彼にも運にも愛される方法があったら、貴方は欲しいと思いますか?
はじめまして。
彼にも運にも愛される
星読みブライダルコンサルタント
日向すみれです。
◆マヤ暦/西洋占星術/持って産まれた能力などを統合した総合的な運を引き寄せる鑑定。
◆マヤ暦×西洋占星術オリジナル講座で運を自分でコントロールする力を身に着ける。
を軸に、自分を大切に美しく生きる女性=Precious Womanを作りたい!という理念で、広島を中心に全国で活動しております。
そう、私は『愛される女性になるプロ』。
自分を知り、ありのままの自分を受け入れて
彼にも運にも愛されて
どんどん豊かになっていく。
そんなPrecious Womanを作っていくのが、私の仕事。
さあ!
自分を大切に出来、彼からも愛される未来を手に入れてください。
≪プロローグ≫
今はこんな私ですが。
ここまでくるのには、壮絶な過去があります。
主人と出会いは私の一目惚れでした。
そんな大好きな彼(今の主人)とは2回別れ、3回目の復縁で婚約。
幸せな結婚をしたはずなのに…
結婚当初の私は
私「何で分かってくれないの?」
主人「俺も頑張ってるし。」
私「どうして、支えてくれないの?」
主人「じゃ、俺にこれ以上どうしろって言うん!?」
喧嘩をすると分かり合えず、
ここには書けないほど(笑)
お互いひどい言葉を浴びせ合う日々もありました
主人から愛されたいのに。
ただ、二人で笑って過ごしたいのに。
どうしてこんなにうまくいかないんだろう。
◆認めて欲しい。
◆愛して欲しい。
◆分かって欲しい。
という気持ちばかりで
自分だけ頑張っているという被害妄想女子でした。
でも、あることに気付いて
愛ある生活を手に入れました。
もし今貴方が
①毎日やることが多すぎて、働かなければ、自立しなければ、子育てもちゃんとしなきゃ、良い妻・母でいなきゃと頑張りすぎている。
②愛され、大切にされていると実感が欲しい。
③私のことをちっとも分かってくれない。
④必要とされていないんじゃないか。
と感じているのであれば
私が出来るサポートがあります。
私のサービスを受けてくださった方はこんな変化が生まれています。
◆自分の運命を知り、納得と、「このまま進んで大丈夫なんだ」という自信が生まれ、ずっと嫌々働いていた仕事を辞め、希望の仕事に就くことができた(I様)。
◆2年同棲して、結婚も考えていたのに、浮気をされていた。いつもダメな人ばかりと出会って、私の人生このままなのかすごく不安だった。出会う時期を具体的に知れて、前に進むことが出来、運命の人とすぐ出会ってしまった!(K様)。
◆夫の浮気で、身も心もボロボロで、夫が責めると逃げるとも分かっているのに、責め続けてしまっていた。自分の運命を知り、自分と向き合う機会をいただけた。大切なことを思い出せ、夫婦関係も修復にチャレンジすると決心することができた(F様)。
◆子供の育てにくさを感じていたけれど、前世からの宿命があることを知り、また子供を受け入れることができた(A様)。
そんな歩む道への自信がつき、
結果的に彼にも運にも愛される女性へ
変化していくことが出来るのです。
私がチャレンジし続けてきたことを。
この物語ではお話ししていきます。
そして何より
私が幸せだと感じる毎日を手に入れることが出来たのだから
貴方も出来る!と思うのです。
私に経験した過去から
「私でも出来るかも!」そんな自信が
私の物語を見て生まれてくれることを願いながら。
私が人生を180度変えた物語。
≪暗く自分を閉ざしていた幼少期≫
私は田舎に産まれ、四世代で過ごしました。
私が子供のときは、鶏がいて(笑)
犬と猫もいる。
田んぼと畑に囲まれた、電灯もほとんどないような場所。
医療職の公務員の両親。
工場勤めの祖父と祖母。
家にいて働き者の祖祖父と祖祖母の七人家族。
祖父は三歳のときに亡くなったので、ほぼ記憶はありません。
両親は共働きで夜遅いことも多く
おばあちゃんもその頃仕事をしていたので
ひいおばあちゃんと毎日過ごしました。
ひいおばあちゃんは、おおらかで優しくて働きもの!
