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元不登校生の生い立ち②

Image by Olia Gozha




幸い、私の学校の地域は、教育熱心な親が多い地域だったためか、中学自体の学力が高く、中学3年にもなれば受験戦争で、私が不登校だったということも、みんな自分に必死でクラスの雰囲気は良くなっていた。それでも、行くのが辛すぎる時も何度かあった。



私は、芸術コースと音楽コースが選択できる、公立の高校を志願したが、半年間勉強をしなかったために、一番下の高校しか入れない学力しか持っていなかった。そこそこの学力が取れそうな塾に入りたかったが、塾に入るための学力を持ち合わせて無いから、そこの塾に入れなかった。そのため、個別で教えてくれる塾に入って基礎を固めた。学力テストでは3回に合わせて、徐々に点数が上がり、最終的にはギリギリ志望校に入れる点数を取った。それでも、当日のテストで点数を取らないと入れない自分の学力のランクに、塾を最終的に変え、勉強方法を変えて臨んだ。


英語と社会と理科を暗記して、国語はそこそこ点数を取り、数学はほとんど勉強しないという、方法で当日テストを受けた。当日は、案外自分行けたかもしれない、と思った。その通り、志望校のランクには及ばなかった自分が、当日の点数で入ることが出来た。


運良く志望校には入れても、学校生活は苦痛だった。そもそもが、私はもう29歳だが、社会人として生きている今でも、集団生活が大の苦手だ。そんな人間が学校という閉鎖的な場所に馴染めるはずが無かった。高校に入ってからは、新しい生活に新しいことをやってみたいと、クラブ活動やバイトをしてた。中だるみの高校2年の時に、やっぱり1ヶ月学校に行かなかった時があった。それもまた、女の子同志で連む辛さと、一人で居たいけど一人で居られない辛さがあった。


留年しそうな成績に、母から高校は卒業しなさい、の一言で学校に復学して、補習を受けてなんとか、高校を卒業した。高校3年の時に美大へ行くために通っていた予備校で、志望大学のための作品を作っていたが、それもあまり自分にとっては楽しく無く、そんな調子で大学を受験したために、ネットのゲームにはまっていた自分は、あっさりと志望大学に落ちた。




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