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17/4/9

大手住宅メーカーを辞めパン講師として独立その後パン屋さんを開業した話②

Image by Olia Gozha

パン屋さんで働いて先ずは覚えなければいけなかったのが

サンドイッチ作りでした。





五十嵐さんの指導のもと、

サンドイッチの特訓が始まります。




五十嵐さんはその店で二年ほど働いているアルバイトで

年齢は当時30才、私と同じ年の "気が強めの男勝りの女性" でした。




私はどちらかというと要領が良い方ではありません。




パン講師をしていると、

一度教えただけでいとも簡単に工程を覚えて、

凄く綺麗な成形が出来る生徒さんが出現したりするのですが、



私の場合は二度三度教えてもらって

徐々に上手になっていくタイプで、

そういう人が羨ましいなといつも感じていました。




五十嵐さんの場合は、

恐らく一度でできてしまうタイプの人だったのだと思います。




五十嵐さんの指導方法は、




「私の場合は上の人に手本を見せてもらって

一度で出来たからあなたもやって」




このようなきつめの言い方で、

要領がそれほど良いわけではない私にとっては苦痛でした。



五十嵐さん「なんで出来ないの!」

五十嵐さん「限られた時間内でやって!」


五十嵐さん「メモは取らないで見て覚えて!」



入社一日目から罵声を浴びせられ

その大きなきつめの声に余計に緊張してしまい、

うまくいかないという悪循環。




パン職人の世界の厳しさと旧来の体質のやりかたを

まざまざと見せつけられることになります。




しかもそれを見ていた女性店長は、

それが当たり前のような感じで遠くから観察し、

高みの見物を決め込んでいます。




パン職人の世界、しかも女性だけのこの店で

はたしてやっていけるのだろうかと、

この時の私は正直不安しかありませんでした。




入社してから3日経っても

私のサンドイッチ作りのスピードは上がらず、

五十嵐さんの罵声も勢いを増していきます。




それを見た店長、


店長「加奈子さん、ちょっと遅すぎるから五十嵐さん手伝ってあげて。」


という言葉に、ため息混じりの舌打ちで答える五十嵐さん。



五十嵐さん「仕方ないですね~。どこまで進みましたあ?」



と嫌々ながら手伝ってもらうという日々。




半沢直樹に出てきそうな悪役上司のような人に

教えてもらうという私のサンドイッチ作りは、

早くうまくなりたいのになかなか進まないという

自分への歯がゆさを常に感じながら進んでいきました。






美和子さんとの出会い


そんな時に手を差し伸べてくれたのが、

同僚の美和子さん(仮名)でした。




美和子さんは明るい性格の持ち主で、

小柄で可愛らしい女性の方でした。




製菓学校も卒業していて仕事がとにかく速く、

職場内でもムードメーカー的存在。




さすがの五十嵐さんも美和子さんにはきつく出れないほど

"隙のないかっこいい魅力" を持っていました。




美和子さんは隙をみては

私のサンドイッチ作りを手伝ってくれたり、

早く作る方法をこっそり教えてくれたりと

私に色々と手を差し伸べてくれます。




この美和子さんの助け、優しさは

当時の私を本当に助けてくれました。




五十嵐さんからのきつめの仕打ちにも

耐える勇気をもらっていたような気がします。




そんな美和子さんからの助けもあり、

要領の悪い私でも徐々にサンドイッチが徐々に作れるようになります。




入社して一週間後には気づけば、

一人でサンドイッチを時間内に作り終えれるようになっていました。






カスタードクリーム作り


サンドイッチを作れるようになると次に待っていたのは




"カスタードクリーム作り"




