storys.jpに挙がっている多くの記事はその出来事の成功した側面のみを描写していたりします。とある少年のこの物語は成功だけでなくそこに至るまでの数多くの失敗などを中心に書いております。人の人生とは浮き沈みのあるものです。このタイトルを見て頂けた方は必ず想像するでしょう。これもまた一般的な人生逆転劇のお話かと。ですが、違います。最後にはどうなるのか楽しみにお読みいただければ幸いです。本当だったらこの物語も書こうか微妙だった。今でも当時の僕に対して嫌悪感や羞恥心が拭えない。だが、この経験をより多くの人に知ってもらい、行動する勇気を与えられたら、というこの伝えたいメッセージが読者様に伝わって何か変わるキッカケになってくれたら、これ以上のことはない。筆者福田泰介。僕がこの物語から学んで皆様にお伝えしたいのはたった3つのことです。”Don't think. Act!(考えるな。行動しろ。)”と成功者ほど失敗している人はいない。””諦めずに継続すれば必ず叶えることが出来る。”これはすべての物事の原理原則かもしれません。僕のこの経験で成功のために必要なより多くのことを失敗から学ぶことが出来ました。この物語がより多くの方々の行動するキッカケや希望の灯火となってくれることを心から祈っております。
この物語は実際にあった話を再現したものです。
ある1人の少年が川のほとりに自転車を止め、黄昏ながら空を眺めていた。
「ついにここまで来たのか...」
大学受験の受験票を持ちながらふと手持ち無沙汰にふけっていた。一年前には今の自分の姿が想像もよらなかった。
まさか半年で偏差値が30上がり、難関大学に合格できるようになるとは・・・
今までの日々を思い出すと苦しかったり、楽しかったり、色々な感情がこみ上げてくる。ふと微笑みがこぼれた。その中でもあのキッカケがなかったら今僕はどうしてたんだろう・・・
第1章”変わるキッカケはいつでも外発的に決まる。”
約2年前 高校1年の冬 この物語はここから始まる。
”社会のくず”、”社会のゴミ”といった言葉は、この少年のことを表す言葉としては非常に適切である。
毎日喧嘩に明け暮れ、髪の毛は金髪に染め、悪友たちと窃盗を繰り返す日々。漫画に出てくるような不良高校生そのものだった。僕は周りの友人たちに誘われるがままに何でも一緒にやった。どんなに良心が痛んでも、友達と一緒にいるのが楽しかった為に何度となく繰り返した。
なんでこの少年が犯罪に手を染めるようになったかというと、それは小学校2年生のときまでさかのぼる。初めて窃盗をした瞬間だった。それはささいな好奇心だったのかもしれない。近くにある、八百屋さんにあるレジの中のお金を取った。その体験はすごい緊張と興奮が冷め病まなかった。その後も好奇心を求め、近くの本屋さんで毎月のようにコ○コ○コミックを万引きを繰り返していた。
そんな好奇心のみを求める行動は高校生になっても変わらなかった。時には車やバイクの窃盗など多岐に及ぶ。また学校では部室が木製の作りであったのだが、夏になると部室の中で打ち上げ花火やロケット花火を始め、部室を燃やしてしまったり、同級生を窓ガラスに思いっきりぶつけて、窓ガラスを割ったりしていた。
そんな僕はとある冬の寒い日に部活の練習で腰を骨折してしまった。そこまで重傷ではなかったらしく、自宅で1週間絶対安静とリハビリを余儀なくされた。このことがのちに逆転合格まで繫がってくるとは当時の僕からしたら全く予想できなかった。
腰を骨折してから長い長い自宅安静の日々が続いた。1週間などそんなに長いようには思われないかもしれない。だが、当時の僕は毎日遊びまわっていたため、自宅でじっとしていたことが全くない少年であった。最初はベッドから起き上がるのも大変だったため、近くにある昼ドラの再放送を見たり、漫画を読んだりしていたが、3日目にもなるとそれにも飽きてきた。そのときだった。。。
僕は今まで小学校、中学校、高校、塾と今までの全ての環境で先生に見捨てられてきた。『社会のゴミだ』『クラスのお荷物だ』『問題児だ。』『今まででこんな子は初めてだ。』どんなところでも言われ続けてきた。本当は先生だけでなく、僕が気付かないだけで周りの友達も僕のことを見捨てていたのかもしれない。
そんな”社会のくずでゴミである”僕のことを唯一見捨てなかったのは”両親”だけだった。僕は昔っから両親には迷惑をかけ続けた。中学の時、僕が喧嘩して当たった頭で前歯が取れてしまった同級生にはお詫びの品を持って僕を連れていき、僕以上に謝ってくれていた。毎回僕の知らないところでもきっと周りの方々に謝り続けていたに違いない。そんな両親は勉強でも普段の学校生活でも僕に対してはほとんど何も言ってこなかった。
今となっては当時の僕に自分自身の判断で過ちを気付いて欲しかったのであろう。他人から指摘されるよりも自分で気付けるようになると成長は早くなると思うが、こうゆう教育も結果的に良かったのではないだろうか。こんな両親が腰が骨折して部屋で手持ち無沙汰にふけっているとき、ベッドの横に”一冊の本”を置いていった。この本が僕の180°人生が変わる最初のキッカケとなったと気付くのは本当にあとになってからであった。
