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14/8/12

男が女として生活していくまで物語

Image by Olia Gozha



【はじめに】

私が初めて性別を超えた人たちを見たのは、TBSでやっていた

上岡龍太郎さんの番組だったと思います。


当時は今と違って報道の規制も緩かったため、ニューハーフが上半身裸で

モザイクもなしにお茶の間のテレビに写っていた時代です。


そんな彼女達、ニューハーフは「女装が高じて手術までしちゃった男」

という扱いで、変人、変態扱いが普通でした。 




ニューハーフに人権はないのか? 

と、聞かれれば、当時は確実に「なかったと」言えます。



テレビでは、ニューハーフを人権もない、

変態扱いされて当然のような取り上げ方していたのにもかかわらず、

私の幼い目にはとても魅力的に見えていました。


一緒にテレビを見ていた母親の前では正直に言えなかった私ですが、

心の奥では、憧れのようなワクワク、ドキドキした感情を持っていたのです。



しかし、その一方で「こんな変態になりたいわけがない!」という

憧れに対する否定的な感情も同時に存在していて、

日々もんもんと葛藤するばかりの少年時代でした。




結果的に私はニューハーフとしての人生を選び、彼女たちと同じように

性別の壁を越え、それと同時に変人扱いされる道を歩んできたわけですが、

今の自分の生き方に後悔はありません。


むしろ自分らしく生きていることへの自信と誇りもあるくらいです。


今、私が女性として生活できているのは、

身体を張ってテレビに出演していた彼女たちニューハーフのお陰だと

過去を振り返ると感じますね。






なぜなら、私がまだ小学生だった頃、1990年代のテレビでは、

ニューハーフの豊胸手術が100万円だったとか、

性転換手術が300万円だったとか、女性ホルモン注射をしなくちゃならないとか

そういう「生々しいリアルな情報」がテレビからどんどん発信されていたんです。


それを見た私の母は「こんなにお金かかるなんて、大変かねぇ…」



なんて言っていましたが、私としては

「身体に1000万円かければ、男でもこんなにキレイになれるんだ!」



という夢の世界を見せてもらっているようでした。




つまり、当時のTBSのニューハーフ関連番組があったお陰で、

私は男でも女性として身体を変化させることができる、そういう人たちが

世の中にはいっぱいいるんだ



という事実を教えてもらったし、最初は女性ホルモン注射から始めて、

ヒゲの永久脱毛、豊胸手術、そして性転換手術という

手術の流れも知ることができたんです。


そのお陰もあって、私は高校を卒業し、就職してからはすぐに脱毛、ホルモン注射

21歳で睾丸摘出手術、豊胸手術と手術を進めていくことができました。


当時私は小学生でしたから、年齢で言うと8歳~10歳でしょうか。



早い段階でトランス(女体化)の情報を得ていたから、

高校卒業後すぐに行動ができたのだと思います。




本書は女体化の情報を正しく、生々しく伝えることで、

いま、この文章を読んでいるあなたが早い段階で行動できるよう

少しでも力になればいいなと思って作りました。



単純に手術の情報やホルモンの情報だけを伝えるのではなく、

女体化開始前~女体化開始後の私の実体験を通して、

より具体的にあなたの女体化をイメージしていただけたら幸いです。




【怒られる過去 → メイクしなきゃ怒られる今】


「みさきちゃんは女の子なんだからさ、メイクしなきゃダメじゃない?」

すっぴんで生活してた私にディエゴが言い放った。



ディエゴとは、名古屋の飲み屋で知り合って、

一緒に仕事するまでになった仲間というか、友達だ。 彼氏じゃない(笑)



日本とペルーの血が混ざっているが、3:1でペルーが濃い。

見ためはペルー人そのもの。 身長160cmくらいの小柄




21歳でニューハーフの仕事を始め、女性としての生活をスタートさせた私は、

夜の店で知り合った彼と意気投合して一緒に仕事をしてたんだが、

その際に夜のお店・・・ニューハーフクラブを辞めていたので、

普段はすっぴんで生活してたのだ。



「化粧は仕事だからやるもの」という意識があったのかもしれない。




ニューハーフクラブで仕事する時は、つけまつげを付けてバリバリメイクで

目の上には青色のアイシャドウを輝かせ、髪の毛は名古屋城のごとき天守閣を

作って仕事をしていたんだ。




そのギャップもあって普段はすっぴんで生活してたのだが、

ついにある日、事務所でディエゴにこう言われてしまった。




中学生~高校時代は母親のメイク道具を勝手に使っては、

母親にバレて怒られていた私だったのに、大人になったら

「メイクをしない」ってことに怒られるとは・・・(苦笑)




