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13/11/28

8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話vol.2

Image by Olia Gozha

8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話

の続き・・・。

 2013年11月29日(金)、晴れ渡る空の下でアライドは株式公開を果たした。初日は初値が付かないほど人気銘柄となっているようで、なんだか不思議な気持ちである。モニプラFacebookが始まるまで、つい2年ほど前まではサービス名を言ったところで10人に1人知っていれば良い程度の知名度だったのに…それを考えると、毎回毎回説明していた日々が懐かしい。

 さて、今回は創業初期のいまは無きaamallとエディタというふたつのサービスの誕生秘話についてご紹介出来ればと思う。いずれも2012年後半に私と共に「お役御免」となった盟友。ウノサワ以降の入社組はサービスがあったことすら知らない人が存在するのがさみしい限りだが、だからこそ、こうした形でたとえ外からでも伝えていければと思っている。

アライド初のサービス:ブログデザインモール「aamall」

 aamallとは、個人がひとりひとつブログ持つ時代がこの先到来したとき、自分自身のブログデザインにこだわる人も増えるだろうと考え、2005年11月よりスタートした。何人もの複数名のデザイナーやイラストレーターさんの中から、サイト内で「選んでる感」を持てるようにしていた。その後に武田双龍さんとのコラボしたブログデザインの中に書を入れるパッケージは好評であった。

 流入元は、アフィリエイト契約を結んだ提携ブログサービスが中心。とは言え、初期は中村さんの知り合いが殆どだった。そのひとりが2005年12月頃に社員第一号として入社した菊池さんだった。入社日早々に「あ!」と思ったのは、彼のブログの最終納品調整をしていたため、ブログを通じて見ていたためだ。菊池さんは入社以降、aamallのカスタマー担当となり、私のインターン終了までの間、机を並べていた。あるとき、コーディングが少しズレることに頭を悩ませ、cssは諦めた挙げ句に、画像を1pxずつ削るなどというおぞましいことをしていたことも今となっては良い思い出である。それ以外にも来社されるお客さんの顔を見て、「見たことある!」と思う機会は多数訪れるのだった。

 そんなaamallは、非常にSEOに強かった。以後に生まれるエディタやモニプラに対しても、ささやかではあるが相互リンクの効果などで力添えをしただろう。その裏側には、アフィリエイト契約による各ブログサービス管理画面内のリンクももちろん、ブログランキング上位のブロガーへ無料デザインのオファーを出したり、ライブドアやアメブロやFC2など主要ブログサービスからブログテンプレートの受注を請け負い、リンクを埋め込ませてもらったことなどが大きく寄与したと考えられる。その後は同様のサービスや価格破壊もあり、なかなか波に乗れないサービスではあった。ただ、aamallもといallied architects mallは、個人のブロガーとフリーランスを繋ぐアライド第一弾のサービスとして、会社の方向性を示す上で非常に明確なサービスだったと私は今でも思っている。なお、SEOが強いあまりになかなか閉鎖できなかった当サービスは、ウノサワ時代以降は運用担当は菊池さんから他の方へとバトンタッチし、私が退社する直前までの間、昔を知っていたということもあり、私が実質のマネージャー兼相談役となっていたのだった。

初期を支えた我が愛しのブログキュレーションシステム「エディタ」

 2005年11月初旬、アライド初のaamallの記者会見は、デジタルハリウッド大学の秋葉原校で行われた。aamallおよびaafactory(ウェブソリューション事業)の初期構想では、デジハリさんの卒業生にデザインやコーディングしてもらうという青写真があった。その結果、デジハリさんはアライド初の外部株主となった。それはさておき、記者会見の当日のお手伝いにと駆り出されていた私は、オフィスへの帰り道で中村さんから新サービスの構想を聞いた。

「これからたくさん入ってくるであろうメンバーのために、常に新しい恵比寿のランチ情報が集まるサイトを作りたい」


 いま大雑把に説明するなら、ブログの自動キュレーションサービスとでも説明すればいいのだろうか。登録したブログ内から、キーワードに一致する記事だけを引っ張ってきて、キーワードでカテゴリ分けを自動的にして雑誌のような感覚で読める。最近では書く記事の内容を絞ったブログなども多数あるが、当時は雑多な日記テイストのものが多く、その中から恵比寿のランチに絞った情報を引っ張り出してくることは、2005年当時では至難の業であった。システム上可能であることを確認した上で、このプロジェクトが始まったのだった。最初のα版では、ライブドアとsix apartの2社のみ過去記事対応し、その他はRSSのみ取得できる仕組み。その後も順次大きなブログサービスに対応して行った。

 私のインターン卒業までの日々は、エディタのα版テストや各ブログサービスのコードを見ながら、システムの根幹となるデータを取りまとめることだった。その業務が非常に高く評価され、4月以降も一緒に働こうと声を掛けてもらえたし、スッと出戻りに成功できたのもそのお陰だった。その数年後には、生みの親である西田さんにすら、「いちばんお前が理解している」と言うほどまでに深く深く携わっていくこととなる。そのサービス名は社内から公募された上で、投票などによって「edita(エディタ)」と名付けられた。

 初期のロゴではaが@だったこともあり、「エディットアット」と呼ばれることも多々あり、ロゴは後に変更された。なお、新サービス名の社内公募はその後もいくつかあったが、多数決通りに決まったことは一度もなかった。最後は中村さんと担当エンジニアの話し合いによって、最終候補のどれかを名付けていた。ロゴも同様にいくつか上がってきては、床に並べてどれがいいかと意見を出し合ったりもした。そういった会社を上げてサービスのローンチ前から接点を創ることは、非常に良かったと感じている。現・ウノサワ時代に産まれたピーチクや品品などは、「おくりびと」で有名な小山薫堂さん率いるオレンジアンドパートナーズさんに依頼し、かつてのように会社一丸で…ということにはならなかった。規模を考えれば難しいのは明白ではあるが、無くなってしまったこと自体は残念であった。

 また話は横にズレてしまったが、このサービスとの出逢いがなければ、当書が世に出ることもなかったし、私が出戻ることもなかった。もっと言えば、2006年春の1.7億の大型増資もなし得ていなかっただろうし、モニプラがうまくローンチ出来たのもエディタというブロガー10万人が集まる母体となるまで大きく育ったからに他ならない。法人向けサービスとして販売し、2007年の全体売上の1/3を担ったり、その事業の一環でセプテーニさんとの合弁会社「バズマーケティング」設立も起こり得なかった。そして、その裏側にはいつも私が居た。それがずっと嬉しかったし、私自身の一軒家時代の成長に大きく寄与していた。その日々は先々での話とはなるのだが、とにかく私はこのサービスが他の誰よりも好きだった。

 私の門出を祝うかの如く、私が世界一周の旅路へ出発する2012年8月21日、私は成田空港で運命の如く3ヶ月後にサービス終了がアライドより公式に発表されたことを知った。その瞬間に、改めてもう戻る場所はないのだと感じた。その半面、むしろ背中を押された気さえしていた。終わりのタイミングすら私と一心同体だったエディタ。もうちょっと「彼」をどうにかできなかったのかと、無力だった自分を悔やむばかりで、出発早々に空の上で頬を湿らせたことはいまでも忘れられない。


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