top of page

17/2/13

英語のできない僕が外資系を渡り歩いた結果(1)~英語できない人間でも外資系イケるの?

Image by Olia Gozha

2017年の就活も始まるので自分の過去を振り返る

10数年前、リーマンショックなんかよりも前に、僕は就職活動をした。インターンもまだまだ一般的ではなくて、今よりずっと就活環境はよかったかもしれない。ただ、外資系の投資銀行や戦略コンサルティングファームで仕事をするとは就職活動時代には全く思わなかったし、多分社会人1年目にも次のキャリアが戦略コンサルだとは思ってもみなかったことだ。このサイトを見る就活生や転職者などにも、自分自身の今後のキャリアを考える上でも、年度末に向けて、一度自分の中にあるモノを棚卸しをしてみようと思う。

偶然、しかし結果オーライの外資系企業への就職

就職活動を始めたころは、英語の苦手な自分が外資系企業で働いているなんて思いもしなかった。そういう意味では自分の未来はまったく分からないもんだと思う。この前、大学時代に所属していたゼミのOB会で、なんで外資系で働いているんですかと聞かれて「偶然…」と答えたのだけれど、本当に偶然でしかなかった。ただ、防衛機制が働いているだけかもしれないけれど、結果としてこれは間違っていなかったと思っている。というのも、いわゆる日系企業で働いている友人の苦労話を聞くにつけ、あぁそれだと自分は耐えられそうにないな、と思ってしまうからである(そもそも苦労話を聞いているので”隣の芝生はハゲている”理論になるだけかもしれない)。また、そういう自分の特性を、当時の面接官の方々が見極めてくれたのではないかとも思っていて、感謝している(誰だったかは覚えていないけれど)。

就活の最初は日系企業に行こうと思っていた

もともとD証券グループに行こうと思っていた。そもそも中学校3年生から株式投資を行なっていたし、ハゲタカというドラマの影響などもあって、証券業に強い関心を持っていた。D証券は夏・冬2回もインターンシップに行っていたし(1回は大学推薦の非公開コースともう1回は公開されているIBコース)、その時にまったく悪い印象は受けていなかったので、Dでまったりやっていこうと思っていた。そんな中、外資系がどうやら流行っているらしいと聞き、面接も早い段階から受けられるので、本命の企業を受ける前の面接の練習として受けておこうと思っただけである。そして大学3回の夏、外資系企業のインターンシップは完全に落ちた。

唯一僕をインターンで受け入れてくれたD証券グループ。あそこには非常にお世話になった。夏と冬、2度もインターンとして受け入れてくれるところなんてないのではないだろうか。

夏のインターンは大学推薦によるものだった。当時、大学にD証券グループの寄附講座があり、そこでインターン生の募集があった。内容はD証券グループ内の会社から選べる形になっていて、滞在場所保証・昼食補助あり・給与なし・1ヶ月の長期コースとなっていた。コースはその寄附講座参加者のためのコースで一般のものとは違った。一般のインターンは最大2週間で短く、その寄附講座のコースの方が充実しているとのことだったので、僕はすぐに申し込みのためのエントリーシートのようなものを書いて出した。そして数日後には参加が決まった。どうやら当時はインターンが今ほど普及しておらず、希望者が少なかったため、超低倍率であったらしい。そして僕は自分の希望であったアナリストを見たいという希望を伝えた結果、株式調査部に2週間、債券調査部に2週間行くことになった。

インターン中は昼のご飯は社食のチケットを渡されていて、それを使って食べることができた。また、滞在場所は役員向け社宅であり、駅近で良い物件だった。朝と夜のご飯もついていた。課題は自由研究のようなものがメインとしてあったが、どちらかというとランチタイムの社員との交流、それから夕方の社員から金融に関する授業があり、その部門の業務と基礎知識について新卒社員の研修ように学んでいた。夜はいつも早く帰してもらえたのだが、寮のご飯は食べずにAKB劇場に足を運んだりしていた。当時はまだ全く売れていなかったため、会社の後に開演直前でも満員にはなっておらず、ふらりと見ることができた。そうして1ヶ月の間、東京生活を満喫した。その後、冬になって、僕は今度は一般の枠で面接を受けた。「夏は調査部を見ました。次はM&A部門の方を見たいです」そう主張したら合格。インターンに行けることになった。そのインターンが終わった後、中華料理店に呼ばれ、あとは最終面接だけ受ければ内定がもらえるという話を聞いた。

戦略コンサルティングファームは合わないと思って寝ブッチした

さて、夏に採用試験を受けた外資系企業は、P&Gと外資戦略コンサル6社と外銀1社だけだった。大学3年の夏だった。一番最初だったP&Gはインターン手前で落ちた。戦略コンサル1社は試験で落ちた。また別の1社は1次で落ちた。2社は2次で落ちた。4社に落ちたこの段階で「コンサルの面接は細やかなロジックの積み上げで自分の性格に合わない、ツライ。ここは自分のいく場所ではない」と思い、あとの2社はES通過後の1次面接を寝ブッチ(=用事もなく、ただ寝て、試験をドタキャンすること)をした。コンサル各社はその後、2度目は受けることはなかった。しかしその後転職先として選び、働いたのは寝ブッチしたひとつである(入社後に確認したが、新卒の時の面接などは一切記録されていなかった!)。

←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page