トトロに出てくるおばあちゃんにそっくりなおばあちゃん!笑
大好きな大好きなおばあちゃん。
私はおばあちゃんと、起きて寝るまで一緒にいました。
お母さんと一緒に寝たことが、何回あったのか記憶にない程
おばあちゃんと21時に寝るのが当たり前の生活でした。
そして私は必ず毎晩言うのです。
私「おばあちゃん、お母さん今日何時に帰ってくる?」
おばあちゃん「すみれちゃんがいい子にして寝てたら、帰ってくるよ。」
幼少期は、こんな会話をしながらおばあちゃんと寝ていたことを記憶しています。
いい子でいたら、早くお母さん戻ってくるんだ!
と、私は信じ眠りについていました。
そんな中、おばあちゃんと寝起きを共にすることは当たり前となり
小学校六年生で自分の部屋を持つまで
私は夜は21時には寝て、6時半に起きるという
規則正しい習慣を送りました。
今でも母に、「あんたは小学校のときは、なんでこんなにキッチリしとんかと不思議だった」と言われるぐらいです(笑)
お母さんとお父さんと寝るという習慣は、私の中になくなりました。
私の幼少期を一言で表すなら、『いい子』。
そして、おばあちゃんと遊ぶ中で
おばあちゃんも家の家事をしているので
一人で遊ぶことも多く
この頃から、『妄想』を膨らませるのです。
すみれ「大きくなったら…私、ハイヒールをはいて、カツカツ歩いているようなかっこいい人になりたいな(キャリアウーマン)。」
母の靴箱には、ハイヒールがたくさんありました。
私は、その中でお気に入りの一足を見つけていたので
母がいないときにはいて
自分の姿を見ながら妄想を膨らませていました。
年中で保育園に入りましたが
人見知りが激しく誰よりも長く慣れるのに時間がかかり
毎日大泣きをして母は手こずったそうです。
運動会も発表会も恥ずかしくてたまりませんでした。
年中での運動会では動かなくなり
発表会でも固まってしまう。
お友達とも遊びますが、あまり活発な方ではありませんでした。
年長のときに、弟が生まれ、本当に嬉しかったことも思い出します。
弟が生まれてからは弟の面倒を見ることに勢を出していました。
そして年長のときの運動会。
『将来の夢』の仮装ウォーキングがありました。
私の将来の夢はこのとき「花嫁さん」♡
白いビニール袋と紙のお花をつけて先生が作ってくれたドレス。
それを身にまとい
恥ずかしいから早歩きで下を向いて
グラウンドを一周歩いたビデオが家にあります(笑)
年長では、運動会も発表会もなんとか人並みにできました。
小学校へは、徒歩一時間の距離を毎日歩いて通っていました。
ここでも友達と遊ぶこともありますが
一人で遊ぶことも好き。
習い事も3つして、とにかく周りに合わせていたように思います。
小学校高学年ぐらいからでしょうか?
「なんで学校に行かないといけないんだろう?」
と思い始めました。
でもいい子の私は、「お腹痛い」「頭痛い」とたまに言ってしまうこともありましたが(笑)
比較的学校にも行っていましたが、この気持ちはなくならず(苦笑)
中学校に行っても、学校に行きたくない病…。
私の場合目立ったイジメや嫌がらせという訳ではなく
(少しはあったと思いますが)
学校に行く意味が分からない。
という感じでした。
友達もいる。
別に楽しくない訳ではない。
でも、学校になんでいかないといけないんだろう?
と、集団生活がどちらかと言うと苦手だったのかもしれません。
この頃、浜崎あゆみの『A song for xx』に影響を受けます。
どうして泣いているの?
