他人に敷かれた、人生のレールを走りますか?それとも、自分で人生のレールを作って、悔いの無い人生を送りますか?
「俺の夢はプロのサッカー選手になる!」と、
小学生の頃に語っていた夢。
まるでワンピースのルフィーのような、
キラキラしている素敵な自分がいた。
子供は本当に素直だし、可愛い。
将来の夢は?と聞かれると当たり前のようにたくさん湧き出てくる。
お菓子屋さん、消防士、警察官、野球選手、
アイドル、Youtuber、キャバ嬢・・・・
では何故人は、これらの夢を叶えないのだろうか?
それは、
忘れるからだ!
人間はどうしても忘れる生き物だからしょうがない。
小学2年から始めたサッカー。
朝から晩まで、ひたすらボールを蹴っていた。
キャプテンになった事もあった。
そこから、レギュラーでひたすら走り続けた4年間。
今思うと、小学生の時に習った事で一番役にたつ事は?
って聞かれたらこう答えるだろう。
集団生活で生きる為のルールと生き抜く知恵
今思うと、これが自分の中で常識を作ってしまう
元になっていた。
今の自分があるのは、
周りの人間の考え方、捉え方であり、
自分では無かった。
俺の親や、周りの人間は常に俺を
言葉で抑えつけられていた。
お前には無理だ、絶対無理、やめとけ、借金だけはするな、
普通でいい、高校は出ろ、人に迷惑はかけるな、
無駄使いするな、お金は貯めておけ、
こう言った言葉をずーーーーーと聞いたり、言ったり。
中学に上がったら、上がったで
また新しい生活が始まる。
小学校からつるんでいた友人が、グレて俺もグレる。
この時はもう既に夢なんて忘れていたし、語ったことすらない。
只々なんとなく毎日を過ごしていた。
大した充実感もなく、中学3年が終わろうとしている。
もちろん高校に行く気も無かった。
その頃にはもう、勉強は大嫌いだ。
生きて行くうえで、国語、算数、理科、社会、何に使うんだ?
なんて疑問があった。
高校に行くか?行かないのか?
そんな時親と大ゲンカ!!
人生で初めて母親を泣かせてしまった。
なぜ高校に行かないといけないのか?
勉強はどんな時に役に立つのか?
なんの為にするのか?
俺の親はこう言った。
「義務教育だから。」と。
当時の俺からすると本当に理解が出来ず、
腑に落ちる事は全く無かった。
常に俺は、何かに腹を立てていた。
俗に言う「キレる」だ。
全く自分の思った通りに人生が進まない。
俺は、劣等感の塊だった。
もちろん相談する相手など一人も居なかった。
親と揉めた結果、高校に行くことにした。
もちろんこの時もただ、なんとなく人生を過ごしている。
高校生活が始まり、
新しい何かに、俺はわくわくしていた。
俺は、当時とにかくモテたいと言う気持ちが
とても強かった。
サッカーは高校で監督と揉めて辞め、
モテることを常に考えていた。
当時の俺の三種の神器。
ワックス、鏡、ラルフローレンの白ベスト。
部活を辞めてからと言うと、
先輩に頼み込んで、居酒屋でアルバイトを始めた。
もちろん違法であるが、地方はかなり緩い。
店長を紹介していただいて、面接をし働き始めた。
俺は遊ぶお金が欲しかっただけだ。
飲み会、カラオケ、ナンパ、オシャレな服、ギャンブル。
そして人生で初めて手にした給料。
まとまったお金である。
その時、居酒屋の大学生の先輩が声を掛けてきた。
「ゆーいち、遊びに行くぞ!!」
当時の俺からすると、本当にワクワクが止まらなかった。
ナンパであるwww
更に、違う先輩からはキャバクラに連れてってもらった。
本当に楽しかった。自分の知らない世界があり、広がるからだ。
ただ、本当に将来の事なんて何も考えてなかった。
今が良ければ、それでいい。
蟻とキリギリスで言ったら、
キリギリスの王様みたいなもんだ。
今度は、親戚から某有名バンドのライブチケットをもらい、
そのチケットをもらってまた人生の転機を迎える。
そう、バンドにハマったのだ。
なぜって?
もてるからでしょ!!
本当に単純だった俺w
高校では、何を学んだの?何を得たの?
と、当時の自分に聞いたらこう答えるだろう。
社会勉強!!
そんなこんなで俺は3年の卒業間近、
具体的な進路は決まっていた。
そう!!俺は音楽で食って行くと!!
東京に18歳の時に出た。
東京に出てから、音楽はもちろんすぐ挫折!
当時やっていた、居酒屋のアルバイトは食べるための仕事。
ライスワーク。
当時の俺は何も考えず、以前居酒屋で働いていたからという、
安易な考えで且つ当時の時給にしか目がいってなかった。
もちろん、働いているうちは楽しいことも、辛いことも経験して
それなりに楽しんだ。
俺って、料理に興味あるのかな?ってことで、
某有名調理師専門学校に入学。
1年で卒業!
そこから、飲食のフレンチで働く事にした。
嫌な事は、ある程度我慢した。
どこまで耐えればいいのか?ズーーット耐えた。
当時の俺の頭の中は、仕事は絶対に
辞めちゃいけない!
という
ブレーキがあった!
しかし、あまりにも酷すぎて意を決して辞めた。