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14/7/30

鼻炎でお悩みの方にシェアしたかった私の手術話。レーザーではなく切除の体験談です。

Image by Olia Gozha

もともとfacebookのメモでそっとシェアしていたものです。周りで鼻炎の人に話すとよく詳しく聞かれたので、記憶が薄くなる前に…と一度まとめて友人向けに公開していました。

たかが鼻炎、されど鼻炎。わたしはアレルギー性鼻炎です。

呼吸が浅いことが沢山の体調不良につながっていたこと、炎症が激しい偏頭痛となっていたこと、子供の頃から当たり前だったそれら一通り、鼻炎によるものが大きかった衝撃。普通の人はこんなにも楽なのか!というのが、手術を受け安定してからの感想です。

長年苦しんでいた数々の辛さが激減したので、苦しい思いをしている人の参考になればなあと思い、この度見かけたこのサービスにても公開してみようと思います。基本的にメモのコピペ+αなので読みやすさはないです。悪しからずご了承ください。しかしながら少しでも苦しい人の参考になれば幸いです。心より!



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長いので大きく3章に分けました。




それでも文章のみの説明なので分かりにくいかと…ご了承ください…!


【1】…とりあえずここ読めばどんなものかざっと分かります。

【2】…詳しい経緯を一通り書きました。個人的であり客観的には不要な内容も多いです。ご自身と比較していただいてより詳しく参考にしたい場合にどうぞ。と思い書きました。長いですーー。

【3】…補足と、余談になってくるので切り分けた内容です。



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【1】アレルギー性鼻炎の手術について

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▼もともとの診断


◆アレルギー性鼻炎(ハウスダストによる通年性のもの)

◆鼻中隔湾曲症(病名というより、もともと鼻の奥が曲がっている仕様に対する名称)

◆慢性副鼻腔炎(数年前に一度完治)

※1 



▼やった手術


a)鼻中隔湾曲矯正術

…鼻の左右を隔てる軟骨の一部切除。

もともと、鼻の奥が普通の人より左右均等でなく狭く、特に右鼻が狭い状態だった。その曲がりがひどい場所の皮膚を一度剥ぎ、左右を隔てる軟骨を一部切り取り、また皮膚を戻すという手術。これにより、軟骨が一部なくなるのだが、鼻の外郭を構成する硬い骨をいじるわけではなく、左右を隔てる壁である軟骨をいじるだけなので、鼻が陥没することもない手術。



b)下鼻甲介切除術(左右共)

…アレルギー反応で腫れる粘膜の切除。

鼻の粘膜は三段階あるが、外から一番近い、鼻の中で言うと一番下の部分の粘膜を切り取る手術。レーザーで焼く手術などもあるが、数年で再生しやすいそうで、より再生しにくい切除となった。100%戻らないとは言えないものとのことだが、普段腫れることもなくなり、鼻奥の急激な腫れなどもなくなったことは痛みの改善となり、大きなストレス減となった。


※一番下に先生の書いてくれた手術説明書き画像あり



▼病院


某大学病院

ずっと見てくれて指示もすべてO先生だが、執刀はY先生となった(術後の処置もY先生)

(※facebookでは友人公開しちゃってますが、ここでは不特定多数ということで一応伏せます)


▼入院


一週間(実質8日)


が、良好一日早く退院。(七日)

しかし、退院した日の夜中に再出血、救急搬送され再入院(三日)となった



▼料金


高額医療費の申請をしていない状態で¥126,860

八人部屋のプラス料金がかからない大部屋、三食付き、麻酔代含む

(再入院となってしまったため、別途¥25,110。普通再入院はめったにないとのこと)



▼結果


良好



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★手術がおすすめな人


◆若い人

◆植物による季節性ではなくハウスダストによる通年アレルギーの人

◆薬だけでは抑えられず日常に差し支える症状が出る人

(頭痛や頭がぼうっとする程の鼻づまりなど)

◆鼻以外健常な人



★手術のメリット


◆やはり画期的に鼻通りが良くなった。頭すっきり。ずーんとしない。

◆鼻で呼吸ができるため、呼吸が安定する。

◆それにより緊張状態が改善された気がする。上向きに寝られるようになった!

