この話は私の弟の1人(3才差)である、拓郎の話をフォローするものです。
ある意味我が家の備忘録に近いかも。
よろしければ彼の「僕とゲームと人生。」をお読みになった後のほうが面白いかもしれません。
オタクとしての人生
私は小学校二年生の時スレイヤーズを読んで以来のオタクです。
もともと本が大好きだった自分は「世の中にこんな斬新で面白い本があるのか!」と子供ながら衝撃を受けて、風呂に持ち込んで怒られた記憶があります。
これ以降、自分の人生は文字文化に捧げてきました。結果的にゲームとの付き合い方は「消費する人」になっていくわけです。
幼稚園~小学生1年生
初めて家に来たゲームハードはスーパーファミコンでした。
ソフトは「ウルトラマン」
当時の自分にとってはめちゃめちゃ難しいゲームで、最後ゼットンを倒したと思ったらウルトラマンが逆に倒されて全滅。コンテニューもなしで最初から。
小学生の自分にとってすべてのリソースをつぎ込んだ結果がこうも簡単に失われたことに愕然としました。世の中に自分の思うとおりにならないことがある、という初体験だったように思います。
この当時、ゲームのプレイヤーは長男である自分でした。
まだ幼い弟達との記憶はあんまりありません。
弟とゲームをした記憶が出てくるのはマリオカートあたりからでしょうか。
この頃はまだ拓郎に対して圧倒的に勝ち越していて(小学生対幼稚園児だから当たり前)
まだ彼にゲームのやり方を教えることがあったように思います。
誕生日プレゼントのゲームで思い出深いのは「セーラームーン」
その当時からオタクレベルの高かった自分は、セーラームーンが大好きでした。
しかし、当時小学生男子。
女の子向けゲームを欲しがってると思われること自体が恥ずかしいことでした。
クリスマスプレゼントの時に押入れの布団の上から見つけた(当時我が家のプレゼントは、父が隠したものを発見するという遊びが入っていました。)時には、嬉しい気持ちを怒るふりをして誤魔化すという複雑な演技をする必要があったのを覚えています。
この辺りから弟と協力してゲームをする事ができるようになりました。
「セーラームーン」は二人で協力して面を進めることができたので、回復アイテムの譲り合いやピンチのカバーなど、兄弟で困難を解決している!という感覚が新鮮で、当時のゲームとしては結構起動した方じゃないかな?
小学校2-5年
この当時父親の転勤でインドネシアにいた自分たちにとって、兄弟以外に遊び相手は居ませんでした。当時あまり治安が良くなかったジャカルタでは、子供は「家の門から外にでるときは車」以外の選択肢がなかったのです。いきおい、家にいつもいる弟達と遊ぶことが多くなります。
この頃になると洋平(三兄弟の一番下)が徐々に記憶に入ってきます。
「ゲームを買ったら説明書を隅々まで読んでからプレイ、更に言うと攻略本は絶対あったほうがいいけど、攻略内容よりアイテムと武器のディテールが載ってるほうが嬉しい、むしろそっちだけでもいい」
溝部 拓郎「プレイ!プレイ!プレイ!」
溝部 洋平「なんかよくわかんないけど拓兄がなんか言ってるからボタン押してる」
この頃になると自分はゲームをプレイしなくなってきました。
自分がやると、RPGでは必ず全員の村人に話を聞いて、すべての洞窟をチェックして、宝箱を全部開けなければならない という強迫観念に駆られていたからです。
たぶん、本を読むのとおなじ感覚でエピソードがもったいなかったからでしょう。自分はゲームに「物語」を求めていました。
自分がプレイすることにはそれほど大きなウェイトを占めていなかったのです。
かわりに、テーブルトークRPGに興味を示しだしました。
インドネシアでは日本語の本が貴重で、(それこそ更級日記の「この物語見果てむと思へど、見えず」というのに自分は深く深く共感します。)いつも物語に飢えていた自分は、自分でそれを作るようになっていきます。
ロードス島戦記リプレイの巻末に合った少しのルールから自分たちで改変して弟たちとプレイして、とごっこ遊びの延長線上みたいなものでしたが、ゲーム機ではできない、落とし穴や話術で丸め込む自由度に、自分で最強の武器を作っていく楽しさでいっぱいでした。
小学校6年~中学校
この頃になると、兄弟と遊ぶ時間も少なくなっていきました。
当時働き始めた母親が拓郎と洋平を学童に入れ、自分は塾や部活で忙しくなっていったからです。
父も単身赴任を始めた頃で、この頃は自分が弟達のご飯を作らなければならないという使命感でいっぱいでした。(もちろん母が準備していた枠内でだけど)
この頃の自分はすべてのお小遣いをラノベに突っ込んでおり、ゲームにはほとんど興味を示さなくなっていきます。
拓郎がTRPGをもとにゲームを作ってを学童に広めたりしていルのを横目に、洋平を迎えに行く口実で部活を早帰りしてカードキャプターさくらを見るという生活をしていました。
ある意味、彼にはオタクの英才教育を施してしまったかもしれません。
中学校も後半になると、拓郎が完全にネトゲ廃人になっていきます。それと時を同じくして、洋平が拓郎のゲームパートナーとなり、自分は完全に二人を後ろから見るだけになっていきます。
この頃から自分は二人の会話についていけなくなりました。
彼らが専門用語を交えた宇宙語をしゃべるようになっていったからです。
溝部 拓郎「ウィザードになったらスキルポイントはユピテルサンダーに10振って.」
溝部 洋平「クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸クモの糸(目的がアローリボルバーというのは忘れている)」
高校生~大学生
もうこの頃には日常的に新しいゲームをすることはなくなりました。
かわりに、懐かしいゲームを取り出して兄弟で囲むことが多くなります。
聖剣伝説、カービィDX、クロノトリガー。
あのころ遊んだゲームを取り出して、会話をして。
僕らの兄弟仲は、こうやってできていきました。
P.S. あとは、洋平に弟視点を書いてもらうだけだね。


