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17/7/4

大学受験に大失敗して学歴コンプレックス→うつ病になった僕。再入学した専門学校でナンパして国立大学、難関私立大学の編入試験に合格して人生を変えた話3/4 〜ナンパ編〜

Image by Olia Gozha

GOGO専門学校!!




山のように積まれた資料から

最初に手に取ったパンフの

最初に開いたページが大学編入科の紹介ページだった。


※山積みイメージ



どうやら大学編入とは大学3年生、もしくは2年生に転校生のような感じで入る制度とのことだ。

主に高専卒の学生が活用する入試制度であり、事実、僕のいとこも高専から大学に編入していた。



驚いたのがその特色である。

・英語と専門分野(経営・経済、法学、社会学)の2科目で受験可能である

・受験校はお金が許す限り何校でも受験可能

・試験日が被らなければ国公立大学をいくつでも受けられる



国公立大学の一般入試は前期、(中期)、後期の3回勝負。

故に毎年浪人する学生が出て来るし、旧帝レベルともなればその数は一気に跳ね上がる。

しかし編入であれば極論、旧帝大レベルを全部受験することが可能なのだ。

そして私立の最高峰は同志社大学、上智大学、そして早稲田大学商学部。

僕が受験することなく終わったあのワセショーだ。


心が熱く燃えた。

まだ終わりじゃなかったんだ!ここで起死回生するんだ!

僕はここの専門学校に飛び込むことに決めたのだ。


とは言ってもまだまだ情報が少なすぎる。

百聞は一見にしかずとは言ったものである。

病院を退院した翌日の3/23、なんの偶然か僕の19回目の誕生日。

母に付き添ってもらい人生初の専門学校に足を踏み入れた。



僕のことを最初に面談してくださったのは後の担任であるK先生だ。

僕は包み隠さず全てを話した。コンプのこと、うつのこと、前大学のこと。

パッと見厳しいイメージであるK先生だったが、僕の話を親身になって聞いてくださった。

気づけば面談の1時間はあっという間に過ぎ去って、僕は専門学校に入学することに決めた。



うつと戦った3ヶ月 最初で最後のOD


ご縁あって飛び込んだ専門学校。

1年次はTOEICのスコアを上げるべくひたすら英語の勉強をすることになった。

入学したはいいもの僕はうつ病、精神疾患患者だ。薬を飲みながら頑張った。

しかし友達が普通にやっていることができない。続かない。そして怖い。



精神病には季節的なものもあって季節の変わり目が特にきつい。

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 (名著なので是非読んでみてほしい!!)

著者の田中圭一氏は3月、5月、10月のように気温の寒暖差が激しい時期にうつは悪化しやすく、自殺者が増えるのではないかという見解を出している。

データを見ても季節の変わり目は人身事故件数が他の月に比べて跳ね上がる。

僕は5月の憂鬱感をなんと7月頭までまで引きずることになった。


この頃特に辛かったのは電車とバイトだ。


当初は実家から片道1時間半かけて電車で学校に通っていた。

電車は封鎖された空間である。逃げ道がない。

電車に乗っているとなぜかネガティブな考えばかりが浮かんだ。

「本当に合格できるのかな俺、、、」

「(SNSを見て)うわぁ、あいつの彼女めっちゃ可愛いじゃん。

         あっ、何このウェイ系集団!え、、、慶應大学なの、、、?」

「俺なんにも持ってないな、、、俺って生きてる必要のない人間なんじゃないのかな?」


「死にたい」(閲覧注意)


バイトは某コーヒーショップではじめた。

ス◯バ店員ってかっこいい!という単純な動機である(笑)

しかしメニューを覚えて、コーヒーの勉強をして、作って、洗って、クローズして、覚えなければならないことが多すぎる!

薬の副作用でどうしてもぼーっとしてしまうから思考が鈍って一度で覚えられない。で、怒られる。

悪循環だった。

そして何より同僚たちの学歴が僕に追い討ちをかけた。

慶応!一橋!ICU!明治!中央!日女!


「死にたry」(閲覧注意)


どちらも当時の僕を潰すには十分な材料であった。











持っているありったけの薬を40度のウイスキーで流し込み、自殺を図った。





翌日、目がさめると頭が割れそうなぐらい痛かった。



頭がいたい、死ねなかった、でも生きててよかった、死にたくない



色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、僕はボロボロと涙をこぼした。



僕の人生で最初で最後の自殺は未遂で終わったのだ。








薬じゃ治らない!!


