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ムショ話2「刑務所で死んだ男」

Image by Olia Gozha


当直の日

真夜中の非常ベル。もう何年もこの仕事についているので、驚いたり慌てたりしない。逆に妙に冷静だったり楽しんでいるような場面もたまにある。どうもアドレナリンの分泌が起こってるのかもしれない。

ワイシャツを着たまま仮眠しているので、枕元のネクタイを装着する。首元に金具で引っ掛けるタイプのワンタッチネクタイ。数年前から支給されるようになった。以前のネクタイでは、相手に掴まれたら一巻の終わりだったが、やっと現場の意見が反映された。

私と同じように仮眠中だった職員がバタバタと駆け出していく。ベルは止まっている。

「病棟!病棟!」

ベルの音は止まっているが職員が大声で連呼しながら病棟に走り出している。監視卓モニター前の職員に声をかける。

「何時発砲?」「1時24分です」

時間の確認は大事だ。報告書や記録に矛盾があると、不服審査や裁判で問題となる。

24時間、身柄を持っていて、休むことのできない刑務所では、夜間や休みには、交代で課長クラスの看守長が監督者として当職する。非常事態の場合の一義的な対応は、この監督当直者が行う。

非常事態と言っても程度があって、例えば、夜間の集団室の喧嘩のような場合はほとんどが当直している職員だけで処理してしまい、翌日所長に報告する。地震や火事のような災害・逃走などの場合は、全職員に非常召集をかける。

今回のような、病気での死亡事案の場合は、監督当職が救急救命を命令の上、直ちに119番通報し、直後、所長や施設の医師、関係する上司等に電話で連絡する。

被告人の死亡

死亡しているのでちょっとどうかとは思うが、ある意味、現場職員お手柄だった。死亡したまま朝まで気がつかなかった、では済まされない。

通常、単独室や病人の入る病棟は、15分に1回巡回して被収容者の異常の有無や動静を観察する。

その職員は、15分前の巡回の際にその単独室の様子に違和感を感じたが、その時はひととおりの視察で通り過ぎた。昼間の担当者からの申し送りで、前日に留置署から移送されてきて体調が悪いと申し送りを受けていたので、気にしていた高齢の被告人だった。

次の巡回の時、やはり違和感があるのでじっくりと視察した。

視察の仕方は先輩や研修所で学んでいる。呼吸をしているかどうか、視察窓の鉄格子を基準にして、布団の水平が上下しているか確認するのだ。呼吸してない様子があったら声をかける。病院などでは体を揺すったりして意識を確認するが、刑事施設では一人で扉を開ける単独開扉は禁止されている。声をかけての反応がない場合は近くの非常ベルで通報して職員の駆けつけるのを待って開鍵する。

被収容者の病死は少なからずある。高齢者の場合はなおさらだ。今回の件では、救急車を要請して夜間救急に運び込んだが、すでに死亡していた。多臓器不全という診断がされたが、糖尿病が原因であるとの検死結果だった。

死んだ男の事情

78歳の小柄な老人だった。被告人として入所したのは前日。窃盗ということだが要は万引きだ。

一般的には万引きで裁判になることは稀だ。ホームレスだった彼は、ほぼ毎日コンビニの廃棄食品を漁っていた。それだけでなく、時々店のものを持ち出すので、周辺では嫌がられていたらしい。何度か警察に通報されて、結果、起訴にまで至ったようだ。

警察では、黙秘した。というか、しゃべらない。入所後も全くしゃべらない。持っていたボロボロの手帳に名前と和歌山の住所が書いてあったので、警察からの引き継ぎにはそれが記載されている。起訴したものの警察も困ったようだ。本人の様子がおかしいのだ。手足の広い部分に潰瘍があり一部で壊死も見られる。留置署では対応できないので、早々に拘置所に押し込んだというのが実情だった。