第2章”人は行動する前に出来るか出来ないかという基準で物事を考えてしまう。”
(多くの人が行動に踏み切れない。人は元来生き物であり、他の動物などと同じように直感を兼ね備えている。例えば鳥は大移動するときにどっちが北かなど、考えてはいない。頼っているのは直感だけだ。人間という生き物は他の動物に比べて賢すぎるために思考を使ってしまう。)
先ほどの両親からの本は今でも大切に保管している。その本のタイトルは『偏差値30から半年で全国1位を取った逆転合格日記』という、今でも大いに尊敬している「泉忠司さん」の著書です。今までこんな本を両親からもらったこともなかったので、捨ててしまおうか、とも思った。だが、暇な日々を過ごしていたのと、少し興味があったこともあり、「一回だけ読んでみっか!」となって、読んでみる事に。本のタイトル通り、この本は「泉忠司さん」本人の逆転合格体験を1冊にまとめている本である。読み進めていくと、どんどんと気持ちが高まっていくのが感じた。なぜならその本の主人公と境遇が似ているところが多くあったためである。その本には実際に逆転合格した方法が詳細に書かれていたため、自然とその本の中に引き込まれていった。そして『逆転合格日記』を読み終えた後、異常なまでの好奇心が心の中で高まっていくのが感じた。こんな気持ちは今までにない感じだった。「こんな人でも偏差値30から半年で全国1位を取れるのなら、俺も行けるんじゃないか!」そう強く感じ、「そうだ、偏差値20台から大逆転合格して最難関大学に行ってやろう!!」ここから僕の勉強が始まったのであった。
第3章”成功とは失敗の連続のことである”
そんな勉強に目覚めた僕だったが、実際のところ何をすればいいのかさっぱり分からなかった。中学の時にも受験勉強はほとんどしたことがなかったし、学力自体中学のレベルからさっぱりだし、何からやろうか途方にくれていた。しかし、とにかく勉強しなければ始まらない。ということで最初に目標にしたのが、”次の学内の定期テストで学年1位を取る”ことである。その頃の僕はというとほとんどの教科はチンプンカンプン、定期テストでも毎回赤点、学年順位は474人中455位、当然クラスでも最下位かブービーだった。そんな僕が無謀な挑戦を始めたのだ。やるからには絶対やってやろうと思ったので、クラスの友人たちみんなに『次の定期テストで学年1位を取る』と公言し回った。聞いていた友達は当然絶対無理だと言ってくる。「ブービーのお前が?ムリムリ。やめとけよ。」誰に言ってもそう言われる。これまでも定期テストの勉強の話を友人同士でしているとなぜか僕だけは定期テストの話がない。「ここの問題どうだったー?」といったたぐいの会話だ。当然今までの友人関係は一旦ストップ。部活が終わってからも即帰宅し、平日であろうと毎日4、5時間勉強をするようにした。今までの友人関係を継続させていては僕自身もこれまでと同じく、将来に何の希望も見出せないまま、不安にかられた生活を送っていたに違いない。だからこそ友人関係を切る必要があった。結局その頃一緒につるんでた友人はみんな高校2年に上がる頃には、退学していた。僕も本当に危なかったと思う。最初は勉強が全く分からなかったが、毎日授業の復習をし始めてからは少しずつであるが分かるようになっていった。時は高1の3月になる。定期テスト当日になり、今まで勉強してこなかったやつが初めて勉強するとテストの時にガチガチに緊張する。それはみんなに「学年1位を取る」と公言していたプレッシャーもあるが、それでもすごい緊張であった。・・・なんとかテストが全部終わり、後日テストの返却だ。数日後・・・『テスト返却日当日』最初に返されるのは国語からだ。僕は小学校のころから国語が一番嫌いな科目だったため、受け取るのをすごく緊張していた。『福田くん!」そう名前を呼ばれて、テスト結果受け取り、恐る恐る点数を見ると・・・「国語67点」今でもこの場面の臨場感は細部まで鮮明に覚えている。全身から感じたことのない冷や汗がどばっと出てくるのが感じる。「(終わった(泣)・・・・)」そう心の中で思った。僕が今回の定期テストで学年1位を取ると、みんなに公言していたため、その場にいるのがすごく恥ずかしくなり、今すぐにでも逃げ出したくなった。僕の国語の結果を見て、周りの友人からは「学年最下位レベルのやつがいきなり学年1位なんて無理なんだよ。現実を知れ!」など様々な罵声を浴びせられた。「(もういいから早く終わってくれ)」と心の中で思いながらも次の教科は数学だったが、もう半分諦めていた。「福田くん!」また担当の先生が僕の名前を呼ぶのが聞こえた。結果を返されても友人にバカにされるだけだと思った。だが、数学の結果を見てみると・・・『数学1 91点』『数学A 94点』 「えっ!?」っと思った。だがいくら見ても90点以上の取ったことがない数字が書かれていた。