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30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(6)

Image by Olia Gozha

「ばぐひどす。」と「思うこと」

1回書いたのに消えてしまったよぉ。気を取り直してかけるかな。がんばるよ。(トオイメ)

さて久しぶりに書こうと思ったわけですが、まず、何歳だろうとアメリカの音大を考えている人に伝えておきたいことがある。最近、いろいろ青春時代を謳歌する若者たちを見ていて思う。みんなすごい一生懸命だしかわいくって賢いということ。すごく悩んで絶対間違いのない答えを導き出そうと思っているっぽい気がすること。でも、これだけはわかってほしい。脳内でいろいろできる人たちもたまにいるけれど、普通は、脳内だけでいろいろ考えてみても、体にはしみわたっていないことを。そう、いろいろ考えているうちは何も始まっていないということなのかもしれない。ぜひいろいろ体当たりして、失敗もして、成功もして、一喜一憂する感じが人生なんだと思う。

今回は、ちょっと学校のお話からは休憩して卒業その後の第一歩のお話。


バイトさがしと夢

まず、私の場合、この音大を卒業してすぐに実家のある大阪ではなく、東京に来ました。親とも話し合ったのですが、「大阪に何しに来るの?用事あるの?」と聞かれ、久しぶりだから、会いたいしともごもごいってたのですが、「往復するお金ももったいないので、東京にいかれたらいいんじゃないですか。」とありがたいことに、謎に突き放されたので、東京にいるお友達に連絡。東京にいくことにしたわけです。

実際、地方出身でうちの大学を近いタイミングで卒業した人たちにはいくつかの帰国までのパターンがありました。(といってもまだ帰国していない人も、帰国してまた出ちゃった人もいますw)私が思うのはこんな感じのパターンがあるのかなと。

・パターン1:滞在型(OPTのみ)
・パターン2:滞在型(OPT→アーティストビザ)
・パターン3:滞在型(OPT→他国 / 音楽の大学院進学(US/他国))
・パターン4:帰国型(実家(地方))
・パターン5:帰国型(実家(東京))
・パターン6:帰国型(ひとりで東京)←わたしこれ

それぞれいろいろな負担が違うかなと思うので、少しずつ簡単に状況を説明したいと思います。


学校では、多くの人がOPTというF1ビザの続きでいろいろとお仕事ができるようになる権利を取得し、実際アメリカでお金をもらいながらお仕事体験していく人が多いです。私の友人も何人かこのプロセスを経て、そのあとミュージシャンがよくとるアーティストビザを取って滞在して仕事しながらキャリアを積んでいくということが多い様子。

実際は、自分でがんばってスポンサーなどを探して、いろいろな人に推薦状を書いてもらって、スケジュールも未来までいっぱいにして、と、いろいろなことを準備して審査に申込み、最悪は、移民専門の弁護士さんにアドバイスをいただいて、ビザとるようです。その手のビザ、OPTに関してはネットでぜひ検索してみてください。たっくさん、いろんな情報があります。

ちょっと無理しても夢あふれる友人達が行き着く都市、これがどうも、ほかの大学に行く場合を除いて、ロサンゼルス、ニューヨーク、東京、ロンドンが大変多いです。やはり音楽ビジネスのチャンスも多いということがあるからでしょうか。そして最近のミュージシャンの移動距離に関してもかなりびっくりしています。アメリカで友達になった日本のこともよく知らない人々が意外と仕事で日本に来ます。やとわれツアーだったり、ただ友達に会いに来たり、仕事できたりと定期的に大学時代の友人と遭遇するイメージです。私はまだ1回もアメリカに戻れてないので、(いつでも行きたいと思っていますが)本当に切実に戻ってまた空気とエネルギーをもらってきたいものです。


その後、私はパターン6で東京に来たわけですが、最初は行く場所もなかったので、三軒茶屋在住の友人のおうちに居候させていただきました。その子と旦那さんにはとても感謝しています。(わたしの帰国後のすべてはお二人のおかげで無事にはじまれました。。ありがとうー☆彡)新婚だったのに、いつまで滞在せねばならないかまだまったくわからない私を迎え入れてくれました。

居候生活とバイト

さて、帰国した私、音楽だけでなんとかやっていけないかを模索するべく、ネット検索。いろいろ人にも話を聞いてみたりして探してみました。なかなかどこからどうやってスタートさせていければいいのかわからず、右往左往しました。今、考えてみると、東京に実家があるか、親が仕送りをしてくれるという状況がない人は、まず住居探しが大事です。極力家賃が安くて、都心にもアクセスがいい場所がいいでしょう。そして、次に大事なのはバイト探しです。アーティスト活動をメインにしていきたい人は、仕事時間が比較的柔軟に変更できる飲食系のバイトをする人が多いです。そのようにバイトをしながら、音楽の仕事を探し、バイトを減らしていく。俳優を目指す友人もエキストラ、その他の仕事をしながら、空いている日にはバイトをするといったことをしているようです。

私の場合は、まず時間が自由になることを踏まえて、最初はネット系の原稿を書いたりするライターのアルバイト、そして、自分でできるボーカルインストラクター(個人)を始めました。それから、徐々にスクールなどに応募し始めました。その中に、今でもお付き合いがあるスクールもあります。自分自身の時間配分、お金をどの程度稼ぐ必要があるのか、とっても一つ一つやりながら確認して調整していく感じかと思います。自分の夢のためにめげないで短気にならずにやって行きましょう。


外人シェアハウス


やっとこ借りたアパートとルームメイト

そこからのお話はまた次のお話ということで。

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Image by Jukka Aalho

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