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13/6/2

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その6:中学4年生(第2回目)】

Image by Olia Gozha



ここ最近、Storys.jpに留学関係のストーリーが増えてきているのでは無いでしょうか。

私も留学生の端くれ、同じ世界というフィールドで闘う仲間(鼻で笑うところです)として皆さんの留学に関するお話を楽しく読ませていただいているのです。が。

読んでみると皆さん夢と希望に溢れ、どのような逆境にもその夢のためであれば負けない素晴らしい精神を決意を持っています。

そしてそのような文を読めば読むほど、私の人生とのその対極差に消沈してしまうのです。

例えば一つ引用させていただきたい文章があるのですが:

 

「このストーリーを通じて、あきらめない事の大切さ、夢を大きく持ち続けることの大切さ、自分を信じ切ることの大切さが、少しでも多くの方々に伝わればと願っています。」

 

イギリスに留学し、ケンブリッジ大学に入学された方のストーリーに記載された言葉です。

大変素晴らしいですし、実際その方のお話を読み、上記のことはひしひしと伝わってきました。

それに比べ、一体私のストーリーから伝わることは何でしょうか。

コラムスの中毒性か、スペイン語でダッチワイフは何と言うか。他に最近覚えた言葉といえばダンゴムシです。ダンゴムシ。Babosaですって。いつ使うんですかね。

これではただのSEGAとオリエンタル工業の、今流行りのステマ要員みたいです。それとダンゴムシのステマ。意味が分からない上に悲しくなってきました。

 

同じ地球に生まれ、同じように米を主食として食べ、そして同じように海外に出て行ったはずなのに、なぜここまで差が出来るのでしょう。

ていうかぶっちゃけどうやったあんなに頭が良さそうな文が書けるのか。

スタイリッシュな文章で自分の今までの努力や経験を皆様に送るストーリーに感動する傍ら、「フランス人は愛の火山である」だなんて謎の名言を書きドヤ顔しているバカ丸出しな自分のストーリーを読み、ノートパソコンごと火をつけて自分のStorys.jpのアカウントを抹消したくなりました(※ノートパソコンを燃やしてもアカウントは消せません)。

 

私と彼らの違いとは一体何なのか。

悔しかったので彼らのストーリーを分析したところ、一人の方は留学前に東大受験をされていて、もう一人の方は国際バカロレアを取得されていたことが明らかになりました。

結論、それは地頭の良さ。神なんていないんや。

余談ではありますが、今まで私はWikipediaで3,4回ほどバカロレアの項目は読んだことはあるのですが、未だバカロレアが結局何なのかすら理解できていません。

受けるとか取得以前の問題です。

Wikipediaの編集に問題があるのか、はたまた私の頭に問題があるのか、真実は闇の中。

 

このとおり、自分が世界に自分のバカさを発信しているという事実に私は大層凹みはしたのですが、彼らのお話を読み、あきらめない事の大切さ、夢を大きく持ち続けることの大切さ、自分を信じ切ることの大切さを学びましたので、めげずにこれからもバカ丸出しな話を書いていこうと思います。サーバーの無駄遣いだなんて信じない。

できることならば彼らのストーリーをここで紹介させていただきたいのですが、向こうからしたら大変迷惑だと思いますので、自重しておきます。

 

 

さて

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、今回は中学4年生(第2回)のお話でしたよね。

この学年では、私の人生に大きく影響することとなった人に2人出会いました。

アニータちゃんと、ビクトルくん。両方ともにクラスメイトです。

 

アニータは女の子なのですがモヒカン頭がトレードマークで、人でも殴り殺せそうなSex  Pistolsのゴツい指輪が似合う大変パンキーな子でした。

このような風貌ではあるのですが、クラスで一番私の面倒を見てくれた子で、機会があれば常に「さきー!」と声をかけて遊びに誘ってくれていました。

彼女のおかげで中学4年の間をなんとかめげずに過ごせたのだと思います。感謝しています。

 

