top of page

高卒20歳で親の借金100万を背負わされた話

Image by Olia Gozha


はじめまして、リクです。僕は20歳で親の借金100万円を背負うことになりました。

インターネットで検索すれば色んな答えが出てくるご時世ですが、どうしてもこれからどうすれば良いのか、ググっても分からない状況なのでSTORYSに投稿します。
人生転換大成功みたいなストーリーではないので悪しからず。

中学生になったばかりの頃、父は仕事を辞めた。


小学生の弟と僕と父と母、二世帯住宅で祖父母も一つ屋根の下に住んでいた。


中学生になったばかりの頃、父は仕事を辞めた。


母はアルバイトをし、父はサッカーのコーチをしたりアルバイトか何かしていたと思うが、

稼ぎがなかった気がする。


僕が小さい時から自己破産歴もあったようで、母の着物やら何やらの借金もあったし、父のカーローンとか借金もあったし、その頃からもう生活費は回っていなかった。


父母両方の祖父母にお金を借りたり、サラ金から借りたりして生活を回していたようだった。


母は実家に帰った。



中学2年の頃。


お金がない、生活が回らないという家庭環境は、精神的に強くなかった母には耐えられなかったようで、ついに発狂した。

母は実家に帰った。



半年ほど経って母は戻ってきたが、また耐えられなくて実家に帰る。

そんなことが2回くらいあった気がする。



生活がどんどん悪くなって、家族同士も喧嘩が増え始めた状況は中学生の僕もなんとなく察していた。気持ちの良いものではなかった。



学校生活でストレスを発散しながら、なんとか公立の高校に受かり、春には無事高校進学することができた。



ついに両親が離婚。



高校に入学した喜びもつかの間、両親は離婚。

母は家を出た。



この頃の父は仕事をしていたようだが、全盛期の半分以下の給料では生活を回していくことはできなかった。

離婚してからの父は家に帰ってこない夜も多々あった。



ひとり親家庭の助成金や祖父母からの借金で生活していたはずだったが、ここからやっと僕のお金の話になる。



高校1年のある日、学校から帰って来ると僕の部屋の机の上に手紙が置いてあった。




『本当に申し訳ないと思っている。必ず返すからお借りします。父より』



今までの小遣いやお年玉を頑張って貯めた、10万円が入る僕の貯金箱からお金は無くなっていた。


高校生の頃は、料金未払いで何度もスマホが使えなくなったり、お小遣いは月2000円だったりで、サッカー部に所属こそしていたがなかなか友達と遊べることはできなかった。



