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- 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第16章「自分の核をみつけること」 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/2/15 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第16章「自分の核をみつけること」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー その1「大震災の影響と、家族の大問題と」 2011年5月。東日本大震災の影響と不安感は、 まだ世間に色濃く残っていました。そして外の世界 だけではなく、実は家族や自分自身においても、 この時期は不安な事がたび重なりました。 まず昨年春に重い脳梗塞で倒れてから、 この1年間自宅でリハビリを続けていた父が、 今度は緑内障の手術を受けました。 しかし残念ながら手術は上手く行かず、この後 父は少しずつ視力を失い、ついには失明してしまいます。 目の見えない病人がいる事は、家族にとって非常に厳しい 介護が始まる事を意味しました。 また妹にも大きな病気が見つかり、緊急に手術をする事に。 こちらは命に係わる大病でした。なんとか無事に成功して 安堵したのも束の間、今度は私の左目に、いきなり 大きな影が現れました。あわてて眼科に行くと 「これは飛蚊症で、治らないです」との診断が下されました。 飛蚊症にも様々なパターンがあるようですが、私の場合は 運悪く、目の中央にずっと滞在する、かなり大きな黒い影でした。 それ以降、なかなか目の焦点を合わす事が難しく 視力にも影響してきました。 そしてこれら全てが、どういう巡りあわせか 同時期に一度に起こりました。 その間も、地面は余震でグラグラ揺れています。 身体的にも精神的にも、不安な事この上ない。 そして、これだけでも十分な激震なのに、追い打ちを かけるように、生活の為に仕事をしていたアート系の施設でも 上司が代わり、なにかと厳しい嫌がらせを受ける様になったり、 その上司に媚びる同僚との人間関係にも悩まされ、更には 恋愛もうまく行かなくなり…と、今までの順調さが嘘のように覆り、 周囲から人の気配も、運気もザーッとひいて行きました。 後で知ったのですが、私はこの年から大殺界が 始まっていた様です。占いを鵜呑みにするわけでは ないけれど、どうも「普通の大殺界」ではなかったらしく、 大殺界に天中殺に、その上運気のバイオリズムも 落ちている時期だった…と、とにかくありとあらゆる 項目が全て悪い。実に4パターンぐらいの運気の悪さが、 一度に押し寄せて来ていた「もう例えようがないぐらい酷い」 時期でした。 今となっては「命を取られなくて良かったなぁ」と思える程に 辛い日々が、この先3年間続きました。それはまるで 茨道の上を、猛吹雪に遭いながらやみくもに歩いているような、 精神的にも、肉体的にも、更には金銭的にも、 厳しい厳しい時期でした。 その2「カフェで個展を行う…が」 世間も、私個人も、ネガティブになりつつあったこの時期 イラストレーターになって初めて個展を開かせて もらったギャラリーから「展示をしませんか」との お誘いがありました。但し、ギャラリーは数年前に 改装してしまい、今はカフェになっているとの事。 なので店内の壁を利用した、カフェギャラリー展です。 けれど大きな個展もグループ展も、昨年したばかりです。 出すものは全て出し尽くし、ストックがない状態だった のですが、折角のお誘いです。色々鬱屈していた 時期だった事もあり、少しでも何か活動をした方が 気も紛れるだろうと、急きょ開催を決めました。 こうして行われた「新緑ピクニック展」は、小粒で 穏やかな感じの展示会になりました。 けれどこの展示会、どうも声をかけて下さった ギャラリー側のご意向は、昨年行った大きな個展の様な 集客力を期待されていたのかもしれません。なので 打ち合わせ当初は「今後、毎年企画展を開催しませんか」と 言って下さったので「とても気前がいいお話だな」と思ったのですが、 実際にはこの展示の開催後は、連絡が途絶えてしまいました。 通常のギャラリーと違ってカフェで行う展示会は、 ほとんどの場合そこで何かをオーダーして、作品を 見ると言う形式をとっています。お店の集客を狙って、 空いている壁を利用させて頂くので、借りる料金も安いのです。 その上、自分で企てた展示ではなく、今回の様にギャラリーから 声をかけて頂いた企画展の場合、借り賃もタダです。 なので集客が見込めれば、売り上げも伸びてギャラリー側と しては誘った甲斐もあるのですが、そうではないと…。 実は、私は来てくれた人にお金を使わせてしまうカフェ展は、 元からあまり宣伝しないようにしていました。先方の意図に 最初から気づいていたら、そうお伝えることも出来たのですが…。 お役に立てず、ちょっと心苦しい思い出になってしまいました。 展示会も、色々なのです。 その3「連載が終了する。そして仕事が止まる」 この年の8月。 1年間続いた旅するイラストルポの仕事が終了しました。 色々と難局を乗り越えたので、終わった時は 「事故もなく、無事に終了して良かった」と安堵しました。 しかし、その後は(他社含め)どんなに営業をしても、 どんなに良い企画が立ち上がっても、なぜか一向に 仕事には繋がりませんでした。 もがいても、もがいても、全く仕事が取れず、気がついたら 次の仕事を得るまで、2年4か月間と言う最長のブランクを 味わう事態に陥りました。 そんなに長期にわたって表だった活動が出来ずにいると、 いよいよもう、イラストレーターとは名乗れないのではないか? それだけではなく、世間にも忘れられてしまうのではないか? もしかしたら、このままもう二度と仕事が取れず、強制的に イラスト業を廃業する事になってしまうのではないか? そんな焦燥感溢れる日々を送る事になりました。 ただ震災後は、私自身も人に会うのがすごく億劫に なりました。介護や体調のせいもあったかもしれませんが 外に出て誰かに会うのが、しんどいのです。 それに「何かをしよう」と言う気力も、全く湧きません。 なので次第に都心に出て、ギャラリー巡りをする回数も減り 日に日に内向的になっていきました。 その4「ヨガを始める」 イラスト活動が思うように行かなくなると、生活の糧は自ずと 副業の仕事に頼る様になりました。けれどこのアート施設の業務も この頃から職場内での人間関係が、全体的に不穏な雲行きに なっていました。 