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14/7/17

おじいさんとの対話 9 粗の1 

 病菌の食べ物と血液中の毒素(まとめ編)

Image by Olia Gozha

おじいさんとの対話 9  粗の1

 病菌の食べ物と血液中の毒素(まとめ編)

     

        

伝染病と細菌の関係は現代医学とは正反対の論を持ってたおじいさんの論ですが、これはかなり重要点だと思いましたので、再度お尋ねしました。切り口を替えて再々の問答です。

himaari:病原菌と恐れられている細菌ですが、なぜこの世の中にたくさん存在しているのでしょうか?もしも世界を創造した神様が居られたとしたら、なぜ人間にとって害のあるものを存在させ続けるのでしょうか?そればかりか近年になって次々と強力な病原菌やウイルスなどが出現して人間の脅威になっています。その理由はいったいどこにあるのでしょう?人間を苦しめるために細菌やウイルスが存在するのでしょうか?

おじいさん:もっともな質問じゃな。この世の中に存在するもので如何なるものであっても人間に不必要なものはない筈じゃよ。もしも必要の為の存在であったとしても、人類の進化によって不必要となる時代になれば、それは自然淘汰されて消滅されてしまうじゃろう。

himaari:ということは人間にとって病原菌や病原性ウイルスなどは、今の人間にとっては必要だということでしょうか?

おじいさん:一見してマイナスに見えるものも何かの必要性があるから存在しているわけで、人間が無用とか有害とかいうのは、そのものの存在理由が不明であるからじゃ。

himaari:それにしても、有害な病原菌などが存在する理由などあるのでしょうが、疑問ですね。

おじいさん:有用、無用と分けているが、それは人間にとっての都合でしかない分け方じゃな。ということは、人類の文化がその理由を発見するまでに進歩していないからじゃよ。

この意味において、あらゆる病原菌と呼ばれている細菌でさえも人類の生存上有用の存在でなくてはならない筈じゃ。

himaari:人間の生命を奪うとされるウイルスや細菌類が有用とはとても思えませんね。

 伝染病も浄化作用

おじいさん:それには当然理由がある。伝染病と言っても、他の疾患と同様にして浄化作用の一種なのだが、大変強烈であり急速に生命を奪われる為に人間は非常に怖れるのじゃな。

himaari:そういえば感染症と呼ばれる病気は一般的に症状が激しかったり、病気が進んで死ぬ人も多いようですし、それが怖いのですよ。

おじいさん:それならば、どの様な理由によって伝染病は強烈であるかを説いてみよう。

 人体の血液中にある汚濁がある程度濃厚になった場合、汚濁の排除作用が発生する理由は先にも何度か説いた通りじゃ。そこで、病菌の存在理由とは、その排除作用を一層促進すべき必要で働くわけじゃ。

himaari:病気というものは浄化作用、つまり毒素の排除作用だということは理解しましたが、病原菌がその排除作用を促進させるというのですか。それはどのようにしてでしょうか?

おじいさん: 病菌がまず食物または皮膚面から侵入すると、病菌も生物である以上、食生活(栄養補給)に依らなければ生命を保持し、種族の繁殖を計る事の出来ない事は他の一般動物と同様じゃね。

himaari:え?バイ菌が物を食べるんですか!それならば、「病菌の食物」とはいったい何ですか?

おじいさん:細菌が物を分解するということは知っておるじゃろうが。発酵も腐敗も細菌が食い尽くして分解してくれることじゃ。では体内に入った細菌が毒素の浄化作用に関わるとき、それは血液中にある汚濁の分解掃除なのじゃな。血液中の毒素じゃよ。それは細胞中の毒素でもある。

himaari:では、血液の汚れを黴菌が掃除するときに感染症と言うのでしょうか?

おじいさん: 人体内の浄化作用に細菌が手助けすると、浄化が非常に早くなるからだが、また、それだけに強烈なわけじゃかな。急速な大掃除じゃから体力消耗が起こる。ゆえに急激な浄化作用となるから、すなわち急激な症状となる。

himaari:急速な掃除だから体力が持たない場合があるのですね。だから死亡率も多い訳ですか?

おじいさん:それは、逆療法を行うからじゃ。生命力は毒素排除作用を急速に行うが、人為的にそれを阻止するのが逆療法となるから、生命力との闘いが始まる。それによって体力が消耗するから、ついには斃れる。

himaari: そうか、逆療法とは生命力を弱めて浄化停止を行うことですね。

だから、体力が消耗する。しかし、毒素を食べるとは不思議というか,初めて聞きました。

おじいさん:それは不思議でも何でも無い。世界中にいろんな細菌が生息していて、下水や排水の中の有害物質を分解してくれるものが居るじゃろうが。

himaari:そうか、食べるということは分解するということか。僕らの体の中には、その食べ物とやらがいつもあるのでしょうか?

おじいさん:その食べ物となるのが毒素だから、「濁血多有者」ほど病菌の繁殖に都合の好い状態に置かれている訳じゃ。この様な理由によって「発病者」と「未発病者」との区別を説明すると、すなわち「発病者」とは「濁血者」ということじゃ。そして「不発病者」とは「浄血者」ということになるかのう。

himaari:でも、浄血者と言っても、そんな人は居るんでしょうか?菌を保有していても発病しないという理由はそこなんでしょうか?

おじいさん:それについては、完全なる浄血者というよりも、比較的浄血であるという意味じゃな。もうひとつは毒素の種類によって対応する菌も異なるという意味から言うと、完全なる浄血者という言うよりも、その菌に対しての保有毒素の多少かどうかという事じゃろうな。

himaari:なるほど、保有毒素にもたくさんの種類があるとして、その掃除役としての菌にも食べる毒素の種類があるということですね。環境汚染にしても、それを浄化する菌が発見されていますが、相当な猛毒であっても食べて分解するという自然界の仕組みがあるんですね。食べ物が毒素とは意外ですが。

おじいさん:また「保菌者」というのは「濁血小量者」ということじゃが、病菌が繁殖する程でもなく、また死滅する程でもないという中間的状態の人ということになるかな。

himaari:保菌者であっても発病しないという理由はそこにあったのですね。死滅するほどでもないが、発症するほどでもないというわけですか。

病菌は体内の掃除夫

おじいさん:バイ菌の食べ物が無ければ繁殖のしようも無いじゃろうが。毒素が少なければ、たとえバイ菌が侵入しても大丈夫なのは食べるエサが無いからじゃ。以上の意味によって、病菌というものは人間の体内中の濁血保有者に対し、速やかに浄血者にさせようとする為に働く「掃除夫」とも言うべき存在なのじゃ。 

himaari:「掃除夫」ですか。「必殺掃除人」みたいですね。現代医学の視点とはまるで正反対の視点とですね。医学ではこのような細菌を「病原菌」と呼んで恐ろしいものだとしていますから。