どうして迷ってるの?
どうして立ち止まるの?
ねぇ、教えて。
いつから大人になる?
いつまで子供でいいの?
どこから走ってきて
ねぇどこまで走るの?
居場所がなかった
見つからなかった
未来には期待できるのか分からずに。
いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって誉められたりしていたよ。
そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた。
この歌は、当時の私に衝撃を与えてくれ
当時の私を現しているようで
このときから、浜崎あゆみさんのファンになった。
高校に入ってから、私は美容が好きになった。
コンプレックスだらけだと感じた私は
自分の体型をよく見せるためにお洒落をし
自分の顔を可愛く見せたくて化粧を始め
もっともっと可愛くなりたい!と思ったとき
休憩になれば女子はみんなでトイレに行き、メイクを直す。
ルーズソックス、大きなカーディガン。
eggやpopteenなどが学校では流行り
夏休みに始めて友達と髪を染めた。
原付の免許を取り
プリクラを取って交換したり(笑)
アルバイトもした。
友達と放課後遊ぶことが楽しくてたまらなかった。
おばあちゃんは厳しい人だったから
「すみれ!もう少しスカート長くしなさい!」
「お母さんもお父さんも病院に勤めてるんだから、きちんとしなさい!」
とかも言われたけど、ひいおばあちゃんも母も父も私がやることは、特に否定もしなかった。
人に迷惑をかけることはしないと思っていたし
基本『いい子』の私は、塾も行っていましたし
進学は視野に入れていました。
さて、高2の夏休みが終わり進学も考えないといけなくなりました。
幼少期からの私の夢は
ハイヒールをはいたキャリアウーマン。
でも、資格世代で「資格がないと就職は出来ない」と言われていたので
両親の影響で『作業療法士』になろうと思います。
これは私の中で妥協でした。
でも、両親に迷惑はかけたくなかったし
ハイヒールをはいたキャリアウーマンという夢なんて
曖昧すぎて言うことはできなかった。
高2で始めて彼氏と言える彼氏が出来て
一個上のイケメンで色んなことを教えてくれた。
自転車で彼の家に帰り
海辺でゆっくりしたり
写真をたくさん撮って
本当に幸せだった。
でもそれと同時に私の中で
「不安」という感情も出てきた。
そして私は、ワガママになった。
連絡がこないだけで怒ったり。
半年付き合って別れて
始めての失恋を体験した。
ご飯が喉を通らないことも体験した。
本当に大好きだった。
立ち直ってから
私は私らしくいたいと考え
HPを自分で作って自分の気持ちを出すことをしてみたり
バンド活動も始めた。
歌が好きだったし
バンドをすることで、私は自己表現をする楽しさを知った。
ライブをすることで
私の弱さも家でいい子でいるという自分も
全てぶつけることが出来た。
高校生は割りと楽しかったし
暗い自分/自分を出せなかった自分を
どうにかして変えたいと色んなことにチャレンジをし
友達とも遊びながら割りと楽しい学校生活だった。
でも、私の根底を覆す事件がこの後起こった。
一生忘れられない傷を負う。
何も変わらない日だった。
私はある事件に巻き込まれた。
ボロボロで歩くのもままならない程。
家に着く頃、涙も枯れていた。
すみれ「死なせてください。」
と一言、空に向かって言った。
どうやって家に帰ったのかを、覚えていない。
夜、父と母が私の部屋に来て
母「すみれ!どうしたの!?言わないと分からない!」
父「すみれちゃん!ちゃんと言ってみなさい。」
母「すみれ!お願いだから、何があったかちゃんと言って!」
母と父の涙を、生まれて始めた見た。
