前回のお話の続きです。
自分のアンテナに従う
飲んでばっかりじゃなく、就活とか、将来のために何かしなきゃ。
けど、何をしたらいいのか分からない。
大学3年になった春。悶々としていた私が、たまたま見つけたものがあった。
それは ある新聞記事だった。
もちろん新聞なんて、
ただの飲みサー所属の茶パツの女子大生がふだん読んでるはずもない。
親が読み終わった新聞をポンと家のテーブルに置いていて、
それがたまたま眼に入っただけだった。
あるNPOの活動について特集した記事で、
主に就活前の大学生たちが集まって、いろいろな職業の人に会いに行って取材記事を書く、
という活動をしているらしい。
所属できるのは約半年間だけ。その間、いろんな仕事をしている大人に会いに行き、
なぜその仕事を選んだのか、
仕事の喜び・大変なことは何か、
これまでどんな人生を歩んできたのか、
そんな人生のストーリーを取材して、記事を書くというものだった。
(いま思えばSTORYS.jpの取材版みたいな感じだ)
ちらっと記事を読んでみて「あ、これ面白そうだな」と何かピンときた。
高校の頃の私は「本が友だち」状態だったし、
文章を読むのも書くのも大好きだった。
取材をする、記事を書く、という行為が単純に「面白そう」だと思った。
いろんな職業の人に会えるのも、今後の就活をするのに役立ちそうだし。
今にして思うのが、
こういうなんとなくピンときた自分の感覚に従う、というのがすごく大事だ。
後から頭に湧き出てくる理屈は抜きにして
「興味があるか・ないか」の純粋な体感覚に従ってすばやく動くと、
次に進むことができる。
ウダウダしていると、後から理屈が追いかけてくる。
「そんなこと言っても、バイトとか大学とかで忙しいし」
「アヤシイ会かもしれないし」
頭の中の自分の反論に飲み込まれると、「興味があるけど前に進めない」状況になってしまう。
自分のアンテナが最初に「そうだ」というなら、「そう」なのだ。
そのときの私も、ちょっとだけ躊躇したけど、
自分のアンテナに従って一歩前に進んでみることにした。
書いてあったNPOをインターネットで調べて、見学を申し込んでみたのだ。
(アヤシイ会だったら、その時点でやめたらいいし)と思いつつ。
結論からいえば、これはすごくいい選択だった。
大人になった今になって振り返ってみると、
このNPOとの出会いが私の人生を変える1つの転機になったと言える。
■トライ&エラーする
学校外のまったく知らない人たちに会うのはけっこう緊張したけど、
NPOに見学に行ってみて別にアヤシイ会じゃなさそうだとわかったので、
早々にこの活動に参加することに決めた。
参加者の雰囲気がよかったことも決め手になった。
参加してるメンバーは 私と同じような就活前の大学3年生がいちばん多く、
もう少し上か下の大学生もいた。
そしてNPOの代表や運営の主要メンバーは社会人が中心だった。
(↑画像はイメージですが、こんな感じに近い)
みんな和気あいあいとして仲が良かった。
そしてただの遊びのサークルとは違って、どこかみんな真剣だった。
それぞれの参加した目的や、半年間の所属期限があったせいかもしれない。
毎週1回定例ミーティングがあって、先週取材に行ったメンバーの発表を聞く。
そこでは今まで出会ったことのない様々な職業のおとな達の考えを知ることができた。
取材されたおとな達の職業はほんとうに多種多様だった。
起業家や作家、デザイナー。
ジャズピアニスト、お好み焼き屋さん、お豆腐屋さん、
小唄の師匠、伝統工芸の職人、
自然を守ることを仕事にしている人、
会社に勤める一般的な会社員、社長や事業部長クラスの人・・・
様々な職業をして(または転職して)何年・何十年経った人の人生。
なぜこの仕事に就いたのか、今後将来どんな風になっていきたいのか。
そして取材したメンバーたちはどう感じたのか・・・
時には私自身も取材に参加することもあった。
自分が取材に参加していなくても、メンバーの発表を聞き、
自分の人生観と照らし合わせて考えることができた。
自分の意見を言ったり、時にはみんなで討論したり。
私たちは毎週のミーティングだけでなく、
会っていないときもメール(メーリングリスト)を使って意見交換し続けた。
サークルや大学の飲み友だちとは話せなかったマジメな話を、
ここでは真剣に語り合うことができて、なんだか毎日ワクワクしていた。
サークルの飲み仲間も大好きだったけど、
NPOのメンバーと出会えたことで
ただ一時だけ笑って楽しいのとはまったく違う、