これが女で生きるということか。




18歳で地元 熊本県の商業高校を卒業した私は、

そのまま愛知県一宮市の居酒屋へ就職した。


「なんでわざわざ一宮なんかに?」


一宮市でできた友達からは意味不明な行動に見えたようで、よく尋ねられたが、

私の地元、熊本県球磨郡は仕事がなく、多くの若者は高校卒業と同時に

福岡、大阪、愛知、東京へと出稼ぎにいくのが普通だった。 今もそうだ



就職してから私はまず、ヒゲの永久脱毛に給料を全部つぎ込み、

性同一性障害のカウンセリングに通い、ヒマな時はネットカフェで

女体化情報を貪(むさぼ)り食うかのように調べまくっていた。


仕事が休みの日は脱毛エステかネットカフェにいた。

家には寝に帰るくらいだったかな。



ネットカフェでは性同一性障害である自分のことをブログに書いたり、

自分と同じような性同一性障害の人のブログを見つけてはコメントを書いていた。



この時、まだ診断は出てなかったのだが、確信は持っていたんだ。

自分は性同一性であると。




ブログを通して知り合ったFTMの人に、名古屋市のフローブクリニックという

美容外科を教えてもらい、19歳になった2006年12月16日に

女性ホルモン注射をしてもらった。


始めてのホルモン注射の感想は・・・「予防注射」みたいだった。





それまではジェンダークリニックに通って、GIDのガイドライン通りに

治療というものを進めていたのだが、診断書の取得までに時間はかかるし、

もう待てないと思ってフライイングしたのだ。


そのフライイングで私の心に火が付いたのか、

その後はカウンセリングに行くことも辞めて、転職し、お金を貯めて、

声を高くする喉の手術、睾丸摘出術、豊胸手術を1年間のウチに一気にやった。



そして、2008年の12月1日に名古屋市錦3丁目のニューハーフクラブ

「AQUA」でニューハーフとして働きだし、

プライベートの生活も女性として過ごすようになったのだ。




昔は「そうなったら楽しいだろうな」という憧れでしかなかった女性としての生活。

実際その立場、女性として生活するようになれるなんて夢みたいだった。



今の自分は仮の姿で、本当は夢が覚めたら男としての現実に突き落とされるんだ。

などと、変な不安を持っていたこともあったけど、

日に日に「これが現実なんだ」と気づいてくると、毎日が楽しくて仕方がなかった


「」


お店に出勤すると、テレビの世界でしか見たことない、すごくキレイな

ニューハーフのお姉さん達が待っていて、会話してくれる。



「その胸どこで手術したの?」


「触ってもいい?どんな感じ?」



と、私のチチを揉んでくる(笑) そして私はかわりに先輩のチチを揉む(笑)