◆副鼻腔の空気が常に流れるのですぐ細菌炎症することもなくなった。

◆薬不要で生活が一新。ずっと飲み続ける薬代や、通院と毎日の服用その他労力考えると、高くない手術。

◆偏頭痛も激減。

◆アレルギー自体がなくなるわけではないため、鼻の奥が腫れ多少痛むことがあっても、極端に腫れるまでには至らず、激しい頭痛にまでは発展しにくくなった。



★手術のデメリット


◆簡単なものとはいっても、頭蓋骨の中をいじる訳で、全身麻酔などもあり、

一歩間違うと大変危険を伴う手術でもある。(実際、自分は再出血&再入院となった)

◆かなりの痛みを伴う。顔がバケモノ級に腫れる。

◆一週間は入院が必要で絶対安静。(実際は、退院後も安静にすべき)

◆別の部位で弱っている箇所に影響が出る恐れあり。(私は元々弱かった上の前歯がずれた。※2)



★ポイント

やはり、信頼できる病院と先生に巡り会うことが大事だなと思いました。

『自分の症状が、薬でどこまで改善可能で、どこまで無理か?手術の必要はあるか?』

まずそれを切り分けて、

『手術により自分の症状はどこまで改善できそうでどこは無理そうか?』

可能性とリスク、それらを明確にできて納得できた時点でやることをおすすめします。

(自分にとって予想外だったのは、歯のズレや気管支の弱さを発見したことでした。)



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【2】もともとの経緯〜今日まで

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より具体的な状況を振り返ってまとめました。個人的なものが多いですが、

ご覧になる方がご自身の状態と見比べることで参考になればと思い、記します。



1)子供の頃からの状況----------------------------------------------------



◆子供の頃から

鼻ずるずる、咳ごほごほ。

年中、風邪と扱われ育ちいつも内科で風邪薬。気管支炎になったことはある。

上向きで寝るのが苦しいのでいつも横かうつぶせ。息苦しく特に長距離走や水泳が恐怖だった。

大人になっても常に鼻づまり、ほぼ一年中口呼吸。偏頭痛も相変わらずあり。

ずっとそれで育ったので普通だと思っていた。

ハリウッド映画などで人質がガムテープで口を塞がれるのを見ては、「あれやられたら即死だ…!」と心底怖がっていた。


◆二十代半ば

風邪気味の時に上司におすすめされたまたま行った耳鼻科にてアレルギー性鼻炎&副鼻腔炎であることが判明。アレルギーはないと信じ切って育ってきたため大きな衝撃を受ける。

花粉などの植物は一切なし(目だけ少し重たくなる症状は出るが)、

ハウスダスト系のアレルギーであるとの検査結果。


適切な処置を受けず育ち、大変後悔しています。「また風邪ばっかりひいて!体が弱い子ね」と親に言われ育ったので、いくら苦しくてもそれがずっと「普通」だと思っていたし、「自分は弱い」と思い込んでいたし、長距離も水泳も恐怖で運動自体色々「自分にはできない」というマインドできてしまったので…


呼吸が安定しないこと自体、体にも脳にも悪影響で精神も安定しないですが、これが理由と知らずできないことが沢山あったことは自信をなくすことにもつながり、精神衛生上非常によろしくなかったなと。

大人になっても、呼吸が不安定で苦しく頭がふらふらだといい仕事もできないですが、何せ「普通」だと思っているので普通の人より数倍しんどい状態。無理が重なってしまっておりました。

手術以前の自分は生まれてからずっとだいぶ苦しい日々だったのだなと、特に子供の時など、かわいそうだったなと、鼻で息をしつつ今更ながら思います。

今でも癖で口呼吸していたりする時がありますが、それほどまでに、生きているだけで最低限必要である鼻での呼吸を改善するということには、大きな意味がありました。


ということで、話を戻しましてまずは手術なんて全く考えていなかった初期の治療の話から続けます。









2)治療の開始と症状の改善具合----------------------------------------------



→その1)アレルギー性鼻炎の治療 …鼻通りをよくすることが目標!


