top of page

17/4/22

山なし谷だらけ。そんな母をみて思った事。

Image by Olia Gozha

不倫、結婚、借金まみれ、夜逃げ、離婚、貧困、病、暴行事件。


とにかく母の人生、山なし谷だらけだと我が娘ながら同情してしまう。


全ては男を見る目がなさすぎた。


ん?いや、違う。


愚かなほど男に尽くしすぎた結果なのだ。


それとも、まともな人は愛せないほど面倒見がよかったのか?


全ては母が愛する人を見捨てられず依存した上、助け続けてしまったからだと思う。

ここでは、母の人生からみる、ダメ男に向き合った時の依存について語りたいと思います。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


私の母は昭和25年「五黄の寅」年うまれ。

母は、23歳ころに勤め先が一緒だった父と出会い、妻子がいたのにも関わらず父は母に声をかけ、田舎娘の母は父と恋に落ち、不倫した末、兄を妊り父と結婚。


その後、待ち受けてた結婚生活は、とてもひどく、ギャンブル性分の父のせいでお金には本当苦労したらしい。

父は毎日、家を留守にしてパチンコ、麻雀、花札を日替わりメニューでこなし結婚して2年ほどで、祖父母から頂いた持家まで、借金のおかげで人の手に渡った。


その後、貸家に移り住んだが毎日サラ金が怒鳴り散らす毎日。

元金を返済しても利息だけがふくらみ、そして横浜へと夜逃げ。


それでも懲りず、昼間からギャンブルばかりする父は、ろくすっぽ働きやしない。

そんな父にも愛想つかすことなく、頑張って働いてお金を稼いでくる母。


お金は私たちのご飯ではなく、父のギャンブル代に消えてく毎日。


それでも母は働き続ける。

私達3兄弟が乳幼児のころは夜、親戚に預け水商売。

少し大きくなってからはコンビニでご飯炊きの早朝バイトしながら、昼間はパート、夜は飲食店で寝る時間ないほど、こんな父のために働き詰めた。


そして、私が6歳の時、とうとう父の借金のために、別居を選択し離婚。

(父のために借金を返そうと必死に働いても賭け事の軍資金に消えていくため、離れながら借金を返済しようとしたらしい。)

私と兄と姉は、離婚すると聞いても、寂しいという気持ちは全くなく、むしろ、この生活から母が脱却できるのかと淡い希望をもっていた。


母は、母子家庭が入社できる施設、母子寮に入ってからも、働き続けた事と、父と離れた事、将来の不安から遂に精神がオーバーヒートしてしまう。

後々、取り寄せた寮長の日報によると母はいつも、父に会いたい。辛い。と寮長に泣きつく日々だったらしい。拒食症、ネグレストによる、姉が栄養失調を患い遂には重石で子供と一緒に横浜港で死ぬと発言する日々。見兼ねた母子寮の寮長先生が、母を精神病院に強制的に入院させてしまった。

病状は激しく悪化。

それから2ヶ月して退院するも生気を失った母は、まるで抜け殻のようだった。

そして、母子寮を追い出され茨城の田舎の叔母さん宅へ母子居候生活。

とうとう、働けなくなり、父への損失感からか、しょっちゅう頭がパンクして、涙する毎日。

この頃から幻聴、幻覚が続き、時には父と会えないことからか泣きながら60キロ離れた小山駅まで3日間歩くほど。

その時は裸足で、バックも持たず、ふらふらと挙動不審だったことで運良く警察が保護してくれた。

車のない我が家は、母の弟が身元引受人となり100キロは離れている、かすみがうら市から離れている母をお迎えして帰宅。

私は、そんな母でも無事帰って来てくれて本当に良かったと安心して寝付いた事を覚えている。

でも、これが徘徊癖の始まりで、その後も衝動にかられると、いつもひたすら途方に歩いてしまい、また隣接の県警から連絡が入るようになった。

(いつも裸足で冬でもコートを着ていないというか持ってないので様子がおかしく意外とすぐに保護されることもしばしば)

ただ、今思うと、何年たっても、それほどまで心は傷つくほど、父のことが忘れられなかったのだ。


それから数年たち、母48歳。


埼玉県川口市に家をかまえた兄と母は同居することになる。


そして、染谷という新聞屋と出会い、いきなり結婚します宣言。


ああ。


男で空いてしまった心の穴は、やはり男でしか穴を埋めることはできないのだと感じた。

母は、愛情深い人だから、やっと幸せになれるかなとホッとしたのも束の間。


あれ?