本筋のイラスト活動とは関係がないので、詳細は省きますが 毎日毎日仕事に行くたびに、どす黒い感情が溜っていきました。 これはまずい。その内に私は、ストレスで禿げてしまうかもしれない。 そんな折、自身の心だけでなく、体も硬くなっている事に 気づきました。実はこの時は、マシン系のスポーツジムに 通っていたのですが、それがどうも合わなかったようです。 そこで「体をほぐすスポーツに切り替えよう」と思い、 近所のヨガスクールに通う事にしました。 結論から言うと、これがすごく良かったのです。 私の暗黒の3年間は、描く事と、ヨガに救われたと言っても 過言ではありませんでした。 ヨガは単に体がほぐれるだけではなく、呼吸法のせいで 精神的にも安定出来ました。日々のどす黒い感情を、 ヨガに来ては吐き出す。溜めては吐き出す。吐き出す…。 その繰り返しでしたが、どんどん溜め込むよりは 遥かにましでした。 そしてヨガは、心の中を「無」の状態にするため、色々と潜在的な イラストのアイデアも、レッスン中に浮かんできやすくなりました。 辛い日常に直面すると、人は自然と自分を助ける術を 見つけ出すのかもしれません。人間は、容易には負けないように 出来ているのかもしれません。 その5「自分の核を見つける」 調子が良い時期はとんとん拍子で事が運び、 人脈も広がります。例えば名刺を何十枚作っても、 すぐになくなってしまうぐらい、何処を歩いていても、 すごい勢いで人と出会うし、仕事も舞い込みます。 でもこの年、配った名刺は10枚にも満たなかったのです。 名刺を持って歩いても、なぜか街中や行く先で 全く人に出会わないのです。 長く活動していると、そういう時もあるんだなと思います。 なのでこの時期は、静かに自分と向き合っていました。 以前、作品を見てもらった方に「自分の核を掴みなさい」と アドバイスを受けた事がありました。忙しい時は、あまり 気にも留めていなかったけれど、動きがなくなった この停滞期に改めてじっくりと、その意味を考えてみました。 そうする内に『私は絵を用いて、記録を残したい』という 以前もふと断片が浮かび上がって、そのままにしていた 考えに行きつきました。そう言えば、今まで描いてきた ルポやマップなども、そういう記録を残すような類の モノですし、絵具で描いた人々の日常風景も、 そこが根底にあると、改めて気付きました。 もっと振り返ってみると、ノーマン・ロックウェルに 惹かれたのも、あの作品が人々の日常をテーマにして 描かれたものだったからです。 「そうか、私が大学に進む時、美大ではなく史学科を 選んだのも、人々の歴史や営みに興味があった からなんだ」と言うように、どんどん今まで歩いてきた 道の中に、おのずと「自分の核」になる答えが 見つかっていきました。 今までもなんとなく「自分の核は、これじゃないか」と思う時は ありましたが、震災を経た事で改めて「何気ない日常生活が、 一番尊くて大切な事」と再認識しました。 その情景を、描いて残していきたい…と。世の中も人も、 出会いは一時(いっとき)で、移ろいやすいものだから、と。 そして自分が描きたいテーマ(核)が掴めたことで、 この先の制作も、より絞り込んで描く事が出来るように なりました。でも本音を言えば、もっと早くに核を 掴めていたら良かった。そうしたら色々回り道せずに、 もっと効率が良いイラスト人生を送れたのに。 でも時間や手間をかけて「ああでもない、これも違う」と、 自分でひとつひとつ辿って、確認して、納得しながら 歩いてこないと行きつけない場所があるし、身につかない 考えもある気がします。 それに気付くことが出来た、活動16年目でした。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- How to acquire English skills even if you don’t want to. Chapter 3 Work and English (1) 3.4 Retirement before my age of 30, Studying at SDSU (San Diego State University) | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 How to acquire English skills even if you don’t want to. Chapter 3 Work and English (1) 3.4 Retirement before my age of 30, Studying at SDSU (San Diego State University) Facebook X (Twitter) リンクをコピー Less than two years after my returning to work after studying at Kyoto Institute of Technology out of the company, the company's offer of voluntary retirement was good timing for me to carry out my secret life policy at the time of joining the company, which was to end my corporate life by the age of 30 and become independent. (It may sound a bit imprudent), but in a sense, I thought it was a God-given opportunity. Of course, on the other hand, most of my colleagues were puzzled or troubled by the company's severe proposal of voluntary retirement. As soon as I heard about the company's voluntary retirement policy, I decided to leave the company, as was my default. I made my intention to leave clear to the labor union and to the company when they interviewed me and explained the situation to me. In the case of me, who had only been with the