楽したいなら付属高校に行こう
俺の高校は法政大学の付属校。
大学にエスカレーターでいける高校だった。
中学時代、小学校の頃から勉強はそんなに得意ではなかったので、
「最も簡単に大学に入る方法はないか?」と考えていて
そこで見つけたのが「大学の付属高校」だった。
なんと「書類送付のみで、総合的に判断して受け入れを行う」という緩さ。笑
だから中学時代、部活動では部長になり、課外活動に参加して、
学級委員という面倒な事をしたり、劇で主役を買って出たり、
内申を上げる為に先生の心に取り入る、なんて事をしていた。
そんなわけで、無受験で無事高校に入学。
「勉強しなくても内申は上がる絶対評価」の穴をついた。
挑戦への決意
さて、そうして楽しい高校生活がスタートしたわけ。
ストリートバスケットボール部、というちゃらついた同好会的なものを立ち上げたり、
バンドに手を出してみたり、
カラオケに行ったりとただ遊んで過ごしていたように思う。
授業は寝て過ごし、試験前の猛勉強で内申はそこそこ。
毎日が楽しいと思えた?気がしていた。
でもいつだって「このままでいいのか?」と思う自分がいた。
このまま二流でいいのか。
どうせなら一流になったほうがいいんじゃないか?
俺にも勉強できるのか?
そんな折に出会ったのが「思考は現実化する」だった。
※この本と出会うまでに、「自分自身が人と違う事」を知らされるわけだが、
その部分を話すと長いので端折る。笑
ナポレオン・ヒルの書いた良書。
人生の意味や自分の将来を想い、
「行動無くして変化無し」と一念発起。
受験を決めて、体育の時間以外、全ての授業を無視して自分の勉強に専念した。
授業中、怒られる事もしばしば。
でもやめなかった、俺には意思があったから。
今、振り返ってみてこの時の事を思うと
このとき「毎日楽しいな」と思ってたのは、何の刺激も無く惰性的で
そう思わざるを得なかったんだ、と気づける。
本当は、毎日楽しくないから楽しいと思いたかったんだと。

◯◯大学付属高校では、受験する人間がバカにされる
そんな形で勉強を始めたのだが、
高校のそれまで遊びに行っていた友人達やバスケをしていた友人達には
「いやいや、早稲田とか無理でしょ」「お前要領悪いから無理だよ」と言われるわけ。
高校の休み時間もほとんど勉強。
周囲からは「遊ぼうぜ」とか「何やってるの?勉強とかいいっしょー」との声。
付属校は安泰だから遊びまくるわけ。
もちろんそこには
「これまで遊んできたんだから、これからも遊ぼうぜ」ってメッセージがあるから泣きたかったけど。笑
でも一番仲良くしてた男が
「お前ならできる!」と背中を押してくれた。
だから今の自分があると本気で思える。
F判定に引いた。。。
そうやって迎えた高校3年生。
予備校に行くお金もなかったし、周囲に受験する人間もいなかったから、
「情報」がなかった。
だから某衛生予備校に飛び込んで、
「大学受験するにはどうすればいいか?」を細かく聞いた。
そうして知ったのが「模擬テスト」だった。
早速模擬テストの申し込み、となったが、お金が掛かる。
仕方なく兄から資金調達。笑
模擬テストがあったおかげで、
その前後での心のあり方も大きく変化して
「模擬テストから逆算でここまで終わらせる!」みたいな目標ができた。
こうして模擬テストを無事受け、個人的には相当できた!と思えた。
帰ってくるのは1ヶ月後だったが、
郵便受けは毎日のようにチェックしてた。
で、1ヶ月後。
封を開けて大絶叫。笑
まずは上から早稲田大学商学部。
F判定?FがMAXだと思いたい、とこの日ほど思った事はなかった。
格下の立教大学でさえE判定。
E判定は「良い」だと思いたい、とこの日ほど思った事は無かった。
残り1年きってのF判定。
「あぁやっぱり俺は勉強の才能ないのか」と思った。
でも、この時点で諦めたくなかった。
親の離婚
そんな折、親が離婚した。
もう18歳になっていたが、意外とショックだった。
親父は家を出て行き、収入源は母親のみ。
ただでさえ金の無い俺は飯の食えるラーメン屋でバイトを始めた。
・母親は受験推進派だったが、金はない。