お店にはショーを踊る舞台があり、その裏には楽屋がある。


楽屋ではほぼ全裸のお姉さん、先輩方が身体を隠すでもなく着替えている。



見ているこっちが恥ずかしくなるほと堂々としてるんだけど、

よくよく考えたら、私も「女扱い」されてるんだなぁと気づく。




つい2週間前の11月20日まではトヨタ自動車の高岡工場で男として勤務していたのに、

男子寮に済んでて、男湯入ってた私なのに、

2週間後にはほぼ全裸のお姉さん達が着替えている楽屋で、わたしも着替えるわけだ。




「これが女で生きるってことか・・・」




理解はできても、慣れてないことに脳みそがパニックを起こしそうだった


今まではずっと「女性として生活すること」がゴールだと思っていたのに、

いざ、女性として生活しだすとそこが「スタートライン」だったことに気づく



「女性に見られたらいいなぁ」と思って生活していた過去が

いまでは「女性に見られるのが当然、その上で更に女性らしくしなきゃ」

っていう現在(いま)に変わった。


メイクもただ塗ればいいワケじゃないし、

服装だって、ただドレス着ればいいワケじゃない。


椅子に座る姿勢・・・背すじを伸ばして、背もたれに背中はつけない。

足は開かない、ひざを揃える。


立っている時の姿勢・・・猫背はダメ、しゃきっと立つ


踊る時の手の形・・・指は揃えつつ、少し開く、

男っぽく見えないように角度を付ける、股の開き方、手の伸ばし方、

肩は下げて手をのばす・・・などなど



立つ姿勢、座る姿勢、普段の動きから、しゃべり方、言葉使いに至るまで

トコトン注意されていった




「そんなんじゃ男にしか見えないわよ!」




身体をイジっていても、女性的な身体になっても

仕草が男っぽくては男にしか見えない。 身長も高いし、骨格も男なんだから。


それを女性に見せようと思うなら、トコトン気を遣っていかなきゃ。



こう聞くと面倒だと思うかもしれないが、

わたしは「お、オラすっげぇワクワクすんぞっ!」状態だった。



恐らく、面倒というよりも1つ1つ覚えていくことが楽しいと感じていたから、

ツライとか、面倒っていう印象がなかったのかもしれない。




それまではスカートなんて「女性が着るもの」であって、

「私みたいな未熟者が履いていいものじゃない!」と、

ビビって履いたこともなかったんだぜ、わたし。



でも、仕事を通してドレスやスカートも履くようになってからは

外を歩いている時に見知らぬ男性にナンパもされちゃったりして、

余計に嬉しくなっていた。



ビビっていた女装、女性の服で外出することも、やればやるほど女性として

みんなに認められるようになるし、女扱いもされるようになる。



それまでは「女の子っぽい顔立ちですね」くらいにしか言われなかったのが、

今では普通に女性扱いされる。


女っぽい顔立ちというか・・・女性だからね。 当たり前でしょ

と、思われているのかもしれないな。




「これが女で生きるということか・・・」









【お陰さまで図々しくなりました。】

この文章を書いている2014年現在、私はYouTubeやブログ、メルマガで

女体化情報を発信するようになりました。


私のような半端者が情報発信なんて・・・・と過去の私なら思うかもしれないが、

今の私はむしろ図々しく上から目線で女体化情報を発信中だ。


なんでこんなになっちゃったのか?




ニューハーフクラブで鍛えられたかもしれない。




トランス(女体化)初期は「女に見えたらいいなぁ」と思っていたのに、

今ではニューハーフということを知って、男扱いしようとする輩に

「女扱いしろよ!」と冗談半分に突っ込める程になった。




…いや、冗談ではなく本気でそう思っている部分もある。


キンタマ取って、胸も入れてるし、普通の男と違うだろ!

てか、女だろ!


と、説教するくらいの勢いである。





こんなに図々しくなったのは私にとって「女性であること」

「女性として生活すること」が当然になったからだと思う。


当然のように女性として生活しているのに、その中で男性扱いされるようなことがあると、

ムカッとなるのだろう。


実に図々しいけど、これくらい堂々としてないとニューハーフやMTFが女性として生きるにはまだまだ難しい社会が日本なのかもしれない。



とにかく、これから女体化を進めるMTFには、

この「堂々とする」ってことをぜひとも伝えたいと思っている。



悲しいけど、日本にはニューハーフ、性同一性障害者に対する偏見や

差別はあるし、昔ほどでないが変態扱いする人だって多いのだ。


そんな社会でMTFが女性として生きていくためには、堂々とすること、

胸を張って、自信持って生きることが重要なのだ。


そんな意思を伝えたくて私はブログで女体化情報を発信し始めたのだが、

これが思った以上に好評になった。




最初は趣味程度に考えてやっていたのに、今では本業といえるくらい

ブログを見てくれる人も、メールをくれる人も応援メールをくれる人も増えてきた。



実際に、「コンサルティングしてください」という声も頂けるようになったし、

過去に2度ほどコンサルティング生を集めたこともある。




100%の結果を出せているわけではないけど、実際会って話した人、

交流した人は確実に結果を出せるようになり、

女性としての生活をつかんでいる。



一人でやっていた情報発信だったけど、

今では一緒にYouTube動画を作ってくれる仲間、出演してくれるMTFの友達、

同じく女体化情報を発信する仲間、プライベートで遊ぶ仲間、

そして、同じくMTFの彼女などなど・・・・ 

仲間と呼べる人たちも増えてきた。




男時代は、女で生活したいって本音を出せる友達なんて一握りだったし、

その友達の前でも女性として振る舞うのには抵抗があった。


服装だって女性服着るのが怖くて、男物に甘んじていた自分がいた。


日々なにかに怯えて、本当の自分を隠して生きていた気がする。

でも今は、何も隠すことなく、自由に本当の自分をさらけ出して生活できる



「9/27にキンタマ取りました(笑)」

なんて、普通の人には言えないものだ(苦笑)