company for a short period of time, my supervisor told me to remain in the company, but I made my decision clear. The fact that I could receive a voluntary retirement allowance (retirement surcharge) was a big attraction for me, whereas the usual retirement for personal reasons or voluntary resignation would result in no severance pay. I thought I could use that voluntary retirement allowance to study abroad in the U.S. for a short period of time to check my English language skills as a result of my self-study of English for a long time until then and to prepare for my next step of business career, a job where I would use English. And it was in September 1976 that I carried out the retirement in the series of actions of "resignation - short-term study abroad - independence". I remember that it was September 6, 1976 when I arrived in Los Angeles via Hawaii on the first jumbo jet (Boeing 777) I ever boarded from Haneda Airport for a short-term study abroad program in the United States to check my academic ability. It was my first time abroad, my first time in the U.S., and my first time traveling alone, so everything was new and fresh. I was 29 years and a half old. Serially posted in English every Tuesday. 毎週火曜日に連載中 For photo data and materials, please refer to the following websites. 写真データ、写真資料は以下のサイトを参照下さい。 https://www.facebook.com/kamamototsuguru X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 『教える』ということ 第2回「教えないということ」 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/5/2 『教える』ということ 第2回「教えないということ」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 今日も疲れてもうじき寝たいが、そう長く書くこともないので書いてしまおう。 教えないということ 私は、演習を解いていて、思い悩み苦しんでいる受講者を見るのが好きだ。 実はこれは、仲間内の先生や受講者に対してよく言っていることである。実際これは真実で、私はそういったところを見ているのが好きだ。 「教える」ということに対して教え方は様々あるが、必ずやっては行けないことが1つある。それは『答え』を教えてしまうことだ。 このことは、社会人向けセミナーに限らず、「教える」という行為すべてに対して言えることでもある。例えばこうだ。 子供の飛行機 小さな子供が飛行機を見て、必ずと言っていいほどこう聞いてくる。 「どうしてアレ(飛行機)は飛んでいるの?」 それに対する親の対応はどうだろう? 「飛行機だから。アレはそういうものだから」 「どうしてだろうね?」 前者と後者では、全くと言っていいほど返答が違う。 もちろん、理系人間の私から言わせれば、「ジェットエンジンによって加速し、翼で空気をとらえることで揚力を生み出し、機体を浮かせている。」などと説明しそうなものだが、それがわかるのは中学生くらいだ。 話を戻そう。前者と後者の返答の違いは何だろうか? 表面的にみれば、親が子供の言っていることを面倒くさがってうやむやに答えているだけに思える。 しかし、子供の視点から見るとどうだろう。 実はこれは、子供の抱いた疑問を『否定 』しているのだ。 子供はふとその瞬間「疑問」が自分の中で生まれたのだ。そしてそれを共有しようと親に話しかけた。しかし、親はそれを受け入れなかった。結果子供は、自分の抱いた「疑問」を否定されたことになる。 このサイクルが繰り返されるとある現象が起きる。 そう、子供が「疑問」を抱かなくなるのだ。 原理は簡単だ。生まれた「疑問」に対して、「コレはそういうものなんだ」という結論を自分で出してしまうからだ。 上の表現から結論を言おう。『好奇心』が無くなっているのだ。 こんなことを言っていると、読んでいる人はこう言いたくなるかもしれない。「お前が答えを言っているじゃないか」と。 これに対しては正直に言おう。「答え」では無い。「警告」です。 「わからない」ということ 前置きが長くなってしまったり、脱線してしまうのが私の悪い癖である。実際セミナーをやっていても変な方向に脱線してしまうこともある。そんな時は時計を見て、5分以内に軌道修正するように心がけている。 セミナーの演習が始まると、正直講師の仕事は半分以上が終わっている。なぜならやることがほとんどないからだ。 無いと言っても何もしない訳ではない。ひとり一人に目を配り、様子を見ながら的確なアドバイスをするのだ。気が休まることはない。 上のように書いても全く状況はわからないだろう。実例を挙げよう。 受講者は必ず手が止まるのだ。それはわからなくなった時である。止まった時からが要注意だ。様子を見て、それが単に「忘れている」だけなのか、それとも真に「わからない」のかである。 