・受験するのにお金はかかる。
・俺はF判定
・バイトもしていて、勉強時間は短い。
・みんなは予備校で情報強者、対する情弱な俺
つまり、導かれる答えは「受験を諦めろ」だった。
それしかなかった。そうしないとキチガイだ。

そして俺はキチガイだった。
ナポレオン・ヒル曰く
「心の中に限界を設けない限り、人生に限界なんか存在しない。」
それを知った俺はキチガイな志向性があった(今でもある)。
人生に突破できない壁は無い、とか痛い事を考えている。
当時突破すべき問題は3つ。
解決すべき問題その1: お金
→ 親父に頼み込む
非常にシンプル。ただ頼み込んでもダメだと思ったから、
「早稲田に入ったら年収が変わる」的なものをネットで見つけてきて説得。
それのおかげかわからないけど、
たぶん何だかこいつ必死だな、ということで何とか受験料を調達する事が確定。
解決すべき問題その2: 情報
→ 中学時代の同級生から情報調達
予備校に通わない俺は、何と言っても情報がなかった。
ネットに落ちている情報も体系的な物は当時はなく、信憑性も薄い。
とにかくみんなにお願いしまくる、それだけだった。
解決すべき問題その3: 学力不足
問題はこれ。
F判定のまま進んでもダメに決まってる。
このとき選択肢は2つ。
1.早稲田のありとあらゆる学部を受験する
2.早稲田の一学部に絞って受験する
1.は金もかかるし、高校の授業もでなきゃいけなくて時間ないから却下。
2.ならどこの学部かによっては可能性がある。
よし、問題文比較だ。
と言う事で1日中どでかい書店で、
早稲田の過去問を比較しまくって「どこの学部なら行けそうか」を考えた。
結果、「早稲田大学教育学部」だった。
この学部は「得意科目を1.5倍にできる」学部であり、
国語の読解が他のどの学部よりも簡単だった。
1科目50点満点(確かそうだったと思う)で、3教科だけ。
得意科目だけ1.5倍だから3教科で175点満点だったような。
「まだまだ希望はあるな」と思えた。
猛勉強の日々
そこからは猛勉強。
朝4時に起き、ひたすら机に向かい、夜1時に就寝。
机にはナポレオン・ヒルの言葉を並べ
「本気で成功したいと願うなら、手を抜くことはやめることだ。」
という信念を刻み込んだ。
時には問題が解けない事が悔しくて悔しくて
涙を流しながら机を思いっきり殴ってしまう事もあった。
そしてバイトも時短勤務を了承してくれた。
3時間程度に費やすだけになって、食事も食べれる。
なんて寛容な方々だ、と思えた。
「本気に生きている人間を応援しない人はいない」と思う。
こうして受験の為にお金を稼ぎつつ、必死で勉強した。

迎えた本番
そうして迎えた本番。
上智を練習台として、早稲田を受ける事にした。
お金はなくとも、雰囲気には慣れておきたかった。
会場に入ると、ノートを見返す受験生達。圧倒された。
「俺がバイトしている時間、彼らは勉強していたのでは?」と思うと
不安が広がったが、
「戦を見て矢を矧ぐようではダメだ。俺は既に矢を創り、もう目一杯に引いている。
あとは放つ、それだけだ」と思うようにした。
テストとかだと、だいたいいつも思う、
「はいはい、これね、簡単簡単」と。
ところが上智の受験で焦った。
「わからない」「進まない」「焦る」「思考力低下」と
悪循環が起き始めていた。
会場を後にする時、汗でびしょぬれになりながら
「あぁ俺もこれまでなのかなぁ」と思いながら自宅へ。
高熱
そうして帰った次の日。
高熱が出た。これまでの無理が祟ったのと、上智の受験のショックだ。
幸いにも早稲田の受験は1週間後くらい。
それでも、受験での経験は相当こたえた。
そんなとき、高校の友達から電話。
「早稲田。来週だろ?受験終わるまで頑張れよ」と言ってくれた。
この状況で、そんな言葉をかけられて泣かない人間がいるのか、
とおもえた、電話中はこらえたけど。
「人の力は大きい」と心底思える。
彼が電話した事は一切彼の得にならない。でも力をくれた。
人が人を助ける時、踏ん張る力はどこまでも大きくなるなーと感じた瞬間だった。
遂に、受験!
