
「うつ病になりたくありませんか?」
いきなり不謹慎ですが初めまして。
僕の名前は湯川和樹です。
2013年9月24日から2014年6月28日現在の約9か月、僕はうつ病で会社を休んでいます。
仕事には行っていませんが会社でのカウンセリングを週に1回と心療内科の受診を月に2回行っています。
昨日までは家で妻と10か月になる子供とのんびり暮らしていましたが、3日ほど前に発作が出てしまい妻の負担を大きくする事になってしまったので1人実家に帰って来ました。
少しおちついたので、書こうと思っていた事を書きます。
今日は僕がなぜ、いったいどうやってうつ病になったのかをお話します。
「そんな話聞きたくねーよ」
「かまってちゃんうぜー」
「根性なかっただけだろ」
「甘えてる」
「こんなの書いてるくらいなら働けよ」
こういう風に思う方は読まなくて結構です。
他の方の面白そうな記事を読んで刺激にしたり、笑ったり泣いたりしてください。
このお話では、僕の体が動かなくなる前に何が起こったのかをお伝えしようと思います。
今あなたが一生懸命、身を粉にして働いているならば自分に当てはまるところはないのか。
また、身の回りの方に当てはまることはないのか。
そういった目線で読んで頂ければ幸いです。
それでは、始めます。
■僕の仕事は建設現場の監督です。
大雑把に言えば建物を建てる仕事。
少し細かく言えば
建物を建てるための工事計画を立てて
日々の工事に必要な業者を手配し
現場の工程・品質・コスト・安全を管理する業務になります。
僕は2009年からこの仕事をしていて、今までに建てた建物は
・47階建て173mの高層マンション
・トヨペット店
・精密機械工場
・がん治療の専門病院
・個人運営の産婦人科
・大型の総合病院
の6件です。
受注金額は安いもので5億円、高いもので数百億です。
すごい金額に見えますよね?
でも、ほとんどの物件が『工事を始める前から赤字』なんです。
それも億単位の、です。
これは営業が受注した時点で決まってしまうので、現場サイドの僕らにはどうする事もできません。
でも、会社である以上は利益を出さないといけません。
つまり、『現場でなんとかする』んです。
なんとも抽象的ですよね。でも、本当の事です。
マイナス5億円をプラス2千万まで回復させた事もあります。
■実際、現場で出来る事は限られています。
資材の節約、工法の工夫、工事業者との値段交渉、人件費節約くらいだと思います。
普通の事に見えますが、これで億単位の赤字を回復させるんです。生半可な事じゃありません。
人件費の節約により人員が削減されます。
でも、仕事の量は変わりません。当たり前ですね。
検査や引き渡し日は決まっています。
作らなければいけない資料は山のようにあります。
現場やお客様のための資料だけでなく、社内の人しか見ない存在意義がわからない物も「昔からある。」という理由で。
事務所にこもって書類を作っていると、職人から携帯に電話が入り呼び出されます。
事務所に怒鳴りこんでくる職人もいます。
そりゃあそうです。監督は誰も現場を見ていないんですから。
工程表(工事の予定表)のデザインが気に食わないという理由で上司に呼び出されます。
現場で出来高のチェックや写真撮影をしていても事務所に呼び出されます。
職人が足りなければ若手の監督が作業をします。
土をシャベルで掘り返したり、鉄筋を組み立てたり、邪魔な材料をどかしたり、足場を組んだりとかいろいろです。
朝8時からの朝礼の為に7時には事務所入りして準備をします。
上司はもちろん朝礼5分前に来ていたら早い方です。
コンクリート打設当日、鉄筋の写真撮影が終わっていなければ始発で現場に行って朝礼までとコンクリート打設中にも撮影します。
それでも前日に、検査は終わっています。
上司は定時を過ぎると僕に仕事を投げて帰宅します。
「明日までに」と言い残して。
僕が事務所を出るのは早くても22時を回ります。日付が変わっているとかもザラです。
それでも仕事は終わっていません。
毎日朝までやったって終わる量じゃありません。
終電を逃してタクシーで帰宅した翌日、レシートを提出したら目の前でゴミ箱に捨てられたこともあります。
突然夕方に所長の思いつきで飲みに連れ出され、朝5時まで終わらない事もしょっちゅうです。