基本的な薬を服用して様子を見ることに。病院によって様々な薬が出るが、

だいたい下記セットの色んな組み合わせだった。

まあ、お鼻関係でお医者様にかかっている方にはおなじみですよね。下記。


▼基本の薬いろいろ


◆アレルオフやアレロック、アレジオン、アレナピオンなど(服用)

◆バイナス(服用)

◆ムコダインやムコスタ(服用)

◆ツムラ2番(服用)

◆アラミスト(点鼻)



▼頓服


◆コールタイジン(点鼻)

◆抗生物質系の薬(服用)

◆プレドニン(服用)

◆ロキソニンや市販の痛み止め薬(服用)など



基本の薬は、アレルギーを抑えつつ鼻通りを促すものを服用しステロイド系の点鼻薬と併用してほぼ通年。調子のいい時期1〜2数ヶ月は飲まないこともあったが、基本的に季節の変わり目に症状が出るため、ほぼ年中飲まないとならなかった。薬である程度抑えられたが、元々鼻奥が狭いため画期的改善には至らず。手間をかけて飲んでいる割に片方は常につまるなど、すっきりなくなるわけではない日々。さらに急激な気温差やストレスで弱っている時など、かなりひどい症状も。その時は頓服。急性副鼻腔炎を起こしてると思われる場合(細菌まじりである証拠の黄緑鼻水など)には細菌を殺すための抗生物質系や炎症を抑える薬を、また、急激に粘膜が貼れると鼻の奥がずきずき、放っておくと重い頭痛になることがあり、痛み止めを服用するなどして過ごす。(この頭痛が本当にきつかった!ひどいと月数回あり、無理して悪化させると光などにも過敏になり吐いてしまう程頭が痛くなり動けなくなる。寝込むしかない。生活にも仕事にも差し支えるため本当に困っていた)

またアレルギー薬は強い眠気が出るのも困った。



→その2)慢性副鼻腔炎の治療 ※1 …いわゆる蓄膿症。副鼻腔に溜まった膿をやっつける!


レントゲンによると、幸い、右ほほ中の半分〜1/3くらいの影のみであったため特に副鼻腔炎の手術はなし、上記の薬にてアレルギー性鼻炎を抑えてくことで鼻通りを良くし、自然治癒を目指すことに。幸い、しばらくして影が消え、(何ヶ月か数年か忘れましたが)一応治癒したが、鼻通り具合によりいつまた再発するか分からないものでもあった。




3)治療中の状態、観察、模索----------------------------------------------



今まで「普通」と思っていたものがそうでなかったことを知り、

薬を飲み何年も観察することで色々なことが分かった。



というか「普通」と「異常」、自分のひどさをやっと自覚できるようになった。



粘膜が腫れ鼻がつまると…


◆口呼吸ばかりで呼吸が浅く、常に乱れ安定せず、常に息苦しく緊張状態

◆副鼻腔の空気の流れが悪くなり常に頭が重い、ずーんと鈍痛など常時

◆粘膜の腫れによる鼻の奥〜目の奥にかけてのずきずきした痛みが辛い

◆その痛みはひどいと急激に悪化し重い偏頭痛に発展する。

(目に入る光や動く物、臭い等が刺激になり吐き気を伴ったり、少し動くだけで激痛が走る頭痛。炎症がある程度引くまで絶対安静で寝込まないと回復しない)

◆特に悪化を誘発したのは、下記で、急激に粘膜が腫れるためなるべく注意するようになった。

・食事抜きで仕事し続けるなどした場合(栄養の供給が途絶えたことによる血流などが関係か?あるいは神経物質?謎ですが、無理が祟ると引き金に。)

・タバコの副流煙(むずむずっとしたのちずきずき腫れてしまう。これも引き金に。)

・極端に寒いところへ旅行など(うっかり冷たい空気を吸い込んでしまうとキーンと腫れてしまう)

その他、いくらアレルギーをコントロールして安定していても突発的悪化があり、予想できないため、仕事にも差し支えるので大変不便だった。




4)様々な病院での治療の経過と手術への道-----------------------------------



一定以上の改善がみられないため、様々な角度から病院を変えて新しい改善を試みた。



この間7〜8年、迷走しながら病院を転々。

多くは当然ながら対処療法で、目先の症状改善の話のみ。将来にわたってどう改善するかを一緒に考えてくれる先生はなかなかおらず。やはり分野外のことに関しては、自分自身では判断材料が足りなさすぎるので方向性のアドバイスがほしいところ。


そんな中、最終的にプロとして責任持った発言をしてくれる先生に出会い、手術を決意。



それまでの病院はこんな感じで転々。↓

(1)耳鼻科系の学会で三本の指に入るという有名おじいさん先生(某耳鼻咽喉科医院)

