私は現在会社を設立して4年目に入った経営者です。
もちろん、生まれながらの社長であったわけではなく、多くの人と同じように就職活動の手順を踏んでいくつかの企業で社員を経験して、その上での経営者です。
就職活動で応募側である私が面接の時になにを強調するのかと言うと、『人事』としての経験と考え方です。つまり、ここが私の強みということです。
今回は『人事』という人種が、なにを考えているのかをお話したいと思います。
今、現在進行形で就職活動に悩みを抱えている人。今、転職活動で大きな問題を抱えている人。の助けになれば幸いです。

「欲しい方」「欲しい人」ではなく、「欲しいやつ」である理由。
「いいやつ」「楽しいやつ」「かわいいやつ」「憎めないやつ」
上も下もない。言葉の持つ表現力で、「やつ」以外に該当しなかったからです。こういった表現は、私は仲間を探しているからです。
このお話は、弊社に限らず
入社後にあなたを幸せにしてくれる種類の会社であれば、きっと採用の可能性を飛躍的に伸ばしてくれると確信しています。
残念ながら、住友、三菱、三井、安田に代表される巨大企業については私は語ることができません。恐らく、対策は別に用意が必要だと思われるので、そちらを優先することを推奨します。

まずは安心してください。
あなたのライバルたちの大半は箸にも棒にもかからないです。
履歴書でわかることはプラス得点にならない。
あなたがもしも本気なら、履歴書にすら命を削ることでしょう。
履歴書はすべて手書きで、心を込めて一枚一枚仕上げれば有利だ。
みたいな神話は今なお信じられているのでしょうか。
履歴書というものは、精神異常がないかを見る目安くらいに思って欲しいです。
各項目欄の四角で囲まれた部分を認識できるかどうか。四角の中に文字を入れる意識があるかどうかくらいしか見るところはないのです。

真実はひとつだとしても、立場や角度で認知は180°変わることもあります。
みんながみんな
自分の魅力が最大限に引き出せる解釈で遡及してくるのは自然で、
無邪気で受け入れるべきことです。
まあ、まとめると
ここでは差がつかないということです。
ポエミストの求人でない限りは。
しかも現代は情報社会
我々人事を(いい意味でだとしても)たぶらかす方法は
ネット上に溢れているわけで
これに対応していないような会社に入ったとしても
「短い間でしたが、お世話になりました」となる可能性は高いです。
たぶんあなたの可能性込の能力の方が高い!
注意しなくてはいけないのは
逆に履歴書でわかるあなたのスペックを採りにくる企業です。
そういった会社は「即戦力」頼みで
行き当たりばったりの、穴埋め的な人事であるのは想像すればわかりますよね。
人材を育てるという視点が平均よりは低めで、定着率もよくないことがあります。
企業として体質やポテンシャルに自信があれば
すでに何色かに染まった人間よりも
真っ白な処女雪を自分色に染めたいと思うはずなんです。
忠誠心は求めない。
社員は家族であるという考え方に私は同意できません。
「辞めません。でも、がんばりません。」で世に知られるようになった
ぶらさがり社員の温床となることはわかっています。
帰属意識を植え付けるために社内行事を充実させるアイデアもあります。
月々の給与から2,000円を天引きされて社員旅行に充てる企業を知っています。
これは私に言わせると
休日の楽しみ方くらい自分で決められる
ってわけです。
一旦費用を集めて還元するなんて社会主義かと疑ってしまいます。
休日の楽しみ方まで用意されてしまっては、思考な育たないわけで
百害あって一利なしと感じてしまうのです。
会社としてひとつの方向へ向かっていく力というものは
共通の目的を持つことで、忠誠心とは無関係だと思っています。
忠誠心と所属に対する執着心との線引きができますか?
忠誠心とベクトルが同じということに相関性はありません。
就職後のミスマッチの悲劇は
主に就職時の些細な誤解から生まれます。
採用の時点でわからないことがないようにしないといけません。
就職とは人生で最大の商取引だと思うのですが、いかがでしょうか?
車よりも、生命保険よりも、夢のマイホームよりもその金額は大きいのです。
なにかクリアにならないネックがあるのにあなたは購入に踏み切るでしょうか?
なぜ就職だけは希望的観測で踏み込んでしまうのでしょうか。
不自然なことです。
「こんなはずじゃなかった」
そんな悲劇はもうこの世からなくしましょう。
私たち人事という人種は
採用のその瞬間に最高の集中力を持っていきます。
採用されてからがスタートだと考えている応募者とでは、ここで空気の差が生まれます。
本気の採用側には
本気でない応募者のお話はまったく耳に入ってきません。
応募資格に至っていない人が紛れ込んでしまった程度の認識しか持ちません。
さて、そろそろ答え合わせと行きましょうか。
私が人事として欲しいやつを一言で表すと、
漫画『ドラゴンボール』の「ベジータ」です。
ベジータは常に自信を持っています。これには冷静な自己分析の根拠があり、相手との力関係も正確に把握できます。
主人公よりも先に敵に戦いを挑んで勝手にコテンパンにやられ、勝手にその壁を乗り越えてしまいます。
ここで鋭い人であれば、気がつくかもしれません。
サイヤ人であるベジータの協調性のない部分は問題にならないのか?と。
私はこの点は問題にならないと考えます。
ベジータには依存の概念がないのです。
この依存と協調性との意味を履き違えている人は決して少なくありません。
自分を安心させるために、欠点のある人を近くに置いて置きたい心理は誰にでも必ずありますよね。
これが“群れる”田舎の不良です。
会社としては目的が共通していれば、何をしてもらっても構いません。
困るのは、中間管理職が保身のために困るだけです。
上司が優秀であれば、部下がなにをしでかすかわからないなんてことはありません。
部下の知恵が上司の知恵を超えているなら、上司はもっと勉強すべき。
そこで協調性と称してそれを優先するなら会社として社会に対して仕事をしていないわけです。