高校1年の秋 1本の電話が入る



高校1年の秋。


授業を受けていた僕は、副担任から「リクくん、ちょっと職員室に来てもらって良い?」と言われた。


どうやら父から祖父が亡くなったという電話があったようだ。




職員室の電話に出た。


「もしもし」



『リクか?お前のよー、親父がおれのところから金借りて返さねんだよ。分かってるよな?今から殺しに行くからな。』




足が震えた。父ではない人の声だった。


先生には間違い電話だったと告げたが、本当の父からその後連絡が来て、早退をした。



父『悪かったな。前の会社の人がおれに嫌がらせをしてる。』



僕は、嘘をついている人の表情を学んだ。


今では飲みに行っても笑い話になるが、その晩から、近くのピザ屋が配達に来たり、霊柩車が来たり、消防車が来た。



闇金の嫌がらせだ。

請求の紙もたくさん来た。



家族が崩壊した



高校2年の夏休み。


祖母の運転でコンビニに行こうとしたところ、横から来た車とぶつかり、祖母と僕は事故にあった。

祖母は入院した。



祖父母から金を借り、サラ金から金を借り、国の援助金をもらい、高校の奨学金を借り、闇金から金を借り、そうやって生活をやって来た父と家族はとうとう崩れた。


二世帯住宅に住む祖父と父が今後の生活費ちついて大喧嘩をしたのだ。




その晩、見慣れた薄暗い内壁の居酒屋で僕と弟は父に聞かれた。



『祖父母の家にいるか、県外に行くか好きな方を選びなさい』




僕は高校2年の夏休み、別居していた母親も連れ四人で栃木から、誰も知ってる人はいない沖縄へ夜逃げをした。



沖縄の頃の話



沖縄に行ってからは、父は飲食店で仕事をし、社長に家も家電も用意してもらって、なんとか生活することができた。



ちなみに一緒に来た母は数ヶ月で耐えられなくなってしまい、ついに鬱病のような症状が出始めて実家に再び帰ってしまった。


僕は高校を転校しアルバイトをしながら通っていた。


気づけば高校3年。受験生になっていた。


もともと大学に行きたかった僕は奨学金やら学生ローンを必死に調べたが、どうやら入学金は別に建て替えないといけないらしい。

そんなお金は当然ない。


ほぼ空いた時間はアルバイトをしていたから、国公立に行けるくらい勉強することはできなかった。

頼りどころのない僕は静かに大学進学を諦めた。




この頃から僕は趣味でバンドをやっていたり、起業のことを勉強したりしていて、IT系の仕事がしたいと思っていた。

が、普通科の高校ではそんな就職先がなかったので、こうして僕はフリーターとして高校を卒業することになった。



19歳フリーター、パソコンを買う




高校卒業してからさらにアルバイトに費やす時間が増えた僕は、まずはパソコンを買うため、時給693円で働きまくった。


そしてついに、僕はMac book Airを買った。

12万円くらいだった気がする。

正直高かったが、最高に嬉しかった。



パソコンってこんなに楽しいんだ。



僕は付け焼き刃でWEBメディアを立ち上げて、沖縄の音楽とかを紹介したりインタビューしたり、そんな事業を始めた。


しかも中学の頃の後輩と付き合うことになった。遠距離だけどね。



最高だ。生きてて良かった。


毎日コンビニで働いていたけど、この頃は何にでもなれるような錯覚をしていた。



19歳フリーター、パソコンを売られる



パソコンを買って2ヶ月目。


ある日アルバイト先に父から電話が来た。


どうやら電気とかガスとか滞納に続く滞納で止まってしまったらしく、お金がないのでパソコンを売らしてくれないかという話だった。





家に帰るとパソコンはなくなっていた。






そこから毎月毎月電気やガスが止まるようになり、僕は給料日の度に3万から5万くらいのお金を取られていた。


ちなみに父は遊びにも行けてるし、外食だってしている。

明らかにお金のやりくりができていないだけの話だ。



それでも父の家にいる限り、逃げる事は出来ないのだった。





そんな生活が続く中で、

僕は彼女もいたし、これ以上金を取られるのも嫌だし親元を離れる決意をした。



父の元から離れる。



僕がフリーターとして生活してから1年。


父は再び闇金や職場から金を借りていた。

父の彼女の借金を父は肩代わりしていた。



もうたくさんだ。



この頃僕が貸したお金は50万円くらいになっていた。それでも生活基準は正常に戻らない。


弟は学生だったので申し訳なさはあったが、僕は父と弟の住む家を出た。



ちなみにこの時、遊びの予定を切り詰めたおかげでパソコンを再び買うことができた。