たまたま会社の近所で、評判を聞き、風邪だと思って行ったらアレルギー性鼻炎持ちであることを生まれて初めて知る。慢性副鼻腔炎もあることが分かり、ここから治療開始となった。鼻の奥を通す洗浄が上手で、治療直後はすっきり。コントロールする薬をもらい続ける。

1〜2年。



(2)転職に伴い別の場所で会社近所の耳鼻科、時々、自宅そばの耳鼻科

相変わらずコントロールするだけの対処療法で、画期的改善には至らず。



これからどうしていくべきか考え始める。

この時点で3〜4年経過。



(3)有名なアレルギー専門病院へ(某アレルギークリニック)

アレルギーの改善がないことには鼻もどうにもならないと考え、アレルギーの名医のもとへ。肌のかゆみや目のかゆみ、まぶたの腫れとかゆみなども出た時期だったこともあり、アレルギー体質改善を目指す。しかし、アレルギー自体、付き合って行かないとどうにもならないもので、薬もワンパターンで鼻炎の改善を考えて行くには至らなかったためしばらく通ったが遠いのでやめた。

4〜5年目。



(4)鼻の手術専門病院へ(某サージクリニック/サージセンター)

再度自分で色々調べ、手術を前提に、鼻手術の専門病院で状態を見てもらうことにする。CTなどもしっかり撮り、手術前提に行き始めたものの仕事が忙しく手術していられない状況となった。しかし、自分の鼻がどのような状態かCTからよく分かった。(写真参照※3)手術専門のところだったため、普段の治療はまた(2)の町医者対応に戻る。

5〜6年目。



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この頃には、一年を通しての症状も悪化したときの症状もすっかり把握できているので薬のみもらうような病院通いとなる。薬で目先のコントロールはやっていけても、長い目でどうしていったらいいか、素人考えでの改善治療の方向性模索に行き詰まり、悩む。手術も、いまいちどのくらい改善するか見えず、サージセンターで検査をしたもののやはり不安。今一度、長い目で改善を考えてくれる医者を探すことにする。



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(5)東京都に電話して聞いた名医のもとへ(某医科大学付属病院)

たまたま知った都のアレルギー専門窓口に「東京で一番いい耳鼻科の先生」を尋ねたところ某医科大学付属病院の某先生が有名だと聞き、藁にもすがる思いで予約。初診受付なしの先生であったため、初診は別の先生。目的の先生はさらに一ヶ月以上の予約待ちだった。この先生に一年近く経過を見てもらった。それまでと違って感心したのが、

◆ヒヤリングもしっかりし、患者の目線で分かりやすく話してくれる。

◆プロとして改善を検討してくれ、具体的な提案をしてくれる。

◆次の治療や、今後の方針もしっかり示してくれる。

◆話に無駄やごまかしがない。明確。

◆安定感がある。信頼できる印象。

普通に、「めっちゃ仕事ができる人」という印象。「先生」様って感じではなく、キレもの上司って感じ。


アレルギー性鼻炎治療という人生における一大プロジェクトで、一緒に改善をすすめてくれる感じであったのが大変心強かった。

(※注※ 今もこの窓口があるか、また同じようにお答えするか、などは全く謎です!)


この先生にかかって一年近く経つ頃、またしても相変わらず季節の変わり目に悪化する状態を見て、


先生「あと50年使うからね〜。手術したほうがいいかもね」

と言われる。


わたし「た、たしかに…!あと半世紀使うと考えると……汗」


先生「これが70代だったら薬飲んでくださいというけれど、あなたまだ若いしこれからずっと使うからね」


わたし「…。」

「やっぱ手術お願いします!」



その通りすぎたので、その場で手術をお願いしたいと返答。以下、その時の問答あれこれ。



「ちなみにいくら位ですか?」

「だいたい14〜5万」

「日帰りですか?入院ですか?」

「一週間入院」

「え、そのあとすぐに運動などできますか?(某発表会の練習真っただ中だった!)」

「大丈夫大丈夫」

「けっこう…その…上ったり、、激しい運動も大丈夫ですか?(毎週発表会リハがあったため。わりと激しい習い事でして…^^;)」

「一週間で傷が塞がるから塞がれば大丈夫」

「じゃ、お願いします!」

「でも予約で数ヶ月待ちだけど…あ、空きが出たんだった、12/9なんだけど…」

「調整するのでお願いします!(て、アレ?十日くらい?まいっか何とかしよ)」

「じゃ、このまま午後検査受けて行って。時間ある?」

「あります!お願いします!」


ということで、勢いで2011年11/29にそのまま術前検査(呼吸力を測ったり血液検査をしたり…)も受け、12/8に入院、9に手術することに。月初で仕事も落ち着く時期だったので、ナイスタイミング、休める!さらにこの時期の一週間なら仕事も発表会練習も何とか取り戻せる!ということで、決めた後、色々調整しまくり。