おじいさん:さよう、医学ではわしの視点とまったく反対で「病原」をみているわけじゃ。

「病源」を濁血や汚濁細胞内の「毒素」としてみるか、医学のように「細菌」としてみるか、正反対の考え方にあるからのう。したがって、掃除夫としての細菌を「バイ菌」とか、『病原菌」と呼んで忌み嫌っているから、叩く相手が細菌になるんじゃな。

himaari:そうですね、視点がまるっきり反対なんですねえ。だから、細菌をやっつけて殺すことが治療や予防だと思うわけですね。

おじいさん:せっかく体内の汚物毒素を掃除するための手助けをしてくれるという有用微生物を、医学では「味方」を「敵」となして攻撃するわけじゃな。

たしかに浄化停止すると症状がいったんは治まるから、病気が解決したと思うのもむりはないからのう。

himaari:けど、中には残っているんでしょう? 毒素があるならそのうちまた浄化しますね。

おじいさん:それをまた薬などで抑え込むのじゃが、強力なる逆理的浄化停止を行うため、時として死を招く結果となるわけじゃ。

himaari:もしもおじいさんの話が本当なら、医学の治療によっては悪化したり、死亡したりする恐れもあるわけでしょうね。

体の中で自然に必要性があって微生物がわいたり、伝染して繁殖して体内の毒素を分解掃除してくれるという事が真実だとすればですが。

おじいさん:まあ、真実かどうかは君たちの判断にまかせるが、わしはそう確信しているから言うまでのことじゃ。いつかその真偽が嫌でも分からせられるじゃろう。

himaari:誰かが強制的に結論を出してくれるのですか?

おじいさん:人間じゃない、相手は自然なんじゃよ。自然に対して逆な方向に向かえば当然そのしっぺ返しが来るのは当然じゃ。それどころか、医学は免疫と称して、種々の伝染病の予防注射を行うが、これがまた人間の浄化力を弱らせてしまうが、それが長期に亘っての体力低下の原因ともなる。

himaari:長い間に活力が弱体化して行くわけですね。出すべき物を出さなくするから。

けど、おじいさんの時代から半世紀経って,現代でも益々盛んに予防接種が薦められていますよ。しかし驚きましたねえ。予防接種は本物の免疫力を付けるのではなく、生命活力の低下になるとは。

おじいさん:それは簡単な理屈じゃよ。なにしろ、生まれながらに遺伝性毒素を生涯いつまでも溜め込んでいたんじゃね。いつまでも毒素を体内に溜め込んで居たんじゃ、どこかに不具合が起こるのは同然じゃ。人間は「自然良能力」という自然の働きが産まれながらにして備わっている。幼児の頃から遺伝的毒素を排除するため、いろんな浄化作用を準備しておいてくれている。にも拘わらず、人間はそれを嫌って極力かからないように、出さないようにしておる。

himaari:なるほど、幼児の頃から有害なものは出せるように自然に備わっているんですね。幼児や子どもの時期に毒素を無くしておけば後が健康を維持できますから。しかし、人間はそれを悪いものと勘違いして、予防とか浄化停止しようとして来たわけか。

おじいさん:わしがいつも言うように、借金の哲学じゃな。先祖さんからの借金を子孫がいつまでも返さないでいると、いつかはとんでもない金額にふくれあがってしまうじゃろうが。「いつまでも返さない」とがんばっているとついには家屋敷まで取られてしまうじゃろうが。

himaari:親の代で済ませてくれたならよかったのに!子孫はえらい迷惑ですよね。

おじいさん:産まれる家も親も自分で選んでくるのだから、それはそれで別の意味があるのじゃろう。とにかく、自分の代で借金が未納なら子孫の誰かが手分けしてでも支払わなきゃならん。

himaari:借金の集団催促が流行性伝染病ですか?伝染病と言っても浄化作用の一種なんですね。 それが未開民族が伝染病に罹りやすくて、文明国の民族が伝染病に罹りにくいという不思議な関係なんですね。

活力低下した民族は感染症に罹りにくい

おじいさん:簡単に言えばそうなる。活力が浄化作用を起こすのだから、活力低下した民族は浄化作用が起こりにくくなる。それは一時的にせよ、伝染病にかからない(かかれない)衰弱したということにもなる。いずれは何らかの形で借金の督促が来るじゃろうがな。

himaari:予防接種というのは、濁血であっても浄化する力が弱くなるために予防効果があらわれたと錯覚するのでしょうか?でも今の時代になって、そもそもその予防効果というのも怪しい事実として暴露され始めていますからね。それが明白になると予防接種の利点は何もなくなってしまいますね。ただ「その病気や別のもっと重度の病気を予約しただけ」だというような、笑えない話ですが。

おじいさん:どちらにしても予防接種自体が人間の浄化作用を邪魔するわけだね。異物や一種の毒素を体内に入れるという事実に間違いはなかろう。その様な毒素が一時的に活力を弱体化させて病気にもかかれない人間にする。

himaari:「病気にもかかれない人間」というのは変に聞こえますが、「浄化も出来ないようは弱体化した人間」と言えばわかりますね。ところで先ほどの話ですが、「病源」について正反対の考え方をしているということで。医学の免疫理論ではよく「白血球の食菌作用」と言われていますが?これは、有害な細菌が侵入してきたら身体の免疫反応で、白血球がバイ菌類を食べてくれる、つまり排除してくれるというようですね。

おじいさん:医学においては、白血球が赤血球中の病菌に対し食菌作用を行うという定説があるようだが、この「菌の食毒作用」という原理を知る以上、問題にはならないじゃろう。

himaari:ここで問題になるのは医学の説とおじいさんの説は正反対の事を言っているわけですね。「食菌作用」と「食毒作用」ですが、菌が有害だから免疫力が攻撃して退治してくれるので「食菌作用」だと医学は言うのでしょう。おじいさんの話では体内にある毒素を菌が食べ尽くしてくれる「食毒作用」と言うし、ちょっとややっこしいですね。

おじいさん:菌の方が毒素を喰い分解してやるのだから、視点が逆なのじゃよ。そして喰い(分解)尽くして死に行く菌と毒素が一緒に排泄されるというの最終局面じゃな。最終的に食べ物(毒素)が無くなれば、菌の繁殖は終わり死滅して行く。永遠に繁殖しないのは食べ物が無くなるからじゃ。

himaari:そうですか、医学では白血球などの免疫細胞というものが菌を死滅させて行く「食菌作用」としているようですね。おじいさんの方では、菌が毒素を食べる(分解する)のだから「菌の食毒作用」であって、食べ物(毒素)が無くなれば死滅して行くという解釈なんですね。

おじいさん:それは自然界を観察してみれば分かるじゃろう。糞や汚物を放置しておけば、自然と分解されてしまうが、そこにはちゃんと分解、すなわち食べてくれる微生物が働いているからじゃ。そのエサになる汚物が無くなれば微生物も消える。

himaari:実際には白血球に毒素が混入している状態で菌にまとわりつくのでしょうか?

