「ラップかっこ良かったですよ」
ドアを開けた途端に聞こえたその声がどこからのものかも一瞬分からなかった。けれど声は紛れもなく今開いたばかりのドアの前に立つ女性の口から放たれていた。あ、ありがとうございます、と俺は弱気な返事を返して、入れ違いに外に出る。振り返って、「腐ってもみかんって名前でツイッターとかやってるんで、良ければ見てみてください!」と叫ぶと、「チェックしときます」と笑ってフロアへと消えていった彼女の横顔を、俺は今でも鮮明に覚えてる。去年、丁度夏が始まる予感に街が浮き足立っていた頃のことだ。
けれど、それからほぼ一年経つも、未だに彼女からアカウントがフォローされた気配はない。分かりきっていたことだが、あの時やはり無理にでも追い掛けて直接連絡先を交換しておくべきだった。でもその時俺は友達と一緒で、何だかそういう必死な姿を見られることが屈辱だった。そういうクソみたいな見栄の所為で、俺は今までどれだけのチャンスをドブに捨ててきたか知れない。覚えている最も古い記憶は、母親に怪獣のおもちゃを買ってやると言われて、けれど何が欲しいかを決めあぐねている内に母親の機嫌を損ね、「早くしなさい」と急かされたことに腹を立て「じゃあもう要らない!」と言って結局おもちゃを買ってもらえなかったことだ。小学生には上がっていただろうから、多分6歳くらいの頃だと思う。その次は、恐らく小学5年生くらいの頃、教室で自分の席がなくなったことがあった。何故なくなったのかは分からないが、誰かがどこかへやったのだろう、椅子は独りでに動きはしないのだから。となれば、その動かした人間が悪いのだ。そいつが椅子を返して謝って来るまで俺は立ったまま授業を受けると、余りの椅子をわざわざ探して来てくれた級友の親切を無下にして我を通したが、その結果何が得られたかと言えば何も得られなかった。結局先生に叱られて、不承不承俺はその予備椅子に座った。
と、一事が万事こんな調子で損ばかりしてきたが、それもこれも自業自得である。一体俺は誰に向けて何の為にこんな無駄な意地を張っているのかと不思議になるが、これはもう性分と思って諦めるより外にないらしい。そんなこんなですくすくと健康優良デクノボー道を歩み、18歳の時に初めてマイクを掴んで人前でラップをした。中学の頃にKICK THE CAN CREWを聴いて、それまでヒップホップに抱いていた「ヤンキーが親父ギャグ言い合ってるとかどんな地獄だよ」という偏見が完全に覆されて、俺はラップにのめり込んだ。どんな体たらくだって、マイクを掴めば武器になる。ラップはまさに弱者の牙だと思った。
思って、それで気付けば10年経っていた。俺は今でもラップが好きで、人前に立ってラップしている。でもまとまな音源はまだ一曲もない。トラックがないからとか言い訳を重ねていた内に世間はもう一回りしてフリースタイルブーム。フリースタイルのできるラッパーなんてザラに居る中でそれができたからって注目される訳でもない。大学を卒業したらもう、リリックに書けるようなファンタジックな"リアル"なんてどこにもなくて、ひたすらに泥臭い日常がどこまでも拡がる。それでも、いやそれだからこそ、今更マイクを放せる訳がない。どうせもう戻れる場所なんかどこにもないなら、この場所で生きるか、さもなくば死ぬかだ。そう思ってステージに立ったいつかのオープンマイクで彼女に会った。一目で美人と分かる目鼻立ち。さしずめ、「誰だってロケットがロックする特別な唇」?まだ小学生だった90年代のリアルは三十路手前の2010年代半ばを過ぎてもまだまだ色褪せていなくて俺はその場で踊り出しそうになった。その場で踊り出していたら、もしかしたら今頃俺はこんな文章書いていなくて済んだのかも知れない。けれど踊り出せなくて、名前も知らない彼女の横顔だけを未だに夢に見る俺は、とにかくかっけえラップして、誰より目立たなくちゃいけない。待ってろよ、ぜってえもっかい見付けられてやるから。