迷ってもこの数年色々やり尽くしてきたので先は見えており、同じ治療の繰り返しになるだけだったので、やってしまおうと決意。



もーほんと、勢いないと出来なかったかも!



5)入院と手術-----------------------------------------------------

やった手術は最初にも述べた通り以下。

◆鼻中隔湾曲矯正術

◆下鼻甲介切除術(左右共)

(一番下の写真の青い紙参照)


以下、入院〜安定するまでの経過詳細。


▼1日目

詳しいことを調べると怖くなりそうだったので、何も調べず、医者を信じて気軽な気持ちで入院。

入院準備どうこうは一般的内容だと思われるので、省きます。

初の入院に少し遠足気分。が、改めて手術内容の説明を受け、(青い紙)麻酔医からの説明なども受け万が一の危険に関する同意書なども書かされ、ちょっとずつびびりはじめる。


「子供頃からちょっぴり入院て憧れてたのよね。病院お泊まりどきどき。あれ?でもけっこう本格的…。え?麻酔って原理わかんないの?なにそれ?死んでも仕方ない的書類に署名。なにこれ大丈夫かしらわたし?あれ?あれれ??…。^^考えない、考えない!」



▼2日目

手術では家族が同伴でないといけないそうで、夫がきてくれることに。

到着前に私は朝から手術室へ。麻酔は、吸い込んでと言われた瞬間意識がなくなる。気づくと、自分のベッド。意識朦朧、痛いんだか何だか、分からないくらいぐらぐら。手術は一時間半位だった模様。ひたすら点滴。その後麻酔が切れてからは激痛、記憶がほぼない。粘液などを10分おきくらいに吐き続け、疲労困憊。夜中もずっと、10〜20分おきに目覚め、咳で吐き出す。あんなに長い夜はなかった。体力消耗しまくる。痛みがひど過ぎてじっとしていられず、のたうち回って、眠いのに眠れない。痛みなど我慢強い方だが、さすがに参って、看護婦さんを呼ぶ。普通には処方されないという病院内だけ使える座薬の痛み止めが強力で、ふわっと楽になる。翌晩以降も痛みで眠れず1〜2回使ったような。

「!!!!!(しんどい…たすけて…)」


なんだこれ!!!ほんとうにきっつい!!!!!



▼3日目

食事がなんとかできるように。でも点滴はずっと続く。ぐったりで、ほぼ記憶なし。感染症を防ぐための薬なども入院中ずっと色々服用。



「…。」



▼4日目

やっと意識がくっきりし出す頃。毎朝、鼻に詰めていたガーゼを替えてもらうのが日課だったが、顔がパンパンに腫れており、鼻もガーゼでパンパンなので、鏡に写った自分が驚くべきことになっており、怪物のようでブルー。



「ぎゃあああ〜!!!どこの化けもんじゃこれ!!(鏡を見たときの衝撃すごすぎた、マジで)」

▼5日目


やっとシャワーのみOKになってきた頃。点滴もこの頃外されたはず。さすがに頭も体も気持ち悪いので、洗ってすっきり。でも顔はまだガーゼでパンパン。




「あああ…こんなに体洗わなかったの生まれて初めてでしょ。。なんだこれ気持ちいい〜〜(涙目)」

▼6日目

かなり元気になってきて院内散歩、屋上でストレッチなどもできるように。


「あー、太陽気持ちいーーー。順調!ヨカッタ!」


▼7日目

傷口が塞がって退院OKということで、希望通り一日早く退院。

副鼻腔〜鼻奥のガーゼは一週間後に取る予定で、手前のものだけ取られる。一度家に帰り、夜に発表会のリハへ。(激しい運動OKと言われていたが、この日は、あまりやらず、ゆっくりしたステップだけに自重したつもりが…)