それは毒素を食べてもらうためであって、菌を殺すためじゃないという意味ですね?

おじいさん:菌はあくまでも助っ人役だからね。病気の本体は身体中の各種毒素なんじゃから、それを浄化して外に排除するというのが免疫の本来の働きじゃよ。だから、たとえ菌がそこに居なくても浄化作用は行えるのじゃ。ただ時間と労力がかかる。バイ菌はそれを迅速に行うための助っ人じゃよ。体内では自然良能力との協力関係にあるとすれば、白血球が毒素を菌の周りに運んでくるのは至極自然じゃろう。食べ物としての毒素をたくさん食べて貰えるじゃ無いかね。

himaari:なるほど、毒素排除の浄化作用の主役は自分の免疫力であって、助っ人して菌が協力して働くのですね?主役は自分の体内毒素をその助っ人のところに運んで、食べてもらう、つまり分解して貰う。すると食べた菌はどんどん繁殖しながらも次々と死んで行く。毒素と供に体外へ排泄される。視点が違う医学では、菌の周りに白血球が集まるから、これをみて「白血球の食菌作用」と見えたのでしょうね。白血球が病菌をやっつけていると。

おじいさん:視点が違うからそうなるじゃろうな。浄化の主役は菌じゃ無いのだからね。毒素を作る菌が侵入したから病気になったというのではなく、「体内に毒素があるから菌が繁殖して分解排泄の協力をする」という浄化作用のひとつの形に過ぎないのじゃ。

himaari:じつに単純な、しかし、深い解釈ですね。医学では素人にはさっぱりの難しい理論で解説しているのですが、おじいさんのはただひと言、「菌の食毒作用」だとは分かりやすいですね。でも、おじいさんのはあまりにも簡単でして。

微生物との共生

おじいさん:そんな小難しい理屈よりも、基本を抑えてしまえば後は枝葉末節的なことじゃよ。単純でも基本が分かればよい。幹は「病気とは体内毒素の浄化作用」、「微生物はそれに協力している」という基本的な土台を理解すれば、後はそんなに難しく考える必要は無いじゃろう。自然に行われる浄化作用に則って、後はそれに逆らわない事の方が大事なのじゃ。

himaari:そうですね、本質が分かれば対処の仕方も実にシンプルですね。 その点、医学はこ難しい理論を持っていながら、実際には感染症を解決できないのでいるのですから、この説は感染症対策を実践する上において検討する重要点だと思います。

おじいさん:どちらを選ぶかは君たちの自由だが、わしは自然に則った現象を出来るだけ分かりやすく説明しているだけじゃ。人間の作った学理が正しいか、自然に起こる事実が正しいか。それは前にも言ったように、いずれ時と供に結果として現れるだけじゃ。

医学が正しいのなら、感染症は心配も無くなるだろうし、間違いだとすれば今後も感染症はますます増え続け、しかも重度の方向になるから、分かりやすい。

himaari:じつは、その「医学の成果」も正確な調査統計をとってみたら、医学上の貢献度はほとんど無かったという証拠が出てきました。医学の感染部門の金字塔とされていた天然痘撲滅さえも、種痘が功績ではなかったそうです。ただ、自然に消滅していっただけだったそうです。その点はおじいさんの時代の話とは異なりますが、基本的には予防接種は役に立たないどころか、逆に病気を造り出すという事がわかればよいですね。

おじいさん:いくら学問を進歩させようと、自然に合わなければ最後には目的と逆の結果を生じる。事実がそうなっているかどうかだけじゃ。とうぜん、事実の方に照らして学理を合わせるべきものじゃが、人間は理屈の方が先になっているから自然が見えなくなるのじゃ。医学は現象を細かく捉えたまでは良いのだが、むしろその為に全体が見えなくなったようじゃ。あまりにも学理に囚われて物事を複雑にみれば見るほど自然という根本から遠ざかってしまう。

himaari:なんとなく分かりました。この論の決着は自然がつけてくれるという事で。それでは、おじいさんとは次にまた詳しくお願いします。

中間まとめ

 ※ ここで、ごく簡単にまとめてみました。

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◎黴菌とは汚物を清掃するために働く。

   汚物毒素を分解する役割。

◎人体の汚物とは、血液の濁りとなるもの。

血液中の毒素であり、これを濁血と称する。

むろん、細胞に集まれば細胞毒となる。

ではこの血液の濁りを無くしてしまうにはどうすればいいか?

自然は実に面白い方法を作られた。

◎黴菌という目にも見えないような細かい虫によって、掃除させるのである。

自然は最初にこの虫を湧くようにしたした。

(これは農業においても同様、害虫と言われるもの)

 即ち黴菌発生の根源を作られたのである。

(この事については別の論に詳しく)

自然にわくのと伝染、感染的(一種の共鳴現象?)にも働くようだ。

黴菌という微生物は最初に濁血所有者の体内に入り込み、濁血を浄血にする役目をする。

濁血というのは血液中に有ってはならない、言わば不純物が存在。

 不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になる。

黴菌はそれを食いつつ非常な勢いをもって繁殖して、毒素を食べるだけ食べた菌から死んで排泄物に混じって体外へ出てしまう。

(「食べる」とは「分解処理する」という意味)

結果、血液中の濁りは減り、ついには浄血者となるわけである。

(細胞内の毒素)

その際の発熱は黴菌が濃度の毒素では食い難いから、液体に溶解して喰いやすくするため、身体の方では高熱を発生させるのである。

(喰い難い=分解しにくい)