すみれ「私は…両親を悲しませた、ダメな娘だ。」
自分に絶望した。
今まで、いい子でいた時分が一瞬にして崩れた。
ダメな子。
ダメな子。
ダメな子。
そう言いながら、私はいつの間にか眠りについていた。
朝になり、鏡に映った真っ赤に腫れた目を見て
昨日のことが夢ではないとフラッシュバックが起こる。
そして翌日、母は仕事の休みを取っていた。
母を悲しませないために
母と警察に行った。
警察から事情聴取。
現場検証。
ずっと足が震えていた。
でもいい子でいる私は、母に「苦しい」と言える訳なく、
平常心を保ち、強がっていた。
学校は数日休んだが、また行き始めた。
でも私の見えている
世界も未来も全て変わったように感じた。
仮面をかぶり生きているような感覚。
消えてなくなりたいと思うようになった。
毎日毎日フラッシュバックが襲い
夜過呼吸が起こり
死んだら楽になるのかも?と思っていた。
そして始めて、自殺未遂をした。
でも、同時に簡単に死ねないことも分かった。
私の暗闇が始まった、18歳の始まり。
生きる意味を探して。
仮面をかぶり昼間は学校。
夜は部屋にこもって泣くという
まるで陰と陽の生活だった。
進学も決まり
高校卒業して春休みになり
バンド活動は続けていたが
私は夜過呼吸になるのを押さえるために
キャバクラで働き始めた。
もちろん両親には
・バンドの練習をする。
・友達と遊んでくる。
など理由をつけていた。
源氏名は「あい」にした。
愛を求めていた。
でも、働けば働くほど、自分自身を苦しめていくことも分かった。
お金があれば優遇され、お金が飛び交う。
愛がなくても、女を求めてくる人。
それで商売も成り立っているのだけど
「好きな人と一緒に結婚して幸せに暮らす」という世界は
この世にはないのではないかと思った。
永遠なんてないんだ。
と思い知った。
まだ大人になりきれてない私は
お金を稼げば稼ぐほど苦しくなる世界に見えた。
大きな愛情をくれて、私を救ってくれた彼
作業療法士の四年生専門学校が始まったと同時に
バンドで出会った人とお付き合いも始まった。
ドラムを叩いてるM君。
ほんとかっこよくて、一目惚れで、周りにメールアドレスを聞いてもらって、交際に至った。
キャバクラも辞めた。
M君の生い立ちの苦しさを知り、一緒に泣いて。
私の苦しみも解放できた。
彼は私を本当に愛してくれていた。
M君は事情があり
お父さんと二人暮らしだったから
私が料理を作ると
本当に美味しいと食べてくれた。
ドラムに打ち込むことで、自分の生き甲斐が出来たと話してくれ
X JAPANのyoshikiさんがM君の憧れだったから
彼の影響で幅広い音楽を聞くようになった。
彼のお陰で、私も笑えるようになった。
一緒にいることが本当に楽しくて楽しくて、M君とずっと一緒にいれたらなって思ってた。
彼のお陰で、専門学校も頑張ることが出来たし
精神的にも安定していった。
だけど…。
専門学校が楽しいと思えなかった。
作業療法士という仕事は、私が本当にやりたいことなのか?
進学はしていくのですが、作業療法士になるということに疑問を持ち続けていた。
お互いの方向性の違い
M君は本格的に、バンドでメジャーになりたいと思い始めていた。
同時に
私<バンドの比重になっていき
今思えばそれでも大事にされていたと思うのだが
当時の私は夜遅くまで練習を優先する彼に寂しさを募らせていく。
精神的に苦しくなりはじめ
喧嘩も増えた。
そして、フラれた。
もっと、バンドのこと。
彼のやりたいことを応援してあげたらよかった。
そう今なら思えるのに。
彼(主人)との出会い
無事進級し、私は専門学校二年生になった。
新しい一年生が入ってきた。
数ヵ月したとき、私の学校は全寮制だったので
事務室にコピーをしに行ったとき衝撃が走った!