リハから帰り、家に入ったところで玄関で突然出血。一度止まったが夜中に再出血、救急搬送となる。※4 (普通はあり得ないため詳細は余談※4とし、省略)


「やばい、血止まりません。救急車お願い>夫」


▼8日目

長距離搬送されたのち再入院。血圧が急激に下がり意識落ちるがギリギリセーフ。輸血手前の大量出血と極度の脱水により動けない状態。夕方、少し動けるようになったが、動悸息切れがひどい。


「人って簡単に死ぬんですね。よく分かりました」



▼9日目

院内を多少歩けるように。階段を半分のぼると動悸、息切れ。休み休み過ごす。


「体内の血が少ないので動くとすぐ足りなくなり、心臓ポンプが頑張りまくるのを体感しました。弱い人の気持ちが良く分かりました。元気に生きてるってすごいことなんだな」



▼10日目

退院。階段はきついがある程度歩けるように。鉄分の薬などをもらう。


「なんか…すごく遠くから帰って来たきもち…ただいま世界」



▼退院から三日後

この頃確かガーゼ抜き

再出血した右も止血して5日ほど経つので、鼻奥〜副鼻腔のガーゼを抜く作業。※5

グロいので省略!読みたい人は※5へ。後悔しても知りませんよ…


「B級ホラー級。男性はよく失神するって。「うひゃぅぁあああ」てなりました※5」



▼退院から一週間後

経過チェック、左カサブタの除去作業



▼退院から三週間後

経過チェック、右カサブタの除去作業など。問題なし



以後、カサブタと粘液の固まったものが時折喉側や鼻から排出され、だんだんと鼻通りがよくなっていった。自分で取ってはならず、自動排出されるのを待つとのこと。少しずつ減ったが、完全に出なくなるまで2〜3ヶ月かかったような。血液量が差し支えなく戻るまでは、普通の生活では一ヶ月位、激しい運動の場合1ヶ月半位かかった。



普通は、一週間入院したのち、退院後一週間経ったらガーゼ抜きして終わり。

私は再出血となってしまったため、再入院やこまめに病院に行くことになった。




6)一年経って----------------------------------------------------


2013年2月時点で手術からは一年二ヶ月近く、カサブタも取れ鼻通りが良くなってからは一年弱となる。

◆鼻通りは良好、生活も改善された。(上記メリットにも挙げた通り)

◆鼻奥の急激な腫れによるずきずきした痛みが激減した(むずむず、くらいの小さな痛みのようなものは寒い空気を吸った時など未だにある)

◆それによる悪化の頭痛も滅多にでなくなった

◆ずっと鼻が悪いだけだと思い込んでいたが、残っている咳があり、気管支が弱かったことが露呈してきた※6




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【3】上記、文中の「※」事項(補足や余談です)

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※1…副鼻腔について

人間の顔の中には空気の通り道があり(治療を始めてから知った!)そこが粘膜の腫れなどで空気の通りが悪くなると細菌が繁殖し膿みが溜まる。いわゆる蓄膿症。風邪などで急性の場合もあれば、鼻づまりで慢性的な人もいる。基本の治療は、自然治癒となるが、ひどい場合は膿みを吸い取る手術などがある。



※2…歯がずれた経緯

元々、前歯が一本少し曲がって生えてきた(歯並び気にならない程度)→高校生の時に虫歯で近所の町医者に神経抜かれた→以後なにもなかったが将来色が少し悪く(黒っぽくなると言われた)→二十代半ば、別の病院に別の虫歯でかかった際、色が悪くなっていたその歯を保険適用で洗浄できるとおすすめされやった→そのせい?か、仕事ストレスで体も弱っていたからか、以後根っこが膿んでしまうことに。→9ヶ月くらい?一〜二週間に一度通院して膿みに対し薬を入れてもらうが改善なし→ずっと腫れ続け膿みも出て、急激に歯がずれてしまった時期あり。抜歯でインプラントしかないと言われる→自分で根管専門医を探す(根管治療は、歯医者的に手間かかっても保険制度で料金変わらないため疎かにされがちと知る)→保険適用外の専門医だったが数ヶ月予約待ちの名医。一発で直してもらう。→以後安定していたが、元に根がなく弱い状態であるため、場所の近い鼻奥の手術での極端な炎症によりまた動いてしまった模様。(歯が重なってしまい、他の歯のズレにも影響しているため矯正などを検討)→矯正して安定!



