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14/7/30

世界についての認識は実は2種類しかないんだろうと言う話

Image by Olia Gozha

昨日、朋友(ポンヨウ)のFさんに「20代のような文章書きやがって」と言われ、本当にその通りだと思い反論できず。そのあと、Fさんがおすすめの漫画全4巻を貸してくれたので、一気に読んだ。あまりに強烈過ぎて吐き気を催す。

来年、不惑を迎えるというのに、思春期のようにナイーヴな今日この頃。第二反抗期というのは聞いたことがあるけど、第二思春期というのは聞いたことがない。

ということで、今日も思春期のような文章を書きます。きっと長いです。

ゴムボールの表面にマジックで引かれた一本の線。これを見て考えてみると、世界についての認識の方法は、時間的にも空間的にも2通りしかないように思う。

ひとつは「線(リニア)」、もう一つは「円(サークル)」。

わかりやすく言えば、多くの知的な人たちが解釈している通り、一神教的な線的な時間の流れと、多神教的な循環する時間。世界には始まりと終わりがあるという考え方と時間はいつでも巡っているという考え方。

神が世界を作り、いつか最後の審判がある。あるいは、季節が巡るように時間もまた循環し続けている。

原始仏教では、輪廻の輪からの解脱をめざす。これは循環する時間からの離脱を意味するのだが、この離脱は「円(サークル)」から「線(リニア)」への変化を意味するのか。そうなると解脱には始まりと終わりがあることになる。あるいは解脱というもう一つのループに移行するのか。そうではなくて、時間を超越した世界に移入するということか?

その一方で、世界には始まりがあって、終わりがあるという考えは論理的であるからよくわかる。しかし、世界の始まりや終わりを経験した人はいないから、これもまた「真実」であるとは言い切れない。

人間にとって最も身近な抽象概念である時間とは何だろう。本当に時間には始まりと終わりがあるのだろうか。もしあるとしたら、「時間が終わること」とはどんな現象だろうか。

では空間はどうだろう。宇宙には果てがあるのだろうか。直観的には空間には果てはないのだろうが、その広がりには限りがあるんじゃないかと思う。

それは球体の表面のように始まりも終わりもはないけど、広さは決まっている。その果てのない空間(「円(サークル)」)の中で、恣意的に決めた地点Aから地点Bだけに限っては始まりも終わりもある。これが「線(リニア)」。少なくとも球体の表面で考えるなら世界を認識する方法にはこの2通りしかないだろう。

では、時間もそのようなものと言えるだろうか?

時間についても果てはないけど、限りはある。その中で恣意的に定めた時間Aと時間Bを結ぶ線は「線(リニア)」として存在する。人が生まれて死んでいくように。

一応、言語教育で考えてみる。

「言語が上達する」という現象は、「円(サークル)」なのか、「線(リニア)」なのか?恣意的に学習目標を設定すれば、A地点からB地点までの移動という点では「線(リニア)」なのだろうが、おそらくそれは慎重に条件づけられ、管理された状況下での現象だろう。

おそらく、「線(リニア)」な現象というものはすべてこのようなある一定の条件によって成り立っているのではないかと思われる。しかし、いかなる条件も設定しない現象というものには球体の表面のように終わりも始まりも、境界も、果てもない。

ある人は言語の上達とは「円環(スパイラル)」であろうと言うかもしれない。しかし、これは基本的に始まりと終わりがあるという点で「線(リニア)」な現象であると思う。

でも結局、世界はどうなっているのかなんて人間にはわかりっこない。

だからこそ、条件づけられた、「線(リニア)」な現象をよりどころにし、何らかの判断を下すしかない。

文字も文法も発音も、言語を学ぶことで知ることができるという文化もすべて「線(リニア)」な現象だ。これを冷笑することはそれほど難しくないが、かといって私たちは、「円(サークル)」の正体を説明する術を持たない。たぶん。

この場合、とるべき立場は3つ。

① 「線(リニア)」という現象のみを盲目的に絶対視する。

② 「円(サークル)」から「線(リニア)」を相対化する。

③ 「円(サークル)」の存在を視野に収めつつ、「線(リニア)」を成立足らしめている条件を

   見極める。

③の立場で言えば、結局はわけのわからない「円(サークル)」である世界の中で条件づけによって辛うじて成立している「線(リニア)」な現象を私たちは認めざるを得ない。そうしなければ、私たちは一切の拠り所を失ってしまう。「線(リニア)」な現象自体の虚しさと、それを認められなければ何も持ち合わせないという二重の虚しさ。

どうしてもわからない世界に生まれ、そして何もわからないままに死んでいく「線(リニア)」な存在として私たち。

しかし、この「線(リニア)」の一瞬一瞬にはとてつもない喜びや満足感なんかがあることも確かで、そんなにいろんなことをむやみやたらに虚しがったり、悲観しているわけではないのだけれど。

とにかく、世界はどうなっているんだろうかと。

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