彼(今の主人)と目が合ったのだ。
…また私の一目惚れ(笑)
ただ一目惚れというか…
私は「この人!」って付き合う人を、直観で見ることが出来ると思う。
女友達でもそうで、
「この人と仲良くなれそうだな」って直観で思うと、その後仲良くなることが多い。
今でも覚えている。
その日、友達の部屋へ走っていって
すみれ「ね!事務所にメッチャかっこいい人がいるんだけど!あの人誰!?」
ちえちゃん「そんな人おるー?どの人ー!?」
すみれ「事務所に来て来て!見て!」
ちえちゃん「あー、日向君じゃん!」
すみれ「彼女おるんかな?」
ちえちゃん「聞いてみてあげるよ!」
ちえちゃんは、サッカー部のマネージャーをしていて
下級生とも繋がりがあったから
日向君の状況を聞いてもらった。
彼女が今いないことも分かったから
メルアドを交換してやり取りを始めた。
そして、初めて日向君の部活(バレー)に一緒に行って
やっぱりかっこよくて♡笑
同じ学校だから学校後にご飯に行ったり
夜中にドライブしたりとても楽しい時間でした。
元カレはどちらかと言うと無口な方で
私と会話をゆったりするという感じでしたが
日向君は会話が面白くて、私をたくさん笑わせてくれた。
そんな付き合うか付き合わないかの
とっても楽しいとき
元カレから連絡が来るのです。
復縁するか、日向君と付き合うか。
私に生きる意味を教えてくれ
私を精神的に支えてくれたバンドマンの元カレ。
元カレ「すみれの大切さが別れてから分かった。もう一度やり直したい。もう一度会いたい。」
正直、どうしようかすごく選択に迷った。
本当に大好きだった人だったから。
だから、正直に日向君に打ち明けた。
すみれ「ごめん、元カレから連絡きてさ。今、自分の気持ちがよく分からない。もう一度会いに行って、付き合う前に気持ちの整理をしてきたい。」
日向君「分かった…。」
ただ一言、「分かった」と言われて
私は夜8時ぐらいから
高速を使って元カレに会いに行った。
ずっと通ってた部屋。
「美味しいね」って料理を食べた部屋。
何も変わらないのに、元カレは少し痩せたようだった。
元カレ「すみれ、ごめん。来てくれてありがとう。どうしても会いたくて。俺、全然すみれの気持ちを考えてなかった。もう一度チャンスをくれん?もう一度やり直したい。」
そう言いながら、元カレは泣いて、抱きしめてくれた。
「M君と戻ろう」
そう頭で思ったとき、電話が鳴った。
すみれ「もしもし…」
日向君「会えた?いつ帰ってくる?大丈夫?」
日向君だった。
待たせていた。
すみれ「ごめん、私…今付き合おうとしている人がいるの。だから、M君とは戻ることが出来ない。その人のところに戻らないといけないの。ごめんね…。」
と、M君に伝えた。
元カレに引き戻される気持ちもありながら
元カレに戻る決断をせず
日向君のところへ帰った。
どちらを選んだら幸せになれるんだろう…?
帰りの車の中
私の中では一大選択のような悩みだったけど
今考えたら贅沢な悩みで悩んでいたね。
ハプニング
頭の中はグルグルの状態。
帰ったのは夜中2時を回っていた。
高速を降りて少し走ったところで
生まれて始めてのガス欠を経験した!笑
起きてるか分からなかったけど
日向君に電話をして
起きてくれてて助けに来てもらった(泣)
友達と一緒に来てくれた。
そして、日向君の友達に言われたんだ。
クマ(あだ名)「すみれさん、こんな時間まで待ってくれてる男いますか?「信じて待つ!」って言ってけぇさ。ほんまいい男よ、日向は。」
ガソリンを入れて、寮に帰った。
日向君(主人)と付き合う決断をした。
元カレには、ごめんね…とメールを一言送った。
まさかの、フラれる展開!