もう一人の男、ビクトルはぶっちゃけてしまいますと私が恋していた人です。

あ、でもこんなことを書いたら彼氏に嫉妬されちゃうよ(>_<;)

と言いたいところなのですが、そのような存在は皆無なので、何もかも赤裸々に語ってしまいたいと思います。

全ての国民に与えられた発言の自由に、かつてこれほどの虚しさを覚えたことはありません。日本国憲法も考えものです。

 

この当時、スペイン語はやっぱりまだまだ分からなかった私は先生の問いかけにも満足に答えれずに、色々な人から「Sakino lo entiende」と言われていました。訳すと「さきは分かってないよ」。

この動詞の部分entiende、原型はentender、英語で言うunderstandにあたる言葉でして、私はこの動詞が大層嫌いでありました。

「理解してない」と言われるたびに、なんだか私の知能に問題があると思われているようで、頭は正常なのに、ただ言葉を知らないだけなのに!と心の中で悔しく思う日々。

そんな中このビクトル、唯一「Saki no lo sabe」と言ってくれる子でした。

この文、日本語に直すとやっぱり「さきは分かってないよ」なのですが、使われている動詞Sabe(saber)は英語にするとknowになりまして、つまりどちらかと言うと「理解していない」よりは「さきは知らないんだよ」という意味合いが強くなるような気がします。

ビクトルが私の気持ちを考えて言葉をチョイスしてくれたわけでは無いとは思うのですが、彼がそういった言い回しをしてくれたのがその時はとても嬉しく、そこから意識しているうちにあれよあれよと好きになっていました。単純ですけど、なんとも甘酸っぱい話であります。

 

ラブ・イズ・ブラインドとはよく言ったものでして、それからはもう朝ビクトルに「おはよう!」と言われるだけで夜まで有頂天。

携帯番号を教えてもらった日は興奮して走って家まで帰りました。

しかし恋とは常に切ないもの。このビクトル、大変アニータと仲が良く、常に一緒にいたので私はなんだか複雑な思いでした。

ビクトルもアニータも大好きでしたので、2人が一緒にいると嬉しいけどなんだか悲しい。どっちに嫉妬しているのか、はたまた2人の間に入っていけすらしない自分の情けなさが悔しいのか。


泣きながら盗撮した二人。 


いざこうして書き下してみるとなかなか良い感じに切なく、この3年間の青春はドブに捨てたものだと思っていた私今なんだかドキドキしています。

結局ビクトルには恋心を1年間抱き続け、中学4年が終わった時に、最後のパーティーで勇気を振り絞って告白してみたのですが、他に好きな人がいるからと言う事で私の恋はあっけなく終わりました。

スペイン語での告白の仕方がいまいち分からずに、今までロクに話もしたことが無かったのにも関わらずいきなり「Tequiero(愛してる)」と言ってしまったのが今思い返しても恥ずかしいところです。

いくら情熱の国と言えどもパッション込めすぎです。多分ビクトル内心ドン引きだったのではないでしょうか。

それから家に帰り、もうこれ以上人を好きになることなんて人生であるはずが無いとベッドで号泣しまくった訳なのですが、あの夜の私に言ってあげたい、「言うてお前その失恋あと3日もしたらすっきり忘れるけんの」と。

熱しやすく醒めやすい女でございます。

 

友達もほぼいなかった中学4年、特に思い出など何もなく終わります。

1年間もあったのに、1記事で終わってしまう。内容無さすぎです。

強いて言えば、この年から周りと同じように授業を受けてテストもするようになったので、ひたすら勉強にヒーヒー言っていたんではないでしょうか。

教科書を開いて勉強しようとしても、まず教科書が何を言っているかがさっぱり分からない。

しょうがないので分からない言葉を訳していくのですが、なんせ3つの単語のうち1~2個分からないレベルなのに、1ページ訳すだけで1時間を消費してしまう。

それが試験の範囲分…。もはや白目を剥いて辞書を捲っていました。

ちなみに、私今でも電子辞書は持っていません。紙辞書のほうが良いと聞いたので言われるままに3年間使ってきたのですが、真相はどうなのでしょうね。

 