友達は増えなかったけどね。




地元に帰る。



沖縄から出た僕は、もともと学生の頃住んでいた祖父母の家に行った。

母は鬱病だし、頼る場所がそこしかなかったのだ。



飛行機代でお金がなくなったお陰で、唯一乗れる原付すらも買えないし、山奥の田舎なので働き先がない。




とにかく生活費を稼がなければならないので、藁にもすがる思いでこれまでやっていたWEBメディアの事業とクラウドソーシングで仕事をしまくった。

なんとかギリギリ生活ができた。



僕の祖父母は全行動を否定したり、管理しようとしたりする、そんな人だ。

その場しのぎの働き方も大学に行けなかったことも否定された。

それは分かった上での行動なんだけどね。




父のところでも祖父母のところでも僕は自分を殺さないと生きていけなかったのだ。



僕は彼女と埼玉で同棲を始めた。



高校卒業後2年目の来たる冬。

僕は彼女と埼玉で同棲を始めた。


僕は介護職の夜勤で働きながらプログラミングの勉強をしようと思っていたが、

社長はうちの会社の業績次第では新規事業も視野に入れて良いと言われたこともあったし、社員になってみるのもありだと思い、正社員になっていた。



介護職は安月給だけど、フリーターより正社員という肩書きの方が良いらしい。僕は肩書きというものに無頓着だけど、彼女がそう言っていた。



彼女は大学生なのでアルバイトをしてから夜遅くに帰ってくる。

僕は仕事終わりにご飯を作り洗い物をして帰りを待つ。

夜は一緒にご飯を食べて、寝る。休みの日はデートに行く。



僕は普通の幸せっていうものを生まれて初めて体感していた。


成人式を迎える、転機と転落。


僕は成人式を迎え、とうとう20歳になった。

僕ももう歳をとった。そう思った。



この頃 社長に、管理職にならないかという話をされた。

ベテラン介護士や僕より年上の介護士なども差し置いてだ。


4月から僕は管理職になることを選んだ。


もちろん僕はずっと起業したかったし、IT系の仕事がしたいという思いは消えてないんだけど、これも良い経験になるかもと思い、仕事を続けていた。



4月になり管理職の業務を研修している頃、父から電話があった。



『父の働く店のオーナーが暴○団ともめた。示談金100万請求されている。

店に迷惑行為があって営業できなりそうだ。本当に申し訳ないけど助けてもらえないか?』



僕は断った。



次の日また連絡が来た。



『なんとか示談金40万まで下がったんだけど用意ができない。こんなこと頼むのは本当に悪いと思っているんだけど、なんとか消費者金融の審査を通してみてくれないか?』



僕は断った。


次の日メールが来た。



『お前は結局俺から逃げたんだろ。誰も信用するものじゃないな。

籍も抜いてやるから好きにしろ。もう二度と会わないから安心して。』



『お前は頭が良い子。必ずできるから、真っ当な道で頑張れ。さようなら。』



僕は今までのことが一気にフラッシュバックした。

とうとう仕事に行けなくなった。



この時初めて自殺しようかなと思った。



消費者金融でそんなに金が借りられるなら、限度額いっぱいに借りて、家族と旅行して、彼女と旅行して、そこから死ねば良いや。



僕は父にメールした。


「借りた金を使って旅行に行こう」



次の日メールが来た。



『もう関わらない方がいいよ。暴○団もキレてたから流石に。

旅行には行けなくてごめんな。ラインも削除してるから安心して。』



ここからついに僕は路頭に迷った。


今まで僕自身何もやりたいことがお金のせいでできなかったからだ。

こんな家庭に生まれたんだから普通の幸せすら手に入らないことを察した。



次の日メールが来た。



『終わりだな。逃げるもできない。常に電話がかかってくる。』



僕は弟に連絡をした。

どうやら事実のようだ。



仕事を休んで3日。

祖父母や母親に連絡するも、貸すなとしか言われない。助けてはくれない。それはそうか。


この時は仕事はもちろん食欲すら起きなかったことを覚えている。



次の日、会社の社長が自宅に来てくれてたくさん話を聞いてくれた。話をしてくれた。


僕は仕事を頑張ろうと思った。


理由は単純でその社長に恩を返したいと思ったからだ。



毎日来る父のメールに返信をした。



「もういいいよ。最後に貸すよ。」



毎日毎日来る連絡が邪魔になった。

とにかく仕事に没頭したい。



自分から貸すのが馬鹿なのは分かりきっていることなんだけど、落ち込みすぎた精神状態ではまともな判断ができないらしく、とにかくもう連絡を断ち切りたい一心で貸すことを決めてしまったのだ。