僕は思い切って受診する病院を変えた。

満足にカウンセリングもせず、ただただ薬を渡して「はい次の方!」という前の医者とは違い、オボクリニックの医院長、於保先生は人間味あふれる温かい人だった。

これまで僕に起こったことを僕は包み隠さず先生に話し、例のごとく涙でボロボロになった。


於保先生は僕にこんなお話をしてくれた。




人の心には実年齢の自分と3歳の自分の二人が住んでいる。

山中君の場合、19歳の「山中くん」と3歳の「たかちゃん」だ。

「山中くん」は必死に大人になろうとして、我慢して、踏ん張って、日々敵と戦っている。

でも「たかちゃん」は甘えん坊で、わがままで、泣き虫で、でも根は純粋無垢ないい子だ。

君は今まで3歳のたかちゃんの気持ちに耳を傾けずにたかちゃんをいじめ抜いてきた。

今の君が苦しいのは、たかちゃんが心の中で大泣きしているからなんだ。


これから毎日10回「たかちゃんごめんね。大好きだよ。」と心の中で唱えなさい。

それが自分を愛するということだ。





僕の人生を変えた言葉である。

今でもこの習慣は続いており、僕は毎日「たかちゃん」との対話を繰り返している。



同時に於保先生と薬を今後服用しない代わりに辛くなったらカウンセリングに来ること!という約束をした。






なんだか気分が前向きになって来た!