ここまで書いて思い出した、もう一つありましたインパクトの凄い出来事。

私の行っていたマリキン高校、言ってしまえば結構なDQN校だったようで、校門の前でタバコを吸う生徒にライターを借りる教師の姿、なんていうのも普通の光景でした。

それ故か授業内容も個性的で、一番謎だったのが「Mantenimiento de Vehículos」の授業。日本語に訳すと「自動車整備」です。

DQN校と言えども、マリキンは別に工業高校などでは無かったはずのに何故か存在したこの授業、選択制だったので選ばなかったのですが、何故か名簿に私の名前があったせいで1年間受ける羽目になってしまいました。

 

内容といえば、ペンチやドライバーなどの種類をひたすら覚えるだけ。車には一切触りませんでした。

あまりにも謎すぎる授業ゆえか、転校した先の学校で皆に話してみても「自動車整備とか初めて聞いた」だの「いやそれは技術の時間でしょ」だの言われ、挙句の果てには「そんな授業あるはず無い、きっとさきがストレスで幻覚でも見ていたのだろう」とまで言われる始末。もしかしたら私は長い長い夢でも見ていたのでしょうか。

 

告白させていただきますと、私この授業で生まれて初めてカンニングをしました。

工具だなんて露ほど興味も無いものの名前をひたすら覚えるという行為が苦痛すぎて、テスト当日になっても記憶はあやふや、仕方が無いので手の甲に日本語でつらつらと。

案の定テスト中、先生に「何それ」と突っ込まれたのですが、「か、買い物リストですぅ・・・」ときょどりながらも華麗に誤魔化しました。

そうまでして受けたテストの結果、1点。いくらなんでもギャグすぎます。私の中での滑らない話の鉄板ネタになりました。

ついでにこのテスト、「この形のネジを取るためには、貴方はどのドライバーを使うか」というクソほどどうでもいい問題がありまして、答えが分からなかったので「ドライバーはいりません。手で取ります。」と書きましたところバツでした。

生徒の一意見に耳を傾けない教師。現代社会の闇です。

 

とまあこんな調子でして、テストはボロボロだったのですが、最終的に先生から「いいか、お前が合格したんじゃない。俺がお前を合格させてやったんだからな!」と言われ、謎の屈辱を受けながらもなんとかパスすることが出来ました。

 

他の教科は、幸運にも先生に恵まれまして、無事留年することなく中学4年を終わらすことが出来ました。

自宅に呼んでくれたり、映画に連れて行ってくれた担任の英語担当マリマル先生、特別に個人授業をしてくれた歴史のペドロ先生、最後に手編みのレースの刺繍をくれたマリア・アンヘル先生…。どの先生も、未だに顔を鮮明に覚えています。

本当に、お世話になりました。

 

そしてこの頃にちょうど姉がスペインにやってきまして、中学4年を6月に終了と共に、ガルシア家に涙の別れを告げ、今現在住んでいるアンダルシアのマラガというところにお引越し。

スペインに来て2度目の、長い夏休みが始まります。

あ、万一今までのストーリーについて「ここはどうだったの?」などの質問がありましたらどしどし受け付けますので、ドンときてください。

 

余談なのですが、私5月31日を持ちまして遂に高校を卒業しました


卒業アルバムの写真なのですが、なんだか生前に何の未練も無い人の遺影みたいですね。


とりあえずお祝いで飲んだのですが、羽目を少々外しすぎたのか生まれて初めて酒で記憶を飛ばしました(※スペインでは飲酒は18歳から法的に許可されています)。

さあ二日酔いも治ったところで、これから2週間後にまずスペインでのセンターを受けまして、それから日本に帰って予備校生です。

現実から逃げたくてしょうがありません。こんなハードスケジュール、勉強嫌いの名が泣きます。

 

というわけですので、不本意ではあるのですが恐らくStorys.jpともしばしの間お別れの可能性大です。

一ヶ月以内にまたストーリーを投稿できたらなとは思っているのですが。

皆さん、お達者で。




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