毎日が灰色だった。
がんばってもがんばっても、夢には近付いている気がしない。
このまま続けていても、望む人生は送れないのは明白だ。
かと言って、辞める勇気も湧いてこない。
親友は起業し、会う度に新しい仕事をしているし、同級生は芸能界でいつしか有名人になっていた。
わたしは、なんで店長なんだろう。
「こんなはずじゃなかった」
そう考え続ける事は苦し過ぎて出来なかった。
いつしかわたしは「これがわたしの天職なんだ!」と決め、望む現実から目を逸らし、自分を納得させる為に必死で働いた。
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子どもの頃は大きな夢があった。
自分にしか出来ない仕事をして、大好きな人と結婚すること。そんな在り来たりの漠然とした大きな夢。
2001年中学1年生の二者面談。
「将来は何がしたいの?」という担任の問いかけに「世の中の人を笑顔にしたい!」と答えたわたし。
担任は「お笑い芸人にでもなるの?」と笑った。
その頃は漠然と「サラリーマンにはなりたくない!フリーランスがいい!だってかっこいいじゃん。」と思っていた。そして小学生の頃から大好きだった下着の仕事に携わりたいと考える様になった。
時は流れ、2008年20歳学生だったわたしはボランティア活動をしていた。
相変わらず、自分にしか出来ない仕事をして、大好きな人と結婚すること。そんな大きな夢を抱えながら、周りの大人達に自分の望む未来を話すのが日課だった。
「下着の仕事で起業して、いずれチャリティ活動がしたいんです!」
そうすると、大人たちは口を揃えて
「若いのにしっかりしていてえらいね。」
「自分がそのくらいの年の時は何も考えていなかったよ〜」
「君は成功するよ!」
そんな事を言ってくれた。
でも、起業や自分がチャリティを立ち上げる為の行動は何1つ起こせてなかった。
そう、ただ考えていただけだった。
ただ考えていただけの20歳そこそこの女の子に起業もチャリティも出来るわけなく、どんどん「これからどうしよう」と不安が積もっていった。
当時は実家に住んでいて、両親も一般企業への就職をツヨクツヨク望んでいた。毎日毎日毎日喧嘩の絶えない日々が続いた。
そんな毎日に疲れきっていた頃、学生時代アルバイトをしていた下着メーカーの人事担当者より電話が入った。
「中根さん、急遽大宮で人が足りなくなってしまい、すぐ仕事を始められる人を探しているんだけど、、、アルバイトじゃなくて、社員なんだけど、起業したいって言ってたもんね?やっぱり無理かな?」
その時になんと答えたかは覚えていない。でも数日後には《入店前教育》の為、初出勤していた。
指定された部屋で待っていると、いかにも大手企業の教育担当という出立のどっしりとしていて感じのいい女性が部屋に入って来た。
その日は、会社の社訓や理念、接客の心得、採寸方法を学んだと思う。
家に着き、玄関に入ると母がいた。
「◯◯◯◯(会社名)はどうだった?(♪)」と言われた時
涙が溢れて止まらなくなった。
もう20歳を超えてるのに、親の前で泣く娘を見て「何よ〜、まぁ、慣れない場所に行くと疲れるのはしょうがないわよ〜」と言ってたけど
今だから、はっきりとわかる。
あの時、わたしは私自身を裏切った。
本当はやりたい事があったのに、周りの目を気にして、考えるのをやめ、簡単に人から認めてもらえる、無難な道を選んでしまった。
玄関で泣いた日以降、入社を後悔して泣く事は無かった。
お店に立つ事が始まってしまったら、適度に楽しく、しばらくは辞めたいと思う事も無かった。
それでも、この6年間はなんとなく灰色がかった日々だったように感じる。
入社3年が経った頃、店長になった。灰色の日々は続いたが、辞めづらくなった。
25歳〜26歳だった。
もう、昔描いてた夢を忘れ掛けながらもいつか起業する事を夢見ていた。
でも、全く将来のイメージが付かない。わたしがこのお店から離れる事も、起業する事も…。
なんだか居ても経ってもいられなくなって「先に結婚したらどうか?」と考えて、行動した。
でも、これまた心は正直で「この人と結婚する」