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おじいさんとの対話 12

  免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

Image by Olia Gozha

おじいさんとの対話 12

  免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

※ここまで切り口を変えて同じような内容を繰り返してきましたので、かなり洗脳が出来たかなと思います。そろそろ最終段階に入りたいですね。

himaari: よく医学では麻疹、チフス、赤痢を初め種々の伝染病に罹り全治すると免疫ができて、後は一生かからなくなるものがあるそうですが。その理由として、その種の感染症に対して抗体ができるといいますね。

おじいさん:その理由を言うと驚くだろうが、まずその前に病原菌と言われる細菌の働きはなんだと思うかね?

himaari:それはもちろん細菌が毒素を発生させて細胞を食い尽くすんでしょうね。

おじいさん:うんそうじゃな。免疫という意味を次の様に解釈しているのじゃろう。「白血球などがバイ菌やウイルスなどに対して食菌作用を起こす」という様にね。しかし、人間の病気というのは体の中を掃除するための浄化作用だといってあるじゃろうが。感染症といえども浄化作用の原理から離れるものじゃないのだよ。

himaari:浄化作用の原理と言うと、「体内にある汚物毒素を排除するために自然良能力が働く」ということでしたね。

おじいさん:そういうことじゃ。ただ少し違うのは体の働きだけで浄化作用を行わないというところじゃな。

himaari:でも、汚物毒素として排毒の対象になるのが細菌やウイルスということですね。

  細菌やウイルスは浄化に協力

おじいさん:そこが少しばかり違うんじゃな。細菌やウイルスが病原としての対象物ではなく、じつは浄化作用の協力者となることなんじゃ。細菌とウイルスは体内毒素と密接な関係になるんじゃがな。

himaari:え!協力者ですか!医学では病原となっていますよ。体にとって悪さをする敵じゃないのですか?

おじいさん:一見そう見えるものじゃからな。そう解釈されるのは無理もないんじゃが、じつは体の中の毒を早く掃除してくれる味方というものじゃな。

himaari:おどろきました。これも信じられない話ですが。

おじいさん:細菌は大きいから直接的に、ウイルスは小さいから情報拡散という間接的な働きじゃろうな。

himaari:ちょっと意味が分からないんですが。外から入ってくるウイルスや細菌を防ぐのが免疫という意味じゃないでしょうか?

おじいさん:そう、体内に原因があるというより外に原因があり、それに抵抗する働きを免疫力として医学は解釈すのるだろうそれは根本から見るといささか見当違いというもんじゃ。

himaari:もう少し詳しくお願いします。

おじいさん:その前に伝染病とか感染症と言われているものの正体を知らねばならんのじゃ。そもそも伝染病とは人間の血液中に存在する悪性養分を消滅させんが為のものである。

血液浄化のために自然がつくって用意してある恩恵なんじゃ。

himaari:え!病菌やウイルスが恩恵なんですか!?

おじいさん:そうじゃな、あらかじめそういう自然界の仕組みを作ってある中に吾ら人間が生息しているようなものじゃ。わしらの体内は常に汚染や毒素から守られるようにあらかじめ浄化装置としての働きが備わっているのは説明したが。

himaari:それと病原菌やウイルスがどうして毒素排泄の浄化作用とどう関係あるんですか?

おじいさん:もちろん大いに関係あるのじゃ。菌やウイルスが働くときは必ず体内の毒素と関連しているのじゃからな。そして、伝染病にかかる時は、最も急速に行われる浄化作用であって、これ程結構なものはないのだよ。

himaari:結構なものなんですか?

おじいさん:そう、濁血者は虚弱で病気もおこり易いから、ここに自然はその濁りを排除するために浄化作用がおこるのじゃが、面白い事には、その濁りを解消する作用として黴菌という微生虫が発生してその仕事をするのじゃ。

himaari:バイ菌がですか?病原じゃないのですか?

おじいさん:病原は体内の毒素、血液の濁りが真の病原じゃ。

himaari:感染症もやはり浄化作用として見るわけですね。そして細菌やウイルスなどに対して汚れた血液が病原としてあるわけですね。

おじいさん:そうじゃ、濁血をきれいに掃除する役目。細菌はもちろんその毒素を排泄する役割じゃ。分解して外に出すと言ってもよいかな。そこのところが重要ポイントだね。

で、まず黴菌が侵入するや伝染病が発生するものとしないものとあるだろう。

himaari:はい、それを「免疫力」とか「抵抗力」とか言うんでしょう。

おじいさん:そうだね。それは説明した如く体内にある毒素の多少によるのだ。しかし細菌に対しての抵抗力という意味としてもあるが、「必要とするかどうか」という意味も含まれている。

himaari:必要?体にとってですか?

おじいさん:そうじゃ、体の方が主体だからね。つまり血液がきれいな状態なら必要ないが、汚れた状態なら必要だということじゃね。

himaari:発想の転換というか、視点が全然ちがうというのか、解釈が医学とは反対なんですね。主導権を握っているのが人体の方だとは!

おじいさん:もちろん本人の表面上の意識ではないがね。身体の方の意識というか、身体の方で必要な状態ということが細菌を引き寄せたり、しかも発生させたりもする。

感染症に限らず病気発生者は毒分多有者である。というのは今日の人間は非常に血が濁っている。この原因はいつもいう通りむやみに薬を体内に入れるからで、薬は元々毒であってその毒が血液へ吸収されて濁血者となるのである。

himaari:現代では薬だけじゃないですよ。あらゆる毒性物質が食べ物や環境から入ってくるし。

おじいさん:うむ、君の時代になると多種多量の毒物があふれているようじゃな。

そこで、病原菌をバイ菌として説明してみよう。一度バイ菌が血液中に入り込むや、たちまち自己の食物である毒分を喰いつつ非常な速度をもって繁殖するのだね。

himaari:え、バイ菌の食べ物!細菌が毒素を食べるというのですか?

  バイ菌のエサとは?

おじいさん:そうだね。バイ菌にもえさがあるはずだろう。細菌と言っても生き物だからね。何かしら食べ物があるはずだ。微生物の分解作用と言ってもよいのじゃが。

himaari:そのえさとなるのが体内の毒素、つまり血液中の毒分というわけですね。

おじいさん:そうじゃ。血液ばかりじゃないだろうよ。細胞内にもぐり込んでいる溜まっているはずじゃ。それらを食うということは毒素を分解処理して早く外に排泄してくれるということになるね。

himaari:それって、どんどん繁殖して拡がるんですよね。細菌がどんどん身体の中で増殖して行くんでしょうか?

おじいさん:無限に繁殖を続けるのではないのじゃ。都合の好い事には一方では繁殖しつつ、他方では自己の役目だけ果たしたものは次々と死んで逝く。そして毒素排泄物と一緒に体外に排泄される。その様にしてある程度の毒分を喰い尽す事によって病気は治癒するという事じゃ。

himaari:ということは浄化作用そのものなんですね。ただ、普通の浄化作用とちがうのはそこに細菌やウイルスが関与しているかどうかの違いでしょうけど。でも結果として体内がきれいになるのは同じことなんですね。

おじいさん:そういう事じゃ。このようにして細菌は毒素を喰いつつ繁殖するのだが食べた後は次々に死んで行く。そして死んだ細菌はいろいろな形で体外へ排泄されることになる。発疹や膿や下痢、出血などいろんな形で毒素とともに排泄される。というわけじゃね、簡単に言えば。

himaari:感染症にかかると、かなり高熱になる事が多いようですが?

おじいさん:浄化作用で発症の際は固結した毒素では喰いがたいし排泄しにくいじゃろう。だから固まった毒素を液状化する必要があるのじゃ。このため体の働きによって毒素のある局部に熱を発生する。高熱ほど毒素溶解に効果あるのは言うまでもない。

himaari:なるほど、液体化すれば移動も容易だし、だいいち堅く固まった毒素じゃ分解処理が難しいですよね。医学の方でも、細菌やウイルスは高熱に弱いと言いますし。高熱は必要なんですね。

おじいさん:まあ、高熱で固結毒素を溶解すればあとは熱の必要がなくなるから自然に熱が下がるのじゃ。同時に微生物の役割も終わるという事じゃろうな。微生物たちが攻撃されるためというよりも、固結毒素が分解され液状化して排泄し易くなった為に「微生物の手助けが必要なくなる」からじゃろう。

himaari:人体と微生物が一体となっての浄化作用なので、高熱が出る時には必要なくなるという事と、高熱で微生物が死滅するのと同時的なんでしょうか。どちらの理由にしても固結毒素が溶解して外に排泄されれば、微生物たちも用無しになるという意味なのですね。

おじいさん:伝染病と呼ばれる病気の目的は、あくまでも体内の毒素の排泄作用ということじゃ。それが自然界の中で人体が微生物に助けられて行われる人体浄化作用だが。

その結果、毒分のない浄血者になる以上、再びその伝染病にかかる憂いがなくなる。

そして、バイ菌の食べる毒素にも種類があり、その毒素に対応した細菌がいるのじゃ。

himaari:なんと、毒素の種類に応じて掃除役の微生物の種類も異なるのですか。

地球上には、色々な種類の毒を分解してくれる細菌が存在しているそうですから、体の中でも同じような事になっているんですね。

おじいさん:微生物の方では毒素の分解に手助けしてやり、一方、人体の方では食いやすくするために、高熱を発して固結した毒素を溶解する。高熱は必要あってのことだから、氷で冷やしたりするのはせっかく溶けて移動しやすくなった毒素を再び固結させることになるからじゃ。

himaari:高熱を出すというのは人体の働きなんですね。それは細菌のせいというより自ら発生させているわけか。だから冷やしたり、解熱剤などで熱を無理矢理下げたりすると、どこかにまた固まってしまい具合が悪いということか。で、一生免疫というのはどういう意味なのでしょうか?

