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13/12/3

北京の貧民街で3ヶ月アメリカ人とルームシェアした話

Image by Olia Gozha

憧れの留学生活から一転…

2008年の6月から8月までの約3ヶ月間、僕は当時留学していた北京師範大学の留学生寮から追い出され、同じく寮を追い出され行く当てのないアメリカ人と北京の貧民街でルームシェアして暮らす事になりました。



寮を追い出された

時は丁度北京オリンピックが開催された年。

住んでいた留学生寮をオリンピックのアメリカチームが使うから、

という理由で僕は問答無用で追い出されました。


写真:北京オリンピックを前に工事中のキャンパス内



住処を探して

寮を追い出される事になった僕は住む場所を探しました。

しかし探せども探せどもオリンピック前ともなると家賃が跳ね上がり、

条件の合う住処は見つかりませんでした。

一方で寮の退去日は刻々と迫ってきていました。



そんな時、救いの手が

それは同じ寮に住んでいたアメリカ人の友人からの思ってもない知らせでした。

「家賃の安い、良い部屋が見つかった。大家さんが2段ベッド用意してくれるというから一緒に住まないか?場所は人民大学の近くで、家賃は管理費込みで月1,000元。折半で1人月500元でいいよ。(約7,500円)」

あまりの安さに驚きはしましたが、当時の僕は住む場所が決まったという安心感でよく考えずにルームシェアを承諾しました。



Hello,my home


写真:当時住んでいた部屋とアメリカ人のルームメイト。


部屋の広さは5畳ほど。

写真の通りベッド、椅子、テレビ台で部屋は埋め尽くされており、

入居数日でルームメイトの所持品(ゴミ)のせいで足の踏み場はなくなりました。



やつらがやって来た…

もともと汚いアパートの上、散らかった部屋に暑さも相まって、ついに奴らがやってきました。


※画像はイメージです。


共有のキッチンからベッドまで、ゴキブリを見ない日はありませんでした。

しかし最初のうちは背筋の凍る思いをしていたものの、次第に慣れていきました。

(人間の環境適応能力は素晴らしいと思います。)

そのうちキャッチ&リリースが出来るようになりました。



ルームメイトと暫しの別れ、そして新たな出会い

ルームメイトが夏休みの間暫しアメリカに帰ることになり、僕は1人暮らしをすることになりました。


丁度時を前後し、その頃僕たちは近くに住んでいる中国人アリ族の1人と仲良くなりました。名前は王さん。彼もまた近くの安アパートで友人達とルームシェアして暮らしていました。


アメリカ人が帰国し数日が経ったある日、王さんが僕の部屋を訪ねてきました。

部屋に入るなりいきなり、

「ルームメイトに部屋を追い出された。住む場所が無いから居候させてくれ。」

空いた2段ベッドのうちの1つを見つけると、王さんは図々しく場所取りを始め、その日から僕は王さんとルームシェアを始めました。



居候の居候らしからぬ態度

ルームシェアと言っても家賃は僕持ち。当初彼が居座るのは数日かと思っていました。

結果、1ヶ月を超えても彼は居続けました。

部屋を追い出された理由を尋ねたところ、彼のルームメイトが恋人と一緒に住む事になったため、彼が邪魔になったそう。

事情が事情のため、僕もいつ頃出てくのかという質問を彼には出来ませんでした。

そのうち次第に慣れてきたのか、彼は僕に「このアパートには女性がいるのか?」と聞いたかと思えば、キッチン等の共有スペースをパンツ1枚で歩き回るようになりました。(隣にカップルが住んでいたがそれは彼には言いませんでした。)

僕は深夜1時には寝ていたのですが、彼がその時間に眠くないのでテレビを観ていいかと聞いてきたかと思えば、大音量でテレビを見始める始末。

あまりの図々しさにイライラしつつも、楽しくもありました。


写真:僕の兄が北京に遊びに来た際、観光案内をしてくれた王さんと何故か一緒について来たその恋人。


そんな日々もオリンピックが終わり9月になり、新学期が始まり終わりを迎えました。僕はアパートを引き払い寮に戻り、王さんは住む場所が無いため実家に戻ることになりました。(月1,000元の家賃は払えなかった模様。)


そうして清潔な環境に慣れてしまった僕はキャッチ&リリースどころか、ゴキブリを見ただけで飛び上がるチキンに戻りました。

おしまい


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Image by Jukka Aalho

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