死亡したのはその当日の夜だった。入所時の身体検査、医師の診察はあったが、投薬治療もこれからという時だった。ある意味、警察署の判断は正しかったと言える。

当直監督の仕事としては、本人を救急車に引き渡して、当日の記録を整理して終わりとなるところだが、そうはいかない。当時の私は庶務課長という役職だったので、死亡してから後が本来の私の仕事となるのだ。

刑務所で死ぬということ

庶務課は、他の官庁と同じように対外的な業務を行なっている。その他、刑事施設独特な業務として名籍という業務がある。これは、被収容者のいわゆる住民票や戸籍みたいなものの管理だ。本人の勾留に関することや刑期に関することを、命令書や裁判の判決を元に記録する。これに基づいて刑事施設の収容や移送、釈放が行われる。死亡に場合は、死亡の時点で出所となる。

記録上は出所となるが、本人の身体はそのままだ。これをどうするかも庶務課の仕事なのだ。法務省組織令では「その他、他の所管事項に属さないものを行う」

葬儀の段取りは行った。刑務所で死亡事案があると、まず、棺桶とドライアイスを注文するために葬儀社に連絡する。私の経験では5.6万円で用意してもらっていた。搬送は施設のワゴンを使う。よく葬儀社ではないと遺体の運搬は違法ではないと言われるが、運送業で行なっているのではないので問題はない。棺桶に入って遺体は施設に戻る。

規定では死亡から24時間そのままにしなければならないので、施設内の霊安室に安置する。霊安室も巡回の対象だ。気持ちのいいものではないが・・・仕事なのでしょうがない。その後、宗教家である教誨師にお願いして葬儀を行い、斎場で遺骨にする。

庶務課は親族への連絡を行わなければならない。死亡の連絡は当然だが、その後の遺体の処置や遺留品の処分など、死亡に伴う事務処理がたくさん残されている。親族が見つからない時はその金品は遺留物とされ1年(現在は6ヶ月)で国庫に帰属し、遺骨は共同墓地に埋葬される。

遺族への連絡は細心の注意が必要だ。伝え方を間違い、先方の誤解を招いたり怒らせてしまうと、こちらに非がない場合でも訴訟になりかねない。基本的に課長である私が対応するものと思っていた。しかし、今回の場合はちょっと困った。

連絡先がわからない。大概は緊急連絡先が警察の引き継ぎで書いてあるのだが、しゃべらない本人に困ったのか、住所不定としか書いていない。手帳に書いてあったという住所は、参考欄に書かれていた。

ただ、それは本人の住所かどうかはわからない。場所は和歌山県内、施設がある四国からはそれなりの距離がある。街灯の市町村役場に照会する手もないわけではないが、郵送が基本なので、時間がかかり、本人の葬儀には間に合わない。そういった理由があるので、遺骨になった後の通知でも問題はないのだが、やはり自分が監督当直の時に死んだということもあり、できることはやってやろうと思った。

死んだ男の身元

名前はわかってる。警察が、しゃべらない本人からどうやって聞き出したかしらないが。手がかりはこれだけだ。和歌山の施設に電話連絡して、本人と同じ地域、同じ苗字の部分をファックスしてもらった。比較的珍しい苗字なので件数は十数件に絞れたが、本人の名前はない。直接当たるしかないが、でも・・・刑務所から電話がかかったらどう思う?

「突然お電話差し上げて申し訳ありません。私、法務省の施設で庶務課長をやっています、金谷と申します。実は○○○○さんにお届けしたいものがあるのですが、ご存知でしょうか。連絡先がわからす、ご本人やご親戚、お知り合いを探しているのですが」

今なら特殊詐欺で通報されかねない電話だが、当時はまだこれが通じた。

地区をピンポイントで狙い撃ちしたので、数件目で反応があった。本人の名前を出したところで口調が変わった。

「あ、あれが何かしましたか」

男性は、本人の従兄弟だという。こちらが刑務所だということ。死亡したので、親族を探していたことなどを話した。大阪にいる本人の息子に連絡を取ってくれるというので、こちらの電話番号を伝えた。