おじいさん:それは保有毒素の種類によってだね。風邪などは一生のうち何度もかかるだろうが、麻疹とか百日咳とか幼児期にかかるものは一生免疫となる。保有毒素が遺伝的古い毒素は決まったバイ菌が担当して掃除するという関係じゃな。

himaari:バイ菌にも好き嫌いがあるのですね。

  バイ菌と毒素の相性

おじいさん:好き嫌いと言うよりもその食する餌である毒素の担当が決まっているという意味じゃよ。バイ菌の餌とは毒素の事だからその種類によって異なるわけじゃ。しかも、最初はその餌から湧くのだから当然と言えば当然じゃが。もともとその毒素からそれを食する(分解する)性質を持った菌が発生するというのが自然界の姿じゃね。

himaari:それは不思議な関係ですね。体の中だけで無く自然界でも排水溝などの毒性のある汚染物質に対応した細菌が、その毒分を分解してくれるそうですね。この地球上では、ある種の毒が存在すれば、毒に対応した細菌が現れて分解してくれるというのですね。

おじいさん:まあ、この地上はそういう風に創られているんじゃから、微生物が地球を守っているようなものじゃな。したがって、体内で、バイ菌のえさになる毒分がなくなれば、再びその浄化は必要なくなる。それは抵抗力というよりも、もう細菌に喰われるエサが無くなるからじゃ。その種の毒素が無くなったので担当の細菌も働く場所がなくなったという事が免疫じゃ。

himaari:それでその種の感染菌が侵入しても発病しないということになるんですね。その菌の食べるえさが無ければ繁殖のしようもない。だから一生免疫となる。まあ、理屈として納得できますね。

おじいさん:君は「まあ、理屈だ」と言うけど、これは自然界の仕組みなんじゃから、現象が先で理屈はあとじゃよ。血液を汚せば微生物が発生して掃除してくれる。それで人体内を清浄化できるという仕組みがあるからこそ、人間は健康を維持できるのじゃな。

himaari:感染症の原因はウイルスやバイ菌などの微生物じゃ無くて、根本は血液の濁りか・・・そしてそれが細胞の汚れにもなるわけか・・そして血液の濁りとは毒素の事なんですね。

おじいさん:その毒素にも種類があって大別して遺伝的古い毒素と生後に入った比較的新しい毒素となる。

himaari:で、古い毒素はだいたい共通している性質なので決まった微生物が担当する。そして掃除してくれるから、あとは一生かからなくなる。こという事ですよね。

おじいさん:一度かかったら再びかかることが無くなるというのは、その種の毒素は古いもので、いわゆる遺伝毒素と呼んでいるが、幼少期にかかる類のものは共通しているね。若い内に古い毒素を掃除してきれいになっておけば、その後の生命活動が円滑に行く。だから幼少期にかかるのは自然の理なのじゃよ。それを嫌って予防接種など行うから、毒素は排泄しにくくなり、つまりその種の伝染病は逃れられるとしても、その先に行ってから浄化しなければならない。

himaari:そうか、かかる時期というのは自然なんですね。だから子供の頃にかかる麻疹とか、人間に共通している浄化作用なんですね。予防接種そのものが劇薬類の指定されているそうですから、その毒も加わって後から古い毒素と新しい毒素まで加えられて、かえって重度の浄化作用が待っているわけか。

おじいさん:感染症は保有毒素の有無とその種類によって症状が異なるから、いろいろな病名をつけるが、根本は同じなんじゃよ。毒素が古い、新しい、種類、量など違いはあっても、人間に共通しているのは「体内の毒素は浄化する働き」が常に働いているわけじゃ。

himaari:医学では非常に詳しく研究結果が出されているようですが、おじいさんの説は単純明快というか、あっさりし過ぎるような話ですね。

  膨大な医学研究より根本が解ればよい

おじいさん:微に入り細に入り研究してみても、この根本が分からなければただの学理で終わってしまうじゃろう。わしの説明はごく簡単だが、根本の土台をついているだろう。即ち黴菌は血液中の濁りの微粒子を喰いつつ繁殖するのであるから。つまり濁血の不純物こそ黴菌の食物になる訳で食菌作用ではなく食毒作用である。

himaari:医学では「食菌作用」で、おじいさんは「食毒作用」ですか。僕はここが一番理解できないところだったんです。バイ菌が免疫細胞などによって食われる事を免疫と思っていましたからね。ところが「バイ菌の方が食べる」とは。しかも毒素を食べるというのですから、まったく正反対の考えですよね。

おじいさん:わしの考えが医学の視点と正反対なのはよく分かっているよ。しかし、医学の方で伝染病の解決や治療が出来なくなってきた原因はそこにあるのじゃ。言ったように、まったく視点が逆だったからじゃ。おなじ自然現象なのにまったく解釈が違うとすれば、その対応策もまったく逆になる。自然界の法則と医学の対処方法が真逆になれば、結果として成績が悪くなるい。成績が悪いと言うことはその学理が間違っているからに過ぎない。

himaari:なるほど、たしかに現代医学は感染症部門では、だいぶ追い込まれてきていますね。相手が自然界の微生物として、その対応する薬剤が次々と微生物群に打ち負かされて来ています。病原菌に対しての薬剤がどんどん効かなくなってしまい、しかの院内感染とか言われ「病院内で強い薬剤耐性菌」が頻繁に発生しているとか聞きました。

  伝染病は自然の法則に適っている

おじいさん:それは単純な自然界の法則に過ぎない。毒が強まればそれを上回る微生物が発生するだけのことじゃ。永遠にそれは続くのだから、最後にはお手上げというわけじゃな。「きれいなものは育てる」が「汚いものは片づける」原則が微生物の役目だから仕方が無いね。

himaari:自然界は厳しいですね。だけど有り難いのかも知れません。人間の都合のようには行かないわけか。で、微生物が働いて毒素を食い、分解してくれるという事ですが。

医学では白血球の食菌作用とか言うようで、病原菌を退治してくれるのが白血球とかなんでしょうね。しかし、おじいさんの説によると「バイ菌の食毒作用であって、白血球に含まれている毒素を食べる」という事になりますね?細菌が体内の毒素を食べるのだから「菌の食毒作用」か・・・理解しにくいですねえ。

おじいさん:先ほど話しただろう。人体と微生物との共同で掃除をすると。人体の方では毒素を出来るだけ多く、しかも迅速に片付けたいわけじゃ。だから、当然手助けに来てくれた微生物に協力して働く。引っ越しに手伝いに来た若い衆にうんと働いて貰うためにどうするね?掃除のお手伝いならどうする?

himaari:そうですねえ。きっと荷物をいっぱい持って貰いたいから、どんどんその人たちに渡しますよ。掃除して貰うなら、その人にゴミをたくさん、どんどん渡して捨てて貰いますね。

おじいさん:伝染病は大掃除のようなものだから、お手伝いを頼んで早くゴミを始末してしまおうというものじゃ。免疫力がつくというのは、結果からみて医学は抵抗力発生の為と言うようだが、わしは「食べる毒素が無くなった」から免疫と言う。「汚いものにはウジがわく」というとおり、そこに汚いものがあればウジという虫が汚物を分解してくれるのと同様じゃ。体の中であっても細かい虫が汚物から湧いて食べてくれる。そして、食い尽くしたとき自ら死滅する。ウジ虫は汚物が無ければ死んでしまうじゃろうが?

himaari:そうか、バイ菌のえさが無ければ細菌感染しても繁殖できないし、浄化の必要がないわけですね。だから発症もしないというわけか。そのエサになるのがまさか体内の汚物、毒素とはおどろきましたね。医学の方で「白血球の食菌作用」というのは、「菌が毒を発生して細胞に害を与えるので、免疫機能が働き、白血球などの免疫細胞が出動して菌を囲んで殺してしまう」なのかな?それとはまったく逆の見方をするのですね。