家に着くのは日付が変わってから。
食事をしてシャワーを浴びて、寝るのは2時前くらい。
そしてまた朝6時前に起きて現場へ向かい、
監督とは名ばかりの肉体労働を夕方までしてから夜遅くまで事務作業をします。
現場によっては若手は1人です。
所長>次席>僕 です。
この場合は現場の業務はすべて若手(僕)が行います。
100~300人程の職人を動かします。
ミスをすると吐き捨てるように文句を言われ、必死で考えても解決策が浮かばず相談すると自分で考えろと突き放されます。
僕が現場業務を終えて18時ごろに事務所に戻ると上司は一声もなしに定時で帰宅していることもありました。
こんな生活を5年間続けていました。
■そして、その日が来ました。
兄の結婚式があった翌朝、体に力が入らなくて起き上がる事ができませんでした。声も出ません。
上司にショートメールで休むことを伝え、もう一度眠りました。
気付くと翌朝でした。妻がりんごを食べさせてくれたようですが覚えていません。
トイレにも一度妻の肩を借りて行ったそうですがこれも覚えていません。
体はやはり、動きません。
意識も朦朧としています。
次に気づくと、病院のベッドの上でした。
股間には管が刺さっていて、その管を尿が通っていました。
妻が救急車を呼んでくれたそうです。
僕の両親もいました。
MRIやCTなど、様々な検査をされましたが、体には異常がないとの診断を受けました。
3日ほどで起き上がれるようになり、1週間で退院しました。
そして、家の近くの診療内科を受診し、「うつ病」と診断されました。
それから休職しています。
■倒れる1か月ほど前から予兆は出ていました。
8月に子どもが生まれた頃から、夜にしっかり眠れなくなりました。
新生児は1~2時間おきに泣いてミルクを欲しがります。
飲み終えると普段はそのまま眠ってくれますが泣き続ける事もあります。
そんなときは再び眠るまで抱いて揺らしながら歩きます。
妻は24時間ずっとその世話をしてくれていたのですが、体力的に厳しそうな時には僕が寝かしつける事がありました。
そのため就寝が3時を回る事もありました。
朝は出勤途中でパンを買って食べていたのですが、味がしなくなりました。
仕事量が多いので、リストに書き出して一つ終わると消すようにしていたのですが、
いつも20~30項目は余裕で超えるリストが2~3項目しか思い出せないようになりました。
常に心臓がドキドキしていました。
携帯電話のコールを無視するようになりました。
事務所から現場へ向かうときに途中で何故か引き返してしまう事もありました。
丸一日、頭が働かずにパソコンに向かって仕事をしているフリをする日もありました。
みんなが笑って会話している中で一人だけ焦って仕事をしている事もありました。
大好きな音楽も聞かなくなりました。
突然涙が出るようになりました。
一日に何度も死にたいと考えるようになりました。
それでも、「兄の結婚式までは頑張ろう。」と思っていました。
兄の結婚式では、ずっと笑っているフリをしていました。
豪華な料理の味も感じませんでした。
そして次の日の朝、起き上がる事はできませんでした。
以上が、僕がうつ病になった物語です。
正直、最後の方の僕は『うつ病になりたかった』んだと思います。
兄の結婚式まではなんとしても頑張ろうと思っていたことがその証拠です。
最後は、逃げたんです。
僕よりももっとつらい状況で弱音を吐かずに戦っている人はたくさんいると思います。
そんな人たちの事は尊敬していますし、心配です。
僕は以前は比較的明るく能天気な性格でした。
だいぶマシになった今でも涙が出る事や死にたくなる事があります。
自分で言うのもなんですが、僕は「逃げる事」は間違いじゃないと思います。
死ぬくらいならカッコ悪くても逃げた方がずっとマシです。
後ろ指さされたって、会社で悪口言われてたって聞こえないし見えないんだから関係ありません。
そんな事心配するより家で家族とゆっくり過ごしたり、普段は見れないテレビ番組を見たり、平日に外を出歩いてみたりした方がよっぽど有意義だし楽しいです。
会社だって、なんとかなります。
その為の組織なんですから。
だからあなたも本当に辛くなったら、どうか逃げる事を選択肢に入れてみて下さい。