私が行動を起こすのは、受講者が止まってから5分後である。 まずは一声かける。「どうした?」 決まって返事はこうである。「わかりません。」 またかと思いながらもまた一言。「何があった?」 そう言うと、受講者は言葉を探しながら状況を説明してくれる。 それを聞けばだいたいの状況はわかってくる。少なくとも本人が忘れているだけであるかどうかは確実にわかる。忘れている場合は対処は簡単だ。以前やったページを指定するだけだ。もちろん曖昧に指示する。 確実に「解決策」がわからないとき。ここからが本番だ。 まずは1つ1つ状況を確認して行く。先ほどと同じことをしているように思うが、少し試行を凝らす。 「じゃぁこうやった場合はどうなる?」 相手の疑問に対して、別の方向からの疑問を投げかけるのだ。もちろん適当に投げる訳ではない。こちらが目的とする方向に向かって動いてくれるように投げるのだ。 この手法はいわゆる「コーチング」というやり方だ。 注意すべき点はそれほど多くない。答えを知っていても相手に教えず、相手の凝り固まった思考を外からもみほぐしてあげるのだけでいいのだ。 受講者が求めているものは「答え」では無い。「解き方」なのだ。それを意識して、受講者からの質問を誘導してあげるのが講師の役目である。 こんなことをやっていると、受講者からいろいろなことを聞ける。 「待って先生。言わないで」 「後もうちょっと。くやしぃ〜!」 「なんでわからないんだよ!(自身に対して)」 とてもいい表情をしてくれる。 私はそれを糧にして、彼らの表情を思い浮かべながら演習問題を作るのだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 笑顔と人間の価値についての薀蓄話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/10/6 笑顔と人間の価値についての薀蓄話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 意味ありげなタイトルですが、実際はそれほどの話しではありません。他のかたが人間は顔ですみたいなタイトルの話を掲載されていたので、その補足です。 昔、アルバイト先である女の人に出会いました。とてもとても綺麗な人だったのですが、あまり人前で笑いませんでした。それなりにその方と仲良くなって、何度か笑顔も拝見したのですが、どうもいまいちしっくりこないというか、笑っていない方がとてもとても美しくて、下種な言い方をさせてもらえば、そそるような容貌でした。 ほかのバイトさんとも仲良くなって、一緒に飲みにいったりもする関係になったのですが、その方はなかなか一緒に出掛けてくれませんでした。それがついある時にある場所でその方とばったり出くわしたのです。おそらく恋人と一緒だったのではないでしょうか、ある男性の方と一緒でした。その時の彼女の笑顔はなんともいえない美しいものでした。人間だれしも特定の誰かにしか見せれない顔というものがあるのでしょう。そのとき私は感じました。やはり人間は顔で決まる。 とりわけ最高の笑顔は最高だ、と。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 投資事業への配属が確約されて入社したのに入社式の日に異動を命じられる | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/3/1 投資事業への配属が確約されて入社したのに入社式の日に異動を命じられる Facebook X (Twitter) リンクをコピー 2008年10月に、当時大学4年だった僕はアメーバの会社の子会社の○○モバイルという会社に入社した。CAモバイルの投資先で9月までアルバイトしており、CAモバイルの投資部門が若手を募集しているとのことで応募して働かせてもらうことになった。その後はOJTで紹介で持ち込まれる案件の経営者に毎日会い、デューデリの日々。学生ということでそこまで事業経験もなく、わけがわからない状況で議事録すらまともに取れていませんでした。しかし、かなり密度の濃い日々で、ここでの経験が今の僕のベースを作っていると断言できます。上司とも喧嘩しながらもガチで戦いながら鍛えていただいていました。 2009年4月に、3月は卒業旅行のため会社を留守にしており、久々に入社式で出社。たまたま上司と廊下ですれ違うと、神妙に「後で話がある」といわれる。同期は20数人いたが全て総合職採用で、僕だけ10月に遅れて内定をもらい、事実上部門別採用だった。投資部門で即戦力にするために10月以降はフルタイムで働いていた。夜に上司に呼ばれて話を聞くと「投資部門で採用できなくなった」と言われる。リーマンショック後ということもあり、投資にリソースを割かない方針となったという。え?部門別採用でしょ?うそ?と頭が真っ白に。ただし、内定書には部門別との明記はなかった。事実上の部門別だっただけである。部門での採用がなくなったからといってクビになるわけではないが、この会社での投資以外での仕事に興味がなかった。入社式に配属を覆される。なかなか希有な経験だ。 その後、社内の役員などに政治を試みるも虚しく投資部門への配属は叶わず。配属はキャリアとの交渉の部署となったが、やる気が全く出ず、鬱の手前状態に。その後広告営業に移るが、REP業に意義を見出せず結局2009年12月に退社した。なかなか苦い新卒時代の思い出だ。社会人になってから、社会人1年目が一番辛く、パフォーマンスが悪かった。広告営業などの経験は今に役立ってはいるものの、「会社を信用し切ってはならない」という思考の礎はこの体験にある。会社は従業員の希望を飲むとは限らず、あくまで会社都合である。会社に振り回されるのが嫌でたまらなく、僕はフリーランスとなった。 会社なんて信じちゃいけない。信じられるのは自分だけ。今も忘れられないトラウマ的な出来事です。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 5歳で両親の離婚を経験して心に傷を負った僕が音信不通だった母と18年ぶりに再会して気付いた親子に必要なたった1つのこと | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/12/6 5歳で両親の離婚を経験して心に傷を負った僕が音信不通だった母と18年ぶりに再会して気付いた親子に必要なたった1つのこと Facebook X (Twitter) リンクをコピー 父 「どっちについていきたい?」 突然の質問に5歳の僕は答えられませんでした。 僕の記憶の中ではどこかの家の一室にママとパパとお姉ちゃんと僕がいて、詳しい経緯はわからないけど、悲しいことが起きているということは感じていました。 