おじいさん:ひとつの物事を見ても視点が違うから正反対に見えるのだろう。視点の違いとは「最初に思いがある」から起こるだろう?その「思い」とは、「微生物が病原である」だから、「病原菌を殺すのが免疫力」「体の中には病原は無い」・・ゆえに、病原菌をやっつけるのが免疫細胞の役割だということになるんじゃろうな。

himaari:なるほど、最初から「思い」というものがあって、それが同じ現象をみても異なって見えるという訳か。しかし、白血球などが菌に寄ってきて、その結果菌が死滅してゆくというのも事実なんでしょう?その辺がどうも納得できませんね。

  毒のあるところに菌が寄ってくる

おじいさん:確かに観察の結果は「菌のところに毒が寄って来る」のだろう。そして「菌は死滅してゆく」という観察も正しいだろう。事実はそうだろうが、その経過途中が不明なのじゃないか。つまり目的とする「考え方」があくまで、「体の中はきれいなのに、菌が悪さをする」という思いから来る視点の違いじゃよ。わしの方では「体の中に汚いもの(毒素)が含まれている」のを前提としている。

himaari:そうか、「体内は綺麗だ」と、「体内には汚いものがある」のちがいですか。「自分は絶対正しい」と「自分は幾分間違っている」のようなものかな。身体的なので的外れなのかもしれないけど、たしかに「外にある悪い奴が侵入してきて毒をまき散らす」かのように細菌類を悪玉にするから「バイ菌」と言われて嫌うんですね。

おじいさん:そうじゃ、完全無欠に自分の身体は綺麗だという思い込みから始まったのが病原外因説、それが昔は悪霊、今はバイ菌とかウイルスというわけじゃな。そこから、悪い菌が入ってきたので免疫細胞とやらが食い尽くしてくれる。それを免疫と呼んでいるのじゃろう。だが、食ってくれているのは実は細菌の方だったというのがわしの見方じゃ。

したがって、白血球に毒素が含まれている。いや、白血球が毒素を含んでバイ菌のところに運んでくれる。バイ菌はそれを食ってくれる。毒素が含まれている分は食べて繁殖すると同時に十分食った菌から順に死滅してゆく。それが分解毒素とともに体外に排泄されてゆく。

himaari:視点の違いというのは微妙ながらも、大きな食い違いになるものですね。どちらが食い違いをしているのかは僕には証明もできませんが。それにしても、おじいさんの話は単純ながら明快ですね。世界中の医学研究者が聞いたらびっくりするでしょう。いや、しないかな。相手にしないかも。

おじいさん:世界中の医学者たちははじめから「バイ菌は病原だ」とか「バイ菌が毒を持ってくる」という思いで研究を始めるのからだね。すると同じものを見ても正反対に見えてしまうものじゃ。

himaari:そうか、最初に思いがあるか。最初から「菌は悪だ」とか「病原だ」という思い込みがあるから、細菌がそこに居れば、すべてが身体に悪さをしているように見えるのでしょうね。それを、おじいさんの方では最初に「菌は味方として働く毒の掃除役」と思って見るから、まったく逆さに見えるのですね。それにしても、身体の方が菌の居る方に運んでくれることと、菌の方が寄ってくるのと、どちらにしても菌と毒素は密接不離な関係にあるのかな。

おじいさん:そうじゃな、そこには必ず毒素が繋がってくるじゃろう。ただ、違うのは、医学では菌が毒素を作り出して病気を引き起こすと言うが、わしはもともと体内にある毒素を掃除するのが菌だという話だね。毒素が無ければ浄化作用の為の菌の活動も出来なくなる。後は身体の中の常在菌と仲良く健康を維持していただくということじゃ。

himaari:細菌が浄化作用に味方しているという考え方では、たしかに「バイ菌イコール悪者」という扱いが出来なくなりますね。むしろ「味方としてのバイ菌」か。微生物と体との自然界の共生関係になるのですね。いつも健康時に働いている常在菌も毒素の掃除役の細菌にはその場を明け渡すのかな?

  菌が介入した方が浄化が迅速

おじいさん:微生物なしでも体の浄化装置(自然良能力)が備わって働いているから無菌でも掃除できるが、細菌の助けを借りると大掃除が早くできる。そして、何よりも伝染病にかかった後が大事じゃ。治癒すると病気以前より例外なく健康を増すに事じゃ。この理が徹底的に判ったとしたら伝染病は何ら恐れるものでなく、それどころか、むしろ喜んでいい訳なのじゃよ。

himaari:では「重い伝染病にかかった後、まえより健康になる」と言う事でしょうか。体内の汚物毒素が排泄された分だけ健康が増すということですね。でも世界中で多くの人が伝染病で死んでいますよ。

おじいさん: 逆療法など反自然的なことをしなければ、ほとんどは治癒するものなんじゃが、あまりにも毒素の多い場合、大掃除に体が耐えられないこともあるじゃろう。それは致し方の無いことじゃ。先天的毒素の多少と生後入れた毒素の質と量の関係も個人で異なるからね。しかも、伝染病は概ね急激な浄化作用が多いから、一気に毒素の掃除が行われる。すると体力の消耗も激しいから、一面有り難いが厳しいこともある。したがって重度の伝染病ほど自然に任せないと、逆療法を続けると体力が持たない場合がある。

himaari:自然に任せると言っても放置は出来ませんよ。やはり医療にかかって治さないと思うでしょうね。それが逆療法であろうがなかろうが、ただ自然に放っておくなど出来ませんね。

  医学は生命力と反生命力の綱引き

おじいさん:それは選択の自由じゃが、一方は生命力が掃除(浄化作用)をする、一方はそれを邪魔(浄化停止)をする。しかも治療には薬という毒物を使うから、毒の性質は生命力を奪うものだあから、この綱引きを繰り返しているとついには生命力がもたないだろうね。

himaari:そうか、伝染病が恐れられる理由は急激な浄化作用だから症状も厳しい形になるのですね。浄化作用が急激であるため、それを邪魔する事は強い浄化停止だから、かえって危ないということでしょうか。昔のことですが、世界中の多くの人が亡くなったというスペイン風邪は、今になって治療薬が疑われて来ましたが、それによると無治療のグループの方がずっと成績がよかったという事のようでしたね。

おじいさん:個人ごとに毒素の質と量が異なるとはいえ、なかには耐えられないほどの症状を呈して死に至る者も居るだろうが、ほとんどは逆療法、生命力と反生命力の綱引きが体力消耗を引き起こすから、ついには斃れるのじゃろう。

himaari:人類は伝染病をやたらに恐ろしがっているけど、じつはその治療に問題があったとは驚きました。自然に起こるのだから自然に任せる方法をとらないと、結果が悪いということか。伝染病が怖いのはそういう理由もあったのでしょうか。

おじいさん:しかし、伝染病(感染症)と言っても軽いものもある。その代表として感冒だろうね。人類共通であり、世界中どこに居ても誰でもかかる感染症だろう。これほどありがたいものは無いのだが、世人はまさか自分の体内のお掃除だとは思わないから、出来るだけ風邪を引かない事を良しとしているがね。わしから見ればこれほど愚かなことは無いじゃろう。なぜならば、浄化作用の中でも一番安心で軽く済むものの代表選手のようなものだからね。

himaari:今はインフルエンザといって風邪と異なるように言われていますよ。ウイルスの種類が違うといって、風邪とインフルエンザは違うと。

おじいさん:なんども言うが、そのような微生物は真の原因では無い、体の中の毒素である。学者は微生物発見が目に見えないウイルスまで発見したは良いのだが、すべてそれが病原だと思い込んだのじゃろう。細菌からウイルスにとね。外からやってくる病原というわけじゃ。ところがそれを呼び寄せるのは自分の体の中にある汚物毒素というのが少しも分かっていないのじゃ。

himaari:やはり最初の思い込みが出発点となっているので、病菌が病ウイルスに替わっただけの事なんでしょうね。でもウイルスは毒素を食べるほど大きくないのですよ。

食毒作用は出来ないですよね。

おじいさん:なあに、原理は同じ事じゃよ。体内にある毒素を掃除してやる手助けとしてね。血液が汚れて細胞内も当然汚れているわけじゃから、それは汚れた細胞を壊す手助けじゃろうが。

himaari:そういえばそうですね。ある特定の細胞とウイルスは関係すると言いますから、その関係とは「汚れた細胞」つまり「細胞内に毒素がある」という事でしょうか。

そして、その破壊するための目印をつけてやると自己免疫が働いて細胞を片付けるというような・・・・でも、医学では細胞が破壊されるのだからウイルスが悪いと見ますけどね。