それを抵抗なく事実を、本音を出せるのは仲間だからだろう。


私が図々しくいられるのは、やはりMTFの仲間の存在があったからだ

私はこの仲間を大切にしたい







【”異常”とは悪であり、差別する価値がある】

私が生まれ育ったのは熊本県の球磨郡という田舎町だ、

そんな田舎で私は男らしく育てられ、普通の男の子として生きていた。

中学は柔道部だったし、彼女もいた。 客観的には男でしかない


九州から離れた今だからこそ気づいたこと…




九州は「男は男らしく、女は女らしく」っていう昔ながらの価値観が

いまだに根付いている地域だ。


よって、私のようなニューハーフとか、トランスセクシャルは生きづらい。



私が小学生の頃、男女の区切りはなく、児童は服装も自由だった。


しかし、中学生に上がった途端、男子は校則で髪型が”丸坊主オンリー”になる。


それ以外の髪型は許されないし、髪の毛が3cm以上伸びると

生徒指導の先生から注意を受けることになる。


これは、野球部だからとか剣道部だらとか、そういう理由じゃない。




男だからだ。


男子生徒だから、髪の毛は丸坊主にするんだ。 それが中学の校則。



髪を伸ばせば「切れ!」と先生たちから怒られ、生徒指導質にばれる。

そこで注意を受けても切らなければ、最終的には強制的に髪の毛を丸坊主にされる

学校で・・・・学校で頭を刈られるのである。 なんとも人権侵害な学校だった



男は男らしくなのだ。



学校以外であっても、髪が少しでも長くなると、


「長かっじゃなかや? 切らんば男らしくならんぞ」

「見ためが悪いかね、おなごんごたるばい」(訳:女みたいだぞ)



と、親戚からも、そこらへんのオバチャンからも、オッチャンからも言われる。


そんな町だ。


髪型でそうだから、服装なんてもっと言われるだろう。




当時、熊本県で生活していた私は、それが当たり前で当然で

全国どこに行ってもそれが世の中の常識だったと思っていた。


でも、就職し愛知県で生活するようになると、

どうもそれが行き過ぎだったことに気づく。



愛知県は小さい県だし、名古屋に行けばニューハーフクラブが6軒もある。

「オレの同級生、オカマになっちゃったよ」


なんてことも、稀にあるような地域だ。



自分の子供なら話は違うかもしれないが、他人の子なら

「ニューハーフになろうがオカマになろうが、それはそいつの人生だ」と

思える風潮がある。



そんな愛知に生まれ育っていればよかったのかもしれないが、

私の出身地は熊本県球磨郡。 



ニューハーフの仕事をしだしてから地元に帰った時、私の生き方や、

仕事に対しての理解は当然ながら示されなかった。



いや、むしろ叔父さんには「お前が女でいるなら地元には戻ってくるな!」

と、あからさまな暴言を吐かれてしまったし、クチも聞いてもらえなかった。


大好きだったおばあちゃんは「いつか男に戻るとやろ?仕事だけんしとっとやろ?」

と、涙ながらに何度も訪ねてきた。



小学1年生の頃からよく遊んでいイトコのお母さん(おばさん)には、

「お前にはお前の生き方があるかもしれないけど、女としてのお前は認められない」

と、直接は言われなかったものの、後日送られた手紙にそう書いてあった。




…正直ショックだった。





名古屋では普通に女性として通用していただけに、

有頂天になっていたのかもしれない。


一気に現実に突き落とされたし、実の家族となると甘くはないのだろう。


辛く苦しい経験ではあるが、この経験が私を強くしてくれた。






日本全体で見ると、九州ほどではないにしろ、

まだまだニューハーフに対する差別や偏見は残っている。



「男で生まれたのに、わざわざ女になるなんて意味がわからない、理解できない」

「ぶっちゃけ気持ち悪い…」と感じる人は大勢いる。




当事者でないから理解できないのは当然、仕方がないとは思うが、

それにしても世間のオカマ、ニューハーフに対する差別はちょっと異常に見える



彼ら(差別する側)にとって私達はいわゆる「変態」であり、

「差別する価値がある存在」なのかもしれない。



差別しなきゃ彼らと同類だと思われてしまうかもしれない・・・

否定しなきゃ次は自分が差別されるかも…



みんながバカにして笑っているから、私もバカにしてやろう。 みたいな



これは90年代からのテレビの影響もあるだろう。

上岡龍太郎さんのテレビ番組もその原因かもしれないな(苦笑)


