大学浪人のころ、私は一人で小さな町に住んでいた。

予備校に付属した寮で生活していた。
テレビもダメ、音楽もダメ、門限は九時。
窓の一つしかない4畳の部屋は、見学したとき監獄に思えた。
予備校生活はそれなりに楽しかったが、
一年後の不安は消えなかった。
高校の友達は大学なり専門学校なりで、もう自分より先の言葉を話していた。

寮があった町には、駅の近くに商店街があって、
その中心に神社があった。
神社を取り囲むように、アーケードが流れており、
私はスーパーで買い物をしたり、カツ丼を食ったり、
洗濯物を抱えたりしながら、その神社に立ち寄った。

神社は広場のようになっていて、空が見えた。
デッサンをしているベレー帽の年配や、走り回る子どもたち、
円形を組んだ世間話の主婦たちと、そこには生活の風景があった。
私は、何ともなく神社の鐘を鳴らし自分の将来を祈った。
やがて、必要もなく神社に立ち寄るようになった。
段々と、試験が間近になり、毎日が慌ただしく濃厚になった。
私がその時胸に感じていたのは、意外だが「感謝」だった。
去年と同じ場所、そして去年では立てなかった場所へと、
年月の流れと多くのつながりが私を支えてくれていた。
またここに出ることが出来るのが有り難く、
何だか私の将来は私だけのものではないような気がした。
神社の鐘を鳴らし、私は色んな人に感謝した。
ありがとうございます。
精一杯やらせてもらいます。
どうぞ、元気で。
神社は、私にとって遠くのつながりとの出会いの場になった。
そっと手を合わせるたび、私は安心し強い気持ちになれた。
そうして、私は次のステージに移った。

今でも神社を訪れるたび、私は願い事はしない。
叶うことはただ叶うものだと思う。
そこは出会いの場であり、腰の紐を結び直す振り返りの場だから。
それまでの私につながる存在への感謝の場だから。
そうして、私はもう一度私になれるのだと思う。