高熱で固結毒素が溶解されると、熱は無用になるから解熱する。

高熱といえども、人体が必要有って発熱させるのだから、氷冷や解熱薬はむしろ逆効果、有害になる。

菌の繁殖も死滅も毒素の有無によって自然に行われる。

発熱も必要がなくなれば自然に解熱するようになっている。

解熱剤によってむしろ反発を招いて長引いたりして体力を弱めることになる。

毒素の分解もしにくいから体内に残る。

あくまで、体内の毒素の浄化作用が病気の正体であり、感染症も例外では無い。

毒素の種類によって対応する菌も異なる。個人によって体内毒素の多少がある。

活力があると激しく、ないと緩やかな浄化。

毒素には先祖からの遺伝毒素と、生まれてから累積した毒素もある。

たいていの共通的な遺伝性の毒素は主に成人前、幼少期に排除されるようになっている。

黴菌というものは、まったく人間体内を清浄にするための掃除夫なのだから、大いに歓迎すべきもの。 人間の浄化作用の協力と推進役。

しかし、民族や個人にも違いがあるように、なかには強烈な浄化で斃れる者もいる。

同時に浄化作用に逆らう治療法は極端に体力を消耗させるので斃れる人も居る。

よって、人間は過度に感染症を恐れるようになった。

感染を恐れるので、予防しようと研究したものが予防接種である。

しかし、借金(毒素)をいつまでも返さない(排毒しない)というやり方だから、いつかは破綻する。

それが現代。

各種伝染病予防と称して予防接種が行われ続けて来た結果、多種の悪性病をつくり出した。

予防や治療によってより強力な耐性菌まで産みだした。

ついに、どんな薬にも耐えられる超耐性菌が出現。

今後は自然に順応するか、自然に逆らうかの二者択一の時代に入った。

その結果が二十一世紀の前半には出てくるだろうから、医学の改革が始まる。

以上、

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自然はシンプル

おじいさん:まあ、いいじゃろう。あまり小難しく考える必要はない。

自然はシンプルが基本じゃ。細分化すればかえって分かりにくくなる事もあるからね。

himaari:ありがとうございます。 ところで問題なのは、一体濁血というものは、どうして出来るかという事ですが?

霊主体従の法則

おじいさん:何度も言うが、まずはありとあらゆる毒物。もちろん薬と言う薬毒もそれに当たる。しかし、物質的だけじゃない。これこそ万有相応の理によって、実に合理的に造られるのじゃな。ひとつは人間の想念や行いなどが血液を濁らすということだが。それは心や想念にマイナス的なものがあると、霊が曇ることになる。霊主体従の法則によって、それが体的は血液の濁りとなってしまう。

himaari:「霊主体従」ですか? なぜか霊と言うとオカルト的ですね。しかも「霊の曇り」ってのも意味が?

おじいさん:まあ、西洋文明を主とした世界は物質文明だからね。目に見えない世界は非科学的として否定してきたんだからね。

himaari:はい、「科学的」という言葉はよく使われますが、それは物質だけの科学というわけなんですね。だから「科学的」と言うのは唯物科学というわけか。

おじいさん:そうじゃ、見えない世界は当然ある。そのなかでも人間の想念や意識というものは物質ではない。それを霊の世界というのじゃ。その霊の世界が物質の世界に影響する。反映するから霊が主で物質が従という意味じゃな。

たとえば激しい怒りは血液毒を生じるというのは現代の生物学でも言われるようになったようだが、その他いろいろなネガティブな想念からも身体は影響を受けるという事は昔から知られいるじゃろう。つまり心が病むと身体も病むということじゃ。これは古くから宗教などによって教えられてきたことで、いま特に目新しい説ではないがな。

himaari:そうですね。いろんな宗教でも言われているようですし、最近では宗教でなく精神世界と言われている方でも心と身体の密接な関係を説いていますね。

おじいさん:人間の思念や思いが霊の曇りとなって、それが物としての人間の血液に反映(霊の物質化)されて一種の毒素となる。それが病気の根本原因となる濁血じゃ。しかし、もうひとつの原因がある。これは過去の聖人や宗教でも説かなかったし、知らされなかったことじゃ。

それが昔から病気を治そうとして使ってきた薬剤なのじゃよ。

himaari:なるほど、ほとんどの宗教が現代医療を採用していますね。心の問題はある程度説いていても、薬剤は必要不可欠だという医学賛美論ですね。大きな宗教は病院まで経営していますし、宗教でも精神世界でも薬剤については必要不可欠だとされてきましたね。近代になって化学薬品が主流になったわけですが、薬剤は古くからありましたよ。イエス様もお釈迦様も「薬が病気を造る」などと言わなかったと思いますけど。

薬剤が病気の原因となる

おじいさん:これは近代の西洋医学ばかりか古来の東西の医学が使用してきた自然界の薬剤も同様なのじゃ。これら薬剤というものはすべてが毒性物を利用しているという事は薬学を勉強した者なら誰でも知っている常識じゃろう。この薬剤こそ、誰もが気づかない病気の原因となっていたのじゃ。

himaari:これはもう驚きですね。精神世界で悟りを得たという方達でさえ、「病気には薬、病院に」と言っているほど、医学は信じられていますからね。「病気は薬で治す」「病気になったら、お医者さんへ」は常識になっていますからね。

おじいさん:「薬が病気を治す」という思い込みが人類に根強く染みついてしまったのには訳があるのじゃが、それも時期というものが関係している。だから時の聖人と言われる人さえもそれを知ることは難しかったのじゃろう。それに「未だ知ってはいけない」という意味もあった。

himaari:え!「知ってはいけない」ですか?

おじいさん:いまは詳しくは言わないが「時期」が関係している。時期としては、「薬は必要悪」として、そして有利な方法だったからじゃ。

himaari:「有利」というのは「効果がある」という事でしょうか?

おじいさん:もちろん、一時的だじゃがな。その期間があまりにも長かった。つまり「毒で毒を制する」方法が有利な期間が長かった。「固める」手段の方が「溶かす」より効果があったというわけじゃ。それが長く続いたために人間にはそれが真理のごとく染みついてしまったのじゃな。

himaari; そうだったのですか。そうとう長い期間は「必要悪」だったんですね。薬使った方が有利だったのですか。

おじいさん:根本的には病気を治しているのでは無く、体内を汚したままの状態が持続していたということじゃ。ときおりその浄化作用が起こるが、固める方法がよく効いたので誰も気がつかなかった。いや、気がつかされなかったわけじゃ。

himaari:でも最近では医学が病気を造るという「医原病」などという名前が登場してきましたし、少しは分かってきたのでしょうね。医学者やお医者さんも薬が病気を治すどころか病気を造るとまで言う人が現れるようになりましね。ほんの一部のひとですけど。