字幕の付いてない洋画を見てもどんなシーンかわかりますよね?あんな感覚です。 僕は質問への答えが今後の人生を決める答えになるのだとなんとなく直感していました。 ですが、ママかパパのどちらかを選ぶなんてできません。 5歳の僕 「ふたりともいっしょにいてほしい。」 それが5歳の僕の答えです。 でもそれはできません。 なんで?理由もわかりません。 どうすればいいのかわかりません。 なみだがでてきます。 2つ上のお姉ちゃんも泣いています。 …そして僕は決断します。 5歳の僕 「パパといっしょにいる。」 理由はわかりません。姉曰く、僕がそう言ったから私もそうしたとのこと。 僕もよく覚えてません。思い出せるのは悲しい感覚だけです。 5歳の時に両親が離婚して父親に引き取られた僕と姉は、父と祖母と4人で暮らしていました。 父と祖母が営む喫茶店と自宅が一体になっていましたが、喫茶店が開店しているときは入りにくかったので、2階の部屋でゲームばかりしていました。 母がいない生活が普通になって、家事は祖母がしてくれていたので祖母が母親のような感覚でした。それでいいと思っていました。 小学3年生の時に喫茶店を閉めることになり、喫茶店のある家からそれほど遠くない所に引っ越しました。 通う小学校が変わりましたがそれも中学に上がると、田舎で学区が広いため前の小学校の友達と一緒になれました。 授業参観や友達の家に遊びに行った時に友達のお母さんを見て少し羨ましい気持ちになるときもありましたが、母が恋しくなることはありませんでした。 というより、どれだけ願っても母が帰ってくることは無いとわかっていたので、母を求めることはやめていました。 そして、高校生になった僕。 小学4年生の時から野球を始めていた僕は高校でも野球部に入りました。 部活の中でも野球部というのは特に学生の親の手助けや応援が求められる傾向にあります。 それは僕の入った高校でも同じで、親御さんの会が作られて試合のときは役割分担をして裏方の仕事をしてくれていたそうです。 そのおかげで練習や試合に集中できたので、当時お世話になった親御さん達にはとても感謝しています。 僕の父は僕たち家族を養うために働いてくれていたので、試合や練習を見に来たりすることはありませんでしたが、練習終わりに雨が降っている時などに、車で迎えに来てくれていました。 高校生にもなると僕自身、離婚を経験して12年程経って気持ちも割り切れていたので、 17歳の僕 「女の子と話す経験少ないし苦手やわぁ。お母さんいいひんからなぁ。」 友達 「いや、笑いにくいわ!」 なんて会話も日常茶飯事で、気にしてもいませんでした。 親御さんも僕が離婚を経験していることは知っていたので「田中くんのお母さんは来ないの?」とか的外れな質問をされることはありませんでした。 手伝いに来てくれる親御さんはやはりお母さんが多くて、友達のお母さんの集まりというイメージがありました。 そんな中でも特に面倒見の良かったのが後輩Tのお母さん(T母)で、僕と後輩Tが同じポジションだったこともあり、お兄ちゃんのような感覚で接してくれました。 遠慮を知らない高校生の僕はT母に敬語も使わず馴れ馴れしく喋っていましたが、T母は気にする様子もなく優しく対応してくれていました。 社会人になった今もT母には、たまに挨拶しに行ってます。 そんなT母の存在もあり、母親がいないことを意識することが少し増えましたが、真面目がウリの田中翼は問題も起こさず卒業しました。 高校卒業後、柔道整復師を目指して専門学校に入学した僕は、3年間勉強をして国家試験に合格して柔道整復師として整骨院で働くことになりました。 そして整骨院で働き出して3年目の夏。 23歳になって、結婚する同級生や後輩が増えてきていました。 友達と話すことが好きだった僕は、同窓会などでも近況を聞いたり学生時代何を考えていたのかを聞いたりしていました。 ですが男ならまだしも女性となると、結婚後は一緒に話せる機会が減ってしまうと考えた僕は同級生の女の子ともっと話そうと思い、連絡を取るようになりました。 そして一番に白羽の矢が立ったのが同級生のM美でした。 実はM美とは不思議な縁があり、3歳の時から親子同士で仲良くしていてよく家にも遊びに来ていました。小学校に上がり離れ離れになったのですが、2年生の時にM美が引っ越してきて小学校でも一緒になりました。しかし一緒になったのも束の間、3年生の時に僕が引っ越してしまい、遊ぶこともできなくなりました。 中学校でまた一緒になるのですが、しっかり話すことはなく廊下ですれ違う時に意識する程度でした。 高校でも一緒になったのですが、しっかり話すことはなく卒業して、それからはFacebookでやり取りするぐらいでした。 でも、だからこそ今のうちにしっかり話しておきたいと思ったのでM美にFacebookで連絡をとって一緒にご飯を食べに行くことになりました。 仕事が終わって、駅で待ち合わせて久しぶりに会ったM美は社会人になって昔の面影を残しながらも綺麗になっていてドキッとしましたが、話してみると明るくて話しやすい昔のままのM美でした。 店に入って料理を食べながら、昔のことや最近のことを話しているとM美のお母さんの話になり、実は数年前M美のお母さんが倒れて入院することがあったということを知りました。 全然知らされていなかったので驚きましたが、今は退院して元気になっているそうなのでホッとしました。 その話の中でM美は言いにくそうでしたが、M美のお母さんが入院している時に僕の母がお見舞いに来てくれたとも話してくれました。 離婚する前からM美のお母さんと僕の母が仲良しだったのは知っていましたが今どうしているのかは全く知らなかったので驚きました。 驚いてばかりですが、連絡を取らないと近況もわからないものです。 そこから僕の母の話になり、僕は姉の話を思い出しました。 それは姉が高校生の時突然、母と名乗る女性が自分に会いに来たという話でした。どうやら母はM美のお母さんのお見舞いに行ったとき姉がいる学校を知って、会いに行ったようです。 高校生の姉は動揺してどうすることもできなかったと言っていましたが、その後連絡を取り合って実は母と何度か会っていたそうです。 M美もそれは知っていたようで、その時の経緯も話してくれました。 知らないことだらけだったM美との食事はあっという間に時間が過ぎ、M美を家まで送って帰りました。 遠いと思っていた母の存在が自分と近いのだと感じた日でした。 そして運命の日は近づいてきます。 ある日姉からLINEが入りました。 姉 「10月25日演奏会あるけど来る?」 僕 「予定ないし行くわー。」 姉が所属するオーケストラの演奏会に出るとのことなので、 特にその日予定もなかった僕は見に行くことにしました。 