こうして僕は40万円を消費者金融で借りて、父に送った。

20歳で親の借金 総額100万を背負うことになった。


最悪な結末


こうして晴れて介護施設の管理職として仕事をしながら、質素だけど微笑ましい生活を彼女と送っていた。



そして今年の6月。


20歳という若さで、ベテラン介護士や年上の介護士を差し置いて管理職になった僕。

何をやっても文句と陰口を言われるようになった。


それは決して大げさな話ではなくて、介護士ではよくある話なのだが、妬み嫉妬文句は当たり前の業界なのである。

それでも僕は昔から悪環境には耐性があったので、毎日管理職としての仕事と現場業務を行っていた。



すると彼女から連絡が来た。



『リクのじいちゃんとばあちゃんが家の近くにいる。』




住所も何も教えていないはずの祖父母が、全く連絡をしていなかった僕に会いに来たのだ。

彼女はとても怖がっていた。



そこから数日間に渡って祖父母は家の近くで待ち伏せしていたので、帰る時間やルートを二人で工夫しながら、必死に逃げていた。

人生初のストーカーに追われた話だ。



さらに追い打ちが来た。


父から連絡が来たのだ。


『店舗の出費の建て替えに3万必要だから消費者金融から追加で借りて欲しい』



きちんと返済分の金は送られて来ていたが、冗談じゃない。


そのメールに返信することはなかった。




そして彼女の祖父が亡くなった。

彼女は実家に帰った。




その晩、彼女から別れたいと連絡が来た。


今まで学校とバイトで疲れてしまったこと、僕の祖父母が家に来たこと、

住んでいた家が汚かったこと、

もっと遊びたくなってしまったこと、

僕が免許をまだとっていなくて車に乗れないこと、

僕の家庭環境のこと、

全部が嫌になってしまってリセットしたいと言われた。



祖父が亡くなったショックから彼女は自暴自棄になってしまった様子で、たくさん迷惑をかけてしまったなと思った。


我慢できなくて、別れるのは嫌だと言ってしまったけど、彼女が楽になることが一番大切だと思った。



僕は彼女と別れ、家を出ることになった。




今までの普通の日常が一気になくなった。

僕はやる気がなくなってしまった。


生きる意味がない。

やっぱり僕は普通の生活を送ることはできないのか。

もちろん僕は父も母も頼ることができない。

母も鬱病なのか仕事はしていない。




二度目の自殺願望。




今度は消費者金融の残りの枠なんてほぼないから、旅行すらできない。

家を出る退去費用があるから貯金もなくなってしまうし。




何度も何度も過去を振り返った。

生きる気力がないまま、彼女と培った思い出を必死に思い返しながら、僕は仕事を退職した。




帰る場所がないので、付きまとわれた祖父母への怒りを押し殺しながら、祖父母の家に戻った。




僕は今までで一番最悪な精神状態で、元彼女に言われた通り、自動車免許を取りに行った。


今年の7月、僕は免許をとった。


現在


僕は元彼女と暮らしていた家を片付けた。

もう未練はなくなったんだけど、ちょっとのことで無気力になるようになってしまった。



精神科に行くも、今までの家庭環境からすると鬱とかそういう病気ではなくて当然の心の反応だといわれた。



頼る親がいるならば、1ヶ月くらいはずっと遊んでいたいし、引きこもりたいし、たくさん泣きたい。



でも僕の親には頼ることができないので、生きるためには働くしかない。

僕の家族は借金まみれだから。




今僕は人生の大きな分岐点に立っていると思う。


こんな状態でも思うことがあって、IT系の仕事がしたい。WEBデザインでもプログラムでも良い、そういう仕事がしたい。

欲を言えば起業したい。


だけどスクールに行く金もなければ、生活費も無くなってきている。


こんな人生なら死んだ方がマシだと思う気持ちと隣で、僕は一人頭を抱えている。




インターネットでも現実でも、なりふり構わず「誰か助けて」って言えたとしたら、助けは来るんだろうか?





終わり








<あと書き>


数日前、とりあえずお金を稼がなければならないので久しぶりにアルバイトをしてみましたが、なんと3日でダウン。

頑張る気力がどうも湧き出てきません。



今回、周りにどうしても話すことができなかったこの話を誰かに聞いて欲しくて、偶然立ち寄ったこのサイトに載せることにしました。



いざ書いてみると、あれ別にあんまり大したことのない話なんじゃないのかという気分になっています。

他人と比べることは苦手なんだけど、もっと辛い人もいるし、それでも頑張ってる人もいるはず。



きっと僕はただの甘えなんだなと重々承知しております。




それでも今は、このどうしようもない精神状態、家庭環境からなんとか脱出したくて、誰かに聞いて欲しくて、掲載させていただきました。

最後まで読んでくれて本当に本当にありがとうございます。



もし見てくださった方がいましたら、励ましでも怒りでもなんでも良いです。

コメントいただけると、救われるような気がしています。


あと趣味で音楽をやったりツイッターをしたりしています。見てくれたら嬉しいです。


▼音楽

https://youtu.be/LLi19AJ9c9Q


▼Twitter

https://twitter.com/erf_riku



それでは。


←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page