でした。







パン屋さんでは、クリームパンを始め

カスタードクリームを使ったパンがたくさんあります。




そのカスタードクリームをお店で一から作るのですが、

これが大変です。




大きな重い銅製の鍋を使い、一度の2.5キロもの牛乳、

大量の卵を火にかけながら大きなホイッパーを使って

汗だくになりながらかき混ぜて作っていきます。




その仕事が次に私に与えられた任務でした。




ここでも五十嵐さんから教わることになるのですが、

カスタード作りには彼女に加えて店長まで参戦します。



店長「カスタードクリームはお店の顔なので失敗させるわけにはいきません。私も後ろで見ています。」


こうして、店長と五十嵐さんが

"私の後ろで腕組みをして" の

初めてのカスタード作りがスタートしました。




前日に五十嵐さんに

"一度だけ" 見せてもらった工程を頭に叩き込み、



店長「さあ、しっかりと作って下さい。」



という店長の号令の後、

一度も作ったこともないものを、ぶっつけ本番で完璧にこなすことを

求められるという "落ちる事が許されない試験" にも似た

カスタードクリーム検定が開始されました。




「パン屋さんって軍隊みたいなところなんだな。」




一日で工程の全てを覚えなければいけないという重圧で

極度に緊張をした私は前日、一睡もできませんでした。





なぜか得意だったカスタードクリーム作り


人間追い込まれると意外な能力を発揮することがあるように思います。




寝ずに必死に工程を頭に叩き込んだおかげか、

なぜかカスタードクリームは一度目からうまくいきました。




私のカスタードクリームの工程を見て、

辛口の五十嵐さんが、


五十嵐さん「工程は一応大丈夫だったけど、問題はカスタードが冷めてからの味よね。」


としぶしぶ味見をし終わった後、


五十嵐さん「ま、まあお店に出せるレベルかしらね。」



と言ってくれたのを聞いて私は

初めてパン屋に入って達成感を得たような気持ちになりました。




ちなみにカスタード作りは

人によって味がガラリと変わる奥深いクリームです。




カスタード作りはパン作りの中でも、

今でも私の得意な仕事の一つになっています。





私のパン作りに多大な影響を与えた店長との出会い


私のパン屋での仕事は、

店長や五十嵐さんからのきつめな指導も手伝い、

どんどんこなせるようになっていきました。




サンドイッチからカスタードクリーム作り、

その他の仕事も順調に覚えてきた入社から2週間がたったある日、

"このお店での私にとっての転機" が訪れます。




今までいた女性店長に代わり、

新たな "男性の店長" がお店にやってくることが

決まったのでした。




この店長との出会いがその後の私のパン作りや講師をする上で、

多大なる影響を与えることになります。




いつものようにカスタードを炊いていた時、

その片山店長(仮名)が話しかけてくれます。



片山店長「卵の黄身はお砂糖を吸収するから、砂糖を入れたら直ぐに混ぜることでもっと味が良くなるよ。」



という言葉をくれたのですが、

私にとってはこの言葉には正直、びっくりでした。




なぜなら今までの教えられ方は




"見て覚えろ"




が基本で、味に関することも

理論的な教えられ方を一度もされたことがなく、




「パン職人の世界ではそれが普通なのかな。」




と思っていたところだったので、

全然違った教え方をしてくれたことに



「こんな職人さんもいるんだ。」



と嬉しくなったことを覚えています。




「この人からもっとパン作りの技術を吸収しよう。」




「この人のレベルまでなりたい。」




私のこのパン屋さんで働く目的が

はっきりとしていきました。




この日から私は片山店長直々に

パン作りを教えてもらうことになります。




そして




"本物のパン職人とは何か?"




を知ることができました。




圧倒的なパン作りのスキルもさることながら、

一番嬉しかったのは、片山店長の強いパンへの愛情のかけ方です。




それは私が就職を決めた面接の日、

"社長から感じたもの" と同質のものでした。








本物のパン職人とは何かを知る


片山店長は、その道20年のパン職人で

ご実家も製菓店を営んでいることもあり、

パン作りに対して深い情熱と知識を持った方でした。




それまで私はカスタードクリームを作るやり方を

五十嵐さんからは、見て覚えるように指導されていたのですが、

片山店長は違います。


片山店長「モノづくりは一つ一つの工程に必ず理由がある。」


ということを常におっしゃっていて、


片山店長「今なぜその仕事をしているか考えて仕事をしなさい。」



というふうに指導をしてくれました。



片山店長「卵をかき混ぜて砂糖を入れたらすぐ混ぜるのは、黄身が砂糖を吸って舌触りが悪くなるため。」


片山店長「粉と卵液を混ぜる時はしっかり混ぜてしまうとグルテンが出て粘りがでてしまうからゆっくり混ぜる。」


など、一つ一つの工程で理由をつけて教えてくれます。

しかも正解をいきなり言うのではなく、



片山店長「どうして卵を先に入れるんだと思う?」



といったように先ずは私に考えさせて、

その後に正解を言ってくれるという教え方をしてくれるので、

一つ一つの作業の理由がお腹に落ち、

どんどんうまくなっているという実感が持てます。




五十嵐さんや女性店長のような

旧来のパン職人の




"見て覚えろ"