テレビでは面白おかしく取り上げるが、それが自分たちの家族であったり、

会社の同僚、会社の部下、面接に来た人間であると話は別になる。 



ニューハーフはテレビの世界の人間であり、自分たちの身近にいてはいけないのだ

身近に存在してると周囲に悟られてはいけないのだ。


ましてや、彼らが自分と同じ家族だったり、

自分と同じ職場の人間であってはならないのだ。 全力で阻止する必要がある


ただ、表立って差別したり、クビにすると人権問題に発展するので、

何かと理由を付けて差別するのである。




……この言い方は度が過ぎかもしれないが、ちょとした偏見が積み重なって

大きな差別につながることは実際にある。



例えば、前例が無いから、まだ戸籍が男である以上は男扱いせざるを得ない

女子社員たちの理解を得られない、お客さんの迷惑になる、

施設が整っていないなどなど・・・・ 



そういう理由で会社では男じゃないとダメだと

上司や面接官から言われることはあるだろう。



…ごもっとな理由だとは思う。




たかがイチ従業員のために、会社のルールや施設をゴロッと

変える必要があるかもしれないし、何も事情を知らないお客さんや取引先は

「変な人がいる」と驚くかもしれないし、取引にも影響が出るかもしれない


できることならそんな面倒事は起こしたくないし、

よその会社を当たってくれとも言いたくなるでしょう。



1つ1つは小さなことで、差別とはいえない些細なことでも、

それが積み重なって大きな差別となっている。


それが今の日本の現実。




ハッキリ言って、そんな差別対象である生き方をすき好んで選び、

これからもニューハーフとして生きつづけようとしている私は、

どこか狂っているのかもしれない。 やっぱり変人なのかもしれない。



…しかし、しかしだ。



「男として不自由なく幸せに生きていきたいのか?」


と、自分の心に訊いてみる。


「男で・・・・?  お、おとこで?」



どんなに貧乏だろうと、生活に困っていようと、ホームレスであろうと、

「男で生きること」よりも不幸なことはなかった。 


「男で生きること」以上の恐怖はなかった。


男で生きていくことは、死ぬことよりも怖かったのである。

私は死ぬのが怖いし、誰よりも長く健康に生きていきたいと思っている

男で生きることは自分の人生にとって死ぬことと同義だった。


だから死にたくない一心で女体化を進めることが出来たのかもしれない。



差別は怖いし、偏見も嫌だ。

家族と縁を切らなきゃいけないかもしれないし、

地元には一生帰ってこれないかもしれない。 


人からは変態、変人扱いされるかもしれない。


でも、死ぬよりはマシだった。




世間は、普通じゃない人(異常な人)を排除しようと思っているし、

誰しも無意識に自分とは違う人を排斥する心理があるのかも。


それが差別につながるワケなのだが、

差別なんかに負けてはいられないのだ。 生きるために。






【オサム君】

私が女性として生活するにあたり、

決定的な転機になったのはオサム君の存在が大きい。



オサム君は小学、中学の同級生、地元の友達なのだが、

成人式で再開した時にこんな話をしてくれた



「トヨタ自動車の期間従業員は面接したらとりあえず受かる、

寮費タダだから金は貯まるし仕事はキツイが、なんとかなる」



20歳当時の私は居酒屋従業員として、朝の9時から翌日1時まで勤務の

14時間労働(途中2時間休憩)を毎日のようにしていたのだが、

それでいて月給は16万円、手取りになれば11万円程度だった。



そう。会社はミルク抜きコーヒー並みのブラック企業だった。


残業手当、夜勤手当、役職手当・・・・手当。


これらはすべてマンガやドラマの中だけの世界であり、

現実世界には存在しない妄想なのだと思っていた。



本気でそう感じた。


会社では、そんなもの見たことも聞いたこともなかったからだ。


働けど、働けど、収入は増えない。 そして休む時間も休日もほとんどない。

朝起きて、夜寝るまでの間はすべて仕事。




家にいる時は、風呂に入るか布団で寝る時だけだった。

自由なんてものはない。 お金もない、未来もない。 




「このままずっと同じルーチンワークをしながら、会社の奴隷となって、

生きていかなければならないのか?」


そんなことばかり考えていた。


どうにかしてこの地獄から抜けださなければ死んでしまうと思った。



その頃の口癖は「仕事辞めたい」か「休みたい」だった。

毎日呪文のように唱えていたと思う。 


接客業なので、正月は通常休めないんだが、「成人式に出席するので連休がほしい」と

上司に言った時は特別に休みがもらえた。


2年ぶりに地元に帰っての正月。そして成人式。


そこにオサム君の魔法の言葉。



「とりあえず面接したら受かるよ、金貯まるよ」



少ない賃金、長い労働時間、貯まらないお金と、変化のない身体。


その頃は女性ホルモン開始から1年過ぎてたので、

「そろそろ何らかの手術をして行かないと身体の変化も望めないだろうな」

と気づいていた。



手術をするためにはお金がいる。

しかし今の会社ではお金なんて貯まらない。