※3…CT画像

サージセンターの時に撮ったCT。夏の時期で安定している状態でも、健常者(上)に比べ自分(下)は極端に鼻の奥が狭いことが分かる。特に右にぐっと曲がっていて狭い。これでも、自分では鼻で息が出来ていて調子がいい時期だと体感していた状態。そういう時でも、いつもどの先生にも「ひどく腫れている」と言われていた。涙。。

よく見ると右の副鼻腔に影がありますね…この時も副鼻腔炎気味だったのかも?^^;


※4…救急搬送の時の余談【※微グロ注意】

気温が低く渇いた空気だったため、傷口が開きやすかったのかも?(ぷつっといったのかも)帰宅直後の出血はガーゼをつめて止血、しばらくして止まったので、そのまま就寝。しかし夜中3時過ぎ、突如出血で目覚める。体温が上がり血流がよくなったせいで出血か??かなりどばどば出て一向に止まらない。抑えようにも、鼻の硬い骨が邪魔で奥が抑えられない。ガーゼをつめて止血するしかできないが、止まらない。喉に流れてきてしんどいので、洗面所で吐き続ける。出血量が多く止まる様子がないので、このペースはまずいと思い、夫に救急車を呼んでもらう。洗面所が血だらけでホラー映画状態に。出血から30分くらいで救急車は来たものの、どこに搬送するかが問題に。夜中4時近く、近所の病院を当たるがこの時間でこの場所で耳鼻科がなかなかない。救急隊員も詳しくないため、一向に止血もできず、搬送先確認を流血しながらずっと待つ。喉から吐き続けるので呼吸が乱れてしんどい。粘液まじりなので、絡んで、吐きにくく辛さが増す。結局、術後間もないから手術した病院へ、ということになり、八王子〜千駄木まで長距離搬送。この時点で出血から一時間半ほど。搬送では、救急車の振動でより止血しにくく出血が増し、揺れの中、吐く姿勢をとるのが辛かった。空が白々と明けてきた早朝にもかかわらず、高速道路の渋滞に巻き込まれる。結局一時間半程かかり、「あと300Mです」の言葉を聞いたあたりで体力が限界に。目の前が暗くなってきたのでまずいと思い、「目の前が暗くなってきました、そろそろ倒れます」とアラートを上げる。意識が遠のいた時に病院着、目の前が見えなくなっていたが音は聞こえ、病院の担架か何かに移される。足を上げてもらって視界が戻る。その時の血圧は上が60切るか切らないか位で、危ない状況だった模様。手術で出血した後で、さらに出血してしまったので、0.8〜1ℓ近くは出したもよう。輸血手前だったようです。自分では2ℓ以上吐いていると思っていた。粘液まじりだったためで、これにより極度の脱水状態にもなっていた。一瞬目覚めたのが7時頃。動けないくらいの状態。その後病院が始まり、O先生の診察の裏で寝ていたようで、どんな客さんでもどんな些細な質問でもきちんとお答えしていてすごいと朦朧の中思った。次目覚めたのが13時過ぎ。まだ歩けない状態。再入院することに決め、車椅子で運ばれ、病室へ。夕方にはトイレにいけるくらいになったが、血が少ないため歩くだけで動悸、息切れ。夕方、会社へ連絡。追加で休みをいただく。以後、一ヶ月は動悸息切れの日々。血が少ないため、酸素を運ぶのに心臓ポンプが大急ぎで動く状態。血液量が差し支えなく戻るまでは、普通の生活では一ヶ月位、激しい運動の場合1ヶ月半位かかった。



※5…ガーゼ抜き、これも蛇足ですが【※グロ注意!!!】

自分で、ジェリービーンズ型のあのステンレスのトレイを持たされ、先生に鼻奥からピンセット系のものでガーセを引きずり出されます。何と、片方の副鼻腔に7枚ずつ!十数cmのガーゼが詰め込まれているとのことで…血と粘液まじりのガーゼは、どろどろ状態で重みもあり、相当グロく、頭の奥から臓器を引きずり出されるような感覚…!