といったような教え方ではない、




"その先にいるお客さんのことを思い、

常に少しでもより良い物になることを念頭においた指導方法"




に私は、



「この人が本物のパン職人だ!」



と思いました。




片山店長との出会いは、

その後開いた自宅パン教室での生徒さんへの指導の仕方、

パン屋さんを開業することになった時の従業員さんの指導方法に

生かされることになります。




ある日、片山店長から従業員全員に

一冊の本が手渡されたことがあります。




"パン「こつ」の科学"




という本だったのですが、

そこにはいつも店長が一つ一つ言っているようなことが

理論的に書いてありました。




この時くらいからでしょうか?




"私が教えたいパン教室での指導方法、コンセプト"




というのがぼんやりと見えてきたように思います。




パン作り、特に職人の世界では、

見て覚えることだったり、

長年の勘が重要視される傾向があります。




五十嵐さんや女性店長からの指導がそうでした。




しかし、片山店長から教えてもらうことになった途端、

私自身が物凄く成長の実感を感じれたこと。




作業の一つ一つにはちゃんと理由があって、

その事を教えてもらえることの重要性。




私が自宅でパン教室を開いても、

きっと生徒さんもこういったことを知りたいに違いない。




そのために、




「パン屋さんで細かい一つ一つの作業の理由を身につけよう。」




「どんどん、片山店長に質問しよう。」




最初は苦痛でしかたなかったパン屋さんでの仕事も、

どんどん楽しくなり、そしてみるみるうちに

様々な仕事がこなせるようになっていきました。




教え方は重要です。




例え同じ時間でも教える人によって

教わる側の成長の実感というのは全く変わること。




片山店長に教えてもらったように、

なんてことなく見える工程にも必ず意味があって、

その事を生徒さんにひとつひとつ説明する。




そしてそのことが結果、美味しいパンが焼けることにつながっていく。




私のパン教室のポイントの一つになっていったように思います。






道具の選び方、使い方


片山店長から教えて頂いたことは

多岐に渡ります。




生地の成形の方法、仕込みのやり方、

パン作りに対しての心構えなどなど、



様々なことを教わりましたが、

その中でも片山店長がこだわって教えてくれたのが、




"道具についてのこと"




