top of page

13/10/8

今は、帰国子女枠で日本の大学進学決定。高校時代は、言葉がさっぱりわからない国で靴を食べていた。

Image by Olia Gozha


今は、帰国子女枠で日本の大学進学決定。

しかし私高校時代は、言葉がさっぱりわからない国で迷走に迷走を重ね、靴を食べていました。


馬鹿丸出し。


さて私。


この3年ちょいを総括させていただけば、父の母国であるスペインで高校時代を過ごし、その後日本に帰国、そして帰国子女入試で第一志望校に一発で合格―といった具合でして、見た感じなかなかスムーズでスタイリッシュな人生を送っているように思われるのではないでしょうか。

ところがどっこい、スムーズでスタイリッシュに見えるものその幻想をぶち壊させていただきますと、実際は辛酸舐めまくりの3年間でした。それはもう人懐っこいワンちゃんもびっくりのペロペロっぷりです。

それもそのはず、中学卒業後にスペインに渡った時点で、私のスペイン語力はほぼゼロ

かろうじて「こんにちは」だの「さようなら」だの初歩的な言葉と、あとはちょっとピュアな中高生の皆様にはお聞かせできないような素敵なスラングくらいしか知識になく、そんな状態で「高校受験めんどぃU、ちょっとスペィン行ってくるぉ☆」レベルの軽さでスペインに渡ったものだからまあ大変です。

ステイ先で5歳の子に口ケンカで負けて涙、現地校の授業の内容が一切分からずに涙、そして言葉が分からず友達が出来ずに涙。

少しでも考えれば、そらまあ泣くことになるだろうなあとは誰でも予想できるでしょう。

しかし私、その「少し考える」ということが出来なかった。


自分の力は過信したって良いのです


中学3年生時の私は「さき様最強説」なるものを支持していました。

勘の良い皆様のことですからもしかしたらもうお気づきかもしれませんが、そうこれは簡単に言いますと「よお分からんけど私最強だしどうにかなるっしょ(^-^)☆」という致命的に馬鹿げた考えです。

当時中学でそこそこ良い成績を取っていて、最高に天狗になっていた私は大体の事柄を、そう正しく高校の進路に至るまでこの考えをもって済ませていました。早い話が難しいことを考えることから逃げていました。

まあ結果どうにかなるはずもなく、危うく「スペイン?余裕ぽよ(笑)」が私の辞世の句になる勢いでそれはもうどうにもなりませんでした。リアル馬鹿につける薬など無い状態です。

しかし。

そんなトチ狂った学説を唱えていた時からもう3年経ちまして、もう19歳の婆になりまして、大学の合格もいただきある程度落ち着いた今考えますと、若いうちの勢いも大切ではあるのかなあと思います。

婆の癖に青臭いことを言わせていただきますと、一回しか無い人生なんだから、好きなことをしたほうが良いに決まっていますものね。

ちょっと人とは違う進路を選んだって、正直全国探せば同じようなことをしている人は意外といるものです。

高校から3年間海外に行く人だって、わりといてびっくりしましたもの。

なので「自分の限界はきっとここまでだから」と一歩引いてしまうより「よお分からんけどできるんじゃないかしらん」と自分のしたい道に進むのが、最後の最後にはハッピーになれるのでは無いかと思います。

最近マイブームの「最終的には人生ハッピーヤッピー(ただし途中の苦労は考えないものとする)説」です。支持者募集中。

やる時やれば良いのです


私がスペインに渡った理由、それは「スペインには高校入試がないから」

当時、いや今も変わらずなのですが、勉強に親でも殺されたの?と疑いたくなるほどに私はとにかく勉強というものが嫌いでした。

高校受験めんどくさいなあ、塾とか行きたくないなあ、とそんな腑抜けたことを考えていた時に知ったこの上記の情報、私の進路をスペイン行きに決定させるのには十分すぎる効力を持っていました。

しかしまあいざ国外逃亡したのは良いものの、スペインの学生事情というものは非常にシビアでして、成績が悪い子はばんばん留年します。

どの程度シビアかといいますと、私この3年間で、先輩が後輩になっていく瞬間に立ち会ってしまいました。

そんな環境に言葉の分からない状態で飛び込んでいった私、さあどうする。

正直に申しますと、高校の3年間は私それはもう勉強をしました。

はじめの数ヶ月は言葉が分からないので、ひたすら机について6時間授業を聞く。

何を言ってるか分からなくても、とにかく聞いて耳を慣らす。そしてスペイン語の補習に行く。

言葉が少しずつ分かってきた頃から、授業に参加を始めました。


勉強は死ぬほど嫌いでしたが、しかしそれ以上に、私にはクズ特有の謎のプライドの高さがありました。

なので「留年はいやだ留年はいやだ」と白目をむいて勉強していたわけですよ。

組分け帽子もこれには苦笑いレベルの必死さです。スリザリンやて在籍できるだけマシやろ!と会った事もない(というか会いようの無い)ハリーにブチ切れる毎日でした。

教科書はまったくチンプンカンプンでしたので、前ページの分からない単語を1つずつ端から翻訳。

ぶっちゃけ初期など「分からない単語=全部」ですので1ページ訳すのに1時間かかるなんてザラでして、本当にリアルに泣きながら紙辞書を捲っていました。


まあそんなこんなな努力でして、はじめの1年は、色々とえこひいきというか同情をしてもらい、いくつかの教科を免除してもらい進級。

次の1年は、試験中の辞書の使用を許可してもらい、進級しました。

そして最後の年は、まわりとまったく同じ条件で授業を聞きテストを受け、無事卒業をすることができました。

ついでに向こうの大学入試も受け、無事に合格。

カムチャッカの若者がキリンの夢をみているとき、ダニエル・ラドクリフ君が世界のどこか(おそらくイギリス)でとばっちりを受けながらも、ついにスペイン在住アジアの女は夢を成し遂げることができたのです。