おじいさん:人類に長く染みついてしまった常識はそう簡単には替えられないじゃろうさ。しかし、自然界は変わってきたのじゃ。 すると、いままで効いてきた薬の効果が無くなってくる。それはすべての薬に当てはまる。

himaari:え、そうなんですか!すべてとなるとちょっと・・にわかには受け入れませんけどね。

おじいさん:「すべての薬は毒だ」という前提が必要じゃがね。薬剤として使われた毒物が体内に入ると血液の汚れとなり、この濁った血液が病原となるのじゃ。

himaari:  でも、必要悪として有利だったんでしょう?毒素の浄化作用が病気だとしてもですよ。固めるというんでしょう?「毒で毒を制する」ということは。

おじいさん:さきほど言ったように、時期が変わったのじゃ。今まででもやはり薬は毒なのは当然だったが、その効き目が違ってきたのじゃ。毒素の排泄が病気なら、それを一時的に抑えるのが薬毒じゃ。しかも浄化がなかなか起こりにくい期間があったので、薬は浄化停止としての効果が大きかったのじゃ。

himaari:一時的とは言ってもかなり長期間だったのですね。浄化停止は病気症状の停止となりますから、やっぱり楽になる効果は有難いですしね。

おじいさん:そうじゃ、いったんは楽になるが体内には毒素が溜まっている状態なのだ。やはりその分は体質劣化で、人間寿命まで影響してくる。薬と呼ぶから分かりにくいだろうが、毒と言えば理解できるじゃろう。

himaari:そうですね。毒が薬なら、薬が血液の濁りとなるわけか。もともと毒物が薬になるのだから血液中の毒素となるわけですね。そしてそれが細胞毒にもなるわけか。けど、そんな毒が薬として長期間有効だったのは不思議ですね。

おじいさん:これが一番分かりにくい、しかも説明しにくい話なんじゃ。一言で言えば、目に見えない世界のリズムがこの現象界に重要な影響力を持っているという話じゃ。 先ほどとの「霊主体従」の法則となる。この事については話が長くなるから別の機会にするとして。

himaari:そうですか、超重要な関係がありそうですね。「見えない世界=霊界」の変化が起こったという事が土台になっているとは。

おじいさん:まずは、病気の原因としては心身両面によるとして、このように二つの原因によって濁血が作られるのだが、濁血をもっている人間は自然の働きである「浄化作用」によって時折掃除される。その掃除(浄化作用)の際に伴う苦痛を病気と呼んだわけじゃ。

だがその掃除、すなわち毒素の排除作用には苦痛が伴うので誰もが嫌うのだが、その本質はとても有難いものだと言うことは何度も述べたね。

himaari:確かに病気は苦しい痛いなど様々な苦痛がありますよね。熱も出るし、下痢もするし、だるいし、嫌なことばかりですよ。中には死んでしまう人も居るし。

病気(浄化作用)が無くなると人類は滅びる

おじいさん:しかし、この浄化作用(病気)というものがなければ人類が存続してゆくなくなるじゃろう。しかも、この浄化作用(排毒作用)を手助けをしてくれる病原菌と呼ばれる微生物こそ、人間にとってはじつに恩恵となる。

himaari:私たちは病原菌に対して百八十度の発想の転換を迫られるているのですね。病原菌を忌み嫌うのではなく、感謝することになるわけですから。

おじいさん:これを理解できない内は人類はこれからも感染症の洗礼を受けることになるであろう。 なぜかというと、これらの微生物は自然界の浄化作用を受け持っている存在だからね。無くそうとするなら自然を無くすようなものじゃ。だから、存在していても何ら影響の無いような環境を自分の体内に作ること以外、防ぐ事は不可能じゃ。

himaari:細菌の海に入っても大丈夫なような体内環境を作るですか。それには普段から毒を入れない、ある毒は出す、という対応しか無いのですね。細菌を撲滅することは不可能だと。

おじいさん:病原菌として叩けば叩くほどその菌の働きは強くなるからじゃ。毒素、汚物を掃除するためにわいて出てくる相手をまた毒で対峙すれば、またその毒を掃除する菌が現れる。このイタチごっこは何時までも続かないだろう。なぜなら、毒を強めれば人間の方が先にやられるからじゃ。

himaari:どうりで抗生物質に対する薬剤耐性菌など出現するのは自然界の法則によって起こるのですね。

なぜ薬剤耐性菌が出現するのか

おじいさん:薬剤を掃除するのが役割なら、その薬剤を上回る菌がわくのは当たり前じゃろうが。孫悟空とお釈迦様の手のひらの関係のように、常に薬剤(毒)の上を行くように出来ているんじゃから。

himaari:それが超耐性菌なんですね。すべての薬の効果が無くなってしまったという。 すでに抗生物質は細菌に敗北したそうですから。

おじいさん:けっして孫悟空がお釈迦様の手のひらから外へ出られなかった寓話と同じ事が細菌(毒素掃除役)と薬剤(毒素の元)の関係だからね。

himaari:人類が感染症と病原菌(ウイルスも含め)との関係を正しく認識できたときに、ようやく細菌との闘いが終わるわけですね。

医学の進歩など痴人の夢

おじいさん:そうじゃ、最初から微生物と闘うということ自体が勘違いだったという事に気がつくわけじゃ。そもそも、人間は自分には非が無いという思いが強いから、他に非があるという意識をもって病気について考えた。他とは「外からやって来る」その存在が微生物という相手じゃ。それも役割を知らなかったのじゃが、昔は見えない存在だったからなおのこと怖れが強かったのじゃろう。そして、顕微鏡で発見されてから、これこそ病源だと思い込んだのも無理は無いじゃろうな。その考えがずっと今まで続いてきているのだが、これを現代医学の進歩というのだから、進歩などとは痴人の夢でしかない。

himaari: え! 痴人の夢ですか?  進歩じゃ無いって。

おじいさん:それでは無知と言えばよいかの。 もちろん進歩じゃ無い、むしろ退歩しているのじゃ。技術や道具の進歩を医学の進歩と勘違いしているだけじゃ。最初に勘違いしたものを進歩させてどうなる?

himaari:まあ、最後は破綻でしょうね、もしも間違っていればですが。土台というか、基本が勘違いしていたら進歩すればするほど歪みが大きくなるような。

おじいさん:まあ、わしは基本的な事を教えてきたわけだから、どう思おうと好きなようにすればよい。わしの話はどう解釈されようが、自由に取捨選択すればよい。これが人類の役に立つことなら、わしも喜びになるし、君たちにもよい結果をもたらすだろうがね。