迎えた早稲田大学との勝負。
高田馬場から東西線に乗り込んだ時
「この人たちみんなが敵に見える・・・!」と思ったものだった。
受験会場の椅子は背もたれがなかった。
マスクをかけた太った男が前にいた・・・嫌な予感。
でも意外や意外、鼻息も荒くない、いいやつだった.笑
試験開始の合図を待つ時間。
心臓がバクバク、早くシャーペンを持ちたかった。
試験開始。
英語・国語・日本史。
難題が多く、上智のとき同様の「悪循環」が起きていた。
頭がグルグルして、泣いて外に飛び出したい気分。
「凡人と天才は本番での落ち着きが違う」とどっかのスポーツ選手が言っていた。
本当にそうだ、と思った。
そんな時はすんなり受け入れる。
みんな出来ていないから大丈夫だ。俺が一番出来る。だから大丈夫だ。
そう言い聞かせて落ち着いてこなした。
そうすると、今度は頭が働く。
勝手に問題の答えが出て来る気がして来る。
「深いところで理解できる」「わかる」という状態で
不思議と時間の感覚が無くなるような感覚が出てくる。
そんな形で、すぐにテストは終わった。
世界一運が良かったから合格できた
終了後、すぐに高校の友人達とお疲れ会をしてもらった。
久しぶりに長い事話していた。
「こんな友人を持てて、俺は世界一幸せだ」と思うのと同時に、
「結果的に落ちてても、こいつらと大学生活を送れる方がいいのかもなぁ」と思っていた。
迎えた、合格発表。
高校の奴らは「一緒に発表見に行こうよ」と急かす。
でも俺は「どうせ落ちてるから電話で結果聞くよ。笑」といって行かなかった。
電話のサービスでプッシュホンにして自分の受験番号を打ち込む。
「合格です」の声。
あまりの嬉しさにでんわをぶん投げる.笑
仲間に報告すると、「だから大学行こうって言ったのに」って。
俺は世界一運がいい。
親・バイト先・本との出会い・自分の忍耐力・そしてそして最高の仲間達。
全てが最高のタイミングで、最高の結果をもたらすように
仕組みを作ってくれたように思う。
「もしあの時、親が離婚してなければ、選択肢を絞って受験したか?」
「もしあの時、みんなが声をかけてくれなかったら、」
そんな事を考えると、なんて運がいい人間なんだと思う。
宝くじの1等に当選する確率は、1000万分の1らしい。
でも宝くじ1等よりも運がいい人間だと胸を張って言えるわけですよ、
だって高校時代最高だったから。
世界一運が良かった3つの理由
運がいい人になる、のは難しい。
でも「運を引き寄せやすい人間」にはなれると思う。
僕個人のこの経験から言うと、大きく3つあったと思う。
1.行動を起こせば運気に変化が起きる
行動とは変化を生む原動力だ。
何もしないと何も起きないのは当たり前。
ナポレオン・ヒルの本を読んで
「俺でもできる!とりあえず頑張ってみよう」と
行動していったから変化は起きた。
そのまま惰性に流されていたら
法政にいたまま、「それなりに楽しい」高校生活だった。
2.ちょっとの事で諦めない
F判定。お金がない。情報も無い。
たったそれだけでは諦める理由にはならない。
諦めるのは
「もうやりたくないし、これは無駄だ」と思う時だけだ。
失敗した時や絶望的な時には
「これ以上は下に落ちる事が出来ないから駆け上がるのみ!」と思う事。
あ、でも根性論ではない。
「諦めない事」=「無駄な努力をする事」ではなく、
「諦めない事」=「現状分析から改善を図って成功へのルートを再検索する事」
行動を修正する事がなければ、F判定は変わらない。
F判定だったら、A判定にまで持ってくにはどうするのか?
お金がないならどうするのか?
情報がないならどうするのか?
考えて行動する、これだけ。
これまでの行動に変化を起こせば、結果は大きく変わる。
一回失敗したら、目標は真っすぐ見つめて行動を変えればいい。
運は常に変化して良くなったり悪くなったりするのではなく、
良い方向に持って行くかどうか、たったそれだけなのだと。
運は引き寄せなければ、一生やってこないのだ。
3.やるなら本気でやる=周囲に宣言する
どうせやるなら、死ぬ気でやる事。
人間の本気はすごいな、と思う。
別に勉強は好きじゃないけど、
早稲田に入ってやろう、という目標だけあればどこまでも本気になれた。
本気になる、というのは何を差し置いても
優先度が目標のみになる状態。
だからまずは目標を立てる。
そして目標を立てたら「周囲にコミット宣言をする事」が重要。
「俺は早稲田に行く」
法政のみんなは最初は「無理だ」「やめとけ」「不可能だ」
「そんなことより遊ぼうか」となっていた。
それが「俺は早稲田に行く、絶対に行く」と思い、
本気で行動して行くと、
「頑張れ」「お前なら受かる!」と反応も変わる。
それに周囲に宣言すれば
「出来なかった時が恥ずかしいから頑張れる」と思う。笑
最後に好きな好きな映画「イエスマン」。
ジム・キャリーだから面白いだけでなく、
行動と修正で幸せを手にしてくプロセスが面白いのです。笑