数ヵ月経ったとき…。
主人(当時は彼)にフラれた。
理由は、「元カノが忘れられない」。
地元に帰ったときに元カノも含めた大勢で会うことがあって
やっぱり好きって思ったらしい。
私は、あっけなくフラれてしまったのだ(笑)
元カレと復縁。
そのあと、タイミングよく、M君(元カレ)から連絡が来た。
元カレ「最近どう?」
すみれ「別れた!笑」
元カレ「会えんかね?」
元カレが、まだ思ってくれてることが嬉しかった。
元カレの優しさに甘え、復縁した。
幸せになるんだって思ってた。
なんか違う…
これでよかったんだ♡
元カレが運命の人だったんだ♡
って思っていた。
でもそれは違った。
私は過去を美化していたんだと気付いた。
過去はよく見える。
私は、元カレを美化していた。
会っているのに、つまらなくて。
日向君は私を笑わせてくれていて
日向君の良さに今更気付くなんて、
私はバカだと感じた。
それから、私はM君に別れを切り出した。
でも、M君もなんとなく分かっていたし
やっぱりドラムにも集中したかったようだから
今回は割と、「お互い頑張ろうね♪」って笑顔で別れられた。
たぶんM君も私と一緒にいるより、ドラムに集中したいと分かったと思う。
私も、過去を美化しすぎていて
M君のことをどこかでひこずっていて
日向君を見れていなかったことに気付いた。
M君と復縁してよかった。
そう思った。
そして、新しい恋へ進もうと思った。
日向君から連絡が来る。
3年生になり、実習が始まった。
作業療法士になるためには
・病院
・老人保健施設
・精神科
の3つの実習を受けないといけない。
夜中携帯が鳴る。
日向君「すみれ、実習どんな?」
すみれ「頑張ってるよー!」
日向君「あのさ…会いに行っていい?」
そんな連絡から、また実習の休みの日に会うようになった。
ご飯に行ったり
ボーリングに行ったり
普通に付き合っている感覚が一ヵ月続いたとき
日向君「すみれ、やり直したい。色々あったけど、元カノのことは美化していたって気付いた。やっと諦めがついて、すみれとやり直したいと思った。」
そう言ってくれた。
お互い、元カレ・元カノに向き合ってみて気付いたことがあった。
やっとお互いが100%の状態で付き合えた。
幸せだった。
三回目最後の実習。
プライベートは充実していたけれど
実習は思いの他ハードだった。
うまく手を抜くことが出来ない私は
常に全力投球。
そして、実習をすればするほど
私がやりたいことは、本当に作業療法士なのだろうか?
という思いも明確になっていった。
私のこのときやりたかったことは『ショップ店員』。
でも、ショップ店員は若いときしか出来ないとも思っていたし
学校を辞めてまでするものでもなかった。
ハイヒールを履いたキャリアウーマン。
の私は、どんな仕事なんだろうと思っていた。
夢と現実のギャップ。
3つ目の最後の実習。
精神科の実習は宮崎だった。
宮崎と言っても、鹿児島に近い方で
方言が強くて、聞き取れない程だった(笑)
そこで私は二度目のどん底を経験する。
精神科に入院。
作業療法士になるのなら、精神科に勤めたいと思っていた私は
精神科の実習は楽しいと思っていた。
私の持った患者様は統合失調症。
軽いように見えて
たまにぶつぶつ物を言ったり
一人で散歩をしているような人だった。
その方の病室に行くときに
異様な空気が漂うこともあったり。
女性の部屋では昨日まで安定していた方が
自傷をし作業療法室に出入りが出来なくなるなど
一日一日リスク管理も大事だった。
一件安定して作業をしているようで
一人一人苦しみの過去があり
薬で安定し社会復帰を目指そうとしても
なかなか難しい世界だった。
私はそこでやりがいを感じていると思っていた。
なのに、私はおかしくなった。
よく覚えていない。
夜、寮で私は倒れてしまったのだ。
そしてそのまま、実習地の病院に入院することとなった。