でした。






片山店長「プロとアマチュアの一番の違いは何だと思う? "道具" だよ。」



店長の口癖でした。




例えば生地をめんぼうで伸ばす際には、



片山店長「手の位置が重要で力で伸ばすと生地を傷つけてしまうから中央から均等の位置に手をおいて均等に力で伸ばすと綺麗に伸びるよ。」


と言ったような道具の使い方の細かな説明をしてくれたり、

あんべら(ステンレス製のスティックみたいな道具)を使う時には、



片山店長「生地に対して水平に使うこと。そうでないと具材が生地に均等に入らないよ。」



といった具合にそれぞれの道具に合った

道具本来の使い方を指導して下さいました。



「道具の使い方一つでここまで変わるんだな。」



本当に毎日が目からうろこの日々。




私のパン作りのレベルは日を追うごとに

上がっていきました。






店長に指導を受けることで受けた弊害


私にとって店長から教えて頂くことは

すべてが宝物のように感じました。




「店長が持っているものは全て吸収しよう」




必死だったんだろうと思います。




ピッタリと店長にくっつき、指導を受ける毎日。




しかしそのことが

私と五十嵐さんとの関係をギクシャクさせることになります。




五十嵐さんは今まで、"見て覚える" というやり方で、

技術を習得してきた人です。




だからこそ、旧来のパン職人の教え方と

全く真逆な片山店長の指導方法が

面白くないと感じていたのでしょう。




五十嵐さんが、片山店長に教えを乞うようなことは

決してありませんでした。




同時に、後から入った私が、

店長からいろいろと教えてもらい、

しかもどんどん仕事ができるようになっていくことが

目に付いたのではないかと思います。




この頃から五十嵐さんの私に対する言動は、

日に日にきつくなっていきました。



五十嵐さん「これとこれとこれ、早くやっておいて下さい!」


五十嵐さん「なんでまだ終わってないんですかあ?店長と話している暇があったら仕事をして下さい!」



今までの仕事をしっかりと時間通りにしているにも関わらず、

ことあるごとに私に対する仕打ちはひどくなっていきました。




そして、五十嵐さんとの関係が壊れる決定的な出来事が起こります。




私は休憩時間に飲むコーヒーを入れる自分のマグカップを

お店に置いていたのですが、

ある日、五十嵐さんが私のマグカップを

落として割ってしまうということが起きます。





すると五十嵐さんが私に一言、



五十嵐さん「後で片付けますんでそのままにしておいて下さい。」



一言を残し、その場を去っていってしまいました。さすがにショックでした。




お気に入りのマグカップを無くした悲しさより、

誤って割ってしまったことにお詫びの言葉もなく、

しかも割れたままのマグカップをそのままにして

その場を立ち去った彼女に。



「そこまで嫌われる理由ってなんだろう‥‥。」


「私は仲良くやりたいのに‥‥。」



散乱したマグカップの破片を持ち上げようとした時、

あやまって指を切ってしまい、

私の指からは血が流れました。




そんな時、五十嵐さんが戻ってきます。



五十嵐さん「片付けてくれたんですかあ。後で私がやったのに。そんなことされたら私がひどい人間みたいに見えるじゃないですか。」


涙が出そうになりました。




思えば人からこのような仕打ちを受けることは

はじめてではありませんでした。




家具屋で働いていた営業時代、

仕事ができるようになればなるほど、

同僚のとの人間関係が悪くなっていき、

特定の人から攻撃されてきたこと。




その度に精神的に病んでしまっていたこと。




「でも今回は五十嵐さんとの関係を良くして、

お互いはたらきやすくなるように、

こちらから働きかける努力をしよう。」




「このような人間関係を作ってしまっているのは

自分が原因かもしれない。」




「五十嵐さんとの関係を良くして

今までの自分から抜けだそう。」




密かに決意します。





数年分の仕事を半年で身につけられた期間


しかし私の思いとは裏腹に、

その日をさかいに五十嵐さんの私に対する仕打ちは

さらに拍車がかかっていきました。



五十嵐さん「私は今日やることがあるので、加奈子さんは4時までにこれとこれとこれを必ず終わらせて下さい。」



次第に、カスタード作りから始まり、

プリンやホワイトソース、パンの成形まで

焼き以外のお店のほとんど全ての下ごしらえの工程を

私一人がしなければいけないような状況になっていきます。




五十嵐さんは片山店長に解らずに、

私に仕事を与えるのが上手で、自分といえば簡単な作業や

特に急ぎで必要がない作業を忙しそうにすることが日課になっていきました。




そんな時、

良くしてくれていた美和子さんが家庭の事情で

退社することになります。




会社を去る間際、美和子さんが声をかけてくれます。



美和子さん「私でも一日にそんなに多くの作業をしたことないよ。体大丈夫?」


美和子さんはこの時、ホールを担当していたのですが、

悲惨な私の厨房での様子を心配してくれていたんだと思います。



美和子さん「私はいなくなっちゃうけど、かなちゃんの体だけが心配だよ。」



優しい言葉をかけてもらった時、私は思いました。


「美和子さんでもやらない仕事量を私はやっているんだ!」


五十嵐さんに仕事を押し付けられていることより、

ベテランの美和子さんでもやれない仕事量を

入社半年で身につけさせてくれた五十嵐さんに

逆に感謝の気持ちを感じることができたこと、

パン屋で働いていることに誇りが持てた瞬間でした。




大変な毎日でしたが、

五十嵐さんが私に仕事を与えてくれなければ、

あれほど短期間にパン作りの技術を習得することは出来なかったと思います。






私の体に起きた異変


五十嵐さんとの関係を修復しようと色々と話しかけたり、

彼女から与えられた仕事をしっかりこなしたりしていたのですが、

そのことさえ彼女にはかんに触るようになってきたのかもしれません。




この時くらいから五十嵐さんのいらだちはMAXになっていきます。




冷蔵庫をバタンと強く占めるようになったり、

めんぼうを作業台に叩きつけたり、

ついには道具に苛立ちをぶつけるようになっていきました。




私は全ての仕事を一人ですることによる疲労と心労が重なり、

仕事中、胸が苦しくなりうずくまることが出てきてしまうようになってしまいます。




その度にタクシーを呼んで、

病院に通うという状況でした。




お医者様には、




「疲労とストレスがひどいので仕事を休んだらどうか?」




と言われました。




しかし、美和子さんがいなくなり、

私もいなくなれば、他のスタッフ、

特にパンを待ってくれているお客さんに迷惑がかかる。




どうしてもそれだけは出来ませんでした。






私を襲ったまさかの突然の怪我


美和子さんが辞めて一週間が立ったある日の休日、

当時付き合っていた彼(今の主人)と

リフレッシュも兼ねて釣りにでかけた時のことです。




重いクーラーボックスを車に載せようとした時、

誤って足をひっかけてしまいお尻から転んでしまいます。




"私のお尻に激痛が走りました"