おじいさん:最初の思い込み「病気は悪」という根本思想があらゆるものを偏見でみるようになるからじゃ。細菌もウイルスもそこに必要があって発生し、伝染するように見えるから、そこに起こった状態を近視眼的に解釈するんだね。だから、一時的に悪化作用に見えるから、極力止めようとする。が、それは逆効果になってしまうから、結果として伝染病は恐ろしいとなる。

人間は自分で自分を壊して恐ろしがっているようなものじゃ。本当は人間の体の中の汚物毒素を掃除してくれるというのがバイ菌の正体だったのじゃ。

himaari:それで、「病気は愛するもの」、「バイ菌よありがとう」と言われるのでしょうが、これが本当だとすればですが、医学は百八十度の転換が必要となりますね

おじいさん:これは頭で考えた理屈ではなく、自然をよく観察してみれば判明するはずだ。ゆえに伝染病者が悪化したり死亡するのは、右の理に反する療法を行われるためとみるべきであろう。まれには自然にしても体力が持たないひとも皆無じゃ無いだろうがね。

himaari:伝染病はけっこう急激な症状が多いわけだから、それに対して当然強力な対症療法が行なわれるのですね。医療では強い薬を用いたり、解熱させたりして浄化停止を行ないますからね。

おじいさん:その浄化は生命力が行うのだが、浄化停止は生命力を弱めることじゃからね。それは昔も今も変わらないやり方である。だが、いつまでも同じ様な効果がなくなりつつある。薬剤もより強力になり、それに対抗して細菌も強くなる。これをずっと繰り返して来たわけじゃが。

himaari:細菌と薬の果てしない闘いはシーソーゲームのようにいつまでも続くんでしょうね。

  浄化停止治療の限界

おじいさん:永遠には続かんだろう。いつかは限界が来るからね。それは体の中で行われるからじゃ。最後はついには薬剤が強力なる為、細菌よりも人体そのものが生命の危険にさらされる事になってお仕舞いじゃ。

himaari:問題は体内でその闘いが行われているということでしたね。菌を殺す薬剤はもともと毒でしょうから、その毒性が増せばバイ菌よりも先に体がやられてしまうというわけですね。それに菌の方はまるで不死身であるかのように、次々と強い菌が出てきていますし。医療現場での抗生物質の乱用で薬耐性菌を発生させ、今ではどんな薬でも効かないという超耐性菌が出現したそうですよ。

おじいさん:それが自然の法則だからね。生命力があれば育って守るように働き、汚れたものはきれいにして環境を整えてやる働き。それが微生物の存在理由とすれば、当たり前のことじゃ。自然界の掃除役としてのバイ菌の存在だから、掃除相手が強くなれば自動的にバイ菌も強くなるのが自然じゃな。

himaari:掃除相手というのは汚物毒素ですね。その原料となるのが薬剤とすれば、強くなればなるほど菌の方も強くなるのか。良く効く薬というのは強い毒性を持つ。だからそれを掃除する役目のバイ菌もより強力にならざるを得ないという事でしょうか。

おじいさん:バイ菌の存在理由がそれであり、薬毒をエサとすれば、薬の本質がそもそも毒なのだから防ぎようがない。これは理屈だけでは無い、実際にそうなるのだからね。

himaari:それにしても、なぜこんな急速に薬が効かないような耐性菌が出てくるんでしょうかねえ?

おじいさん:ようやくそれに気づいたかね。これはとても重要なことなのじゃ。いや、この事が分かってこそ医療と薬の関係が理解できるようになる。昔はよく効いた薬が近年になって急速に効かなくなってきたのもそこにあるのだね。というのは自然界の浄化作用の力が年々増してきたという証明となろう。

himaari:自然界の浄化作用の力ですか?どうしてその様な力が増して来るのですか?

  薬の効果と「夜昼転換」

おじいさん:これを一言にして言えば、この世界は見えない世界の事象から影響を受けているからだね。これを「霊界の夜昼転換」と名付けたのだが、それについては目に見えない世界の話だから追々と話して行こうか。

himaari:薬の効果が無くなる期間が短くなったのも、伝染病とか感染症と言われる病気が増えてきたという事もその「夜昼転換」という事象が関係しているのですか?ちょっとオカルトっぽい話ですね。

おじいさん:にんげんは理解できないものをすぐオカルトと言うが、科学がまだ未熟だからそこまで発見できないだけのことじゃ。分かりやすく説明するために夜と昼と名付けているが、簡単に言えば霊界の光が増えることなのじゃ。

himaari:霊界・・ですか・・霊界なんて言葉、宗教の世界ですよね。幽霊とか、なんかおどろおどろしいような。

おじいさん:君たちの時代では科学でもすでに存在を研究中だろう。物質の奥には非物質の世界が存在しているというのだ。

himaari:そうか、非物質の世界とかエネルギーの世界とか、波動の理論とか言い方は違いますけど、同じ世界を言っているんですね。

おじいさん:見えない世界の証明は別の機会にして、この見えない霊界の変化と人間の病気の関係を説明する。

光が増えると人体の霊体の曇りも消えて行くのだが、それが現実的に肉体に反映して浄化するのだ。

himaari:何か、怖いお話ですね。どんどん病気が増えるのですか?

おじいさん:いや、そうではない。光が増えるという事は本然の姿に戻れるという働きだからね。ちょうど、天空を覆っていた黒雲が光によって消滅して行く姿を想像してごらん。

himaari:黒雲が払われて消えて行くなら、暗がりから明るくなりますね。光いっぱい世界ですか。

おじいさん:そう、これこそ長い間人類が待ち望んでいた世界。それを昼の世界と名付けたわけだ。大自然界の大きな呼吸というか、リズムの変化、これを夜と昼とに分けて説明するのに適するだろう。今までは暗い夜の世界だったから、真実はよく見えなかった。だからいろんなマイナスな面をもっていてもそれを真実として見ていた時代。だから病気や争いなど暗い世界が続いていた。

himaari:それが昼の世界になると明るみに出されて真実がよく見えるという訳ですね。

おじいさん:そう、しかし夜の世界で通用したもので、昼の世界に通用しないものがたくさんある。それは光によって消されて行く。それでいろんな形で浄化して消えて行くのだよ。だから病気に限らずいろんな現象で出てくるのだが、それに対して夜の世界で通用した方法では無効だという訳だね。

himaari:そうですか、まだ良く理解出来ない内容ですが、それによると病気の場合では薬とかの浄化停止方法は効果が無効になって来るというのでしょうか。

おじいさん:そうじゃな。病気とは浄化作用の事だから、その浄化作用を止めるのが薬という名の毒というが、君の時代に合わせてどちらもエネルギーとして考えるとよいじゃろう。エネルギーを正と負にわけるとすれば、浄化力の方が正の生命力。薬などの浄化停止の方が負の生命エネルギーとしてみよう。人体内では浄化作用を起こす方が正のエネルギー。浄化停止の方が負のエネルギーとして。

himaari:それを昼と夜に例えたわけですね。病気に当てはめると浄化の力の方を昼のリズム。浄化停止の力の方を夜のリズムとしたわけですね。

おじいさん:ところが大自然界、つまり地球上に影響しているものにも正と負のエネルギーがあるとすれば、人体もそのリズムに支配される事じゃ。そのリズムが人体にも大きく影響している。浄化する力を溶ける昼のエネルギーとすれば、浄化停止、つまり固める夜のエネルギーだね。

himaari:それが有利に効くリズムがあったというわけですか。で毒の効果があった、薬がよく効いたという。

  夜のリズム=薬の固める方法が有利だったが昼のリズムでは不利

おじいさん:夜は固める方が有利な時期であったが、昼の時期になると溶かす方が有利になるという論じゃ。それを「昼(正)」と「夜(負)」に例えたわけじゃが、そのエネルギーの変化が起こると人体にも影響するから、「夜昼転換論」が治療方法にも転換が起こるということじゃ。それはまた別の時にでも詳しく話そう。

himaari:ちょっと理解しにくい話でしたね。それについてはまた詳しくお願いします。

おじいさん:結論だけ言えば今までは「夜」だったものが「昼」に替わるということじゃ。

すると、夜のエネルギーにあった薬(毒)の効能が弱まり、人体の浄化活動の方は強まる。

それが実際に病気と薬の関係がいままでとは逆転してくるというものじゃ。

himaari:そういうことですか。なかなか不思議な世界に入り込みそうですが、その「夜昼転換説」は後ほどということで。

おじいさん:いずれにしても、どう逆立ちしたても理屈から言っても薬は毒であり、事実として薬の効果とは浄化の一時停止方法であることには間違いない。あとは現実には薬の効果がなくなってくるか、本来の毒としての効果が現実に現れて来る事でしか理解できないじゃろうね。

himaari:「毒としての効果」とは薬の副作用のことですね。やはり、現実にそうなって来ないと分からないことですから、いまそんな話を聞いても納得できないですよ。

おじいさん:そりゃそうじゃな。わしがそれを知り、言い出したのは約80年以上も前のこと。それだけ年月が過ぎ去った今でも、わしの話は信じられないのには当然の理由がある。

himaari:それは無理ないと思いますよ。だってその間、薬はよく効いてきたからでしょうね。近年になって少しばかり薬害は理解されだしたけど、そんなのはまだ少しだけでしょう。それに、みんなが医学を信じてきたし、それだけの効果があったのだと思いますよ。