しかし私、高校3年間はそこそこ苦労して頑張ったのですが、日本に帰ってきたからまたクズに逆戻り。


スペインで大学入試は受け合格したものの、日本に帰れば私の肩書きは完全に「ニート」

そう、これから世の帰国生は予備校に入って小論文やら英語の勉強を必死こいてし、大学に入らなくてはいけない―。

ということで私も例に漏れず、7月後半から入塾しました。

本当は帰国生用の予備校が理想だったのですが、福岡にそんなシャレオツな塾があるはずもなく。

なので軍隊なみの厳しさで有名な地元の某予備校に入ったのですが、そこがまあ厳しいのです。

まず勉強うんぬんの前に、身だしなみから。ピアス、メイク、ネイル、染髪、全部禁止されています。

ピアスホール9個、メイクはまあしてなくともネイルは真っ赤、髪の毛は金髪の私に死角はない。むしろ入塾の資格がない。Yeah。

まさにキングギドラの友達の悪そうなやつら代表です。だ、誰が(頭の)悪そうなやつら代表やてー(棒読み)

さすがに尾崎豊ばりの反骨精神もこちら持ち合わせていないので、髪を黒染めしてネイルを落とし、ピアスも取って大人しく予備校生活を始めることにしました。

さて予備校なんですが、正直に言うと私はほぼ一切勉強をしませんでした。

好きだった英語の時間はそこそこ真面目にするものの、国語の時間は完全に意識が飛んでいました。多分口あたりからエクトプラズム出ててもおかしくない勢いです。

午後の自習の時間も、100分中80分くらい爆睡。残りの時間はお絵かき。

あまつさえ自習をほっぽってコミュニティルームといい「そこに溜まっていたものは受験に全滅する」と悪名高い部屋で友達と喋りまくり、夕ご飯を食べたら即効帰宅、というベスト・オブ・クズの称号を頂けそうなレベルで勉強から逃げていました。

何故このような行動に走ったのか。

ぶっちゃけ私、そこまで勉強しなくても大学に受かると思っていました。3年ぶりに復活さき様最強説。

なので予備校にもいまいち意味を見出せず、夏期講習の終了と共に退塾。

「予備校中退」という非常にロックな肩書きのまま、週3でNOVAに行きつつあとは家でダラダラ、という生活を入試まで送っていました。


家で勉強しろよ、と皆様思うかもしれませんが、あれです、宅浪ってほんとに無理。

予備校の自習時間に「こっちが勉強したいのにひたすら喋りかけてくるチャラ男」と噂のK君に話しかけられたことがあるのですが、私も勉強をしたくなかったので「いいよお喋りしよ!あと2時間くらい!」と快く受け入れたところ「あ、いや、いいや俺勉強する…。」と逃げられた実績を持つ女が、果たして人からの強制無しに自分の意思のみで勉強ができるか。いや、出来ません。反語です。

ちなみに私、K君に勉強をさせた女として一躍時の人となりました。そのくらい勉強が嫌いです。

もちろん、自分で必要と思うならば勉強はしたほうが良いのでしょう。

だけど多分、勉強しても勉強しても不安!なんて人は、そんなに気張らなくてもきっと大丈夫な気がするんです。

私も周りから散々勉強しろ!そのクズが!と罵られましたが、私ドMですのでそんな罵倒一切苦でもなく、結局勉強せずにこんなクズでもみんな名前を知ってるレベルの大学に入れたのですから、皆様に入れぬ訳が無い。

ここぞというところで自分は頑張れた、と確信があるならば、それを信じれば良いんだと思います。


ということで


私なんて何か実績を残したわけでもなく、ただ海外の高校で迷走したけどワンチャン掴めたょヤッタネ(^-^)v程度のことしかしてないので、こんなに偉そうな口を叩いてしまいなんだか申し訳ない感じです。

文体からもぷんぷん伝わる頭の悪さを皆様感じていただけたでしょうか。

再三言います、靴を食べるような馬鹿でも、なんとかなる。

若いうちに勢いとノリで行動するとそら大変なことになりますが、その分経験することもべらぼうに多く、きちんとそれなりに成長はできると思います。

つたない文章でしたが、ほんの一部分でも、私の体験が皆様の将来の進路を考えるキッカケとなれば幸いです。

ていうかキッカケとなってくれないと、私が馬鹿だのドMだの全国の皆様に恥を晒しただけになるんじゃないんですかこれもしかして。

おいちょっとカメラ止めろ。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page