於保先生と出会ってからというもの、僕は明らかに前向きになった。


先生に言われたように辛くなったらカウンセリングを受けに行った。

食事、運動、睡眠が大切と言われていたのでバランスよく食べ、毎日適度に運動し、睡眠時間を7時間は取った。

こうすることで自律神経が整って精神的に安定して来る。

薬で現状維持をしていた頃と比べて、気持ちがどんどん前向きになって行く。

勉強や私生活にも意欲的になり、友人関係も安定して来る。

だんだん心にかかった靄が消え始めたのだ。



これまで我慢していたことも初めてみた。

まず免許を取った。

うつ病や適応障害であっても軽度であれば免許は取れる。

いざ自分が運転する側に回ると見える世界も変化して来る。

時間を見つけては妹や愛犬のモコを乗せてよくドライブに出かけるようになった。

兄妹弟2人と1匹で公園やドッグランに行くのは最高に楽しかった。






ナンパも始めた。

「え!?ナンパ!?チャラい!!」なんて思う方が多数だと思う。

僕も最初はそうだった。ナンパはセックスを求める野蛮な人種の遊びだと思っていた。

でもそれは違った。頭のいい人たちはナンパで処世術を学び実際に成功している。


外資系サラリーマンasapen氏が綴るナンパブログ『六本木でナンパしながら起業する』は僕の最初のナンパバイブルだった。

都内の国立大学を卒業し、外資系企業で働く彼の書く文章は知的センス抜群であり、何より面白い。

まるで読者がその場に居合わせているようかの臨場感だった。

最終的に彼はナンパで己を磨き、会社を起こし独立している。


グロービス経営大学院学長の掘義人氏も学生時代にすべきことの第一にナンパを挙げているほどだ。

事実、彼はナンパで知り合った女性と結婚している。


ナンパは最強の自己啓発なのだ。

ナンパを通して強くなれる。



就職試験では毎年多くの志望者が企業からお祈りメール(不採用通知)を受け取っているという。

面接官はニコニコしているし、一見すれば良い雰囲気のまま面接が進むはずだ。

それでも、落とされる。酷い仕打ちだ。

彼らの大多数にとって、おそらく人生初の「自分を否定される経験」だろう。

中には自殺してしまう人まで出てくる。就活はキツい。



だが大学編入試験の面接の多くは圧迫面接であり、就職試験の100倍辛い自己否定体験である。

「君、全然勉強してないねぇ」

「前の学校の成績悪いけど遊びに大学行ってたの?」

「君、学歴欲しいだけなんじゃないの?」

「そんなにうちに入りたかったら1年生から一般入試で入りなよ」なんて当然のように言われる。

特に僕が受験しようと思っていた早稲田大学・上智大学・埼玉大学・法政大学あたりは圧迫面接で有名だった。


僕には面接試験を受ける前に、自己否定をされる経験と人を惹きつけるトークスキルが必要がと考えたのだ。

そして何より、コンプレックスまみれの自分に自信を付けたかった。




でも街で、見知らぬ女性に声をかけるなんて、、、


もしかしたら罵られるかもしれない。

大声を出して逃げられるかもしれない。

男が出てきて殴られるかもしれない。


不安だった。不安しかなかった。




池袋の北口で地蔵(声をかけず立ち尽くす)する僕。

何人も何人も好みのタイプの女性が僕の目の前を通り過ぎる。

「声の掛け方は何でもいい」とナンパブログに書いてあったが、いざ声をかけようとすると何を話せばいいかわからないのである。

2時間ほど立ち尽くした。



さすがに終電の時間も近づいてきた。

さすがに帰ろうとした時、マクドナルド近くの出口から小柄な女性が出て来た。

身長150cm程度、セミロングの髪型、

顔は抜群に可愛い、、、モデルかと思った。


決めた

「この人に声をかけてダメだったら帰ろう」

意を決して、いや、人生をかけて彼女に声をかけた。



た「あの!お仕事帰りですか?」

女「いや、私はいいです、、、笑」

た「え、いいですってまだなにもしてないですけど、、、笑」


一回は食い下がった。でも、まだだ!


た「お姉さん僕のタイプドンピシャなんです!ストライクゾーンど真ん中150kmのストレートって感じなんです!」

女「なんですか!それ!w」


始めて満面の笑みを見せてくれた!

トークに自信がなかった僕が女性から笑いを取ることに成功したのだ!!



歩きながらではあるが不思議と会話が弾み、

彼女が僕の2個上であること

理系の大学に通っていること

家がこの近くであること

長いこと先輩と付き合っていたが別れてしまい今はフリーであること

色々と話を引き出すことに成功した。



話を引き出す上で重要なことは男性はあくまで聞き役に徹するということである。

話す割合は女性:男性で9:1ほどでいいとされている。

男性はここぞという場面でしっかりとした返答を与えればいいのだ。


またもう一つ、重要なことは相手の女性をディスる技術である。

ディスるとはディスコミュニケーションのことであり、これはリスペクトの対極に位置する。

「かわいいね」「しっかりしてるね」「モテるんでしょ?」なんて言葉は若くてそこそこ可愛い女の子であればもはや聞き飽きたものである。

彼女たちは頭がいいからこういった男性たちのあしらい方を熟知している。

つまるところ女性にナメられて終わりなのである。

ここでディスる技術の登場だ。

「◯◯ちゃんって綺麗好きだけど案外部屋は汚そうだよねw」とか

「料理できるんだ!カップ麺とか?w」などといった具合に相手を軽くディスる。

もちろんディスったあとはフォローアップしないといけない。

ただ頭ごなしにディスるだけでは本当に相手を傷つけてしまう最低な男になってしまうからだ。(何度も失敗したw)



今考えれば初心者ながらこれらの決まりをしっかり実行し、実りある会話ができていたと思う。

いつもの勉強や就職対策講座のグループディスカッションなんかよりもはるかに頭を使った。

言ってはいけないであろう地雷ワードも存在するから発言には適度に気を使った。






気がつけば相手宅に上がり込み(ナンパ用語:ヨネスケ)温かい紅茶をご馳走になっていた。

お互いの恋愛観のことや結婚観についても話が及んだ。

三歩進んで二歩下がる。少しずつではあるが、彼女と心の距離を近づけることができた。



その後起こったことについてはみなさんのご想像にお任せします笑



この成功体験は僕の中で大きな自信につながった。

何と言っても相手はS級の美女である。性格も申し分ない。

僕はすぐに彼女のことが好きになって彼女に告白した。

拍子抜けするほどあっさりOKをもらえたのだ!



彼女と過ごす時間がただただ楽しかった。



だがそんな甘い恋愛は決まって突然終わりを迎えるのである。

お付き合いを始めて1ヶ月ほどたったある日、彼女から別れを言い渡された。

「ごめんなさい。もう会えません。2個下のあなたとは未来が見えません。」


ショックでなかったと言ったら嘘になるが、「あ、でしょうね」と言った感じだった。

だってまだまだ僕は彼女に釣り合うレベルの男になっていなかったから。

ナンパを続けることが重要であった。


絶対いい男になってやる!

もううつに心を蝕まれていた頃の僕ではなかった。





プライベートに対するモチベーションが上がると自ずと勉強や仕事にも熱が入る。


入学当初300点ほどだったTOEICが600点に乗り

学年末の経営学のテストでは見事学年一位を叩き出した!


できる!これならきっと編入もうまくいく!!

もはやうつ病に負ける僕じゃない!!





人生を変えるんだ!!









p.s.



衝撃の事実が発覚したのは、1年後編入試験真っ只中の10月であった。




僕を振ったこの2個上の彼女、







実は都内風俗激戦区のNO1風俗嬢だったのだ。




僕は2時間75000円払わないと相手をしてもらえない源氏名のプロ相手に

なんとひのきの棒で勝利していたのである笑

今では飲み会のネタになってはいるが彼女には心から感謝している。


ありがとう。



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