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15/2/7

ありえない人からの不思議な手紙で新しいビジネスが生まれた話

Image by Olia Gozha


数年前のある夏の日、1通の手紙が届いた・・・


30度を超えた、めちゃくちゃ暑い日だったが、

クーラーがキライだったうちは、窓を全開にして

パソコンに向かって仕事をしていた。


郵便やさんがポストに郵便物を入れた音がしたので、

汗を拭きながらトントンと階段を降り、

冷凍庫からアイスキャンディを出し、

くわえながら、郵便物を取りに行く。


ポストに入っていた、その手紙を見て、

うちの心臓は、一瞬止まりそうになった。



口にくわえたアイスがすべて溶けるくらい、

時間が止まってその場に立ちすくんでしまったんだ。


それは9年前に他界した、

”父”からの手紙だったから。。。



懐かしい父親の字


でも・・


でも・・


なんで????



なぜ、その手紙が届いたのかは、

手紙の文章を読んで理解した。


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「けんいちへ


元気かな?もう結婚してるのか?

家族はみんな仲良くできてるか?


お父さんは今、つくば万博に来ています。

(1985年に茨城県つくば市で行われた万国博覧会)


この手紙は21世紀になったら届くということなので、

今思っていることを書きたいと思います。


21世紀の世の中がどんな風に変わってるのかとても楽しみです。


でもきっとお父さんは、相変わらずお母さんのことが大好きで、

けんいちやはるな(妹)のことを愛していることでしょう。


こんないい加減な父の元に生まれたのに、

しっかりと育ってくれて本当にありがとう。


2人の父でいられること本当に誇りに思います。

これからも家族仲良く支えあっていきましょう。


けんいちが世の中にとっていいことを

仕事にできていると、とても嬉しいです。


手紙が届いてびっくりした、家族の顔を見るのが楽しみです。


たくさんの愛を込めて


父より」


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父との思い出と、もらったもの


父は昔からちょっと変わった人でした。


大切にしているおもちゃがあると、

「そんなもの友だちにあげちゃえ」

「え?あげたら無くなっちゃうじゃん!」

「人は死ぬときには何も持っていけない。だから亡くなった後に世の中に残るのは集めたものじゃなくて与えたものなんだぞー」

「てか、まだ死なないし。」

幼かった私には、父がまったく何を言っているか理解できなかったけど。


★おかげで〈モノ〉に対する執着がほとんどないし、人に与えるのが大好きになった。


そんな父はお酒が大好きで、飲んでベロベロで帰ってくる。

そして、たちが悪いことに、飲みに行くと隣で飲んでいた「どこの誰かも分からない人」と仲良くなって、うちに連れて帰ってきて泊めようとする。


そのせいで父はよく母親とケンカしていた。

で、昔はうちもそれが嫌で仕方なかった。


★おかげで、初めての人と話すのが得意になった。w

人を家に招いて、もてなすのが当たり前になったし、

そして、初めましての人とでも、一瞬で仲良くなれる。



「塩ってどうやって作られてるの?」

「よし!調べるからちょっと待ってろ!」

そんな質問を投げかけると、すぐに実際の現場をみせようとする。

「次の日曜日、塩つくってるとこ見に行くぞ!」

「え?マジで?」

そして、いつもそういう場所や現場に連れて行ってくれた。



テレビってどうなってるの?

と聞くとすぐに分解して説明してくれた。


★おかげで、疑問があったらすぐに解決したり調べたりするクセがついてしまった。。

だから、今でも情報や雑学にとても詳しいし、かなり多方面にわたって勉強をしている。



小学生のころ、友人たちと山でカブトムシをとっていたら、

23時を過ぎてしまい近所で大騒ぎになっていた(警察沙汰)