あまりの痛さに病院へ直行。




私の尾骨には二箇所の骨折が見つかり・・、

あえなくドクターストップ・・・。




お医者様から二ヶ月の絶対安静が必要との診断を受けます。




なんとこうして私のパン屋さんでの仕事は、

尾骨骨折という突然の怪我により

幕を閉じなければいけないということになりました。






お店にユニフォームを返しに行った日


骨折してから数日して、退社を申し出ていた私は、

ユニフォームを返しにお店に出向きました。




その時に片山店長から言われたのが、

五十嵐さんからの伝言でした。




家庭のトラブルで加奈子さんにあたってしまったこと。

仕事で負担をかけたことに対する謝罪でした。




美和子さんと私がほぼ同時に辞めることになり、

私のやっていた仕事を今後は、

五十嵐さんがほぼ一人でやらなければいけない状況になり、

私のやっていたことの大変さを感じてくれたのかもしれません。




大変な6ヶ月でしたがしかし、

私が得たものは計り知れなく大きいものでした。




パン屋で働く前の自分と

今の自分では知識もスキルも考え方も、

180度違うと感じる私がいます。




本物のパン職人片山さんから得た

凝縮されたパン作りの技術、教え方。




五十嵐さんがいたからこそ身に付けることができた数々のスキル。

そして不器用な私でも仕事を任され達成できたことで感じた自信と誇り。




圧倒的に濃い半年間を終えられたことに、

清々しさを感じながら、

次のステップへと気持ちが高まっている自分がそこにいました。





Aクッキングでは生徒さんが溢れる


お医者さんには2~3ヶ月の安静が必要と診断されましたが、

Aクッキングの講師として働いてもいたため、

レッスンを休むことができず、



病気療養中もAクッキングでは座って生徒さんに教えたり、

他の先生にレッスンを変わってもらったりと

なるべく体に負担にならないよう努めました。




この時も




"組織に属すること"




の弊害を感じます。




尾骨の骨折は包帯を巻いているわけでも、

松葉杖をついているわけでもなく、

外観的には何ら健康の人と変わりません。




それゆえ、診断書を持っていって、

レッスンを一時的に休ませて欲しいと

責任者の方に申し出たのですが、

なかなか解って守られず、




「自分が休む場合には、他の先生を代理として立ててもらわないとレッスンは休めません。」




と言われてしまい、




なんとか座ってのレッスンの許可だけはもらい、

痛みを我慢しながらパン作りを教えていました。




痛みを抱えながらも私は、

パン屋さんで培ったことをレッスンに少し取り入れたりして

教え方を変えていきます。




"パン屋さんとパン教室でのパンの作り方の違い"




片山店長に教えてもらった、




"全ての工程には理由があるということ"




をレッスンに取り入れていきました。




すると私のそういったレッスンを受けたいという方や、

毎回リピートしてもらえる生徒さんがどんどん増えていき、



気づけば私のレッスンは、

いつも満員でしかも常連さんばかりという状況になっていました。




別に特別なことをしたわけではなく、

私が生徒としてパン教室に通っていた時に感じた

私自身が知りたかったことや、

教えてもらいたかったことをしていたに過ぎません。




いつからか私のレッスンは、

生徒さんから質問がどんどん来るようになり、

その質問に私が答えてその他の生徒さんも納得する。




レッスン自体に一体感が生まれ、

それを見た他の生徒さんがまた私のレッスンを受けてくれるといった

好循環が生まれていきました。






満を持して自宅パン教室を開業


Aクッキングで自信をつけた私は、

満を持して自宅パン教室を開業します。




それと同時にAクッキングの講師を辞め、

派遣のインテリアコーディネーターとして

内装メーカーで働き始めました。




まず働き始めた会社で二人の女性従業員さんに



「実は私、自宅でパン教室をやる準備をしてるんだけど興味ある?」



と声をかけさせてもらったところ、

2名の方が生徒さんになってくれて、

これが私のはじめての自宅パン教室のスタートでした。




そこでお教えしたのは、




"パン屋さんの経験を生かした大手パン教室では難しい

細やかな指導を心がけたレッスン"




