家庭ーそれは社会学的に見ると「人間関係の基礎の基礎」である
愛情ーそれは誰かを思いやる気持ちや、愛おしいと思う気持ちである
私は世間的に見たら高学歴、高収入の両親のもとに生まれた。そんな家庭に生まれた私に例外なく人々は言う、「環境に恵まれていて羨ましい」と。
しかし我が家にはあるものが欠けていた。それが「愛情」だった。
私は生まれてこのかた両親から愛してるとも言われたことがない。褒めてもらったこともない。それどころが貶したり、もっとできるはずとさらなる高みを要求されてきたのだ。
私は幼稚園に入る頃までは我が家が異常とも思っていなかった。
だが、幼稚園に入ったことにより異常だと悟った。
私がいた幼稚園では、月1回誕生日会が開かれ、その際にそれぞれの親が子供への手紙を読み上げるイベントが開かれていた。
同級生の親はみな「生まれてきてくれてありがとう」や「大好きだよ」と言っていたのに、うちの親だけは「もっと高いところを目指さなきゃダメ、将来はお金持ちになるためにもっと勉強しなさい」と言っていた。
そこで何かがおかしいと気づいた。
未だにその帰り道のこと覚えていて、私は「なぜ愛してるとか生まれてきてくれてありがとうと言わないのか」と尋ねた。すると母は「いくら愛してるとか生まれてきてくれてありがとうと言ったところで、同級生のみんなみたいにお金がなかったらやりたいことをやらなくなっちゃうし、いろいろ買ってあげられないでしょう?いっぱい習い事をさせて、欲しいものを買ってあげる。愛してるって言葉だけで言われるよりそっちのが全然嬉しいと思わない?お金がないことを理由に喧嘩するお家、多いんだよ?それより全然いいでしょう?」と言った。
やはり幼いと親が言うのだから我が家の考えが正しいと思ってしまうもので、親の言うことを鵜呑みにしてしまったのだ。
それでも他の子と同じように愛してると言ってもらいたい、じゃあ愛してると言ってもらうにはどうすればいいか、そうだ、性格を変えよう!その思いでもともとおとなしかった性格を変えて真逆のお調子者にさらに、人前で何をされても怒るのをやめてみた。すると、今まで友人が少なかったのが嘘のように友人が増え、面白くて好き、優しいから好き、そう言ってもらえるようになった。こうして家族に愛されない分を性格を変えてまで外に求めるようになった。
しかし、小学3年生の時、ある事件が起こった。
私は幼稚園からエスカレーター式でとある私立小学校に入学した。そこはキリスト教教育のため、小学3年生から宗教の授業がある。事件はその