おじいさんの話はかなりぶっ飛んでいますから、理解される様になるのは実際にそうなった場合にでしょうね。

おじいさん:それは承知しているが、起こってからなら誰でも分かることじゃ。わしはそんな事が起こる前に話をしておいたのじゃ。

himaari:真実かどうか証明できないとなると、話だけは聞いておくという立場になりますね。でも、その夜昼転換という話がもしも現実となれば、実際に起こってくるわけですから説明も要らなくなりますね。

 是非の判定は「時」がしてくれる

おじいさん:そういうことじゃ。理屈だけでは人はなかなか納得できないであろうから、わしは時を待てば良いとだけ言っておこう。そういう時代になったら耳を傾けるひとも多いだろうと思うから、君たちに託しておこう。

himaari:そんな時代がもしも来たら混乱するでしょうねえ。少しずつでも理解されるようにおじいさんの話は伝えて行きますよ。どちらにしても変わらないのは、薬は毒だということと、病気とは浄化作用だということですね。それはもう僕も確信できました。

おじいさん:そうかね。あとは君たちの世代にお任せするだけじゃ。よろしく頼むよ。

himaari:あ、まだ聞きたいことがあるのでまたよろしくお願いいたします。

というところで時間が切れて対話が終わってしまいました。もっと夜昼転換論について説明をしてもらいたかったのですが。「いつかそのうち」またお伺いしたいと思います。

 この特別付録版として、「番外編:白血球と細菌の関係」を別の記事にします。

おじいさんとの対話 13 

 麻疹と日本脳炎 &医学の進歩とは

いま日本では予防接種が盛んに勧められているのですが、反面、その有害性もインターネット上では取りざたされる様になりました。その関連として一部の感染症を例に出してお尋ねしました。

himaari:ええと、先回は感染症の予防対策と病原の正体についてでしたね。その例として、誰でも幼少時にかかるという麻疹を持ってきました。ですが、今は予防接種のお陰のせいでしょうか、あまり心配しなくとも良い時代になったようですよ。

予防接種は二重の誤り

おじいさん:それはおかしい理屈になるな。なぜなら、麻疹そのものが悪いという思想が「予防」という間違った手段を産みだしているからだ。予防接種そのものも毒性があるのだから二重の誤りをおかしているのじゃ。

himaari:え? 麻疹にかかるのが悪くないんですか?

おじいさん:君はいつも何を聞いているじゃね?わしが何度も言っているように、人間にとって病気が悪だという思想そのものが勘違いしたわけじゃが、人間の体内に病気の素がなければ麻疹にもかかる必要ないし、あらゆる病気も必要なくなるという意味だからね。

himaari:そうでしたね、病気の元は自分のうちにあるという話でしたね。

おじいさん:ほとんどの人が産まれながらにして然毒を保有しているという事は何度も繰り返したじゃろう。幼児期の病気というものにはその古い毒素を早い内に浄化してしまうというわけじゃ。それで子供の時にかかる浄化作用が起こるわけじゃ。そのひとつとして麻疹という形で毒の解消をするのだね。

himaari:そうなのですか。麻疹も毒素の浄化という必要性があって発病するのですね。これはほとんどの子供がかかりますけど、同じような毒があるのでしょうか?しかし、医学の方ではウイルスが原因だといわれますが。

おじいさん:人間は産まれながらにして遺伝的毒素を持っているのじゃな。それに対して人体の方では古い毒素を幼児期に出して健康を維持しようとする。これが自然の働きじゃ。医学では病原がウイルスとか言っているのだろうが、枝葉末節的なことじゃ。いつも言うが、ウイルスやばい菌(細菌)は結果でしか無いわけじゃ。本当の原因は体内の毒素だからね。その毒素が血液の汚れの素となり、細胞が汚れ機能に障害を与える事になる。だから、身体の方ではそれを排除しようとして排毒作用が起こる。それが浄化作用という。

himaari:そう言われてみると、ウイルスが体内に存在しているのに発病しない人も居るし、感染しない人も居る理由か。ウイルスが存在しなくても感染症と同じような病気症状もあるようですね。周りに細菌感染している人の中に居ても感染しない人が居るという事は、ウイルスが必ずしも直接の原因ではないのかも。

病原菌論は発見即病原にした勘違いから始まった

おじいさん:医学では最初に病巣に細菌などの発見をしたため、すべての病気の原因としてしまったんじゃろう。最初は細菌、その後もっと微細なウイルスの発見でそう思い込んでしまったのじゃろう。そこに発見したからというだけで、それが病原としたのは早計であったが、一度思い込んでしまったのが今でも続いているのじゃな。

himaari:早とちりですか? でも無理ないですよね、実際そこに居るんじゃ。まあ、そこに居たから即「犯人」としてしまうのもおっちょこちょいですね。そうは言っても麻疹で生命が危ぶまれる事も事実でしょうし、これはどういう事でしょうか?

おじいさん:実は麻疹についても医学の方では本当の事はまだ判っていないからじゃろう。症状に対して悪いことに「氷冷」を用いている。氷冷の結果、麻疹が出そこなってしまうからね。外に出ようとしていた麻疹の毒が再び押込められてしまい、身体内部の各機能部に集中する。そのため麻疹によくある余病とされる、肺炎や中耳炎もその為である。

himaari:そうでしょうか。麻疹の場合、よく高熱が出るから冷やすのでしょうね。それが一番悪いというんですね。外に毒素が出ようとしている時に冷やすと内に押し込められるのですね?

おじいさん:昔から「麻疹は風に当ると悪い」と言われているじゃろうが。それは「風に当ると冷えるから発疹が出そこなう」意味じゃね。何しろ麻疹は一種の皮膚病であるから軽い病気である。故に麻疹にかかったらただ寝かしておくだけで、冷す事をしなければ簡単に治るものなんじゃ。それを医療は逆療法を行う結果、毒素排泄が停止されてしまい、内に引っ込むというわけじゃ。

himaari:本当は麻疹は軽い病気なんですか。でも重症化する場合もある。自然に任せておけば良いのでしょうね。そういえば、昔の人は麻疹に罹った子供の家に、自分の子供を連れて行きわざわざ感染させようとしたという話がありますね。

おじいさん:その事を古くからの経験で知っていたのじゃろう。早いうちに麻疹にかからせた方が軽くて済むという事をね。どうせかかるものなら早い内の方が経過が良いという事じゃ。

himaari:昔は病院など殆どの人は無縁でしたからね。ほとんどの家では、自然に任せていたんでしょうね。それが医療制度の進歩によって誰もが病院に行けるようになった。そこで医療を受けると麻疹も浄化停止方法をされるわけか。自然に任せるなどと言うやり方は時代遅れにされて。

おじいさん:人体に「時代遅れ」などというものは無い。自然の姿に古い新しいの様な規則があるかね。

himaari:けれども、重症化する場合もありそうですし、現代ではやはり麻疹にかからせるというのは親としてはどうしても心配ですし。結局いまは予防接種でかからないようにしているわけでしょうね。

おじいさん:それは医学では本当の理由が分かっていないからじゃ。医学では徹底して毒素を出さないようにしている対症療法だからね。しかし、子供の頃に出しておかないと、真の健康体では無いまま成人にさせるようなものじゃ。

himaari:溜め込んているのが毒素じゃねえ。お金なら良いんですけど。

おじいさん:お金も溜め込まないで回さなければならないよ。麻疹の毒素は残るわけじゃから、いずれはその毒素は何らかの浄化作用で排除されなければならない。それが大人になってからかかるか、また別の病気として浄化することになるがね。

himaari:むずかしい問題ですね。病気は嫌だけどそれをしないといつか病気が待っているというのも。

おじいさん:また、重症化するというのもまれにはあるだろうが、それは、冷やしたり、解熱剤を含ませたり、自然に反発するからだね。そこでもうひとつ知っておくべき事は肺炎であるが、これは肺疱に麻疹(発疹)が出来るのであって、そのため肺臓内の容積がそれだけ減る。したがって空気の吸収量も減るから呼吸がひんぱんになる原因じゃ。

himaari:そうか、出そこなった毒素が今度は肺に出ようとするわけか。

おじいさん:重い軽いの差じゃが、それも人によって毒素の量や浄化力も異なるから症状の違いはあるだろうが、根本は同じ古い毒素の浄化作用に変わりは無いのじゃ。

himaari:それだとまた不安ですね。もし重くなったらという心配が出てきますし。

重度化するのは反自然療法だから

おじいさん:反自然療法にするから重度化する事が多いのじゃ。しかし、これは自然療法なら一日か二日で治るものなんだがね。中耳炎や結膜炎などだが、これは麻疹の毒がそこから出ようとする為で放任しておいても必ず治るものなのだよ。

himaari: そうですか。結局は麻疹も体内の浄化作用の一種であって、遺伝的毒素を発疹によって身体の外に出そうとするんですね。そうでなければ納得できませんし。だって子供の頃に共通して発症するのですし、それに子供頃にそんな毒素を入れる期間が無いわけですものね。でも、これは「体内毒素が病気の原因だ」とするおじいさんの説が本当だとすればですが。そうなると高熱を冷やすという事はかえって重度化してしまうんですね。

