不健康半生
中学校を卒業して以来、「運動」や「健康」というキーワードとは無縁の生活を過ごしてきた。
小学生の頃から中学3年まではサッカーに明け暮れ、プロの道を目指して一時は選抜選手にまでなってはいたものの、目指す道には大きな壁がそびえ立っており、中学3年生の時に人生初めての挫折を経験。「負ける戦はしない」というなんかの漫画のセリフをやたら言っていた記憶があるが、兎にも角にも挫折した。
その反動もあって高校時代はきっぱりとサッカーをやめ、バンド活動に勤しみ、モテると噂のベーシストとして頑張ってみるものの、そしてまたプロも道の厳しさに挫折。今思い起こせば音楽に投資した数百万円はどこから手に入れたか疑問だらけである。
大学時代は特にサークルにも入らず(というか入れず)、タバコ吸いながら缶コーヒー片手に読書するのが唯一の楽しみとなった。よく言えば文化系青年、悪く言えば大学デビュー失敗。「大学は人生最後の親友を作る場」と予備校講師に諭されていたのだが、まったくもって教えを全うできなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいである。
そして、もともと食べ物も好き嫌いが多く(世の中の8割くらいの食べ物が嫌い)、胃腸も弱いし(環境が変わるとトイレに籠る)、兎にも角にも「健康ではない」状態のまま、就職。さらにタバコが美味しくなる長時間労働生活が続き(これ自体はとても好きだったけど)、最終的には1日2箱タバコを吸い、ラーメンを食い、気づけば体重は入社時と比較して20kgほども増量していた。

割りと26, 7歳とかにしてはまずい仕上がりである。比較的、夢も希望もない見た目。裂けるスーツの股×4回。プライスレス。
スーツの股の裏側からガムテープを貼って穴を塞ぎ、その上から油性ペンで黒く塗りつぶすと避けた股をいくらか隠すことができるという発見があったが、今のところこの発見は僕の人生を豊かにしてくれてはいない。
なによりまずいのはそれを「普通」のこととして受け入れてしまっていた自分であり、せっかく仕事などで表彰されても写真は「デブ」である。全く自慢したくもならない。なんだか損した気分である。
春雨との甘い生活
しかしそんなデブでも婚期を迎え、結婚式6ヶ月前くらいになると結構焦りが出てくる。一生のうちの大きな晴れ舞台の一つをデブで過ごすのか?俺はそんな人間だったのか?それでいいのか?比較的イケメンだとおばさま達から言われた時代もあったではないか。
一大決心をして「ダイエット」というやつを始めてみる。早速走ってみるが、なんと走れない。びっくり。中学時代は「東町中(注釈:母校)のライオン丸」とまで言われた俊足フォワードだった俺が「走れない」だと・・・何より膝が痛い。400mくらい走って諦めた。走るのはデブには辛い。
体重を減らすには、消費カロリーが摂取カロリーを上回れば良いわけだから、運動してカロリーを消費できないのであれば、摂取カロリー、すなわち食べ物を減らせば良い。実に論理的。
そこから約半年間、僕とカップ春雨の甘い生活が始まった。カップ春雨、なんともエロい字体である。
日本のカップ春雨のクオリテイは以上に高い(世界にカップ春雨があるかどうかは全く知らないし知りたくもない)。うまい。バリエーションも豊富。少々食べ飽きることもあるが、その時はおでんに切り替えるなりすれば代替が効く。
そんなこんなで順調に痩せていき、なんとか結婚式には満足値の体重まで持っていくことにした。結婚式の主賓挨拶では社長から「こんなにウェディングダイエットに成功した奴は初めて見た」とお褒めの(?)言葉を頂いた。
しかし僕をよく知る周囲のメンバーは僕が桜木花道に勝るとも劣らない「リバウンド王」であることを知っていた。いくら痩せたからって、春雨ばっかり食ってこのまま人生を終えるわけではない。必ずまた太る。すなわちリバウンドする。
「絶対リバウンドするよ」