しかし一人で見に行くのも少し寂しい気もしたので姉のことも知っているM美を誘ってみましたが、当日は仕事で行けないとのこと。 仕事終わりに近くでご飯ぐらいなら大丈夫だと思うとのことだったので、演奏会終わりにM美と待ち合わせることにして当日を待ちました。 しばらくしてまた姉から連絡がありました。 姉 「演奏会お母さんも来るで」 え? と思いましたが、 ポーカーフェイスがウリの田中翼は 僕 「じゃあ一緒に見るわ。」 と返信しました。 内心はドキドキしまくりです。 18年間会っていなかった母との再会。いつかできればいいなと思っていたことが、いざ叶うとなるとこうもドキドキしてしまうものなのか。 そして演奏会当日。 電車を降りて会場に向かい、少し早く着いたので僕は中に入って待っていました。 18年ぶりの再会。ですが僕は決めていました。 僕 「できるだけ自然に振る舞おう。実家のお母さんに久しぶりに会う感じでいこう。」 少し待っていると数日前姉に聞いた、母のLINEから「入り口の外にいます」と連絡が入ります。 入り口の外へ僕は向かい、母を探します。 顔も背の高さも5歳までの記憶しかないので見つけられるか心配でした。 が、 間違いなくこの人だ。 とわかりました。 僕 「久しぶり。」 と声をかけました。 母は 母 「久しぶり。大きくなったなぁ。」 と返し、嬉しそうに笑ってくれました。 その時、僕は永い間感じていなかった言葉にできない嬉しさを感じました。 開場して席に着き、僕と母はいろんなことを話しました。 離婚の話、その後の話、最近の話、昔の話、仕事の話、家族の話。 無愛想な僕は母の話を聞いて相槌を打ったり少し質問するぐらいしかできませんでしたが、母と話せることが楽しかったです。 そして演奏が始まります。 曲目は バルトーク/ピアノ協奏曲第3番 音楽はあまり詳しくないのでどんな曲なのかも分からず聴いていましたが、演奏は力強さもあり繊細さもありいくつもの音が揃って凄い世界観がありました。 分からないながらも演奏に引き込まれ曲も終盤に差し掛かった時、 ツーっと、ほっぺたに涙が流れたのです。 自分では意識していないつもりでも、母と再会できた喜びや、母がいなかった学生時代の寂しさは言葉で言い表せるようなものではなく、僕の心の底に溜まっていた言葉にできない感情が溢れてしまったのだと思います。 ですが、泣いている姿を見せたくはない僕は母にばれないように涙を拭き、何事もなかったように演奏を聴いていました。 演奏が終わり、休憩をはさみ、全ての曲目が終わりました。 外に出てくる姉と話し、打ち上げに向かう姉に見送られ、僕と母はM美との待ち合わせ場所近くの喫茶店に入って少し話していました。 約束していたM美から仕事が終わったと連絡があったので、どこで会うのか確認するために電話して、母に電話を渡しました。 M美には母と会うとは伝えていなかったのでM美はとてもビックリしていました。 M美が合流したところで、「じゃあまたね。」と言って母は家に帰っていきました。 僕も手を振って「また。」と母を見送りました。 母が帰った後、M美とご飯を食べながら今日のことを話していました。 M美も僕と母のことを気にかけてくれていたようで、「よかった」と言ってくれました。 M美と別れて家に帰る電車に乗っている時、心に開いた穴が埋まる感覚と共に、これまでのことを思い出していました。 そして気付いたことがあります。 5歳で両親の離婚を経験して心に傷を負い、音信不通だった母と18年ぶりに再会した僕が思う 親子に必要なことはたった一つなんです。 子供を良い環境に置くことでも、 親に楽をさせてあげることでも、 優しい言葉をかけてあげることでもありません。 「そばにいること」 それだけなんです。 最近は便利です。携帯やスマホがあればどこでも繋がれますし、連絡も取れます。 でも実際に会って、同じ空間を共有することには到底かないません。 話さなくても、目を見ていなくても、そばにいるだけでいいんです。 きっと何十年も一緒にいるとそんなことが当たり前になってしまって、感謝することもなく、忌み嫌ってしまうのだと思います。 でも、もし今あなたに、離れて暮らす親がいるのなら、会いに行ってください。 一緒に暮らす子供がいるのなら、余計なことは言わず、そばにいてください。 心が繋がっていれば言葉はいりません。 自分の親を、自分の子供を心の底から嫌いになれるわけがないんです。 僕は「両親の離婚」という事象を 「近くにいた父の有り難さ、離れていた母の大切さを学ばせてくれた」 事象だと捉えています。 それがあったからこそ、今の自分の弱さがあって、強さがあるんだと思うからです。 起こった事象を変えることは至難の業ですが、起こった事象を自由に捉えることは簡単です。 人は皆、自由だと僕は思っています。 自分に由るんです。起こった事象は自分に由って捉え方を変えられるんです。 だから僕は両親に感謝しています。 お父さん、お母さん、ありがとう。 このストーリーをどう捉えるかも、あなたの自由です。 最後まで読んでくださってありがとうございました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その4 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/1/29 コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その4 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 異動、そしてまた異動 先輩たちと冗談をいいながら仕事をできるようになった。いつものようにコピー用紙の段ボールを抱えて運んでいると、バイヤーさんたちが手助けしてくれるようになった。面白い上司をいじって雑談できるようになった。そして気付けば、お茶出しの制度は廃止されていた。入社1年経つころには、確実に自分の居場所ができたと実感できるようになっていた。本社勤務になって9カ月のころだった。 そのころ、ガソリンスタンドを統括している部署で、事務の女性がふたり退職するという噂が出ていた。ひとりは私の同期の入社1年の女性だったけど、もうひとりはベテランでかなり仕事ができると評判の女性だったから、人づてに聞いて、他部署ながら、ああ、大変だなーと思っていた。火の粉?が突然私に降りかかってきた。私がその部署に異動することになった。ふたり辞めるのに、補充は私ひとり?? よく分からないぞと思いながらも辞令は辞令。正式に辞令が発表されて、掲示板に張り出されたときには、今までの部署のひとたちに「行っちゃうのー!?」