友人は家の間で待っていた両親から

「何時だと思ってるんだ!!!心配かけて、ふざけるな!!」

と怒鳴られて怒られまくって凹んでいたのに、


うちの父は

「ちゃんと、他の友だちにも分けてあげられるくらいとれたのか?楽しかったか?だったらいい。今度は、怒られないようにもっと工夫しろよ。」

「あ、う、うん。ごめんなさい」

と叱りながらも笑顔で迎えてくれた。


★おかげで、上手にやれば、好きなだけ好きなことをやってもいいんだ!と思えるようになった。


父は、研究員をしていたが、仕事をさっさと切り上げて、

明るいうちから毎日キャッチボールをしれたし。

「できるだけ、サボれるように努力しろ」

「は?サボったら怒られるじゃん。」

「サボれる奴には可能性だらけだからな」

「意味分からないし」

サラリーマンよりずっと多い収入をもらっていたよう。


「お金があると人を喜ばせられるからいいぞーお前も自分の好きなことで稼げよー」

「好きなことを仕事にしたら、好きなことが好きじゃなくなるって誰かが言ってたよ」

「そんなことないぞ。現に父さんは好きなことしかしてないw」

と言っては、よく母親に内緒でお小遣いをくれた。




★おかげで、仕事は効率よく短時間でやることが大切で、働く時間や量ではなくて価値の大きさで収入がきまる。

 それがすばらしいことだと信じられるようになった。


※母親からは逆にいつも「公務員か大企業」をススメられ、安定こそが絶対正義だと教わり、いつも混乱していたw


そんなおかしなことだらけの親父だったが、

チェルノブイリの原発事故があった時に

調査員として現地に飛んで被曝しガンになった。


うちが高校生の時に、余命は半年と告知されたのに、

それから6年も生きて普通にバリバリ仕事をしてた。


たびたび手術を繰り返し、入退院を繰り返していたが、

反抗期だったうちは、特にお見舞いにも行かなかった。



そんな父が、うちが20歳の誕生日を迎えたある日、

当時入院していた国立がんセンターを抜けだして、

うちが一人暮らしをしていたマンションに突然やって来たんだ。

「旨い酒があるから一緒に飲もう」

「あ、ああ」

酔っ払ってしまって、どんな話をしたかはぼんやりとしか覚えていないけど。

今までにしたことがなかったような話をたくさんした。


父の夢の話や父の家族に対する思い、

世の中を変えるような研究をする楽しさ、

私の夢の話なんかもしたと思う。


後から聞いてわかったんだが、父は

「息子が20歳になった時に、一緒に酒を飲むまでは死ねない」

といつも母親に言っていたそう。


その話を聞いて涙が止まらなかったのを覚えている。



父が「想い」だけで生き長らえてくれたこと、

死んでからも家族が困らないように、

しっかりと財産を残してくれたこと。


本当にすごい父だったと、感謝してもしきれない。


頭おかしかったけどw


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こんな思い出がたくさんよみがえったんだ。



これはビジネスになるかも!?



ハガキはつくば科学万博85で郵政省が

【21世紀に届く手紙】という企画で父が

偶然私に向けて出していたものだった。


うちには2005年、つまり万博から20年後に届いた。



父は、(あたりまえだけど)自分が死ぬとは思わず手紙を出していた。



ハガキが届いた当時、私は起業したてで、

会社がうまくいかずにもがいていた頃。


だからこの手紙を何度も読んでは泣き、絶対に成功して母親も妹も安心させたいと決意したことを今でも覚えている。



この父親からの手紙は、

きっと偶然でもなんでもない・・


時間が経つにつれ、

こんな感動をもっとたくさんの人に感じて欲しい!

という思いがどんどん膨らみ始めた。


亡くなった人から、手紙が届く・・


なんてすごい感動なんだろう・・



映画や小説ではありそうな話でも、

現実に手紙が届いたときの感動のレベルは桁違いで。



これは、ビジネスになる!



当時の私は、サプライズの会社を起動に乗せようともがいていた。


「動き出した時に偶然起こる”前兆”を見逃しちゃいけないよ」


私が弟子入りをした美人女子大生メンター

いつも言っていたことだった。


そして、ハガキの到着から数年後・・


私はサプライズの会社の中の事業の一つとして

【遺言サプライズ】というサービスを立ち上げた。


余命が分かっている人が、

「自分が死んだ後に家族や友人にサプライズを届ける」

そんな一風変わったサービス。


例えば、若くして旦那をなくした奥さんのもとに

毎年誕生日には旦那からの手紙やお花が届く。


例えば、亡くなった人から友人たちに旅行のプレゼントが届く。

その旅行に行ってみたら・・

故人からのメッセージDVDやプレゼントがある。


そんなサービスを、全国のホスピスさんと組んで展開しています。


サービスを始めるときにはたくさんの方からの非難があった。


でも、今では故人の家族の方や友人の方たちから応援と、

たくさんの感激の声をいただけるように。



お客さんとサプライズの打ち合わせする時には

「残りの人生でやりたいことは何か?」に向き合って、

悔いのない余命を過ごすようにしてもらっていて。


ただ一つおもしろいのが、自分が死んだ後も人にサプライズを与えることや、思いが残せる状態にワクワクするらしく、このサービスに申し込んだ人が、ほぼ一律「余命が圧倒的に伸びる」こと。。


ワクワクしまくっている状態って、病気が似合わないんだね。

だから余命が伸びると、うちは勝手に思っている。


このビジネスができあがったのは、

あの変人の父からのたった1通の手紙がきっかけだった。


ということでね、


もし、あなたが自分でビジネスを作りたいとか、起業したいとか、フリーランスになりたい思いがあるならば、


【一生懸命もがいている時に起きる偶然を見逃さない】


ようにしてみてください。



きっと、その前兆の中に

大きな価値やヒントがあるはずです。



サプライズのビジネスを立ち上げてからの、

★苦労の時代のお話はこちら

★年収3億円の女子大生メンターのお話はこちらです

※美人女子大生の話はストーリーズのストーリにあります

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