薬漬けで帰宅。
そこからの記憶はほぼない。
実習地に担任の先生が来た。
そして私の両親も迎えに来た。
実習は強制ストップ。
意識は朦朧としていたけど
涙を流しながら両親の車で帰宅した。
あと数日だった。
また二ヵ月、実習に行かないといけない恐怖心。
留年してしまうのではないかという恐怖心。
何より。
頑張れなかった自分。
親に迷惑をかけた悲しみ。
そう、19歳のときの私に戻ってしまった。
死んだ生活。
親に頼れない私は
すぐに日向君(今の主人)のアパートに転がりこんだ。
それが全ての間違いだった。
私の行動は、常識を外れていて。
日向君がいなくなると、不安に襲われた。
そして、叫ぶこともあったそう。
日向君はもう私を支えきれないと感じた。
日向君「すみれ、ごめん。俺はもう支えきれない。別れよう。」
当たり前の状況だと思った。
すみれ「ごめんね…、ありがとう。」
そう言って、私は彼の部屋を出た。
実家に出戻りをした私は、
起きていると不安が襲い
ご飯以外は寝るという生活を送った。
生きてるのに死んでるような生活。
起きると涙がとめどなく出てきて
不安でたまらなくて
強い睡眠薬を飲んでは寝た。
生きる意味を見失った。
学校も休学になった。
日向君とも別れた。
私には、何も残ってなかった。
頑張り続けてきた私の精神は、プツリと切れてしまったのだ。
母親に甘えることが出来た。
この頃の私は、泣くこととご飯を食べることしか出来なかった。
ベットから起き上がることも出来ない。
起きると不安に襲われるから
21歳にもなりながら
目が覚め不安になると親の迷惑も考えず
母に電話をした。
母は、仕事中にも関わらず私の電話をとってくれて
時には仕事を休んでくれた。
この頃の母は、私を見ることは辛かったと思う。
でも向き合ってくれた。
私は寝ているのに
起きたら母がいてくれるということが本当に嬉しかった。
母は私にたくさんの愛情をかけてくれてたのだ。
母の隣で寝たこともある。
そう21歳だけど
私は、不安でたまらない!という感情も
寂しい!という感情も母にぶつけることが出来たのだ。
母に甘えることが出来た私は、回復に向かった。
自然と「起き上がろう」という気持ちが出てきて
友達と遊べるほどに回復した。
人間ってこんなにどん底まで落ちても
自分で這い上がる力があるのだと感じた。
そして、母の愛が私を救ってくれた。
回復に向けて~強くなろう!
薬を徐々に減らしながらも
母は必ず毎月私の精神科についてきてくれた。
そして美味しいものを食べて帰る!
これが繰り返されていた。
私は日常生活を取り戻していた。
ふと、日向君(主人)から連絡がきた。
日向君「すみれ、元気か?」
すみれ「元気になってきたよ♡」
日向君「ご飯でも久しぶりに行く?」
このときから、私は強くなろう!と決意した。
日向君ともう一度向き合うために。
悲しみから笑顔を取り戻すことへ。
日向君と食事をして
私はこの人の傍にいたいと思った。
どん底にいるときも
私を支えてくれようとしていた人。
私たちは1年間。
付き合っているのか付き合っていないのか分からない状態が続いた。
周りからは
「いいように使われている」
「セフレじゃないん?」
とも言われたこともあった。
でも、私はそんな彼ではないと信じていた。
そしてその頃、
ユタの占い師さんとの出会いがあり
・精神科で倒れたことは、気をもともと吸い取りやすいこと。
・もともと直観が鋭く、思ってたことが現実にならないか?と聞かれ、確かにと実感。
・日向君とは、運命の人だからこのまま結婚に至ること。
・貴方は将来占い師になって、人々を助ける。
と助言を受ける。
その言葉を信じ、
私自身も強くなりと願い
日向君の前で『いい女』であり続けた。
欲求は言わない。
会いたいと言われたら会いに行く。
付き合っているのと変わらなかったけど
ただ、「付き合おう」という言葉はなかった。