「よく失神する人がいるから危なかったら言ってね〜」

「! (えっ 危なかったらって言われても!)」

「男性が多いんだよね〜」

「!!(この状況で突然そんなこと言われても!)」


にゅるにゅる〜〜ずるずる…べちゃっ



「!!!!!!!!!!(うぎゃぁああああああ)」

まさに脳というか頭の奥からなんか臓器を引きずり出されるかんじ!粘液と血で身体の一部化してるもんだから本当にそんな感じ!!

B級ホラーのようで、あの感覚は忘れられません。が、自分は割と平気でした。出てきたものも、ガーゼとは思えない、血と粘液でどろどろのグロ物体。大量。。

インパクト大でした。これ確かに男性倒れるかも。



※6…気管支について

子供の頃気管支炎になったことはあったが、鼻同様、そんなに気にしていなかった。普段から痰が絡みこんこんと咳をしていたり、(無意識も多く家族からの指摘あり)風邪が長引いた時は止まらない咳になったりすることがあった。夜にむせて起きたり、など。近年、普段の咳は、鼻づまりにより鼻水などの粘液が喉に流れるせいだと思っていて、もちろん手術により大幅に改善されたが、時折こんこんするのは未だなくならなかった。それらは結局、そもそもアレルギー持ちであるため気管支自体も常に炎症傾向にあったことが分かった。長引いた咳も喉の一時的炎症と思っていたが、やはり気管支の炎症によるものと推測される。2013年1月、かなり悪化し、病院へ。具体的症状としては、突然明らかに気道が狭まり、粘液も沢山出て息苦しくなることがあり、恐怖を感じる状態が時々起きていた。病院で喘息に以降しつつあるという診断を受け、一度きちんと直すために喘息薬(吸入と服用)で対応中。アレルギー体質なので、常に気をつけなければいけないと再認識した。(特に鼻〜気管支が弱いため、風邪などには注意、寒い空気を吸い込んで喉を冷やさないようマスクの着用なども大切)


最後に、手術の説明書きなどもご紹介。先生が書いてくれたもので、こういう手術をしました。




以上、長々失礼しました。

ご参考になれば幸いです!


「ちなみに、三年以上経った今も調子いいです♬あの悪夢のような頭痛が起きることはなく、ごくまれに小さくずきずき。頭痛薬対応で仕事や家事がこなせる範囲。喘息のほうもすっかりなくなり全体的に元気になった気がします!」


「2016年だからぼちぼち5年!元気!当時の苦しさが嘘のよう。季節の変わり目や冷暖房直風など危ないなと思った時はマスクでガード。変なとこに体力消耗しなくなったせいか風邪も引きにくくなりました。ありがたや。」

「」

2019年はじめ、7年が過ぎたところですがお陰様で元気です。敏感だった鼻の奥も、年々強くなってきたのか?鼻呼吸に慣れてきたのか?寒暖差や副流煙などの刺激にも強くなってきたように感じます。そのため小さな頭痛なども起きにくくなりました。人間の再生&対応機能かなあと勝手に思っております。

呼吸で酸素を取り込むことは、人間という生物のあらゆる機能の原動力になるものだなと、今でも体について知れば知るほど実感します。その重要性に気づくのは遅かったですが、気づけて本当によかったです。

呼吸はあまりにも当たり前のことで、喘息と違い鼻づまり程度では、息ができている以上なかなか重要視されないですが、(自分もそうでした)当たり前で気づかなかった不自由が改善したことは、それこそ人生にとって大変意味の大きいものでした。

呼吸が整うと身体機能が安定するので、それだけで全身に行き渡った酸素により各所が安定します。当然、その影響は精神面にも出てきますし、気分も安定しやすくなります。

こんな当たり前のことが、鼻一つで叶わない人が大勢いて、知らず知らず私生活や仕事で足を引っ張られ、パフォーマンスを発揮しきれないのは大変残念なことです。能力が低い訳ではなくて、そもそもハンデがありすぎる、同じ土俵に立てていない可能性があるわけで。

呼吸自体が正常にできるようになったら、姿勢一つで息の入り方が全然変わるのでピラティスなどもおすすめですし、睡眠時無呼吸症候群なども気にすると良いと思います。私自身ピラティスは10年以上やっており、睡眠時無呼吸症候群は検査もしてみました。それについてもいつかシェアできたらなと思います。

本記事は気づいたら沢山の方からアクセスがあり、改めて、どなたかのお役に立ったら幸いだなと思いました。心より。

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