まあ、よくよく研究してくれたまえ。

himaari:あ、もう対話は終わりですか。それじゃあ、僕なりに考えてみましたので再び書いてみます。

---まとめ2--

人類は病気というものを自ら作りだしてきた。

それは人間に備わっている浄化力というものがあるからだ。

その浄化装置にネタ(種)を与えれば、当然浄化装置は働く。

それがいろんな毒素を内から作ったり、外から入れたりしたからだ。

病気という浄化装置は永遠に備わっている。

だが、いつかほとんど働かなくても済む時代が来るだろう。

それは病気の原理と原因を知ればよいことだ。

知らないうちは右往左往して的外れな事をし続けるだろう。

失敗の積み重ねが人類を賢くもする。

その失敗も最後の段階に来ているようです。

そして究極には人間から病気は激減することになるでしょう。

それには人の心、言葉、行いをプラスの面に向けること。

できるだけマイナスな面をさけること。

できるだけ自然な食物を食べて適度に身体を動かして働くこと。

以上はどこでも誰でも言っていることです。

しかし今までは次の事が抜けていましたね。

薬は毒であるから、病気を治すのではなく病気を造る。

(苦痛を緩和するのと病気が根治するのとは異なる)

未来の医学は【本来毒である薬を使用しない】世界を作ること。

   

この事を加えることでこの地上に素晴らしい健康世界が出来上がるものと思います。

精神世界の賢者さんたちの中には

病気になったらお医者さんや病院に行けばよい。

それが現実世界での常識なんだから、ちゃんと肉体も大切にしなければいけない

と・・・

しかし、ロバート・メンデルソン博士の著書

「医者が患者をだますとき」を読み解けば、

本当の医学とは現代医学では無いと。医学は宗教だと。

べつに精神論じゃない、肉体論だけでもない。

薬と浄化作用のシンプルな関係を知って、心身両方の仕組みを知れば簡単なんですよ、きっと。

それは新人類の次世代に託しましょうか?

いや、今こそ三猿主義から我々人類は解放される時なのだ。

いま、耳有る者は聞け。

いま、口有る者は語れ。

いま、目有る者は見よ。

ということで・・・よろしいでございましょうか?

・・・・ナンジャクジャノウ・・・(遠くからおじいさんの声)

えええーーー!

おじいさんとの対話 10  

   結核の原因と原理

これまでおじいさんを訪ねて、感染症の元祖的な天然痘や、伝染病の病原菌とされる微生物(ウイルスや細菌)の役割、そして人体内で働く浄化作用の原理などを何度も繰り返し教えてもらいました。これだけ繰り返すとそろそろ濁脳も解けて洗脳に変わりそうですし、僕も病気の原理についてだいぶ詳しくなったと思います。

ここで、昔は代表的な死亡感染症と言われていた「結核」について少し掘り下げて聞きたいと思います。現代はガンが死因のトップになっていますが、昔は結核が死の病の代表みたいにされて恐れられていた時代がありました。おじいさんは、その時代のひとでしたので、肺結核を主にした多くの医学論を書いていました。

himaari:今は癌、昔は結核というように死の病の代名詞でしたね。でも現代医学の進歩によって「過去の難病」のひとつに加えられてしまいました。それで自然に消え去って行く病気のひとつかと思っていました。

おじいさん:君たちは病名によってまったく別の病気をしているかのように思い込んでいるが、根本は同じなんじゃよ。それが天然痘であろうが、肺結核であろうが、ガンであろうがね。

himaari:おじいさんの時代には今ほど癌は多くなく、結核が重度の病気の代表だったのですね。それでおじいさんの論文も結核の論が多かったわけですね。

おじいさん:いまわしがこの世に居れば、トップの座になっているガンについて多く語っていたじゃろうが、あの時代はまだ結核が上だったんじゃ。 

himaari:ところが最近になって世界でまた結核が再登場してきたというのです。既に解決した病気だと思っていたら、どうやら再び増え始めてきたというのです。

おじいさん:それについては既に書いて有るじゃろうが。

himaari:その結核に関連して気になったのが、この前大騒ぎになったばかりの新型肺炎(SARSサーズ)なです。おなじ結核に関連する浄化作用のひとつに思えたからです。おじいさんの論によると、感冒(風邪)から逆療法によっては肺炎、結核に進むという経緯が説明されていましたが、新型肺炎(SARSサーズ)などもこれに類似した浄化作用であると思われますね。という訳で、ひさしぶりにおじいさんの所へ出かけることにしたわけですよ。

おじいさん:ああ、だいぶ見かけなかったが・・・あれから君もずいぶんと歳を取ったんじゃないのかね?

himaari:あちらの世界のおじいさんは相変わらずでしょうが、こちらは時間が過ぎますもので・・・。ずいぶん御無沙汰いたしましたが今回もどうぞよろしくお願い致します。

おじいさん:おや、君かね? だいぶ変化したからわからなかったよ。まあ、よく来たね。

ところであんた、けっこう自分の勝手な解釈を入れているようじゃないのかい?

わし言うことそのままを伝えてないというウワサがチラホラ聞こえているんじゃがね。まあ、根本は変わりないじゃろうが・・

himaari:それは・・・どうも。 勝手に手を加えたりしましてどうもすみません。

メモしている内についつい自分のフィルターが入ってしまいまて。なにしろ半世紀以上も前のおじいさんに会ってお話を聞くというのはむずかしいものでしてね・・・・聞き取りにくいところは私が勝手に付け加えたり、私の解釈で変えたりしまして・・

おじいさん:まあ言い訳はいいから。君の書いたものは君の責任だから任せるよ。君の自由にね。多少は違っていても、それでもわしの説を他人様に興味を持たせるきっかけになると思って、わしも協力してやるのじゃ。

himaari:ありがとうございます。後はこの対話を読んだ皆さんがそれぞれ、取捨選択して戴くということで。とりあえずは脚色の多いこの会話もお役に立つかと思います。

  研究者は批判の精神が必要

おじいさん:ああ、そういう事ならよろしい。いずれはわしの研究が始まる事はあの時代に言っておいたが、どうやらそれは、殆ど行われていないらしいね。わしの研究が始まるという事は君との対話の中身の様な事じゃった。研究者とはわしとは全然関係ない第三者の人という意味じゃったがね。

himaari:そうですか、第三者に研究して貰うとすれば、研究とは「批判と取捨選択」が必要という事ですね。おじいさんとのは無関係の立場の人が冷静に公正に判断するという意味ですから。

おじいさん:そうじゃよ。わしの研究とは何かという事も絞っておかないとね。もちろん、わしの中心的柱としたのが、「医学の革命論」のことじゃった。それ以外はオマケのようなものじゃよ。それを知らないで研究など的外れというものじゃ。いかにわしがそれに集中していたかを知れば理解できるじゃろう。

himaari:おじいさんの一番の目的でしたね。それは分かります。研究者はまず最初に一番肝心な「研究材料」に対して、興味を持たないといけないわけですね。おじいさんの信奉者の様な人たちが集まって褒め合っていたところで研究など成り立たないものですから。