オサム君の言葉に心がぐらついた。






私の地元の成人式は早いのだ、1月5日だったと思う。


1月7日には名古屋に帰って、1週間後にはもうトヨタ自動車の面接会場にいた。

期間従業員の面接は週2回のペースで行われる。



面接というよりも会社説明会みたいなものだ。

その日参加したのは私一人で、ほかは誰も来てなかった。


面接会場は名古屋市の久屋大通にあるトヨタホームだった。


面接のオッチャンに挨拶して、志望動機聞かれて、指が動くかチェックされて、

身体になにか障害がないか、運動できるか聞かれて面接は終了。



「正直、落ちたな」と、自分でもわかるくらい最悪の面接で、

自己アピールもなにもできなかったし、口ごもってしまったこともたくさんあった。




しかし、1週間後にはその時住んでいた社員寮に、

トヨタ自動車からの採用通知が届いた。



宝くじとか、雑誌の懸賞が当たった時のような思いがけない驚きと

喜びでその日は一日中ウホウホしていた。


「ま、まさか私みたいなのでも採用されるなんてっ・・・!」



採用通知が届いたその日のウチに勤務先の会社へ「辞めたい」と伝え、

翌週には辞表を出した。 



翌月の2月25日からトヨタの期間従業員となり、

1週間の研修期間後には、カローラの右ドア組付け工程の仕事をしていた。



週5日勤務、土日は休み、サービス残業はなく、残業代はキッチリ支給されるし

夜勤手当、期間満了ボーナスなどなど、ブラック企業でしか働いたことがなかった私にとっては、

外国に来たんじゃないかと思うほどの好待遇だった。



はじめて「人間として扱ってくれた企業」それがトヨタだった。

トヨタで働けたのは成人式で再開したオサム君のお陰だ。









【べた褒めする上司、無視する先輩】

入社したのが2月だったので、入社後1ヶ月半で送迎会・歓迎会シーズンになり、


私の職場からは3人ほど移動になった。


金曜日の夜に職場のメンバーで送迎会をやることになった。

…30人はいたかな。


送迎会は仕事後のプライベートな時間だし、トヨタは私の中学校みたいに、

髪型や服装にケチを付けてくるような会社じゃない。



女性ホルモン開始から1年以上過ぎてたし、

なにか新しいことにチャレンジしなきゃと思っていた私は、

ちょっとだけメイクをして、ちょっとだけ女性っぽい服で送迎会に参加した。



女装? と、思われるくらい中性的な服装だけど、

メイクは気づかれない程度にしていた。



居酒屋での送迎会が終わった後は2次会でカラオケに行った。


居酒屋にいる時は何も言われなかったんだけど、そのカラオケ店の受付で、

勤務先の上司が

「ワサダ、お前本当に女っぽいな~!なんでそんな女っぽいねん?」


と、10回以上連呼してた(笑)

完全に酔っ払っているみたいだった。




今なら酔っぱらいのたわ言と捉えるような内容でも、

当時の私はまんざらでもなく、その言葉を信じた。


「あれ、私って意外とパスできるんじゃないかな?」


些細な経験かも知れないが、この時から女装に対する恐怖心が徐々に減って行った。




送迎会から半年後の2008年8月、京都府の病院で「甲状軟骨形成術4型」

という手術を受けた。 いわゆる「声を高くする手術」である。



これはブログで知り合ったMTFのお姉さんが同じ手術をしていたので、

声が低かった私もやることにした。



というか、高校時代からこの手術の存在は知っていて、

いつかやろうかと思っていたので、お姉さんの存在がその気持ちを後押ししたんだ。



喉の手術をやると1ヶ月は声が出せない。 いや、出しちゃいけない。

手術説明の時も、入院の時もくちすっぱく注意される



トヨタでの仕事は接客でないものの、ある日突然、従業員の一人が

全く喋らなくなると、周囲も困惑するだろう。



そう思った私は「甲状腺の異常で手術することになりました」と、

直属の上司と組の上司にウソの報告をしていた。


いや、手術するのは事実だからいいんだ。 ウソじゃない


手術はお盆休みの8月12日にした。 


これなら仕事を休まなくても済むし、皆勤手当も減らないかと思っての作戦。




手術費は入院代、手術代、のど仏切除オプションを付けて、

トータルで70万円だったが、現金で全額支払った。


「そんな金よくあったな!」 



と思われるかもしれないが、そもそもトヨタ自動車に入社した理由は

「手術代を稼ぐため」である。



家賃光熱費がかからないトヨタの寮生活は、食費を削って、遊びを削って、

服を買わなければ、毎月12~15万円ほど貯まるのだ。



娯楽もなく、服も買えない生活は貧乏人そのものだったが、

「手術代のためなら…」と、ガマンできた。 



喉の手術が終わり、お盆休みが終わり、仕事に復帰すると首に包帯を巻き、

一言も喋らない従業員に職場の仲間は驚いていた。



しかし、わたしは何も説明しなかった。

喋れなかったのも理由の1つだけど、いちいち説明してMTFだとか

性同一性障害だと相手にバレるのが嫌だったからだ。



後で知ったことなんだが、トヨタ自動車では性同一性障害の人は

そう珍しくないらしく、職場の上司は私の言動で気づいていたそうだ(苦笑)