でも私は彼を苦しめたことも
支えてくれようとしてくれたことも分かっていたから
ただただ、強くなりたいと『いい女』でいようと思った。
それは、同棲状態だった。
付き合っていないのに、おかしいよね。
でも、私はそれでもいいと思っていた。
そして、復学を決め、彼と同級生としてやり直す決意をする。
復縁。
曖昧な関係から1年経った頃。
私は同級生と海に行った。
その間、日向君は気がきでなかったらしい(笑)
そして、やっと
日向「俺が支えれるか最初不安で。でも、すみれの優しさに甘えていた。付き合おうって思ってたのに、ちゃんと言葉に表そうと思ってたのに、ずっと言ってなくてごめん。卒業したら、結婚しよう。」
やっと私に伝えてくれた言葉。
私はこのとき。
抗鬱薬・安定剤・睡眠薬の全てを自力で辞めていた。
本当は自力で辞めることはよくないのだけど
私は努力と根性の精神なので
スパっと辞めた。
副作用で何度も倒れたけど
辞めるという意思を曲げなかった。
国家試験合格と卒業、結婚。
日向君と学校に行き
日向君と国家試験の勉強をした。
学校では公認の二人になっていた。
朝から学校に行き
夜遅くまで一緒に勉強をする。
作業療法士になりたいわけではなかったけど
一緒に勉強できるということが支えだった。
一緒にご飯を食べ寝て
また学校に一緒に行く。
そして、無事国家試験合格。
卒業。
そして、プロポーズ。
私は、主人の里にお嫁に行くことを決意する。
結婚は無条件に幸せなものだと思っていた。
結婚して主人の里に来た。
主人の里も広島の北の方で島根に近く
冬は雪がとてつもなく積もる地域。
精神科の病院で勤めたが、やっぱり体調不良になってしまい、妊娠も分かり辞める。
家で出来る仕事はないかと考えたとき
ユタの占い師さんの助言を思い出し
タロットを独学で勉強し
電話占い会社のオーディションに受かり
電話占い師として家で働いた。

この頃、月100人鑑定する日々だった。
電話占いは顔を見せないので、化粧もしない生活。
何より苦しかったのは、
日中直接会話する人は、スーパーのレジのおばちゃんとの
「ありがとうございます」だけ。
それ以外は、電話占いの無限の苦しみのようなループに
苦しみを感じ始めるのです。
すみれ「今日はどうされましたか?」
お客様「不倫の彼が奥さんと別れてくれなくて。」
すみれ「今日はどうされましたか?」
お客様「私は彼とどうしても復縁したいんです!あの女より私の方が彼を思っています!」
不倫・復縁がほとんどの電話占い。
毎日同じような悩みと
「先生ありがとう!頑張る!」と元気に切ってくれたのに
数日後にまた電話がかかってくる。
そんな世界でした。
私は、自分の力の限界を感じ
いくら力を使っても使っても悩みがなくならないことにジレンマをし
生活環境も加わり
だんだん気が滅入っていくのです。
主人とぶつかる日々。
新婚生活は最悪だった。
新婚はラブラブ♡なんてことは、全くなかった!笑
主人は地元だから友達がいて
趣味も仕事も飲みにも行っていた。
私はというと
趣味も仕事も飲みにも行けない。
知り合いがいない。
すみれ「どうして分かってくれないの!」
主人「俺も頑張っとる!これ以上どう頑張ったらいん?何をしても、すみれは認めてくれないじゃん!」
◆どうして分かってくれないの?
◆どうして支えてくれないの?
◆私ばかり頑張ってる。
そんな、自分がまるで被害者のような意識がこの頃ありました。
復縁するまでもしてからも
『いい女』でいた私は崩れ
めんどくさい嫁になっていた(笑)
マヤ暦×西洋占星術と出会う。
長男。
長女と二歳違いで生まれ。
私は病院に勤めることが出来ないと悟っていた。
でもこのまま電話占いを続けていく意味があるのだろうか?
ハイヒールをはいたキャリアウーマンになりたくて
美容の仕事を100万かけて開業。
自宅サロンを2013年に開業。