そのあとも次々にテストが返却されていく。『英語 94点』『化学 100点(学年1位)』『世界史 96点(学年1位)』終わってみれば全体の平均点で90点を超えていた。それぞれの教科のテストが返却された時、あまりの感動と緊張のあまり倒れそうになった。それくらい当時の僕からしたら嬉しかった。結果として学年1位は取れなかったが、学年474人中455位の不良が学年474人中5位という成績を取ることができた。この時の周りの人からの羨望の眼差しは今でも鮮明に覚えています。「あの不良のお前が学年5位?」とか、担任には、「どこか頭ぶつけたんじゃないの?」と言われたりしました。ですが本当に嬉しかった。こんなことで僕に対する評価が変わって褒めてくれるものなんだ。勉強するのも悪くないな。そう思い始めた期末テストであった。こうして大逆転作戦の第一歩は幕を上げる。
次は大学受験だ。こうして受験勉強をスタートさせることになった。偏差値20台の少年がなんにも分からないまま決定したのは、日本の大学の最高峰”東京大学”その理科1類だ。志望校を決めるに当たって東大しか大学を知らなかったと言い換えた方がいいのかもしれない。そんな無知な僕が無謀にも日本の頂点を目指し始めた。この時の僕の学力はというと全国模試で英語『偏差値27』、国語『偏差値29』、数学『偏差値34』というくらいだった。模試では全く何が書いてあるのか分からず、答案用紙によく落書きをしていた。そんな僕も今となって、この時のことを話すと偏差値20台ってあるんだ!!とみんなに驚かれる。偏差値20台とは全国的に見ても最底辺の学力レベルだ。なぜなら100点満点のテストで3点(合ってたのは適当にやった記号問題のみ)を取ってやっと偏差値20台に乗れるからである。自慢じゃないが、偏差値20台を取るのは意外と大変なのだ。多分チンパンジーに同じような問題をやらせても記号問題なので、僕よりも取れると思う。志望校を決めて僕は中学の内容から全部復習する必要があったので、とりあえず本屋に行って勉強法について書いてある本を一通り見てみることに。。。うーん・・・(難しすぎてよく分からないw)とりあえずその中の何冊かを買ってみるtことに。そして独学で当時入っていた部活も高校2年の最初の頃にはやめ、勉強づけの生活を送り始めることに。毎日平日でも高校から帰ってきて寝るまでずっと勉強した。ずっと勉強し続ければ学力が急上昇して伸びていくのかとばかり思っていた。この物語を読んでいる読者の方々もここで偏差値がとんでもなく上がって、さもよくある成功ストーリーそのまんま、と思うかもしれない。だが現実にはそんな簡単に偏差値が上がることがない。そんなに簡単に根気よくただ勉強をすれば偏差値が上がるかというとそうではない。勉強を半年近く続けていたのでそろそろ成果を数字で確認したいと思い、高校2年の1月にあるセンター試験同日模試を受けてみることに。だが、僕の中で結果として予想していたものとだいぶかけ離れた結果となってしまう。。
第5章”成功者は失敗をより多くした人のことである。”
(今までかなり多くの成功者と出会ってきました。その度にあるのは成功者の方々も数多くの失敗をしているということ。僕も感じるのですが、更に高みに行こうと思ったらずっと上手くいく出来事よりも失敗して苦しい経験の方が得られるものが非常に大きい。多分成功の10倍くらい大なのことを失敗から学べるのではないでしょうか。そしたらもう失敗するしかないですねw)
センター試験同日模試当日、近くにある予備校に行き、受験してみると今までテストを受けたことがあまりなく、また高1後期期末テストの時と同様に独特の緊張感を感じていた。・・・センター試験同日模試が終わった。後は結果が返されるのを待つだけ。1週間後、結果が返ってきた。だけど、そこの数字に僕の抱いていた期待とは裏腹の今までの勉強を全て否定するかのような結果であった。英語『44点/200点』、数学1A『18点/100』・・・
今までの大学受験のために勉強していた自分自身を全て否定されたような感じだった。「最初から勉強しても無意味だったのかな?」・・・「どうせ俺なんか」・・・
頭の中で繰り返し自分自身を否定し続けた。そんな僕はテストの結果をもらって、家に帰ってから勉強する気が全く起きなかった。その理由を自分自身に問いつめ続けた。その中で今までの勉強を全て振り返ってみることに・・・
『何事も上手くいかないのには理由がある。それを突き詰めてその壁を突破したものにだけ、成功を掴む資格がある。』
今まで僕自身は、勉強に関して完璧に独学でやってきた。しかし、それでは中学のレベルから全く無知だった僕にとっては簡単な参考書、問題集であってもそこに書かれている解説以前の内容が全く分かっていなかった。そして無理矢理自分に「ま、いいや」と言い聞かせ、ずっとそこの部分は気にしないようにしていた。それがここで浮き彫りになってきたのだ。絶望を感じつつ、どうすれば改善できるのか