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13/12/6

8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話vol.3

Image by Olia Gozha

8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話vol.1

8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話vol.2

の続き・・・。



インターンへのスタンスは「来るもの拒まず去るもの追わず」

 初回は2005年9月14日、初期インターン5名の顔合わせが行われた。そこで、アライドが今後展開しようとしているビジネスについての説明があった。いわゆる現在のウェブソリューション事業の前進となるブログシステムをベースとしたホームページ作成事業のことである。2回目は、市場調査をとA4ペラ1枚の資料を持ち、恵比寿の街に飛び込み営業をするというミッションを与えられた。あまり得られるものはなく、一回のみで飛び込み営業は終了した。その日の夜はインターン歓迎会が「頂」で催された。アライドが20名規模であった時代までは高い頻度で利用し、いろいろと想い出が詰まった場所である。

 事前にインターンのプログラムを作成するといったことは、この2回のみでなくなった。以後、会社へ向かうと「これやっといて!」と、その日のタスクを降られる方式となってゆく。辛うじてPhotoshopとIllustratorを使えた私には、デザイナー用に購入したばかりのMacを充てがわれ、恵比寿駅から会社への地図作成に着手した。その後も個人向けブログデザインサービス「aamall」の事例増大のため、ランキング上位のブログへ無償でのデザインのオファーメールを送ったり、提案資料の手直し、SNSの市場調査や、各ブログサービスの調査、ブログのコーディングの最終チェックや微修正などを行っていた。気付いてみれば、11月の段階で一緒に始めたインターンたちは姿を消していた。

 一軒家時代には、省庁関連でのインターンシップ受入もあり、韓国台湾中国などの優秀な学生を多数受け入れた。その際だけは、しっかりとプログラムという名の題材を与え、数週間後に発表というよくあるインターンシップ形式で行っていた。ただ、それ以外のインターンに対して「来る者拒まず去る者追わず」の放任のスタンスは、最初の段階で固まっていたのだ。結果として、放任主義で逞しく生き残ったインターンが私を除いては優秀だった。つい先日、エニグモさんから出資を受けたDropの岩本君もアライド一軒家時代の優秀なインターンのひとり。私と共に「インターン三羽烏」と呼ばれた上記のインターン募集で釣れた2名。ひとりはそのまま入社し、3年弱で独立。創業から5年、引き続き事業は順調のようである。もうひとりもDeNAさんへ新卒で入り、かなりの早さでマネージャーになったそうだ。モニプラ立ち上げを手伝ってくれた子もメガな総合商社に入り、20代にしてイタリア駐在員となるエリートっぷり。実力派の彼らが、いまのアライドの根幹を創ったと言っても過言ではない。「アライドマフィア」という言葉が出廻る日ももしかしたら近いかもしれない。


「一度目」の卒業前後での出来ゴトと伏線

 年始からインターン終了となる2006年3月頭までは、前章で紹介したエディタのローンチへ向けての作業を西田さんの下で行っていた。その傍らで、2月中旬からは「~全国縦断!47人、学生パワーブロガー巡りの旅人~」という企画の立ち上げに首を突っ込み始めた。京都のしがない学生ブロガーが、日本を縦断しながら各都道府県のブロガーと逢っては、そのブロガーの夢を叶えるという企画であった。唐突に「夢は何ですか?」と聞かれた。反射的に、中学時代からずっと密かに恋い焦がれていた「作詞家になりたい」と伝えた。その話がなぜか大きくなり、電通子会社の元社長さんがバックアップして一瞬メジャーデビューなんて話もちらほら仕掛けて、3月末には泡と消えるという気持ちの浮き沈みの激しい2ヶ月を送っていた。

 「バブル」な話はさておき、その企画では20~30名のブロガーが集まっていたこともあり、エディタのα版の負荷テストとしては最適であった。何処のブログでエラーが起きているとかキーワードの精査のノウハウなども此処でいろいろと蓄えていた。改めて、インターネット業界の面白さ、時間の流れの速さ、そして仕事の楽しさを日々感じていた。そして何より、エディタというサービスに心をドンドン奪われていったのだ。その仕事っぷりを見て、4月からも…という話を軽くされたりもした。でもとにかく、お金に強くなることが、私にとっては優先したいことだった。だから、「1年半待ってください」などと最後の方は言っていたが、まさか出戻りまでたった3ヶ月などとは誰もが思っていなかった。歓送会の際には、「社会人3年目のポテンシャルがある!」などと散々褒めちぎられ、夏頃にはデビューしちゃうかもなどと吹きながら、私はアライドを後にしたのだった。その僅か10日後にバブルは崩壊した。情緒不安定なまま何も判断することもできずに4月1日を迎えていた。その数日前、就活時代から何か同じモノを持っている子が内定辞退をしたと聞き、そちら側に堕ちたい気持ちにも傾きながら、とりあえずは進もう…晴れ晴れしいはずの新しい日々のはじまり。心の中は、既にどんよりしていた。そんな中、我が家には4月中旬に行われる中村さんの結婚式の2次会の招待状が届くのだった。

 何はともあれ、新卒で入った企業をたった2ヶ月で辞めては、アライドに出戻るまでの「空白の3ヶ月」は、そのように口火を切られていた。数々の運命的な嘘のようで本当の話は、また次回に…

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