何か足りない。


話していて違和感がある。

染谷の正座している膝のうえにある両手がおかしい。

話を聞きながら指を数えてみると

両方あわしても5本しかないではないか。

一本ならまだしも、5本ってどーゆーこと? !


でも、職にもついてるし。


今は、きっと構成されたのに違いない。


人は見かけで判断してはいけない。


染谷にどこに住んでるか聞いてみた。


「家は今ないので、ふくしむら公園に住んでます。」

 

、、、、完全にアウトである。  


でも、今は新聞配達の早朝と夕刊のバイトとだけしていたので取り敢えず交際バイト認めてしまった。


染谷との出会いは、兄嫁に聞くと、外出しては、公園や駅に住んでいる人たちに、そーっとコーヒーやパン、タバコを分け与えてたらしい。

それと同時に母は駅など公共の階段に、誰かが吐き捨てたガムを必死に掃除したりしていた。

母がやらなくても、掃除のおじさんがいるから大丈夫だと話しても、その間に誰かが踏んでしまいます。

とにかく、母は自分と重ねてしまうのか、社会的な弱者にとても心を傾けていた。

そんな感じで公園で染谷と出会ってしまい恋に落ちた母は、いつも自転車にのって、母を荷台に乗せて母と公園にデートしていた。


結婚は残念ながら、絶対ムリとおもってたが、母の幸せそうな顔をみて、病気がなおってくれたら、、っと染谷との交際を認めてしまった矢先、母が行方不明になった。


いつも、兄宅の冷蔵庫から食料物資をお染谷に届けるなどしていた為、兄宅に1週間帰宅しないことなどなかった母が、数日帰ってこなく、心配になり、付き合っていた染谷に電話したところ、別の公園の住人のペンキ屋と名乗る男に捕まったとのこと。


なに?ペンキ屋?と聞き返すと


どもり症の染谷は、あ、あ、あいつはヤバイ。しか言わない。


そして、染谷は母を見捨て、別の公園に引っ越していた。


あれほど結婚したいといっときながら、すぐ見捨ててしまったのだ。


兄弟で母はどこだ?っと近隣の大きな公園に探し出すも見つからず、警察に行方不明届けを出すも3ヶ月たったある日。


母が見つかりました。と警察から連絡がきた。


やったーっと喜ぶのも束の間。


母はペンキ屋らしき男に、道路上で数十発以上、殴られているところを目撃した通行人が死んでしまうと警察に連絡し救急車で病院に運ばれていたのだ。


病院に駆けつけると、もはや原形をとどめていないほどである。


耳は晴れ上がり、柔道選手のように、耳の穴が見えなくなっているほど。


警察が母に事情を聞いたら、公園でペンキ屋と名乗る男性に付きまとわれ、使用してないトレーラーの中に3ヶ月監禁されていたのだ。


男は、逃げようとする母に殴る蹴るの暴行をして監禁していた。毎日殴られ続け耳は変形し柔道選手のようになってしまったのだ。

幸い命に別状はなかったものの、本当に悔しい。ひどい。そして通行人が発見しなかったらと思うとぞっとする。

被害届けを出そうとしたが、母は、あの方にも事情があったので、私のことで警察のご厄介にはさせたくないと一点張り。

この上、なぜ、殴ったやつの方を持つ?といっても母は被害届けはだしたくないといっていたので、2度と母に近寄らない誓約書を書かせて、報復も怖かったので被害届けはださなかった。