おじいさん:そうじゃ。わしは批判を受け入れる事を覚悟して書いていたのじゃ。わしの信者の様な者達ではそれは出来ないじゃろう。

himaari:まずは批判に耐えられること。そして取捨選択される事を恐れないこと。これが出来ないと「研究」にはなりませんしね。

おじいさん:わしはそれに自信があったからこそ、批判を全て受け入れるつもりで書いて残したんじゃ。当然、研究で批判や取捨選択などあっても、それは必要なんじゃ。それが研究する人たちの自由なんじゃ。

himaari:それではさっそくですが、今こちらの世界では新型肺炎(SARSサーズ)とかいうものが一時流行り出しまして、これでは安心して居られないというのが今の世界の情勢ですよ。それに肺炎と言えば、以前にお尋ねしたときのおじいさんのお話を思い出したという次第です。

おじいさん:そう言えば、わしが論文を残して逝った最後からもう半世紀以上も過ぎてしまったのだったね。君の時代の医療の世界では相変わらず薬や手術が主流になっているようじゃな。

himaari:はい、わが国は勿論そうです。日本は世界でも現代医学の最先進国のようです。薬と手術が主流の医療が中心になっていますね。世界でも先進国ほど、そのようです。漢方の国だと言われていた中国でさえも、今は西洋医学が主流となっているようです。

おじいさん:まあ、どちらにしても対症療法の思想では西洋でも東洋でも根本解決は無理じゃろうな。それについて昭和初期の頃から論文にして残しておいたのだが、世間に認知されているのかね? 

「今の医学は早晩行き詰まることになる」とね。

おじいさん:いえ残念でしょうが、今のところはおじいさんの説はお蔵入りしているみたいですよ。でも、最近になってようやくお医者さん達からも同じような事を言う人が少数ながら出てきました。きっとその流れが始まったようですね。

おじいさん:そうか、深い真実が伝わるにはまあ100年位はかかるかも知れないな。なにしろそれだけ薬信仰が人類に染みついてしまったからじゃが。時期と時間が必要だという事じゃろう。

himaari:そうですか? 僕の時代に果たして分かるのでしょうかねえ?未だに多くの人は現代医学を最高のものだと信じていますよ。だれに聞いても「医学は進歩している」とね。僕などがおじいさんの論をお話をすると「トンデモ論」と思われて、失笑とか、中には真顔で怒る人も居るでしょうしね。これでは、もう50年もかかるんじゃないかと思う位ですよ。半分はあきらめの気持ちになりますね。

おじいさん:君なんかはまだまだ幸せの世界に居るんじゃ。わしの時代など、まだ不自由な時代であったからね。このような話をするだけで当局が飛んでくる時代だったから、ずいぶんと遠慮して書いていたものじゃ。その論文にしても戦前や戦中は出せば直ぐ発禁となってしまい、当局から呼び出しを受けることになる時代じゃった。そんなわけで、戦後の民主主義の時代になってから、ようやく遠慮無く論文として出せる様になったのじゃ。

himaari:そうなんですか。それで私が聞くおじいさんのお話は昭和20年から30年の間のものが主流なんですね。でも直ぐお亡くなりになって、その意思は中断してしまったのですね。

昭和初期から論文を書いていた

おじいさん:書き始めたのは昭和の初期からだったが、社会に思うように出せるようになったのは戦後だね。だが、いくら民主主義の世の中になっても、この医学に関してはあまり自由じゃなかったようだね。あれから半世紀も過ぎたのに未だにわしの論は広くは認められていないようだから。

himaari:はい、申し訳ありません。僕なども今(平成12年ころ)から20年も前に初めておじいさんのお話を聞いていたのですが、それがどうも・・・・皆さんに伝わらなくて・・おじいさんがあちらに往かれてからも、法律などもあり医療問題は厳しくなりましたし。肝心要のおじいさんの論文はずいぶんとお蔵入りしてしまいまして。表に出ないから殆ど知られないで来ましたね。

おじいさん:まあ、あんたのせいばかりじゃないさ。世間の人が受け入れるには時期が早かったのじゃろうよ。そのお蔵入りじゃが、聞くところによると、わしの論文の中でもっとも大切にしていた医学に関する論文は一時は奥に引っ込められたというじゃないのかいね?

himaari:どうもそうらしかったですね。でも無理ないんじゃないですか?組織団体として存続出来なくなる様な圧力がかかったそうですし、当局や医学界から潰されてしまうでしょうからね。自由民主主義国家とは言っても医師法や薬事法が出来ましたから、怪しい治療法など取り締まりの対象になりますよ。そういうわけで規制が強くなっていったんじゃないかと思いますよ。

おじいさん:わしの説は世界の医学界に落とされる原子爆弾のようなものじゃからな。そう易々と受け入れられるとは思わなかったがね。それにしても長い間お蔵入りされたものじゃ。しかし、それはわしの時代の方がずっと規制が強かったかも知れない。

himaari:僕たちの意思が弱かったのでしょうね。潰れても良いくらいの覚悟でやれば。

受け入れ体制と時期

おじいさん:そればかりではないじゃろう。時代が受け入れる状態になっていないという意味なんじゃろう。いくらこちらで必死になってみても国民大衆がまだそれを理解出来るまでに至っていない。国民から受け入れられないのだから、それは時期が早かったのじゃろう。

おっ、そうそう、聞きたい話は何だったかな?

himaari:あ、すみません。ずいぶんと話がそれてしまいまして。

先ほどのSARSの事ですが、それから結核のことを思い出しまして、それでもう一度おさらいのつもりでお伺いに参りました。たしか、おじいさんの時代には結核が半減したのは医学のお陰だということでお祝いをしたと聞きますが・・・

おじいさん:そうだね。昭和20年代だったね、あれは。当時、結核には特効薬として抗生物質が登場したんだね。そのせいもあってか一時的に結核の死亡者は激減したというので結核半減記念祝の式典」という御祝いがされた訳だ。それに対してわしが書いておいた論を読んだのかね。

himaari:はい、そのころは私もまだ産まれていないもので、当時の詳しいことは分かりませんが、結核にとてもよく効く抗生物質が登場したということですね。

おじいさん:うそをつくんじゃないよ。あんたがまだよく分からない年ごろだったというのだろうが。

himaari:あ、どうも・・・・。すみません。僕が産まれてまだ幼少のころで何も分からない頃だったと言い直します。それで、医学で結核の死亡者が激減したのはどういうわけでしょうか?

