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13/11/14

僕の人生を変えるきっかけとなった、オーストラリア旅行体験記。その4

Image by Olia Gozha

1人の旅が始まった。


セスナに乗り、恐怖心を抑えながら、3カ月ぶりにダーウィンへと戻った。


会社の事務所で手続きを済ませた僕は、とりあえずその日泊まる場所を探した。




「どっから来たんだい?」

「ジャパン!!」

「日本なの?日本はどこがお勧め?京都??」

「え?なに!?もう一回いって!!」

「だから、どこがお勧め?」

「え!ごめん!もう一回!!」

「・・・・・・フ~・・・・」

みたいなやり取りで、多分彼はうんざりしていただろうね。


翌日も、朝早くから町を回った。
ホリデーシーズンの街がホテル探しだけでこんなに大変とは思わなかった。
昼過ぎに公園の芝生に座りこみ、食パンにラズベリージャムを塗り、寝っ転がってどうしたもんかと途方に暮れていると・・・・・・・・。

公園の横に、一軒の中古自動車屋を見つけた。


「・・・・車か~。車があれば、ホテル探さなくて良いじゃん!!」


と、安直な発想で、僕は車屋へと足を運んだ。


彼は、トムクルーズを非常に田舎くさくした感じの気のよさそうなおじさん。



僕は、すぐに車が欲しい事を告げた。



車で寝れる事。ラウンドしたい事を伝えると、彼は1台のワゴンを勧めてきた。


それは、三菱のエクスプレスという車で、車内の後ろには、以前のオーナーが木枠でベットを作っておりそのままになっていた。



僕は、すぐに気に入りその場で買う!!と申しでた。



おじさんはすぐに購入の手続きをしようとしたが、いかんせん契約など事が理解できない僕に、電話通訳を頼んでくれ、通訳越しに手続きを済ませた。



1900ドル位だったかな。



ぼられたかもしれないが、その時の僕にはそんな事はどうでもよかった。



もうこれで、旅が出来る!!それだけだった。




翌日納車となり、僕はその車に乗り込みおじさんに別れを告げ、旅に必要だと思う物を買いこみ、車にぶち込んで昼過ぎにはダーウィンの街を出た。


初めて自分で運転するオーストラリアの道は、さほど違和感もなく走れた。



僕は、ひたすらに車を走らせた。


気になる場所があると、車を止めギターを弾いた。


地図を見ながら、日が暮れる前にキャラバンパークを見つけ泊まり、真珠の養殖時代に身に付けた早起きで早朝から車を走らせた。



とりあえず、パースまで行きたかった。



素敵な町だと聞いていたので、早く行きたかった。



海沿いを通る事はなぜか嫌な気持ちがあったので、サウスヘッドランドから、内陸へ進路を取り、一日800kmほど走った。





内陸も今まで見た事もない光景ではあったが、自然と燃えているブッシュや道路に死んでいる動物達を何度となくみては、



「ここで、車壊れたらこえ~な~」

と、ビビる事もあった。

(今考えると、海沿いを通りピナクルズとかの観光地もみておけばよかったよ…)


ひたすらに走り、1週間もせず僕はパースの街へとたどり着いた。
パースの郊外にあるキャラバンパークで1週間の契約をし、パースの街へと繰り出した。

パースの街へと繰り出した僕は、養殖の時に仲間から教えてもらったネットカフェの事を思い出し、ネットカファへ向かいhotomailの設定をするべくパソコンに向かったが、僕は、当時コンピューターに非常に疎く、しどろもどろする事になった。

あまりにテンパっていたのだろう、その様子をみてか一人の日本人女性が僕によって来て話しかけてくれた。

「あなた日本人?何か困ってる?」

「あ・・・ああ!!!助かります~じつは~・・・」

と、事情を説明し、彼女はメールの設定を教えて下さった。

「さすが恋の都パース!!さっそく素敵な出会いか!!!」

と、浮かれているともう一人、連れがいるからとその人の所に案内してくれた。

「・・・あれ?これって日本で言うあれか?僕、ちょっとだまされそうな感じ?」

等と思いながらも、ついていくと1人の日本人男性がいた。

そこには、1人の爽やかな男性が。

女性は彼と、いきなり手を組みべたべたしだした。そう、彼氏だったのである。

まあ、その男性は悪い人ではなく自宅へと誘いご飯を御馳走してくれた。
そして、パースの街を観光に連れていってくれ、非常に楽しい時間を過ごす事が出来た。
(彼は、日本に戻った後も、手紙をくれたんだよね)


自分がラウンド時に使ったコンロなども、ただに近い値段で譲ってくれたしね。


そんな楽しい時間もあったのだが、彼からラウンドの話を色々聞いていると、僕もうずうずし始め、1週間もパースに滞在はせず、彼らに別れをつげ、僕は再び車の旅に出たのでした。






「パースをあとにした僕は、エアーズロックのあるアリススプリングス目指し、車を走らせるのでした。」

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Image by Jukka Aalho

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