深く考えて意見交換ができる楽しさを知った。
しかも、毎週のミーティングで 必ず1回は発言の場面がある。
元々コミュ障だった私が10人位の前で話すのなんて、本当に冷や汗ものだった。
最初の頃はほんとうに自分が何言ってるのか分からなくなってしまい、毎回泣きそうだった。
時にはみんなで話す場なのに、1人だけで話し続けてしまって、
他のメンバーに止められた!なんて日もあった。
そのうち帰りの電車の中では、メンバーから意見をもらって自主反省会をするようになった。
私「今日のあたしの発言、まとまってなかったよねぇ・・・どうしたらよかったんだろう?」
NPOメンバー「うーん。なんとなく、話してるうちに自分で話してる内容見失ってた気がしたから、自分で話したい内容をメモってから発言するとかどう?」
私「あ、それいいー!」
などなど。
やさしいメンバーが率直に意見を言ってくれて、それをなるべく次の回に活かすようにした。
とはいえ発表(プレゼン)なんてカンタンに上手くなるはずもなく、毎回失敗ばっかり。
それでも毎週ドキドキしながら何度も繰り返すことが、すごくいい練習だった。
自分の考えを言葉にして話す機会が何度もあったこと。
話して、ぶつかって、一緒に考えられる仲間ができたこと。
私にとってこのNPOは試行錯誤、トライ&エラーができる貴重な修行の場になっていった。
「やりたいことの芽」と、1つのチャレンジ
「コミュ障だった女の子が、夢を見つけて~」云々なんてタイトルの記事を書いておいてナンだが、
私はずっと「夢」という言葉が苦手だった。(大人になった今でも、そうだったりする)
夢なんて重いし、暑苦しいし、そんなすごいものは自分は持ってない、と思っていた。
ただ、NPOのメンバーと話している中で
私の中にも小さいけれど「やりたいことの芽」があることに気が付いた。
私はもともと本が好きで、文章を書くこと、本に携わること、
出版社や編集、ライターの仕事に興味があった。
「夢」なんて大それたものでもない。
ただ「なんとなく興味ある」レベルだったけど、
たしかに自分の中に生まれた「やりたいこと」だった。
でも・・・。
出版社の仕事をしている人なんて私の周りにはいなかったし、
出版社などマスコミ・メディア関係への就職は「狭き門」、かなり難しいといわれている。
「私にはたぶん無理だなぁ」
そう、漠然と思っていた。
そんなある日、NPOの定例ミーティングで、びっくりすることが起こった。
私「さいきん、出版社の仕事に興味が出てきたんだ!でもさ、出版社への就職なんて「狭き門」だから難しいと思うんだけどー」
私の何気ない言葉に噛み付く人がいた。
Yさん「それ、誰が決めたの?」
私「えっ!?」
NPOの代表のYさんだった。
Yさん「出版社の就職が「狭き門」だって。あんたさ、それちゃんと自分で応募して、その目で確かめた上で言ってるの?」
私「いや・・・ えっと・・・」
考えてみれば、直接誰かに言われたわけでも、何か証拠があるわけでもない。
世間一般で言われている「出版社への就職は難しい」という噂、
なんとなくのイメージを鵜呑みにしているだけだった。
私が黙っていると、Yさんから強烈なパンチが繰り出された。
Yさん「あんたさ、自分がチャレンジするのが怖いから、チャレンジしない理由を自分に与えたいだけでしょう?」
私「えっ・・・!!」
図星だった。
言葉に詰まったままの私を見て、Yさんは畳み掛ける。
Yさん「今まで何人の出版社の人に会ったの?出版社に行きたいって、あんた今まで何人に話したの?」
私「いや、あんまり、、、」
Yさん「そりゃあ叶うわけないよね!言ってないんだから、誰もあんたの夢なんて知るわけないじゃん。やりたいことあるんだったら、ちゃんとその口開いて人に言いなさいよ!「難しい」なんて、死ぬほどチャレンジしてから使う言葉だよ!!!」
私「・・・・・・・・・・・」
Yさんの言っていることはグウの音もでないほど、間違いなく正しかった。
Yさんは、某大手企業を退職し、このNPOの活動に心血を注いでいる人だった。
いつもまっすぐ、本気の言葉をぶつけてきてくれた。
言葉が厳しいので、学生メンバーからはけっこう怖がられていたけど、
「大学生だから」とか線引きしたりせず、私たちとも対等に意見を戦わせてくれる人だった。
私が押し黙っていると、Yさんが口を開いた。
Yさん「よし、決めた。あんた、これから1ヶ月以内に100人に自分の夢を語りなさいよ。」
私「えぇっ!!??」
ちょっと待てよ!!!
