、そして駅から宮崎空港駅まで特急電車で行く、それには○○円かかる、そして飛行機で東京まで行く、それには○○円かかる。と明確になり行動できるのだ。
経営で言えば、こんな業態の美容室を宮崎県北地域に10店舗出店する!5年以内に!と明確になるから、そのための資本政策や、人材育成の計画や、立地の選定や、オペレーションの構築などが決定できるのである。
●二つ目は「環境を変えること。」
ここで多くの人が陥る間違いは、環境を変えずに「心構えや考え方を変える」という事だ。
当然ながらそんなもの変えたところで、ほとんどの人は実行できない。
例えば、「明日からダイエットする!」と心構えを変えて、実行して成功している人がどれだけいるだろうか?ほとんどいないはずである。僕もその一人だ。
「明日から遅刻しないように早く起きる!!」と心構えだけ変えても、また遅刻してしまうように、心構えや考え方を変えても解決にはならないのだ。
ダイエットするなら、絶対に誘惑に負けない、誘惑を寄せ付けない、誘惑に負けそうになっても食べれない環境に身を置くしかないのだ。(余程意思の強い人は別だが、、、)
遅刻するなら早く寝るようにするとか、目覚まし時計を倍に増やすとか、環境を変えるしかない。
起業をしたければ、起業しやすい環境に身を置く事が重要である。
今は昔と違って、コワーキングスペースやレンタルオフィスやインキュベーション施設等起業しやすい環境がどんどん整備されている。そういう環境に身を置くのが最も効果的だと思う。

ちなみにこれらインキュベーション等の言葉の意味がわからない方のために説明すると、起業したいと思った時に、資金や人材や知識、ノウハウの面で色々とサポートしてくれる施設の事を言う。
因みに「環境を変える」とは「付き合う人を変える」という事でもある。
前向きに生きていて、自分に良い影響を与えてくれる人と積極的に話して仲良くなってそんな人達と付き合う事が重要だと思う。
●三つ目が「第3者的なアドバイザーや軌道修正してくれる仲間を見つけること。」
何か始める時に情熱を持って行動する事は言うまでもなく大切な事なのだが、そうして突っ走っていると、間違った方向に進んで行ったり、自分を見失ったり、お客のためにやっていると思っていた事が実はお客のためになっていなかったりといった、様々な問題が必ず出てくる。
そんな時にあなたを軌道修正して正しい方向に導いてくれるのが、第三者的なアドバイザーであったり、外部からあなたを見守ってくれている仲間であったりするのだ。
ソフトバンクの孫さんも社外取締役にユニクロの柳井さんを置いているように、どんな凄い経営者でも第3者の視点やアドバイスの重要性を知っているのだ。
もし、あなたが第三者的なアドバイザーの当てがないのならば、僕で良ければ、適切なアドバイスはできないかもしれませんが、お話くらいは聞けると思うのでこの文章の最後にある僕のフェイスブックのリンクやお店のLINEでも良いので、一人で悩まないでお気軽にご連絡下さいね!*忙しい時は返事が遅くなる時もあります。
■僕がこの話を書いた理由
今回僕がなぜこんな話を投稿したかというと、きっかけは「母の手」なんです。
どういう事かと言うと、地元の商業高校の生徒さん達と、延岡をもっと外部にアピールしたいと、地元の食材等を利用してクレープの新商品の共同開発をしていた時、記録用で写真を撮ったり、動画撮影をしたりしていました。
その時に久しぶりに母の手をじっくり見て頭をハンマーでかち割られたようなショックを受けました。
小さい頃の記憶にある、母の女性らしい細く綺麗だった手はそこには影も形もありませんでした。
そこにはとても女性の手とは思えないほどゴツゴツした、まるで岩の様な母の手がありました。
こんな手になってまで、、、、、僕はとても悲しく、悔しく、恥ずかしい気持ちになりました。

僕は自分が家族を支えている気になっていたからです。
僕は母の口から一度も愚痴や弱音を聞いた事がありません。
母はいつも前向きで明るく笑顔でお店に立ち、家族を支えてくれています。
僕ら5人の子供を育て上げてくれた、力強い手を見て僕は一番家族を支えてきたのは母だと気づきました。
それに気づいた時に僕は「母への感謝を込めて」この話を書こうと思ったのです。
わたしはその手が好きです
ただ毎日をまっすぐ生きて
わたしたちを育て旅立たせてくれた
あなたのその手が好きです
(福山雅治 道標)
<あとがき>
ところで、今回の話では母ばかりが出てきますが、もちろん父にも感謝していますし、尊敬しています。5人の子供を育てて旅立たせるという事がいかに大変な事なのか、結婚して家庭を持った今だからとても良くわかります。
この話を読んで、もしかしたら僕が今では「成功者」だとか「お金持ち」だとか思われているかもしれないので、包み隠さず事実をお話しいたします。
僕はまだまだ「成功者」でも「お金持ち」でもありません。
お店の業績は良くなったとは言え、もともと数千万あった借金ですから、そう簡単にはゼロにはできません。まだまだ数百万円残っています。
しかし、これも順調にいけば後5年程度で完済できます。
なので、少なくとも後5年はお店を存続させてください(笑)
そして、僕個人も「消費者金融」への借金は全て完済したとはいえ、2号店出店や既存店への設備投資等のために金融機関から借りた数百万円を毎月返済しています。
何が言いたいかと言うと、それでも僕は幸せだという事です。
あの頃の様に、毎月の返済金を捻出するために、朝から晩まで働いて、そのくせ手元にはちっとも金が残らないという「地獄のような状況」から脱出できたからです。
朝から晩まで必死になって働かなくても、しっかり毎月の返済ができて、ちゃんと普通の生活が出来る様になりました。
そして何より家族に笑顔が戻り、仲良くなりました。
本当にありがたいことです。

これからは沢山の人に支えてもらった分、僕自身がもっともっと力をつけて、いつか皆さんに恩返ししたいと思っています。
長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
山本 顕太郎
P・S
このストーリーを読んで少しでも元気になれたり、前向きに頑張ろうって思えた人が一人でも多く増えてくれたら嬉しいです
P・P・S(2022年11月10日追記)
最近クレープ屋さんを開業したいから、ノウハウを教えてください!というお問い合わせが多くなってきています。当店はフランチャイズ展開もしています。下記のブログに詳細を記載していますので、じっくり読んでいただいて、お気軽に連絡いただければと思います。
【クレープティファニーのフランチャイズについて】
クレープティファニーのフランチャイズは、同様にクレープのフランチャイズを展開をする他社と比べて、圧倒的に安い価格での開業が可能です。
加盟金 0円
ロイヤリティ:月額1万円(税別)
詳しくは下記URLをご確認ください。
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https://ameblo.jp/crepe-tiffany/entry-12501111709.html
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山本顕太郎