生徒さんたちの意見を取り入れながら

レッスンやレシピの内容を変えていくスタイルのパン教室の形を意識して




"みんなでパン教室自体を作っていくというコンセプト"




で教室を進めていきました。




すると実際にレッスンを受けたくれた二人が、




「パンを作ったことがなかったのに、

美味しいパンが作れた。」




「レッスンが凄く楽しかった。」




といったことを会社に広めてくれたことで、

まわりの人も




「私も是非行ってみたい。」




と思ってくれるようになり、

気づけば一ヶ月後には、私のパン教室の日程は

全て埋まっていました。




有り難いことに開業からたくさんの生徒さんに恵まれたことで、

時にはインテリアの仕事が終わった夜にもレッスンをするほど、

たくさんの生徒さんに来て頂くことができるようになりました。





リピート率がほぼ100%になった


私のパン教室を始めた頃、

ホームページを持っているわけでも、

素敵な家に住んでいたわけでもなく、

集客という集客もしていません。




最初の二人の生徒さんをきっかけに、

紹介が紹介を呼んで、

生徒さんが増えていくという感じでした。




また、来てくれた生徒さんが

必ず次回のレッスンの予約をしてくれるおかげで

生徒さんが減っていかないため、



これといった集客をしなくても

居てくれる生徒さんたちを大事にするだけで、

運営ができていったというイメージです。




自宅の習い事というのは、




「少ない生徒さんでもその人達に満足してもらえさえすれば、

勝手に生徒さんは増えていくんだな。」




リピートしてもらうこと、

生徒さんに満足してもらうことで起こる

エネルギーの好循環を感じました。






生徒さんの満足度を上げる秘訣



「どうしてリピート率がそんなに高いのですか?」



とよく聞かれることがあります。




色々とあるのですが、

一言で言えば、




"生徒さんの居心地の良い居場所を作る"




ということでしょうか。




特に新規の生徒さんは緊張をしていますし、

次に来てくれるかどうかは、




"その緊張がどれだけ解せすことができたか?"




"はじめてのレッスンを楽しめたか?"