「抗生物質登場の時、預言していた結核の特効薬は駄目になる」と・・・

おじいさん:その結核に対しての救世主と言われた抗生物質が登場した頃、私はこう話したり書いたりしておいたのだが、どうやら50年も過ぎていまだに理解できたおらんようだね。

「結核が薬で治ったと思うのは、薬で一時的に固めたまでで一時的に病気症状が減るから効くように思うが、実は小康を得るにすぎないのである。したがって、単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから安心は出来ないのである。」とね。

himaari:「死ぬのが延びた」というのら良いのでしょう?それがなんで長続きしないのでしょうか?僕も最近までこう思っていましたよ、「戦後数十年たった今では結核は安心できる病気となっています」とね。しかし、そうでなくなったというのには驚き、おじいさんの昔の話を思い出したのですね。もしかしたら、おじいさんの古いお話がまた復活しそうな気がしたからですが。

おじいさん:あの時期に結核は激減して日本中がお祝いしたくらいだからね。誰しもこのまま結核は無くなるだろうと思い込むのも無理はなかったのだろう。そこでどうだね、今は医学の進歩のお陰で結核は無くなったのかね。現代医学はあれから50年も進歩し続けたというのだからね。

「結核非常事態」の宣言

himaari:それがそうでなくなったんです。だからこうしておじいさん所へお話に来たのですから。次の引用記事を見てください。

「結核:長期間にわたり本邦の死因の第1位を占めた疾患

多くの人々が結核の怖さを忘却:全世界では年間3,000,000名が結核で死亡

WHO(世界保健機構):1993年に【結核非常事態】を宣言

適切な対策を講じなければ,今後10年間に30,000,000名が死亡」

さらにこの日本でもついに以下のような記事が出たんです。

「【結核緊急事態宣言】:平成11年7月26日厚生大臣発表

結核は過去の病気ではありません.年間新規発生患者数42,715名,死亡者数2,742名.

これが平成9年度の本邦の現状です.結核と気づかぬ人が多いから怖いのです」

以上の記事を読んで、おじいさんのお話を思い出したという訳なんです。

おじいさん:なるほど、そういうわけかね。それではわしも、半世紀前に書いておいたものがあるから、それを再度を出してみようかね。

「・・・では、今まで通りにしていれば今後どうなるかというと、むろん時の経つにしたがい、再び浄化が起り始め患者の数も増すので再び薬を用いるが、今度は以前ほどに効かないから毒をいっそう強めた薬が出来る事になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。そうしている中にいよいよ効かなくなり遂には全然効果がなくなると共に、今までの強い薬毒の浄化も加わって悪性結核激発となり急死する者数知れずという事になろうから今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。以上のような訳で、その時になったら今度の記念祝典を憶い出して身が縮むであろう。」

himaari:まあ、全部ではないけどかなり当たってきましたね。たしかに結核が撲滅したどころか半減どころか生きを吹き返して来たというのは事実のようです。世界中でも多くの結核患者が発生して死亡者も増えているのですからね。

おじいさん:事実はそのまま認めることが大切だよ。もちろんわしの言うことでも間違っている所は安易に認めるべきじゃないがね。それは君たちの賢い判断力と選択眼にかかっているのじゃ。

himaari:それにしても当時から大変なことをおっしゃっていたんですね。国民が御祝いをしているときにですから。

おじいさん:「私はこの様な悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っている以上、警告せざるを得ないのである。」と書いておいたのは、それなりの確信があったからじゃ。わしはその先がどうなるか分かっていたからじゃが、世界中の医学者達でさえもそれは予測出来なかったわけじゃ。もっとも誰かが分かるくらいならわしの出番もないのじゃがね。

himaari:そこで、なんでおじいさんはこの結核が再び頭を持ち上げてくるということを知っておられたんですか?

おじいさん:なあに簡単じゃよ。それは浄化作用の原理と薬毒の関係を知っていれば、誰でもこんな答えは出てくるものじゃ。これは自然の法則だからじゃ。人間の方でいくら努力を尽しても自然の法則には適うはずがない、従って最後は自然に従属する以外にじゃろう。

himaari:自然の力には敵いませんよね。その自然の浄化作用というのは体内ばかりでなく地上全般で行われるのですね。

おじいさん:次も先の続きじゃが、これだけハッキリと言えるのは薬と病気の関係を知っているからじゃ。

 「ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから当局も一般人も大いにあわて出し、結局医学が今日の新薬恐怖時代を作った事に気が付くことになるのである。」

himaari:しかし、今ではその結核時代を超えてガンがトップになってしまいましたね。そこで、浄化作用の原理で「薬は一時抑え」という事を思い出しました。まさか半世紀以上も過ぎてからとは。

しかも結核よりも悪質な癌になって浄化が行われるとは、さすがのおじいさんもそこまでは言われなかったようですね。

新薬の効果が半病人を造る

おじいさん:私はこうも書いたおいたじゃろう。

「新薬の効果によって直ちに死なない半病人が増えるからこわれ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働らく事も出来ず軽作業がやっと位の人間が夥しい数に上るであろう。としたら国家全体からみても由々しき大問題である。」

himaari:「ただちに死なない半病人」か。なんだか今の日本人を見ていると体格は良くなってもひ弱な人間が増えたと思えますね。何でも「無理をするな、疲れるような仕事はさしひかえて、体をたいせつに。」というようにね。そしていつも栄養いっぱい、美味いものをたらふく食べていても、まだ足りない、「栄養、栄養、」といってビタミンだのサプリメントだの常に不健康で栄養不足であるかのように言われ続けて。

では、どうして結核になるのかという事と、なぜそれが減少したのかということを詳しく教えてください。

おじいさん:それに対して書いたのが「いかなる人間も、一人も例外なく先天性及び後天性の種々の毒素を保有している。その毒素は平常時は体内あらゆる局所に団結しているが、一度浄化発生するや、溶解し始める。もちろんその場合、発熱、咳、節々の痛み、食慾不振等の初期の結核症状が表われるのである。それによって保有毒素は排泄されて真の健康体となるのであるから、浄化発生こそ大いに喜ぶべき事で、自然の大なる恩恵である。」

を君はよく読んでいたのかね? 何度も聞いてくるという事は。

himaari:あ、はい、いいえ・・・・じつは、これは僕のためだけでなく、ほかの人に教える為ですよ。

おじいさん:君もうまいねえ。時には調子もよいこともプラスになるか。しかし、君は自分の言葉で語って説明できないのかね? あれから何年もたっているはずなのに。

himaari:はい・・まあ・・出来ますよ。それでも、結核症状も結局は体内毒素の浄化作用ということくらいは、この僕でも理解しているつもりです。

粗の2へ続く

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