これは仕事を辞めてから元同僚に聞かされた。




長年トヨタに勤務している人は私のような人間に慣れていたり、

ある程度の理解はあるようだ。



でも、みんながみんなそうではなく、中には嫌がる人、無視する人、

関わろうとしない人だっている。




それが私とタッグを組むことになった先輩だったのはチト辛かった。




その先輩は職場に2人しかいない女性のうちの一人で、

勤務開始当初はちょくちょく話したりしていたのだが、

私が喉の手術をしたあたりから徐々に話さなくなっていった。


睾丸摘出手術をした2008年9月頃はもう、挨拶しても無視、

話しかけても無視。


とにかく顔も合わせてくれないほどに無視を貫き通していた。



当時はなぜなのかよくわからなかったのだが、

今思うに、女性っぽく振る舞うようになった私の姿に違和感や

嫌悪を感じていたのかもしれない。


要するにこれが“差別”というヤツだ。




女性らしくなると、男性は優しく扱ってくれるようになって行ったが、

女性の中には差別する人もいるようだ。







「これが女として生きるってことか・・・・」










【今夜はパーリナイ! からの どんだけ~!】



2008年12月1日から、名古屋市錦3丁目のニューハーフショークラブ

「AQUA」で働くことになった

2008年11月20日まではトヨタの期間従業員だったのに。


自分でもこの展開にビビっている。 展開の速さに付いてこれていない。



2008年8月に喉の手術、9月に睾丸摘出手術、そして11月に豊胸手術。


トヨタに勤務しながら休みを利用して手術していった。

ただ、何度も手術するとお金が底を付いてくる。

トヨタの収入だけじゃヤバイのだ。


トヨタの休日は土日。毎週2連休ある。 休んでばかりだと金も使うし、

金を使うとますます手術代も減る。


「毎週土日は休みだし、1日くらいバイト入れてもいいだろう。」


そう思っていたらmixiから変な怪しいメッセージが来ていた。



「ホストやりませんか?」




「・・・またホストか。」




愛知県ともなると、駅前でホストのスカウトにあうのはそう珍しくないし、

私も過去に駅前で「ホストやりませんか?」って勧誘に会ったことがあった。


一度は勧誘を断ったものの、何かバイトしてお金稼がなきゃなって気持ちが高くなっていたので、

とりあえず話を聞くだけでもいいかなぁとは思い始めていた。



「どれくらい稼げますか?」


「実力次第ですが、やる気があれば稼げますよ!」


「オカマでも大丈夫ですか?」


「大丈夫です!」



そんなやりとりをmixiで取り合っていた。


とりあえず、一度面接に来ないか?と誘われたので休みの日に、

名古屋市栄にある「サンシャイン栄」でホスト店長と待ち合わせして

面接することにした。




これが私の水商売デビューだ。



面接して分かったんだが、水商売の面接ってのは、トヨタのそれと同じで、

面接というよりも仕事の説明をするだけで、あとは実際に働いてみなよ!

みたいなのが多い。 



水商売の世界に入るのはカンタンだ。 ただ続けること、結果を出すことが難しい


「実力あるヤツは稼げます!」と言われて始めたホストの仕事。

人見知りで、話下手で、コミュ症の私が実力なんてものがあるわけ無く、

最低保障給の日給3000円しか稼げない(苦笑)


トヨタからの交通費が往復1200円するので、実質8時間働いて日給1800円だ。

時給225円相当である。



ホストの世界、水商売の世界、華やかな世界、テレビでしか知らない世界。


そんな世界に身をおいて仕事をするのは給料を貰えなくても楽しかったが、

稼ぎに来たのにこれじゃ意味がないと思った。



何か新しいことをしなきゃ! と思って、髪の毛ツンツンで出勤したり、

ブラジャー付けて、メイクして出勤したこともあった。


そんな様子を見た店長がある日仕事終わりにこう言ったんだ


「みさき!お前男でホストやりたいのか、ニューハーフになりたいのかどっちだ!?」


当然の質問である。 ホストなのにブラジャー付けてメイクしてたら

そりゃオカマやったほうが正しい道であると思う。



私もホストよりはオカマやニューハーフとして仕事したかったのだが、

どうすればそんな仕事できるのかわからなかったんだ。



「本当はニューハーフとして仕事したいです・・・」



私は“借りてきたネコ“のような、おとなしさで答えた。


「じゃあ、明日ニューハーフクラブに面接してこい!絶対行けよ!!」


ホストとは、男らしさの世界。 男気の世界、義理人情の世界。


「ニューハーフとして行きたいなら、男らしくオカマやれよ!」

そういう世界なんだろうな。



私は「漢」を示すため、店長に言われたとおり翌日仕事が終わってから

ニューハーフクラブへ面接に行った。 


それが名古屋市錦3丁目にある、ニューハーフショークラブ「AQUA」だった。

面接は無事に合格し、「1日体験においで」と呼ばれた。




…さっきからの話で見えてくると思いますが、水商売のノリというか、

とにかく、仕事できるか否かは「実際に働いてるとこ見て判断する」

っていうやつですね。



1日体験は面接の2週間後だったと思う。



11月の頭だったかな。 その後は11月20日にトヨタの仕事が満了、

11月21日に豊胸手術を終えて、12月1日からニューハーフクラブ勤務という流れ


2008年は私にとって、人生を変える激変の一年だ。




【自分らしく生きる唯一の方法】

「自分らしさ」って何だろう?