おじいさん:医学ではすべての症状を悪化作用と誤解しているからじゃ。氷冷、解熱剤使用などで高熱を停止しようとするのだが、それではいったん溶解した毒素を再び固めようとするからじゃ。しかも、それは単に一時引っ込めただけない。いずれは再発か何か別の浄化(病気)で排毒しなければならなくなる。

himaari:再発か別の病気ですか?

おじいさん:たとえ一時的に停止方法がうまく効いたとしても、成人後には再浄化する者もあるじゃろう。幼児期に使った治療薬が余計に加わっているから重病になりやすい。

himaari:まさか「麻疹が毒素の排泄作用」だったとは誰も教えてくれませんからね。「ウイルス原因説」で教え込まれて来ましたから。

おじいさん:病原が微生物だという説が医学の主流になっているとしたら、それを真実としてあらゆる場で教育されるからじゃ。

himaari:医学のトップである医学研究者がそう信じているんですから、一般人などは絶対真理だと思い込みますよ。自然に任せることが最良だとするおじいさんの説ですが、それでもなかなか安心できないのですが、どうしたら良いのでしょうか?

自由選択の権利と責任

おじいさん:もちろん、医学の説も私の説もどちらも良く検討することだね。わしから君たちに強制するつもりは無いのじゃよ。最後は自分自身で決断するしかないのね。それが人間が自由を与えられているものだから、自分の選択というものだ。ただし結果も自己責任となるけどね。

himaari:でも難しいですね、その選択というものは。僕は誰か権威ある人から「これが正しいのだから、そうしなさい」と指示して貰いたいものです。「自分で選びなさい」と言われてもね。

おじいさん:君自身が選んで決める事が一番大切なのじゃよ。

himaari:医学とおじいさんの話はまったく正反対に聞こえますから、やっぱり選ぶのは考え物ですよ。どっちが正しくてどっちが間違っているかの判断を僕のような素人が出来ませんよ。

おじいさん:わしはもちろんわしの考えでは正しいと思って話しているが、反対の説も同じように思って言う訳じゃね。

himaari:さてどうしようか、どちらが正しいのだろうか?本当に迷うところですね。うーーん、どちらが真実なのか。それを他の人に聞いてもだめだとすると。うーむ。

読者自身で取捨選択をよろしく。麻疹についてはまだ結論に迷うところですが、次に小児がかかるとされている日本脳炎です。

日本脳炎

おじいさん:そうだね、近来医学においては、日本脳炎の原因は蚊の媒介としているようだが、わしの方ではこれは全然誤りとみている。それについて、わしの研究を発表してみようかね。

himaari:おじいさんは何でも医学の方に誤りがあるとするんですね。まあ、お話を聞くのは大切なんで一応聞くだけ聞きますね。反対の説を参考にしたいと思います。

おじいさん:わしの時代、つまり半世紀も前の話だが、日本脳炎の患者が子供に多かった。統計によれば六歳から十歳くらいまでが最も多いとされているようだが。また季節は晩春から初秋にかけて最も多いという事を考慮しなければならないね。ところが医学においては、ちょうど蚊の発生と共に最も活躍する時機であるから蚊の媒介としたのも無理はないのだね。また蚊を多数つぶしてそれをハツカネズミに注射し脳炎が発生したという研究結果もあり、そう思い込んだのであろう。

himaari:なるほど、そういう研究結果が出されていたのですね。医学では蚊を媒介としてウイルスが人に感染するというのでしょうか。しかも子供が多いというのも不思議ですね。

おじいさん:近来、医学はほとんど病巣などから細菌やウイルスなどの微生物を発見する事となった。ゆえに微生物が主原因だと思うのも無理はない。それは主たる原因では無いという話してある。もうひとつの勘違いは動物実験じゃ。動物の実験結果がそのまま人間に当てはまると信じている事じゃ。

himaari:はい、近代医学はまず動物実験で効果と安全性を確かめて医薬品を作るのが常識でしょうね。だから、病気の原因なども動物実験で確かめているんでしょうね。薬を造るのもそうだし。

おじいさん:しかし、わしの解釈では全く異る。というのは、動物と人間とは同一でない事はもちろんじゃが、むしろ人間と獣類(動物)とは反対の方が多いとさえ思える。動物実験などの結果を人間に当てはめて見ても見当違い多いことにもなる。

himaari:そういえば、最近は医学者でも同じような事を言う人が出てきましたね。動物実験は全然医学上有効では無いという。

動物実験は当てにならない

おじいさん:動物実験を柱としていくら研究してみても人間に当てはまるのはごく希だとすれば、土台からして間違っている事になるじゃろう。それを後生大事に科学的をするのは既に非科学じゃないのかね。

himaari:それもそうですね。無効な実験だったとしたら意味ないですね。現代西洋医学では何はともあれ、まずは動物実験が必要だとされていますね。そうでなければいきなり人間に適用されることは危険が伴いますから。たとえば、ウイルスや細菌の培養を生身の人間で行うわけにはいかないでしょう?試験薬にしても、試行錯誤を繰り返すに、死んでもかまわない動物でなければまずいですしね。

おじいさん:動物実験の是非については別にして、「日本脳炎が蚊を媒体にするウイルス感染」であろうがなかろうが、逆療法さえ行わなければ怖いものでもない。これからそれを説明してみよう。

himaari:いつもおじいさんのお話では「逆療法を行わなければ」という言葉が出てきますね。それでは「放って置く」ことになりますよね。医学的治療を逆療法と言うのでしたら、本当の治療は「何もしないで放っておく」という意味になりますけど。

浄化を邪魔するのが医療

おじいさん:当然、治癒の柱は自分の自然良能力が行っている浄化作用じゃからね。それを「邪魔する医療」だとしたら、「逆療法」となるね。しかし、「浄化作用を応援する療法」であったら、取り入れればよいわけじゃ。

himaari:なるほど、浄化作用の邪魔をしないという事は医学的治療を指しているわけか。

しかし「何もしない」ということが僕にとっては一番怖いことになります。病気というのは不安なんですよ。反対にお医者さん方では「治療もしないで放っておくと大変な事になりますよ!」と言いますし。

おじいさん:先ほどそれを選ぶのは君だと言ったじゃろうが。しかし、わしの言う「放っておく」というのは「何もしない」のではない。それは元々、人体内に備わっている「内なる医師が治療をする」ことじゃ。その内なる医師が「自然良能力」じゃ。それを邪魔するから「内なる医師に逆らう逆療法」と言うだけの事じゃ。

himaari:理屈は分かっていてもいざとなるとやっぱり不安ですよ。放っておくというのはどうも出来ませんから。

おじいさん:しかし病気そのものよりも「放っておく事が大変悪いことだ」という一種の脅しになってしまうのじゃろう。人間はその不安感が健康に対して馬鹿にならないからね。

himaari:そうですよ。「放っておくと言うことは悪くなる一方だ」と皆誰もが思っています。特にお医者さんという専門家が思っているのですから、言われれば信じてしまい怖くなるのは当たり前ですね。

