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14/8/21

長男君が生まれた日のこと《後編》

Image by Olia Gozha

寝ながらでも出産は出来る!?


前編では、大学病院からいきなり破水だったけれど、実はその間に2度ほど助産院に行っている。

一度目は泣きながら助産院に行き


「大学病院でこんなこと言われたけど、ここで産みたい~」


と助産師さんに泣きついて慰めてもらい、2度目は居合わせた助産院の院長先生に


「骨盤が小さくて産めないと言われたことに不安があるなら病院で産みなさい。でも、ここで産みたいって言うならなんとかするわよ。来週の水曜日までにどうにかすればいいんでしょう?」


のお言葉を頂き、どうしても助産院で生みたい意志を告げると院長先生がちょっと痛い内診をしてくれた。


あとから聞いたところによると、その内診が卵膜をちょっと刺激して破れやすい様にする処置だったそうだ。


それから


「これから何回もおしるしが来るかもしれないけれど、それからすぐにお産につながるわけじゃないから慌てない様に」


と言われ、帰宅。


そうしたら、案の定、何度も「おしるし」と呼ばれるどろどろした出血があり、1時半についに破水。


本当は病院に連絡をしなければいけないのだけれど、院長先生の「私がなんとかする」の言葉を信じて助産院に電話を入れた。


当直の助産師Fさんに


「う~ん、そうだな~。これから眠って、日が昇るころになったら来てね」


とのんびり言われたので、素直に眠る私。

こんな時でもぐっすりと眠れてしまうふてぶてしさよ。



夜が明けて助産院についたときには陣痛7分間隔。


それから産院で出された朝ごはんをのんびり食べ、陣痛の進みが早くなるという酵素風呂に入れてもらい、その時には陣痛間隔4分。


酵素風呂までは歩いて移動なので、陣痛が来ていない時にすたすた歩く私に夫が唖然。


産院に戻ると、例の大学病院の超音波技師さん(妊婦)が検診に来ていて、ついでに助産師さんに超音波写真の上手な撮り方を教えることになっていたそうで、ちょうど陣痛中(?)の私に練習台になって!と白羽の矢が立った。

他にすることもないので快諾し、4分毎の陣痛に耐えながら助産師さんたちの視線を集める私とお腹の中の長男君。



その後は、ただひたすら両親学級のお産の進行ページを見ては、陣痛に耐えつつ次の段階に進むのを待つだけの時間が流れた。


陣痛間隔3分ぐらいまでは全然余裕で、夫と


「陣痛って思ってたほど痛くないねぇ。やっぱり痛みに鈍いのかなぁ」


なんて言って過ごした。

その時点で、もう破水して15時間が経過していた。

その間に隣の病室にも妊婦さんが入院し、旦那さんがコンビニにお弁当を買いに行っている間に赤ちゃんが生まれてしまい、戻ってきた旦那さんが買ってきたお弁当を床に落として驚くというコントのような光景も繰り広げられていた。

2人目の出産だった奥さんは


「あはは〜。もう生まれたよ〜」


と余裕でケラケラ笑っていた。


ちなみに助産院に分娩室はなく、入院から出産、退院まですべて同じ病室の同じベッドで行われる。

廊下では子連れ入院のママの子供たちが楽しそうに遊んでおり、他人の出産も覗こうと思えば簡単に覗ける。そんなおおらかで優しい空気が流れているこの空間はとても居心地が良かった。


で、覚えているのはたぶん夕飯を食べたあたりまでで、そのあとは猛烈な眠気を襲ってきた。

だいぶ耐えていたのだけれど、夫が


「眠いって言ってるんですけど」


と院長先生にいったら、あっさりと


「寝ていいわよ」


と言って電気を消してくれたので、陣痛と陣痛の合間に夢を見るほど爆睡。両親学級のテキストに「眠くなる人もいます」とは書いてあったけれど、本当に寝てしまうとは自分でも驚きだった。


でもこれは実は大切なことで、出産を怖がらずにちゃんと受け入れていれば、陣痛と陣痛の間にその痛さを緩和するというか忘れさせるホルモンが出て、眠くなるのだそうだ。


だから、このホルモンに逆らわずに体をきちんと休めることが大切なのだとか。私もこのホルモンの波に乗ったおかげで最後まで疲れることもなく


「痛い~、苦しい~」


と思うこともなく、「あぁ、眠い、眠い」と思うだけで、割と冷静に出産することができた。

それにしても、あまりに眠すぎて途中、


「あぁ、今日はここまでにして続きは明日にしたい」


とか


「これ以上頑張ったって、何も出て来やしないんだからもう終わりにした・・・だってこれは夢だから」


とか思ったりしたけれど。


最終的に助産院に行ってから24時間かかって長男君誕生。




となるのだけれど、そんなに時間が掛かったのはやはり、私の骨盤と赤ちゃんの頭の大きさが同じだったため、全然降りてくることが出来ず、ずっとつかえていたためだ。


そう、ずっとつかえっぱなしだったので、どこまでお産が進行しているか分からず、テレビのドキュメンタリー番組で見るように


「あぁ~、もういきみたい~」


という感覚も、


「鼻からスイカが出る~」


という感覚も全くないままお産が進行し、知らない間に長男君がうまれておりました・・・。

あとから旦那様に聞いた話では、長男君が生まれたことにも気づかず、しばらく呼吸法を続けていたそうです、私。

覚えているのは


「ほら~、赤ちゃんの頭が見えてきたわよ。触ってごらん」


と言われて触らせてもらい、


「本当の赤ちゃんが入ってたんだ!」


と思ったこと。生まれる直前に


「もうすぐ生まれるわよ~。ほら!ブルーベリーでも食べなさい♪」


と言われ、最後のいきみの直前に口の中にブルーベリーを何粒も放り込まれ、


「なぜ、いま、この瞬間にブルーベリー!?」


と思いつつ、抗うことも出来ずに口の中のブルーベリーをかみしめ、


「ほら~!生まれたわよ~♪」


と赤ちゃんを見せられた時には、


「そうですか、それは良かった。でも歯茎にブルーベリーの皮が・・・」


と思っていたこと。

なにはともあれ、そんな感じで長男君は誕生した。


時間とかシチュエーション的には難産だったのかもしれないけれど、私としてはかなりの安産だったと思っている。

出産って、ちゃんと受け入れていればそんなに痛くないのかも。


私は途中で吐き気をもよおして吐いてしまったのですが、そのとき助産師さんが


「一番痛いときに吐き気がするんですよ~」


と旦那様に話しているのを聞いて、


「あぁ、今が一番痛い時なのか。この程度の痛みなら死なないから大丈夫」


と思ったし。


あぁ、でも陣痛ピークの時に院長先生に


「二人目の時はこんなに大変じゃないからね」


と言われ、


「今は二人目のことは考えられません・・・」


って思ったけれど(笑)

そして、まさかこの6カ月後にまた妊娠が発覚するとは思わなかったけれど。


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