にかかっていると思いますし、

そんなことを常に気にかけているように思ったりします。




そんな感じで私のはじめての自宅パン教室は、

順風満帆に進んで行ったのですが、

ここでなんと私のパン教室に集まった生徒さんを

すべて手放さないと行けないという状況になります。




私はこの頃、結婚をしたのですが、

仕事の都合上、豊橋市に住んでいた旦那さんとは、

お互い離れて暮らしていました。




私の自宅パン教室は名古屋で行っていたので、

生徒さんを優先してそのような形を

とっていたのですが、



この時、私の妊娠が発覚。




子供のためにも両親である私達が

一緒に住んだ方が良いだろうと考え、

旦那さんの住む豊橋に移住することを決めます。




私のパン教室を楽しみにしていてくれる

たくさんの生徒さんを名古屋において

豊橋に移住することは私にとって、とても心苦しいことでしたが、

子供のことを考えると豊橋に行くのは

必然かなと自分を納得させることにしました。





顧客がほぼゼロになってしまった私のパン教室


豊橋に移住し出産後、自宅でパン教室を再開することになった時、

数名の方はなんと名古屋から豊橋まで、

遠い人では二時間以上かけて通ってくれる人もいたりして、

本当にありがたかったのですが、



それでも豊橋の地では一からの自宅パン教室スタートになり、

しかも子供が小さいので名古屋で行ったように、

仕事についてその職場から生徒さんを見つけてくることも出来ません。




そこではじめてホームページを作って

生徒さんを募集してみることにしました。




当時、豊橋の自宅パン教室で、

しっかりとしたホームページを

持っている方が少なかったこともあり、



ホームページを立ち上げた途端、

瞬く間に数人の生徒さんに来ていただくことが出来ました。




自宅での習い事でホームページを

持っていない方も多くいらっしゃると思いますが、

特にあまり個人でホームページを持っていないような

地域ではホームページを持つだけで集客は出来てしまうと思います。




「インターネットの力って凄いな。」




しみじみと感じたことを覚えています。




私はホームページを作ることは出来なかったので、

旦那さんにむちゃぶりしてつくってもらいましたが、

旦那さん自身もホームページを作ったこともなく、

出来上がったのは、素人同然のホームページでした。




しかし、ホームページを立ち上げて数ヶ月後には、

10人を超える生徒さんが

集まって頂くことが出来るようになりました。






私の子どもと同席しても良い人だけを募集した


豊橋でパン教室を始めた時息子はまだ0才で、

しかも抱っこかおんぶをしていないと泣き出す息子だったため、

パン教室中、誰かに預けるということが出来ませんでした。




そこで、ホームページにも

私の息子が一緒に居ても大丈夫な方を募集し、




「もしもお子さんがいるなら連れて来てもらって

一緒にパン作りをしても大丈夫ですよ。」




ということを明記しました。




すると子供が小さいがゆえに大手パン教室には通えない方や、

出産して間もないお母さんたちがたくさん来てもらえるようになりました。




生徒さんが10人くらい集まったころ、

名古屋で起こったような、




"リピート率ほぼ100%"




"そして習った生徒さんがお友達を連れて来てくれる"




という好循環が豊橋でも生まれ、

途中からはホームページでは新規の生徒さんの募集は

しなくてもよくなるということになっていきました。




私は名古屋でパン教室をやっていたときも、

豊橋で開いた時も集客で困ったことはありませんでした。




新しい生徒さんを集め続けるよりも、

来てくれる生徒さんの満足度をあげて、

毎月のレッスンに通ってもらうこと。




そして、その方々から紹介を頂くこと。




今いる生徒さんが毎月通ってくれていれば、

紹介により生徒さんは自然と増えていきますし、

無理して新しい生徒さんを募集する必要もなくなります。




生徒さんにとって私の授業が

毎月毎月楽しみ♪




と思ってもらってパン教室という名の居心地の良い空間に

参加しないと楽しみがなくなったような感覚を

持ってもらえるようにすることが重要ではないかと思います。






パン屋さんを開業


豊橋でのパン教室も紹介が紹介を呼び、

有り難いことにたくさんの生徒さんに恵まれ、

名古屋でしている時以上の教室にすることが出来ました。




そんな時、主人が縁あって、




障害者就労継続支援の事業所




を運営することになります。




障害を持った方を就労を通じて、

一般企業に就職するためのお手伝いをする仕事で、

その一環として、私にパン屋をやってみないかとの提案をしてきました。




そのような形で障害者さんの就労を訓練する一環として、

私はパン講師をしながらパン屋を開業することになります。




私は人間関係で悩んだり苦労したりしてきましたが、

仕事を通じて人によって救われたところがあります。




それなら精神的な問題を抱えていたり、

社会生活でどうしてもうまくいかない人を

今度は私がお役に立つ番ではないか?




そして、私のパン作りの技術は、

自立への道のいったんを担えるのではないか?




このようにして私のパン屋開業という

次の段階のステージの幕が開けることになりました。






女性として自立した今だからお伝えできること


ストーリーズで全3回にわたり、

私の幼少期〜パン屋さん開業までを書いてきました。




長くなりましたがお付合い頂きましてありがとうございました。




父の死によって "自立" を志してから、

男性社会にもまれ成績を出しつつも体を壊しながら働く中で、

次第に、"女性らしい自立" を目指すようになっていきました。




現在はパン講師、パン屋さんも卒業し、

私のように女性らしい自立を目指す方のお手伝いを

させて頂く側のお仕事をさせて頂いています。




女性としての自立とは、

男性に負けたくないと歯を食いしばり、寝る間も惜しんで

生計を立てていくことではないことを学びました。




そして今はそんなことをしなくても

女性らしく自立する方法はいくらでもあると思えています。




"男性に比べ時間の制限が多い女性として、
肩の力を抜いて時間を有効に使い、
自分の生活を犠牲にすることなく、
精神的にも金銭的にも自立して一生を過ごすこと"



これからもこのことが私が目指す未来であり、

そのことを目指す方を一人でも増やせればと

日々お仕事をさせて頂いております。




長文にお付き合い下さいまして誠に有難うございました。

私の経験が何かの気づきになれたのなら幸いです。






倉地加奈子

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