おじいさん:「放っておくと重くなる一方」と「死んでしまう」という思いが強くなるのは当然じゃね。なかにはそういう人も居るからじゃ。

himaari:「放っておいたら死んでしまった」事がいくつかあればそう思いますね。でも、全部がそうでも無いんだけど、少しでもそういう例があるわけですから。

おじいさん:どちらが有利であるかは、君たちが研究して結果を得ることじゃな。わしが決める事では無い、ただわしの意見として話しておくだけじゃよ。

himaari:そうですね、医療の方でも結果が出ているわけですし。でも、その医療ではない方の結果が非常に少ないというのは、比較できませんね。

おじいさん:それは君たち人類がこれからやれば良い。最後は結果が良いか悪いかで判断する事になる。わしは自然良能力の方が上だと考えているが、医学では自然治癒力という言葉が無いに等しいじゃろから、放っておくのは悪だとするのじゃろう。

himaari:放っておくのは悪だと言うのは一般人の方が強いかも知れませんね。もし薬を拒否したりするととんでもない人間に見られたりしますよ、今でも。

おじいさん: その不安が出発点となってありとあらゆる浄化停止の医療が行われるのはわかったじゃろう。医学の基本的な考え方はそこにある。「病気は悪化作用」と「自然良能力が無い」とする二つの主因から、「薬信仰」が産まれたのじゃろう。

himaari:「薬を飲まなければ治らない」というのが始まりで「薬信仰」が出来たのでしょうが、まさか「薬が毒であるから、病気を造る」などとはとても思えない。しかも「症状停止」という効果があるからなおさらの信頼してしまったわけか。

薬信仰は世界人類共通

おじいさん:それが長い期間だったからね、「薬信仰」が完全に人類共通の常識になってしまったのじゃ。もちろん医学的治療は善意で行われる。それがことごとく「逆療法」だったとしたら、動機が善意であっても結果としては悪い。「善意の悪行」になりかねない。その方がむしろ怖いと思わないかね。

himaari:そうか、「善意でやっている」からですね。良くしようと思ってやるのが、勘違いしているから結果が悪いのか。でも逆結果を生み出しているとしたら大変な間違いですよ。誰もそれに気がつかないとすると悲劇ですね。

善意の悲劇

おじいさん:善意の悲劇という事になる。しかも世界中ほとんどの人間が信じているとしたら大悲劇じゃね。

himaari:おじいさんの時代もそうだったのでしょうが、今でもほとんど同じですね。さて、どちらの話が本当なんだろう? また迷うところですね。

おじいさん:大いに疑問を持つ事じゃ、どちらもね。わしの説を採ると現代医療は根本から出だしから勘違いして成り立ったのだから、いずれは大きな壁にぶち当たる。

himaari:もしも医学が大きな間違いで成り立っているとしたら、確かにそういう事になりますね。反対に大きな壁などに当たることも無く、順調に進歩して行くのならおじいさんの話はすっ飛んでしまいますね。

おじいさん:そういう事じゃ。医学が進歩して病気が段々軽く少なくなるのが結果として出るからね。わしの言うことは医学の基本中の基本が勘違い、間違いであると言っているのは分かるじゃろう。 だからこそ病気の原因と原理の解明が非常に大切なのじゃ。

原因も原理も知らないでむやみやたらに「かずうてば当たる式」の治療を行っていたんだが、身がいくつあっても足りないじゃろうが。

himaari:おじいさんの説を聞くとそうとも思え来ますね。病気になれば藁をもつかむ心境になりますから、一生懸命治療するわけです。それがもしも間違った逆療法だったとしたら。

おじいさん:医学では対症療法だから何でも症状を停止できるならそれで良しとする考えじゃ。その治療が適切かどうかなどは二の次で先ずは症状を緩和することが先になる。しかもその治療に毒成分であるものを薬として用いるのだからね。ほとんどの病気を外から入ってくるものを病原とするから、病原をやっつける、叩くというやり方じゃ。しかし、それは真の原因では無いと話したね。

himaari: 病気の原因も分からずにどうして治せると思うのでしょうね?だからほとんどの病気の原因を細菌やウイルスのせいにしてしまうんでしょうか?分からないにしても何とか原因らしきものに出来ますからね。

おじいさん:真の原因とは人体内の毒素、これはどんな人であっても必ず先天性及び後天性毒素を多少なりとも保有している。

himaari:生まれながらにして親から受け継いだ毒素を先天性毒素と言いましたね。で、生まれてから取り入れた毒素を後天性毒素と言いましたね。

おじいさん:その毒素とは凝縮固結している場合は血流を障害したり、凝りの原因ともなる。これが溶けて出る状態は毒血とか膿ということになる。

himaari:それが皮膚の発疹とか下痢とか出血とかになるんですね。

おじいさん:毒素は不断の浄化作用によって身体局部に集められるが、主に神経をよく使う箇所が多い。それが凝りとか多いとそこが機能障害を起こす。

himaari:全体に毒素が回らないようにしているんですね。でも多く集まると、その部分が機能障害になると。

刺激のあるところに集まる毒素

おじいさん:ところが人体が何らかの刺戟を受けた場合、毒素は必ずその部に集注するのだね。これを判り易くいえば彼の灸点だろう。灸をすえるとたちまちその部が紅脹をし、はなはだしいのは化膿さえする。また肉体を殴打、または器物などが当たった衝撃などで、必ずその部が紅脹するだろう。

himaari:なるほど、刺激するところにも集まるんですか。打撃するとタンコブになったり、そこが黒くなったりしますね。火傷(やけど)で火ぶくれになったり、ホッカイロなどでも長時間当てていると低温やけどになるそうですが。

おじいさん:なんだね、そのホッカイロと言うのは?とにかく今話したように、そこに毒素が集中するからである。この理をおし進めてみる時日本脳炎の原因は容易に判るはずだがね。

himaari:やっと日本脳炎の原因に入りましたね。と言うことは、何かの刺激で頭に集まるのかな?

おじいさん:そういう事じゃ。刺激したその部に毒素が集中してくるので赤く腫れたり、膿になったりする。

himaari:打撲するとあまりきれいな血液でなく、どす黒い血が集まりますね。皮膚の下が黒ずんで見えますよ。でも、それと日本脳炎に関係はあるのでしょうか?別に頭を殴られたりするからでもないのに。

おじいさん:君は剣道でよく頭を殴られていた様じゃが。しかし、日本脳炎での刺激とは打撲などではない。子供はほとんど帽子をかぶらずに炎天下で遊ぶことが多いだろう。特に六歳から十歳位までは右の傾向が多い。そのために頭脳が太陽によって熱することになる。

himaari:僕の頭の刺激は今でも影響しているようで、あの頃は貧乏クラブなので古い防具の綿が抜けていて薄かったんで・・・・あ、そういう事じゃ無くて。僕も昔はよく炎天下で遊ぶこともありましたね。

おじいさん:それが、ちょうと灸をすえると同様の効果になる。その場合、人体の背部一円にある毒素が頭脳へ向って集注運動をおこすことになる。

himaari:脳天にな灸をすえるようなものかな。運動もしているから体の中で毒素の浄化作用も起こり易いのもあるだろうし。運動するとよく浄化すると言いましたよね。血の巡りも良いので毒素も移動し易いのでしょうか。体液中の毒素はその熱く刺激された頭脳へ向かって集溜して行くんですね。

おじいさん:その何よりの証拠は、発病と同時に両側延髄附近は棒のごとく硬化し高熱が伴う。これは毒素が頭脳を目がけて進行し、一歩事前に一時的集溜することになる。次に毒素は小脳に向って侵入運動を起すや睡眠状態におちいる。つまり脳の麻痺状態を起こすのじゃ。

himaari:それは大変だ。毒素進入によって脳が麻痺させられてしまうとはね。そんなに子どもの頃から毒素があるとは思えませんでした。

おじいさん:しかしここに大きな問題が出てくるのは先ほど話したように、医療は必ず氷冷を施すからこの氷冷の作用で毒素は固まってしまう。言い換えると、「自然に出すべきものを出さないようにする。」さらに言えば「治るべきものを治さないようにする」のじゃ。

himaari:え、治るべきものを治さないようにするって?でも、冷やさないで放っておくとしたら、その毒素はどうなるんですか?