それは“自分が好きなことを好きだと言うこと”だと私は思う。



【男性の同性愛者】

男なのに男が恋愛対象だなんて気持ち悪い、

変なヤツ、変態。 家族の縁を切られたいのか!

…でも、僕は男性が好きなんだ。



【プラモデルが好きな女子】

女子なのにプラモ? 変じゃない? 男趣味だねぇ 変わってるね。

…でも、私はプラモが好きなんだ。



【女性好きのMTF】

女になったのに女が好き?意味不明。 なら男のままでいいじゃん。

女になって女子トイレとか使ってるの? それで女好き? キモっ!

…別に変態行為したいワケじゃない。 純粋に女性が恋愛対象なだけ。



社会的に、「これはこうあるべきである」と言われていること。

それが“常識”というもので、それに従わない奴は、常識はずれだし

変人であり、時には変態扱いを受け、差別対象になり、場合によっては犯罪かも。


しかし、私は社会の多くの人たちとは違うかもしれないが、

好きなものは好きといいたい。 


男性に生まれたが、女性として生きていきたいし、

男性よりも女性の方が恋愛対象になりうるが、それでも男性に戻る気はない。



一般常識では意味不明な理解し難い行為かもしれないが、

それをあえてやり通す。



それが自分らしく生きることだと思う。


もちろん犯罪になることはしないほうがいいし、

自分の感情がどうしても抑えられず、犯罪レベルに達しそうなら、

別のことで折り合いをつけていくしかない。



反対する人、否定する人、共感しない人がいるのは当然で、

嫌がる人に無理強いをしてはいけない。

ただ、だからといって自分をねじ曲げる必要はない。


自分の好きなこと、やりたいこと、夢や目標を、今いる環境の中で、

どう実現していくか? どんな方法を見つけていくか?


それを考えるのが楽しいし、そのために行動していくことが

「自分らしく生きる」ことに繋がっていくのだ。




ロバート・B・チャルディーニの本で読んだことがあるけど、

人は「正しいこと」だから「正しいと思う」のではなく、

「大勢がそうだと思っていること」だから「正しい」と思うらしい。



今の日本の社会ではまだ「自分勝手な行動」は良いとはされない風潮がある。




個性よりも「社会性」が優先される社会が日本だ。

「出る杭は打たれる」社会と言えばわかりやすいかな。



人とは違うことをしている人間は「自分勝手」に見えるのだろう。

自分らしく、個性的な人は叩かれるのだ。


自分らしく生きるためには、「この攻撃」と戦う必要がある。

負けてしまっては、その他大勢の「叩かれて揃えられた杭」と同じになる



私は別に強い人間ではないが、「男で生きるは死ぬことと同義」と思っていたので、

叩かれること(男らしく生きろと強制されること)は、

死ねと強要されていることと等しかった。


人間は死と戦う力が一番強いと思う。


どんなに自分が悪いとわかっていても、「死ぬこと」だけは納得できないのだ。


死ぬくらいなら他人に迷惑かけてでも生きてやる。

死ぬくらいなら家族と縁を切ってでも生きてやる。



とても行き過ぎた考え方だと思うが、私はこう考えて生きてきた。


今振り返って考えると、そのせいで多くの人に迷惑かけたし、

人を悲しませたり、辛い気持ちにもさせたかもしれない。



そんな私だったけど、今でも付き合いのある人はいるし、


家族も見放さずにいてくれる。





また、昨今はインターネットやソーシャルメディアの影響で、

自分たちと同じような生き方をしている人、つまりニューハーフだが、

ニューハーフの人たちとも簡単に繋がれる時代になった。


それはニューハーフがテレビだけの世界ではなく、

一般の人にとって、より身近な存在になったということだ。



この勢いが加速していけば、ニューハーフなどのトランスセクシャルや

同性愛者に対する偏見や差別が徐々に少なくなっていくと思う。


また、私自身もYouTubeという巨大メディアを使って、

ニューハーフという生き方を広め、共感者も増えている。



私が初めてテレビで「ニューハーフ」という存在を知ってから20年。

時代は今、変わろうとしている。




つづく





著者:スザンヌみさき (本名:早田 直) 

女体化応援サイト:http://suzannumisaki.com/

ブログ: http://wwwxhigoxshxkumasyo.blog87.fc2.com/

メール: http://www.heihou.biz/form/2067/form.cgi


※2016年1月3日追記

あけましておめでとうございます。

おかげ様でこのストーリーが50,000PV突破したとのことで、JTORYS.JPの中でも「話題のストーリー」として取り上げていただけました。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

せっかくなので画像をちょっとダケ足して置きました。

ではまた



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