と残念がってもらえて、そんなこと言ってもらえるくらい成長してたんだなあとうれしかった。 異動した先の業務は、ガソリンスタンドの売り上げの処理や伝票整理など、「私の仕事」というのがあった。忙しいのは五十日で、他の日は比較的のんびり、たまに暇過ぎる日もあるくらいだった。1カ月単位での仕事だったので、最初の1カ月は先輩に教わりながらこなして、2カ月目は自分でやりながら分からないところを先輩に聞いてこなして、3カ月目に入ってやっと新しい職場や仕事にも慣れてきたころだった。ちなみにこちらの部署も最初はお茶出しの業務があったが、私が異動してすぐになぜか廃止された。 今度は経理の出納係の女性の退職の噂が流れてきた。おまけに、入ったばかりの新入社員も辞めるらしい。出納係の人が辞めるなんて、大変だなーと、他部署のことだけど気にしていたら、また火の粉?が私に降りかかってきた。新しい部署でまだ3カ月しか経っていないのに、今度は経理へ。しかも、かなーり重要ポストの出納係にされてしまった。 出納係がなぜ重要かというと、単に現金(小切手を含む)を扱うからというだけなのだが、現金を扱うからこそ誰でもいいというわけではないようだった。コネで入社した私だから、素性が分かっていて信用できると思われたのかもしれない。 簿記も持ってない、経理ってどんな仕事をするのかも分からないまま、出納係の引き継ぎをすることになった。期間は2週間。マニュアルも作ってくれていたが、メモを取りながら、とにかく必死に仕事を覚えた。2週間で、聞ける人がいなくなってしまうのだから。 出納係のいちばんの業務は、交通費などの清算をしに来る人へ現金を渡すこと。出金伝票と領収書のチェックをして、きちんと書けていれば伝票を預かって現金を渡す。書き方が違うなど、不備があった場合は指摘して修正してきてもらわなくてはいけない。イヤな思いをさせないように指摘して、気持ちよく修正してきてもらうというのは、なかなか高度なコミュニケーション能力を必要とする。前任者はとても人当たりが柔らかい人で、本社の人たちみんな一目置いているような女性だった。果たして、私に勤まるのか? 入社していきなり経理だったら、厳しかったかもしれないが、なにしろホームセンター事業部もガソリンスタンドの事業部も渡り歩いた私だったので、他の部署の人たちの人柄などをなんとなく把握していた。それが功を奏した。出納係としての仕事を通して接する以前に交流があったのだから、信頼関係が築けている。だから、不備などの指摘もあまり抵抗なくできた。 2週間の引き継ぎが終わって、ひとりで任されるようになってしばらくは仕事をこなすので必死だった。でも、仕事に慣れてくると、前任者からそのまま引き継いだ机の中が、非常に非効率だと思い始めた。これとこれが関連があるのに、どうして別の引き出しに入っているんだろう? というようなことを多々感じるようになった。前任者は、机の中は上司も把握しているから移動させないでと言っていたけど、それは違うんじゃない? そしてあれこれと、効率的に業務ができるように変えていったら、なんか時間的に余裕ができてしまった。忙しい時期もあるけれど、そうでない時期は定時まで時間が余ってしまったりする。 自分は時間を持て余しているのに、隣のベテランの女性の先輩がやたら忙しそうなときがあったりする。あるとき、先輩に「何か手伝うことないですか?」と聞いてみたら、その先輩は「そんなこと言ってくれたの、酒井さんが初めて!」とものすごくびっくりしていた。え? 暇だから、忙しい人を手伝って当たり前なのでは? 私が経理に配属されるまでは、そういう感覚を持つ人がいなかったらしい。伝票入力など、誰にでもできる仕事なんてみんなで協力すればいいのにと、私なんかは思うのだけど。 先輩に言わせると、前任者はいつも忙しそうでほぼ毎日残業していたそうだ。私は月末は締めなくてはいけなかったから残業もあったけれど、それ以外は定時に帰れていた。人の手伝いをこなしても、定時に帰れていた。私には、残業ができる理由が分からなかった。同じ業務内容のはずなのに、人によって違ってくるんだなあと感じた。 私が所属した3カ所目の部署の経理も、最初はお茶出し制度あった。私が異動してしばらくするとなくなった。これは今でも私の中で謎。「お茶出しなんてやめよう!」と、声高く主張したことなどないはずなのに、無言の圧力をかけていたのか? まあ、自分が飲みたいというタイミングで飲むのが、いちばんだと思うけど。ちなみに、私はよく先輩に「紅茶でいい?」と聞かれて入れてもらっていたっけ。自分で入れろよ、私。 仕事をすることに慣れてきた私は、いよいよ貯まってきたお金の使い道を考えるようになっていった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話 第4回 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/5/5 偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話 第4回 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 受験勉強開始。しかし。。。 進路は決まった。 何はともあれやってみよう。当たって砕けろ!そんな元気があったのも最初のうち。夏休みに受験した模擬テストで現実を突きつけられた。 河合塾の「全統一次模試」。 受験はしたものの、周りから聞こえてくる鉛筆の音、ページをめくる音、それ以上に困り果ててドキドキしてしまっている自分の心臓の音が響きました。 ・手も足も出ない。 ・全然わからん ・へ??? の状態でした。私が現役で受験していた時は、5教科7科目(国語・数学Ⅰ,Ⅱ・英語・理科(理科Ⅰ、選択)・社会(現代社会、選択))1000点満点でした。それから合格までに何回制度が変わったか。。。。 1カ月ほどして返ってこなくてもいい惨憺たる結果のテストが返ってきました。320点ぐらいでした。 判定はもちろんのE判定。つまり、箸にも棒にもかからない、絶対合格できませんの判定でした。 本当に、お粗末すぎて悲しい。。。というよりも「ぞっ」としました。 英語の発音・文法は壊滅状態、数学もしかり、国語の漢字、長文精読も全滅に近い。。。 嫌な冷や汗が出ました。 これ、どうしようもないやん。。。 夏休みから、まずい・しまったと机にしがみつき始めましたが、まったく点数に結びつきません。覚えても覚えても、問題を解くと 「あそこら辺に書いてあったけど~」「どうやったっけ~」 の繰り返し。 インプットも中途半端、アウトプットはできない。 中学の勉強の基本的なところもあやしい部分があったので、高3の夏休みから3.5年分のやり直しは当然間に合いませんでした。。。。 