おじいさん:この場合吾等の○○をするや、毒素は小脳から頭脳を通過し、両眼及び鼻穴から排泄し始めるのをみても明らかだ。そして重症程それが多量である。普通二、三日で出尽しそれと共に快癒する。実に簡単である。先ず一週間以内で例外なく全治するのである。その結果発病以前より頭脳明晰となり、学童などは必ず成績可良となる。右は一点の誇張もなく事実ありのままの経路である。

himaari:それはおじいさんの最盛期というか、その療法がかなり効いていた時代の話でしょう?いまそれを言われても同等のものがあるのかも分かりませんし、おじいさんの誇るその○○療法を抜きにして解説していただきたいのです。病気解明から少し離れますので。

おじいさん:そうじゃな。この療法が無くても説明は出来るが、そうなると放置療法となってしまうがそれでも解説は出来る。しっかりと浄化作用の原理をつかんでしまえば、後はそれに合った方法を採れば良いだけじゃろう。

「血液中の毒素はいったんは熱で刺激された頭脳に一時滞留するが、氷冷などの逆療法を行わなければ、自然に脳を通り、目や鼻から排泄されてゆく。ところが、医学においては病後頭脳が悪くなり、軽度の痴呆症状や手足の障害等、種々の禍根を残すのでおそれられるのである。」

himaari:ただ自然にしていた方が毒素は脳を通って下降するというわけですか。それを冷やすからそこで止まって固まってしまうという。すると脳性麻痺という症状が固定してしまうのかな。冷やすということがそれだけ悪い結果になるとは思いもしませんね。高熱は冷やすというのは昔からの常識ですね。しかし、高熱を冷やさないというのはとても勇気が要りますね。だって放っておくとそれこそ脳性麻痺という事になりかねません。

高熱を冷やすとかえって危険

おじいさん:結果は逆なんじゃが、高熱を恐れるあまり出るべき毒素を頭の箇所で固めてしまう。自然作用は時間がかかっても毒素排除を続けるのだが、それを止めたらその箇所で固まるから障害が起こるわけじゃ。ただ、自然放置では時間がかかるという事は不安が増す事になる。その心配を取り去るためには速やかに治るのが先決じゃ。そのため先ほどの療法を出したのだが、それが無くても然良能力に逆らわない方法ならそれにこだわる必要も無い。

himaari:時間がかかるとやはり心配ですからね。早急に手当てしようとするのが普通でしょうね。まさか逆療法だとは考えもしないでしょう。

おじいさん:冷やした後の結果が悪いというのは、前述のごとく自然に排泄されるべく毒素が小脳を通過せんとするや、氷冷で固めてしまうからだ。そこで固結した毒素は頭脳活動の障害となるからじゃ。こうして日本脳炎は恐ろしい病気だと認識されてしまったのだろう。医学という善意の行為が実は自然の摂理に逆らうという結果じゃ。この事は日本脳炎ばかりではないのだが。

himaari:専門的な複雑な知識などよりも、まずはこの自然浄化作用という原則が理解できないと駄目ですね。不安や恐怖心が先に来て、やることが逆療法になってしまうと結果が悪い。だから怖い病気と思い込んでしまうのかな。

おじいさん:これは医学関係者だけの責任にすることはできないのじゃ。「医学」という学問知識であり、「医療」とは「学問や学説」に基づいて行う「治療行為」だからね。その「学問」を作り上げたのは今までの人類の積み重ねて来た共同作業の様なものじゃ。先ず「病気は悪化作用」という思い込みがあり、その治療方法に「薬」という「毒」を用いた事から始まったのじゃ。

himaari:なるほど、今の医学は人類全体で創りあげたのか。みんなの信頼で成り立っているわけで皆がこれを信じている。だけど最初に勘違いしてしまったのか。その積み重ねが医学とすると、勘違いの医学ですか。

症状緩和が治癒では無い

おじいさん:「薬」という「毒」で一時的にも「症状停止が出来た」というのが視点を誤らせた。つまり「症状緩和の方法が病気を治している」という錯覚じゃな。症状は付属的なもので、病源は体内毒素、体液の汚れ血液の濁りだから、その浄化作用を悪く取った事じゃ。目的駅の方角を逆に進んでしまった列車のようなものじゃ。

himaari:なるほどね。医学の目的駅とは「人類の健康」という「幸福駅」だとすると、線路の方向を間違えたばかりに、駅から反対方向に離れて行ってしまうのか。それが近代になってから、物質科学の進歩に合わせてスピード・アップしてしまった。ところが逆方向なのだから進めば進むほど目的駅とは違う様に見えてきたのでしょうか。それが癌等の重い病気が増え、薬剤耐性菌の出現等、幸福駅どころか反対方向が見え始めて来たわけですね。

おじいさん:医学の走っている方向は、進めば進むほど目的駅とは反対方向じゃから、「医学が進歩する」という事は「目的駅から遠ざかる」事になる。ところで、医学の究極の目的とは何だね?それが結果として出るとしたらどうなるのかじゃ。

himaari:えーと、大きな立派な病院があちこちに建ち、お医者さんもどんどんと増やして医療に万全の体制が出来ることでしょうか?

おじいさん:君はなにを寝ぼけたことを言っているんじゃ。ここまで聞いてきてまだ頭に入らないのかね。君も日本脳炎かね。

himaari:え、違うのですか? では、手術の進歩で臓器移植とか、最新の分子生物学の研究でがん細胞だけ攻撃できるとか、免疫療法とか、現代ではips細胞とかで再生医療が進歩して・・・・

おじいさん:今までどれだけ繰り返して話したか分かっているのかね、君は。いいかね、医学の究極の進歩は医者も病院もほとんど必要無くなるという事じゃ。もちろん、薬などもじゃ。

himaari:え、それじゃ医学の必要がなくなるという事じゃないですか。じゃあ病気はどうするんですか?

おじいさん:だから君は脳天気だと言うんじゃよ。医学の目的駅は何だと言ったかね。人類皆健康、そうなれば病院も医者も必要なくなるじゃろうが。

himaari:そうか。文明が進歩するほど要らないものが出てくる訳か。と言うことは、それが必要だという事は文明は進歩していないってことか。

本当に進歩したら要らなくなる

おじいさん:人類が本当の文明人となれば医者も病院も警察も法律も要らなくなるじゃないか。法治国家などと言っても法律や警察で取り締まっている内は野蛮国家という意味じゃよ。法律がたくさん必要だという事はその国の人間がまだ野蛮だという意味になる。

文明国家になるほど、医者も要らなくなる、宗教も要らなくなる、法律も警察も必要なくなる。もちろん軍隊なども要らなくなる。これらは野蛮であるが故必要なものじゃろうが。しかもこれは人間が最終目標にする姿じゃろうが。

himaari:あ、たしかにそうなりますかね。そうなると、医学の進歩とは医者も病院も要らなくなるのが理想という訳か。医学の進歩で皆健康になり、ほとんど病気も無くなるから医者も病院も暇になる。

真の医学の進歩とは医者も病院も要らなくなる

おじいさん:それが医学の進歩というものじゃ。そうなれば、薬も要らなくなるし、手術の技術など問題外となろう、検査機器などもほとんど要らなくなる。世界中の医学研究者達お暇で職を失うだろう。なにしろ肝心の病気が無くなるんじゃからね。それが医学の進歩の究極と言えるじゃろう。そこに一歩一歩づつでも近づいているとしたら進歩じゃよ。

himaari:なるほど、それは理想ですね。重い病気も亡くなりせいぜい風邪くらいで済んでしまう人間ばかりになれば、医療関係の仕事は激減して、世の中はその関係の仕事は大不況になってしまうから大変ですね。

おじいさん:医療産業そのものは何も生産しているわけじゃない。不況になった方が社会全体としての利益になるのじゃから。医師不足、病院不足などと言う事は逆を行っているから進歩していない事の証拠じゃ。それどころか目的から遠ざかっている。

himaari:医療費もどんどん増えていますしね。進歩しているのなら少しずつでも医療費が減るのが本当ですね。医学の進歩で病気の発見が進んだと言われますが。

おじいさん:発見ばかりしても、それが治癒や健康に繋がらないと意味が無い。少しでも高所から眺めてみれば誰でも簡単に理解できるじゃろう。それが分からないとしたら「迷信」を信じている様なものじゃ。

himaari:「迷信」ですか? でも、おじいさんの方も迷信だと言われていますよ。

おじいさん:見える事を素直に見る事から始めるのだね。そろそろ気づき始める時期じゃろう。

himaari:なんだか、日本脳炎からとんでもない話へ飛び火してしまいましたね。

おじいさん:ついでだから脊髄脳炎も解説することにしよう。

これは日本脳炎の一歩手前といってもよく、毒素は延髄部だけに集注固結する。なぜなら冬に起る病気であって、それは頭脳を夏季のごとく、炎天下にさらさないからだ。

しかしこの症状は、延髄部が日本脳炎よりも固結が甚だしく、首の前後の運動は全然不可能となる。という事は日本脳炎のように毒素が小脳に移行されない。

himaari:首が回らなくなるというのは時々ありますね。そうなると僕もけっこう毒素が多いんですね。

おじいさん:ふむ、君のはほかの原因もあるのじゃ無い金?

 以上によってみても日本脳炎は蚊とは何等関係がなく自然浄化作用である事を明らかに知るであろう。

himaari:おじいさんの説はよくわかりました。蚊が悪い、豚が悪い、鶏が悪い、牛が悪い、細菌が悪い、ウイルスが悪い、やれアイツが悪い・・・なんでも他のせいにしてきた僕が病気の原因を持っていたとはね。謹んで僕の体をきれいにしてくれる生命の働きに感謝致します。細菌さん、ウイルスさん、今まで済みませんでした。そして、今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございます。感謝感激です。

おじいさん:それだけ感謝すれば君の頭脳もかなり改善するじゃろう。だが君の頭脳もあやしいからのう。

最後は嫌みを言われて終了しましたが、今回は幼児に関してのお話から医学の究極の進歩まで飛んでしまいました。


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