1時間後、本人の兄という人物から電話があった。本人が4年前から行方不明だったので探していたという。明日の葬儀に電話で連絡してきた従兄弟と参列する。遺骨は引き取る。息子は、関わりたくないと来ない、とのことであった。

葬儀の日

当日、兄と従兄弟はタクシーでやってきた。受刑区域の中にある教誨室に案内した。本人の遺体は霊安室から移動している。葬儀には、処遇部長、私、教育関係職員と看護師が参列した。導師は浄土真宗の教誨師が執り行う。20分ほどの短い葬儀でそれぞれが焼香して終わった。

予約している斎場には私が同行した。火葬許可書はあらかじめ私が市役所でもらっている。

荼毘に付される時間は、約2時間、その間に本人の死亡の経緯について説明した。

警察署から入った時には、糖尿病によるものと思われる四肢の壊死がみられたこと。入所の日になくなったこと。救急車搬送したがすでに亡くなっていたことなどについてだ。被疑内容についても警察からの引き継ぎの範囲で話をした。

兄は「大変にお世話になりました」と礼を述べ、言葉を続けた。

本人は4年前に失踪した。原因はその1年前に本人の妻がなくなり、その後、寂しさからアルコールに溺れて生活が荒れていった。糖尿病の病歴はあったが、これも妻が死んでからは治療を受けている様子はなかった。

息子は同居していたが、本人の飲酒を止めようとして、本人から暴力を受けはじめた。そのうち、近所からも苦情が来るようになり警察も呼ばれることとなる。被害者への謝罪と父の暴力に耐えかねて、息子は家から出て行った。現在は大阪市内で家族を持っている。兄が本人の状況を知ったのは、息子が出て行った後だった。

本人を医療機関に入れたが、何度か抜け出して飲酒を重ねた。そのうち、医療機関も匙を投げて出入り禁止となった。やがて、本人は失踪する。

正直、ほっとした部分はあったが、どこかで他人様に迷惑をかけているのではないかと心配していた。薄情かもしれれないが、本人の息子に反対されて捜索願は出していない。

私は、それを聞きながらも、たいした感傷は感じなかった。刑務所での死亡の場合、遺族の多くが刑務所側の落ち度があったのではないかとこちらを攻める。

例え、明らかな自然死であっても、何かあったのではないかと刑務所の医者やその時の担当者からの説明を執拗に求める遺族もいる。中には搬送先の病院に怒鳴り込む者もいる。そして、その多くが国に対する損害賠償請求訴訟に発展する。刑務所の医師のなり手がいなかったり、受け入れる医療機関が少ないな、そんなことも理由の一つだ。

つまり、私が遺族に付き添っているのは親切心からなどではない。遺族が施設に対して不信感を持って、訴訟を起こすリスクを最小限にするためなのだ。

荼毘に付された遺骨と共に、再び施設に戻った。

残されたもの

本人の領置金(預かっているお金)と遺留品を渡すためだ。それぞれに遺族の受け取りのサインがいる。兄には施設に来る際に、受け取りのための印鑑を持参するようにお願いしていた。

所持金は7百円と少し、茶色のジャンパー、黒いジャージズボン、下着類が少々、手提げの紙袋と財布、鍵、財布とボロボロになったビニール表紙の手帳、いずれもボロボロだ。

兄が受け取りの手続きをしている横で、従兄弟が手帳を取り上げる。黒表紙のカレンダー手帳には3年前の西暦が刻印されている。判別不能の字のようなものが書かれている。

手帳のページをめくっていた従兄弟が、声を上げる。

「おい、これ」

手続きが終わった兄にページを見せる。

天皇誕生日12月23日のところに、強い筆跡で何重にも丸がつけられている。

「あ、命日か・・」

怪訝そうな顔をする私に、

「弟の死んだ妻の命日で、ちょうど天皇誕生日で・・・祝日なのにという話をいつもしてたんだけど、そうか・・・・」

二人とも顔を伏せる。

私は気まずいので、事務処理をすると言って、部屋を退出した。








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