過去問を解いても、基本がなってないので半分も点が取れない。半分どころか4割も解けない科目があったのです。 「絶対絶命」 そんな言葉も似合わないほどのあきらめモードの状態で共通一次本番を迎えました。ただ、「がんばってね」と送り出してくれた家族に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 高いお金を出してもらって、予備校に3年通って何をしてたんだろう?どこを見てたんだろう?模擬試験もたくさん受けたけど、「有名予備校の模試は難しいしね~」なんてことを言い訳にして、自分の現状から逃げてただけじゃないのか? そんなことを今更思っても後の祭り。 結果は言うまでもない。。。夏休みの全統模試とほぼ変わらない点数。つまり、まったく伸びなかったということ。 共通一次の翌日、学校に行ったものの当然つまらない。やっているつもりになっていただけの自分を恨めばいいのに、楽しそうにしている人たちを恨んでしまった。 合格圏内に入っている人、頑張る意味のある位置につけた人、一発逆転も夢じゃない人たちが、ワイワイと盛り上がっていました。 もちろん志望校変更をする人たちもいました。私立大学にかける人たちもいました。 「一浪は人並み。来年には何とかなるさ。。。。」 「今年は遊びで受験しよう。何事も、経験だ。」 この言い訳が4年浪人するきっかけになってしまったのです。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
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STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/10/23 早朝の新宿。路上で友達に生演奏をプレゼント。警察に注意され喧嘩。41歳の苦い思い出。「41STREET」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「みなさんは音楽を作ったことがありますか。 音楽の作品には一つ一つ物語があります。 今日もその物語をひもといていきましょう。 こんにちは。 マツイ ツミキです。 新潟県に住む41歳の小説家です。 東京都に住むミュージシャンDai-Go!Low 彼はトラックのドライバーをしながら、自分で曲を作り歌い販売をする44歳のミュージシャン。 彼はこれまでたくさんの曲を作ってきました。 今回、ご紹介する曲は「41STREET」 この曲はDai-Go!Lowさんのある経験から作られました。 時間は今から三年前にさかのぼります。 場所は早朝の新宿。 Dai-Go!Lowさんは新宿にお世話になっている人に会いに行きます。 仮にその方をBさんとしましょう。 翌朝。 Bさんに仕事が終わったホステスさんなどが利用する高級な料亭に連れていってもらい、うどんをおごってもらいます。 Dai-Go!Lowさんは感激してお礼に歌をプレゼントしようと公園に行きました。 周りにホームレスがいるなか地面が汚れているのでダンボールをひいて、それはおだやかな歌を歌っていたそうです。 しかし、ここでアクシデントが発生します。 警察官がここで歌を歌ってはいけないと注意したのです。 Dai-Go!Lowさんは素直に歌うことを辞めました。 しかし、それで終われば良かったのですが、 その警察官はさらに書類を書けとせまってきたそうです。 素直に歌うことを辞めたし、指示に従ったのだから書類を書く必要はないだろう。 とDai-Go!Lowさんは断ります。 警察官は書類を書けと引きません。 Dai-Go!Lowさんと大揉めになったそうです。 Dai-Go!Lowさんはその事件の三日後に曲を作りました。 それがこの「41STREET」です。 曲調は炎が燃えるかのような激しいもの。 歌詞はこの起きた出来事を淡々と伝えているようですが、 途中から突然 「いつまでこの街で生きて行くの。 未来を見ているから何とか生きてる。 素直な自分を隠して、このまま、もう少しだけ続けてみる」 とつづります。 人間はロボットでもコンピューターでもありません。 感情というものがあります。 私には警察官が人間同士の感情のやりとりがなくただルールどおりに物事を進めようとしたことと、必死に生きている一般市民のいろんな感情を受け止める力量なんかないだろう。 という痛烈な皮肉に聞こえました。 ぜひこの曲を聞いて、この曲が持つ怒りの衝動を感じて欲しいと思います。 そして、この曲にはもう一つメッセージが含まれていると思います。 Dai-Go!Lowさんは私との話しの中で言っていました。 「今なら同じような状況になっても冷静に対処できる」と。 実は私にはこの曲を聴いてある種の違和感を感じたのです。 私が知っているDai-Go!Lowさんはいつもニコニコしていてとても温和な方。 しかし、三年前にこんな怒りのメッセージを込めた曲を歌ったのかという衝撃。 Dai-Go!Lowさんはこの三年間の心の変化をこう語りました。 「当時の自分の置かれている状況と今はあまりかわらない。しかし、応援してくれている人への感謝が変わった。当時はアウトプットしたものは全て正しいと思っていた。今はもちろん想いを込めるが届くようにパワーの調整ができるようになった」と。 あなたは今、どこに向かって生きていますか? 今ある現実だけを見ていますか? それとも未来を見ていますか? 人は経験を積んで成長するものです。 「いつまでこの街で生きていくの。 未来を見ているから何とか生きている。 素直な自分を隠して、このまま、もう少しだけ続けてみる」 私には今、この歌詞がとても響きます。 この話の打ち合わせ時のディスカッション記事と音声↓ http://daigolow.com/2016/09/29/history-discussion-vol-2/ 41streetを聞く↓ http://daigolow.com/wp-content/uploads/2016/10/02-41street.mp3 ツミキさんBlog http://ameblo.jp/yomuman/ Dai-Go!Low-official website- http://daigolow.com ※このストーリーは、小説家ツミキさんと、ミュージシャンDai-Go!Lowが公開ディスカッションをして、ツミキさんに書いていただいたストーリーです。 音声も曲も一緒にお楽しみください。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
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