どういうことだ!!!???
1ヶ月で、100人に、私の夢を、語る?
私「そんなん、できるか!!!こちとら元コミュ障だぞ!!!友だち100人でっきるっかな♪ って童謡じゃねーーんだからできるわけねーーっス!!」
と心の中で叫んだけど、Yさんの眼光がギラギラしてたのが怖くて、何も言えなかった。
1ヶ月で100人。単純計算で1週間で25人。1日で4人くらい。
まったくできないわけじゃないけど、、、
毎日毎日、その人数に自分の「夢」を語る。
・・・想像するだけで地味にキツイ。
Yさん「あんたの選択でいいけど。やるの?やらないの? どっち!?」
私「・・・・やります・・・・」
(それ、選択じゃないッス・・・)と思ったけど口に出せるわけもなく。
約束せざるを得なかった。
帰り道の電車ではいつもの反省会もできず、ぐったりしていた。
頭の中は反論がグルグル渦巻いていた。
「出版社いきたいとか、そんな人におおっぴらに言えないよー」
「しかも100人ってなんだよー」
夢なんか語れないという恥ずかしさやら、
勝手に話を決めちゃうYさんへの怒りやら、
どうしたら100人なんか達成できるんだろうという不安、、、
いろいろ言い訳したい気持ちはあったけど、
ふとシンプルに考えてみた。
「出版社の仕事に、興味はあるか?ないか?」
そう自分の中に確認してみると、
出版社の仕事に興味があるのは 間違いなく自分の本当の気持ちだった。
中高の頃、友だちがいなかった私は、毎日毎日 本ばっかり読んでいた。
暗くて1人で悲しいとき、見ず知らずの著者の言葉で救われたことが何度も何度もあった。
人に寄り添うような、人の背中を押すような、
そんな本が生み出される過程に関わりたい気持ちが、間違いなくあった。
よし、と私は腹をくくった。
1ヶ月で100人に「夢」を語る計画を、実行することに決めた。
やり方は分からないけど、前に進むことに決めると、
さっきまでの不安とは裏腹に、ゲームのような、面白そうな気持ちにもなってきた。
1ヶ月で100人に「夢」を語るためにしたこと
まずはいちばん分かってくれそうなNPOのメンバーに今日あったことの顛末と、
自分の「夢」についてのメールをした。
「夢を語る」っていうのが最初からメールというのはルール違反か?と思ったけど、
まぁ知ったこっちゃない!
所属している人数はたしか30人位いたけど、何人が読んでくれたかわからないから、
反応してくれた人の数だけカウントすることにした。
NPOメンバー「すげー!!大変そうだけどがんばって!!(Yさんの餌食になったのかー!)」
NPOメンバー「応援してるよ!!」
NPOメンバー「出版社って一口に言ってもいろんな会社があるよね!ともかく気になる会社リストアップして、片っ端から連絡してみたら?」
NPOメンバー「「書くこと」だったら出版社以外でもライターとかいろいろありそうだよね!」
同情やら、応援やら、やり方へのアドバイスやら。
予想以上にみんなメールを返してくれて、なんかあったかい人たちだなーと改め思う。
その数7名くらい。
よしよし!この調子でがんばるぞ!!
帰宅してきた姉にも話してみた。
私「さいきんね、ちょっと出版社の仕事に興味でて来たんだー。就職先かどうかはわかんないんだけどさ。」
姉「へー、そうなんだ! 将来の話とかめずらしいね(^^)」
私「いやぁ、大学3年生ですし…。でね、お姉ちゃんの知り合いとかで、出版社で働いてる人いない?」
姉「んー。誰かいたかなー?いまパッと思い出せないけどいるかもしれない。誰か思いついたら声かけてみるわー」
私「ありがとう!!ぜひぜひお願いします!!!」
「夢」の話をするぞぉ!!! と自分が気構えると話しにくいので、
あくまで雑談っぽく、フツーに話すと案外相手もふつうに聞いてくれることが分かった。
よし、この戦法でいこう!!
勢いにのった私は、他に誰が話せそうか、リストアップしてみることにした。
・・・待てよ・・・。
両親にはなんか言いづらくて話せない。
サークル仲間は人数が多いけど、遊び友だちなので、こんな真剣な話をするのは恥ずかしい。
・・・ここにきて、サークルとNPO以外には友だちがいないことに気付いてしまった。
これはマズイ。果てしなくマズイ。
1ヶ月100人=毎日3~4人ずつなんて、フツーにやってたら到底達成できない!
どうしたらいいんだーー!!
私は頭をフル回転させて、何か方法はないか、考え続けた。