なぜか大して仲良くない人からも言われ始め、なんかムカついて来たので「絶対リバウンドしない宣言」である。桜木花道がそんな宣言をしたら存在価値がなくなるが、僕は僕という存在をかけてリバウンドをしないことを決心した。
しかしさすがに春雨には飽きていた。好きなもの食べたい。【摂取カロリー】ー【消費カロリー】という論理式が頭によぎる。うん、運動しかない。
体重が軽くなった分、以前よりは走れるようになっていた。すごい、羽が生えたようだ、なんて思ったことはなかったがそれなりに走れた。でも2kmくらいで肺がアウト。というかタバコが吸いたくなる。
健康のために走っているのではなく、痩せるために走っているわけであって、それであればランニング中にタバコ吸っても良いではないか!と都合のいい言い訳づくりに勤しみながら、走ってはタバコ走ってはタバコを繰り返す日々。
正直体に悪いのではないか?という指摘もされたけれど、元バンドマン、ベーシストにとって「不健康」は一種の褒め言葉であって、指摘されたからといってやめようと思ったことはなかったのだけれど、徐々に走れるようになってきた体にとってタバコはやはり邪魔なものになりつつあって、だんだんとタバコを吸う本数は減っていった。
マラソン大会童貞卒業と禁煙宣言
今となってはなんでエントリーしたのかも覚えていないのだけど、きっと勢いかノリで12月の多摩川で行われるクリスマスチャリティハーフマラソン的なレースに初参戦することになった。一人で。一人で勢いやノリが作れるところが僕の内向的な良い所である。
少し前までは金を払ってまでマラソン大会に出るやつなんて気が狂ってるとしか思えなかったのだけど、今自分がそのスタート地点に立っている。
しかも距離は21キロ。人生最長距離。スタート前に心臓バクバクするなんて十数年ぶり。
スタートの号砲とともに駆け出す。いつもよりペースが速い。やばい。バテる。ペースをダウンする。おじさん、おばさんに抜かれる。嫌だ。負けたくない。飛ばす。
そんなことを繰り返していたら、18キロくらいで足がつる。走ってて足がつる???はじめての経験。自分より太っている人に抜かれる。自分より倍くらい生きている諸先輩方に抜かれる。女子に抜かれる。カッコ悪い。
足が回復しても、肺が痛い。なんか気持ち悪い。人生でタバコを吸っていたことを公開したのは13回めくらいである。
そんなこんなでなんとかゴール。本当になんとかゴールと言う感じ。
タイムは1時間39分。あとで聞いたら初ハーフマラソンにしては良いタイムらしく、ちょっと得意気。しかしタバコ吸いたい。マラソン大会のゴールという、健康の象徴のようなところで一服。
まずい。
この「まずいという感覚」と「意外と速かったという経験」が非常に効いて、「禁煙」という二文字が頭をよぎり始める。
タバコは好きである。香りも好きだし、喫煙所のコミュニケーションも好きである。何より飲み屋でうだうだ酒を浴びながらタバコ吸うのが至福だと思っていた。
だから「禁煙したい」という気持ちと「したくない」という気持ちが年末年始にかけて交錯していた。特に「タバコをやめたら飲み会の時に何をすればいいのだ?」というのが一番怖かった。
しかし「悩む」というのは非生産的行為で、結論は往々にして出ていることが多い。きっと俺は「禁煙したいんだ」と思うことにし、2012年1月4日を持って禁煙を高らかに宣言した。
ソーシャルメディアな現代は便利なもので、高らかに宣言すればfacebookの友達2000人、Twitterのフォロワー7000人くらいが人前式の見届け人のように生きた承認になってくれる。プレッシャーになってくれる。
こうして何年付き合ったかわからないタバコという愛人と決別したのである。
ランニングからエクストリームへ
それ以降、せっかくやめたのだからたくさん走ろうということで、毎日のように走り始めた。それまでは月間走行距離が100kmくらいだったのが200kmくらいまで伸び、その後300kmくらいまで到達。
さらにDOUBLE SURVIVOR(ダブルサバイバー、通称「ダブサバ」)というIT系アスリートチームを結成。これが決め手でした。