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海外でラーメン屋を出した話 第三回

Image by Olia Gozha

一件目の商談を無事終え、一旦ホテルに帰る途中大きな家があったので

『これがジャカルタの金持ちの家ですか、大きいですね~』


と尋ねたところ


『こんなのはまだまだ中流ですよ、時間があるんでちょっと金持ちのエリアご案内しますよ』

と特別にジャカルタ北部にある金持ちエリアに入れる事に。

厳重なゲートがあり居住関係者しか立ち入れない区域ですが、知り合いが中に住んでいるとの事で特別に入らせて頂きました。




どーん!!


洋館なのに庭には盆栽・・・



パルテノン神殿みたいな家



もはや美術館



まあとにかく馬鹿でかくてお城みたいな家ばっかりが広大な敷地の中にたくさんあります。

芦屋の六麓荘をもっと広くした感じでした。



しかしジャカルタは格差が非常に激しく、このような豪邸の金持ちに雇われてるメイドさんや運転手さんは月1万程で働いています。国民総中流の日本では考えられない光景です。

僕の考える格差の原因はやはり政府にあります。

インドネシアでは納税している企業が10%程といいます。みんな脱税しまくりなのです。

しかし政府に汚職が蔓延り金持ちからしても政府に納税したところで賄賂として政治家の懐に入るだけなので誰も納税する気にもなれません。

そうして金持ちは更に金を持ち経済が発展しているのに貧困層は取り残されたままで格差はどんどん広がります。

汚職と脱税。

格差是正にはこの二つがキーになるのかなぁと金持ちエリアをぼんやり眺めながら考えるのでした。

円卓

翌日もう一件の投資家と中華レストランで商談するので18時に待ち合わせ。


約束していたレストランに到着すると5人の華僑たちが円卓を囲んでいました。趙さんはまだ来てないようなので電話してみると、少し遅れるが日本語が話せる華僑Aさんがいるので先に話すすめて下さいとの事。

簡単に自己紹介を行いAさんと話をしてみますが、

松永「はじめまして、松永と申します本日はよろしくお願いします。」

Aさん「コンニチハ、ハジメマシテワタシノナマエハAデス。」

松永「・・・趙さんは少し遅れるようなので先に進めて下さいとの事です。」

Aさん「オゲンキデスカ??」

松永「WHAT???」


どうやらこのAさん、あいさつ程度しか日本語が出来ないようです。

いや、これどうやって商談進めたらいいの・・・


まぁ仕方がない、なぁに大丈夫、優秀な通訳趙さんの来るまでの数十分この場を耐えればいいだけ。

とここで携帯チェックしてみるとメールが。

【松永さん、急用が出来てしまい本日そちらに行けそうにありません。ごめんねてへぺろ 趙】


オワタ・・・

ここに中国語とインドネシア語しかできない華僑4人と自称日本語出来る華僑1人と日本語しかできない日本人1人が円卓を囲むというカオスな空間の出来上がりです。

英語もインドネシア語も中国語も出来なくて日本語しか出来ない人間が、初めて出会った華僑5人相手にどうやって商談進めたらいいんだ。その上辞書もホテルに置いてきてるし。

もう一回言います、僕日本語しかできません・・・

日本語の話せない華僑5人に円卓を囲まれた松永。

しかし嘆いていても仕方がありません、せっかくこの商談の席までたどり着いたのです。

現在自分の持っている彼らとコミュニケーションが取れるツールは中一レベルの英語と漢字の筆談とコンニチハのみ。

もうこれでなんとか凌ぐしかない!!

写真は筆談の痕跡、もうテンパり過ぎて中央下部にラーメンって日本語で書いてるし。

21世紀に入ってこんな商談の進め方をしているのは自分だけではなかろうか・・・

一生分の冷や汗を掻いた気がしますが、なんとか2時間ほど食事を兼ねた商談を乗り切りました。

もう二度とあのような体験はしたくありません。二度と。

言語をまじで勉強しようと思えたターニングポイントです。

しかし絶望的に思えた商談の行方ですがその後なぜかとんとん拍子に話が進みました。

細かい条件面でも合意し、試食も行い、物件の視察を行い、後は契約して工事に着工!!そしてオープン!!!!

海外進出って案外すんなりいけたなぁ~なんて思ってましたが、やっぱり世の中そこまで甘くはありませんでした・・・

メールやスカイプ等で細かく連絡を取り、後は契約書を交わすまでという状況まで来たのですがどうも最近連絡がない。なんか雲行が怪しくなってきました・・・

で突然連絡が来たかと思えば『ごめん、やっぱやめるわ』と・・・

・・・・

『えー!!??なんで!!??』

あんなにノリノリだったのに、結構細かいところまで詰めて話進めてたのに、あんなに試食で美味しいって言ってたのに。

ええそうです、せっかくここまで来たのに突然白紙に戻されてしまいました。

じゃあここまでのストーリー全部端折れよというつっこみは受け付けません。

その理由は結局よく分かりませんでしたが、海外ではよくある事だそうです。

ちなみに現在も2店舗目以降のフランチャイズの話を進めていますがもうこんな事はしょっちゅうあります。今は慣れっこですが当時の絶望感は半端なかったです。

白紙に戻ってしまったインドネシア進出。

しかし宣言してしまった手前諦める訳にはいきません、気を取り直してもう一度一からやり直しです。

趙さんとの出会いもそうですが、やはり日本にいながらインドネシアの人脈を作るのはやはりインターネットが一番手っ取り早いです。

白紙に戻されて以降インターネット上の無料、有料のツールを駆使し新たに3件のアポを取りつけました。どうやって探し出したかはまた機会があれば

普通に考えて、まだ海外に一切認知されてないラーメン屋になぜ短期間に3件もアポが取れたのか。完全にインドネシアでのラーメンビジネスが旬だという証拠です。

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