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14/8/23

私とフィギュアスケートの5年間。①

Image by Olia Gozha

スケートをはじめる


小3の1月。

氷上の上で妖精のように踊る

浅田真央選手に憧れて…

ある日、スケートリンクに

遊びに行きました。


その日は転んでばかりだったけど

本当に楽しくて、

気持ちがよかったことを

今でも鮮明に覚えています。


フィギュアスケートの魅力を知った私は

週1回のスクールに参加することに。

クロス、スネーク、

ストップ、ひょうたんの練習…


しかしそれだけでは

物足りなくなり、

クラブチームに

入ることになりました。

跳びたい!回ってみたい!踊りたい!

そんな気持ちでした。


どんどん上達する

クラブチームに入った

最初の1年間は上達が速いです。

まずは1回転、そして一回転半、二回転…

どんどんどんどん出来ることが

増えていきます。

私でもこんなにできるんだ…と

感動しましたね。


楽しいことばかりじゃない

しかし、少し上手くなると

楽しい楽しい!!

という感情だけではやっていけません。

もちろん、

スケートができるのは幸せです。

本当に本当に素晴らしいことです。

でも辛いことも出てきます。

まず朝6時からのクラブの貸切練習。

起きてから家を出るまでに30分。

家からリンクまで1時間。

練習の前にアップ(準備運動)を30分。

つまり4時半に起きます。

最初は驚きました。

人間の起きる時間ではないですね。

何度もこのの練習を繰り返せば

慣れていくかなと思っていましたが

最後まで無理でした!

あとこの時間の練習をしてから

学校に行ったことがあります。

学校の先生の中には

信じてくれない人もいました。

そして夜の11時までの

練習もありました。


とにかく時間が常識的ではないんです。

一般営業の前か後にしか貸切練習は

出来ないので仕方がありませんが…


この話をすると

周りの友達は固まってましたね。

ちなみに貸切練習以外にも

一般営業中に自主練習をしたり、

レッスンを受けたりしていました。

今思うと、

よくこんなことやっていたな。。。


人とは違うこと

フィギュアスケートをやっていることは

仲の良い友達と

学校の先生ぐらいしか

知りませんでした。

隠していた訳ではありません。

私はそんな目立つタイプではないので

わざわざ話すということは

しませんでしたね。

しかし友達が広めたのか

話したことがない子にも

萌香(moka)ちゃんって

フィギュアスケートやっているの?

と聞かれることが多くなりました。


みんながやってないこと。

みんなができないこと。

それを私は習っていること。

幸せでした。

私は人と少し違うことを

してみたかったんです。


父の変化

応援してくれる人と

反対してくる人がいました。

最初は父も反対する人の1人でした。

はやく辞めろ。

そんな感じでした。

フィギュアスケートを始めると

家にいる時間が少なくなります。

もちろん土日に遊びに行くということも

あまり出来ません。

そしてお金もかかります。

私ぐらいの下手な人でも

靴だけで10万はとんでいきます。

レッスン費も高い。

きっと父にとっては良いことなんて

1つもなかったんでしょう。

何度か本当にやめさせられそうに

なりました。

しかし私達(妹もやっています)の

滑る姿をカッコイイと思ったらしく

だんだんと

応援してくれるようになりました。

今日は練習に行かなくていいのか?

と言うまで。

なぜ父が急に変わったのか

いまだに分かりません。


反対?①

友達や先生の中にも

反対しているのかな。

応援したくないんだな。

という方はいました。

友達には

そんな練習かわいそう。と言われ、

小学校の時にスケートをやるので

部活を辞めますと先生に話すと

は?辞める?

と言われたたことがあります。


反対?②  部活をやらないということ

上に書きましたが中学校では

最初から部活に入りませんでした。

部活をやっていたら

練習には行けません。

もちろん入るか

どうかすごく迷いました。

でもやっぱりスケートが好きだから。

続けることを決めました。

しかしスケートで削られる勉強時間を

補うために学校で休み時間に

勉強をしていると

帰宅部だからいいだろう!

と言われたり、

家庭科部や科学部、美術部、

帰宅部の人は

楽だから?という理由で

卒業式の飾りをつくる係に

勝手にされたということも

あったりしました。


帰宅部って…

私はただの帰宅部じゃないのに。

すごくすごく悔しかったし、

悲しかった。。。

やっぱり理解してもらえないんだなって

思いました。

ジャンプが跳べないことよりも

辛いかも。。。


温かい人

しかし応援してくれる人も

たくさんいました。


大好きな親友。

大会で上手くいかなかった時は励まし、

誰よりも応援し、支えてくれました。

彼女がいたからこそ

私は頑張れました。


そして中学校の先生。

部活をやっていないという理由で

(スケートをやるために入りませんでした)

私に冷たい先生もいました。

スケートをやっていると知った瞬間、

優しくなりましたが。

しかし担任の先生は素敵な方でした。

中2の時の先生は恥ずかしがりやなので

頑張って!

とは直接言ってくれませんでしたが

学級ノートで色々書いてくれました。


この先生の生徒になれて

本当によかったです。

ありがとうございます。


そして先生に出会ったおかげで

教師になりたいという

夢を見つけられました。



続く…

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