家に帰宅し、家族会議が開かれた。


これ以上、母が外出し、ペンキ屋に付きまとわれて監禁されるかもしれない。


もう、2度と悲劇を起こしてはならぬと、かわいそうだが、兄宅から内鍵を取り付け、母は外に出れないように軟禁状態が続いた。


もちろん、それでも、内鍵をやぶり、夜に徘徊しては警察に保護された。


この頃から、染谷がいなくなったことから、更に統合失調症がひどくなり、生きる希望もなくなった母は、私たちの前でもなげき、死にたいと良く口にしていた移動中の車で、本気で飛び降りそうになり、阻止したこともある。

家族で相談して、母の状態の悪化がひどかったので、精神病院へ再入院することになった。


そして、それから10年以上がたった。

私と姉で毎月2泊3日の外泊は欠かせずしている。


今でもふと思うことがある。


母の自殺未遂や徘徊をやめさせるためと、母も自ら病院に入院したいと言っていたので、母の意思もくみとり精神病院へ入院したが、本当にこれで良かったのか。


母の人生は、2人の男の面倒をみて、尽くして、尽くして、そして傷ついて、心を壊してしまった。


タイムマシンがあれば、父と出会わないように阻止しようといつも思う。

そして私は生まれてないが、母の溢れんばかりの愛を受け取れるほどの優しい男性と巡り会えてほしい。


母は今でも、父と一緒になった時間が幸せだったわぁっと私に嬉しそうに話す。


その母の笑顔を見ると、母の人生は本気で山なし谷続きの人生を歩んできたが、母からは見ると父と過ごした時間のおかげで今でも薔薇色だったとと思える。


そんな母のように、愛に振り回されてるのにも関わらず、見切るどころか尽くしまくってしまう人はたくさんいると思う。


母と同じように愛に振り回されている人に伝えたい。


母のような傷だらけの人生にならない為にも、恋は盲目だからこそ、距離をおき、立ち止まり本当にこれでいいのか考えて欲しい。


きっと、母のような何をしても私はあなたから離れません的な愛が、余計、ダメ男をさらにダメ男にしてしまうのだろう。


父がギャンブル狂になったときに、愛があるからこそ、父を突き放していれば、父も早くに構成されていたのかもしれない。


そして、突き放して、例え別れたとしてと、母の心の傷は浅かったはずだ。


母のように、愛に振り回され傷ついてる人がいたら、突き放すことも愛だと感じて欲しい。 


共存しない時間が、相手を思いやり、大切にして構成に導くかもしれない。


人生一度きりである。


先のことは誰にもわからないけれど、

あなたを育てた家族や

あなたを大切に想う人たちの為も

自分を大切にして欲しいと切に思う。


また、父のように、ギュンブル依存症の人にも伝えたい。

ギャンブルで使ったお金を注ぎ込めは注ぎ込むほど、取り戻したくなり依存してしまうことを。

恋と一緒で、依存したら、冷静な判断ができないと父をみて育った。

もし賭け事に依存している方がいたら

ギャンブルで使ったお金は、高い勉強代だと取り戻すことを諦めて、頑張って仕事をしたお金は大切なところへ使ってほしい。

自分の人生は

自分で切り開くしかないのだ。

そして自分が決めなければ

また依存した場所へ

戻ってしまうだろう。


心は、エンジンと一緒で、ちゃんと冷却させないと、いつかフル稼働しているエンジンはオーバーヒートして しまう事も覚えてほしい。

その可能性は、誰しもが持ってる事も。

心が壊れてしまうと

修復する事はとても大変だ。


母や父のように、何かに依存していて悪い方向に向かっていると気づけたなら、きちんと方向転換して振り返らずに歩んでほしい。

そして、自分の依存という誘惑から打ち勝つことができたら、その先には、きっと何かに依存して辛く泣いていた時よりも、心は平穏で素晴らしい人生につながっていくと私は信じている。
























←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page