【第12話】 失望のうしろにチャンスあり!
A が新メンバーに加わって。
再び楽しい日々が復活したんだ。
横浜の・・ 赤レンガ倉庫で写真撮影したり、ポスター作ったりね。
ストリートにも復帰した。たくさんのファンが待ち構えていてくれて。
「パン・パン・パーン !!」
スゴイ爆竹の音が鳴り響いて、ドキッとして振り返るとそこら辺の道路で また大量の火薬が爆発してさ、
「何だよ、ウッセーな!」
ちょっとムッ、と来たんだけど よく見てみればファンの連中の仕業。せいいっぱいの、歓迎の挨拶だったんだよね、彼らなりの。
A は、ファンにも スッと受け入れられた。
トミノスケを贔屓(ひいき)にしてくれていた連中も、大体はメンバーチェンジに理解を示してくれて。そりゃあ、少しは離れてくファンもいたものの、大方 新しいバンドを応援しよう、って気持ちを切り替えてくれたんだ。
サウンドがロックっぽく変化して、この辺りからバンドやってる、っていうファンも増えてきた。
音楽やってる連中にもアピール出来るバンドになってきたってことだろうな。
毎週日曜日はストリート。ライブハウスは「原宿クロコダイル」のレギュラー・バンドになっていたし。その他にも沢山のライブハウスに出演した。
どこ行っても超満員。ライブハウスをぐるりと囲んでお客さんの長蛇の列が出来たりした。チケット・ノルマなんて関係なくなったんだ。 一晩で何十万もギャラもらってたよ、いっつも。店側もそれだけオレ達に払ってもウハウハだったからね。
地方のライブハウスにもツアーに行ったり、イベントのゲストに呼ばれたり。
雑誌にもしょっちゅう載ってたしね。
アマチュアだけど、勢いがあった。
でもそのうち・・・
あのさ、グループに大事な物は何だと思う?
それは、感性が同じってことだ。
どんなバンドが好きで、どんなサウンドにしびれるか。
ある物を見て、いいと思うか 悪いと思うか?
勿論、いろんな意見があっていい。反対の意見だって飛び出すだろう。でも、根本。ほんっ、とのスタートラインは同じじゃないと。そこの所で違うベクトルを向いている者同士は、やはり いくら努力しても苦しいだろうね。
経営者と組合の幹部は、対立せざるをえないだろ?
ジーニアスっていうのは、そういうグループだったの。別のベクトルの者同士。
もともと 音楽の好みが同じで集まった訳じゃない。
それどころか、ずっと音楽をやってた連中と、そんなのまったく知らなかった「芝居志向の人間たち」が、ある日突然くっついて、次の日からわけもわからず激しく活動していた。
気がついたらブームが起こり、たくさんのファンに囲まれ・・・ 状況の方が、五歩も十歩も先を行っちゃってる。
まあ、全ての犯人はオレだよ。
オレが自分のイメージを形にするために、無理をしたんだ。でも、その無理がたたってガタがきて、方々にほころびが見えはじめた。
そんなバンドを、それでも再びまとめようと・・ 変わったイベントライブを企画した。
「 金網越しの DOWN TOWN 」というエンターテイメントのライブショー。
六本木の「アトリエ フォンティーヌ」っていう芝居小屋で、ステージに金網を張りめぐらし、前面にバイクをセットし、マイクを取り付ける。一階と二階にステージを作り、立体的に見せて。照明にも凝ったりしてね。
そう、昔、オレがスリムを見て。もっとバンドに近い形でやってみたい、と思っていた構想を実現させたんだ。言ってみれば、バンド以上、演劇未満という試み。
「えー、こんなのバンドじゃないよ」
案の定、メンバーは、あまり乗り気じゃない奴もいたけど、これが予想以上に客にウケた。
「楽しい」
「すごく新鮮だ」
って、盛り上がった。
バンド内部の軋轢を感じているのか、なんとなく元気が無かったファンに 再び熱狂が戻ったんだ。アメリカでグリースを見て、日本でミスター・スリムカンパニーにしびれて、でも本当はバンドがやりたくて。自分なりのロックバンド。エンターテイメントのショーを模索しながら、何度も失敗して。やっと。自分の頭の中だけにあったイメージを形にすることが出来た。そういうステージだったんだ。
テクニック的にもね、もう単なる「おまつりバンド」とは言わせない。
その証拠に、バンドやってる奴らもオレたちに心酔してる奴、多かった。
知り合いのバンドの奴が、メンバーの家に遊びに行ったんだって。そうしたら、ジーニアスのポスターが貼ってあって。
「今、俺 このバンドに夢中なんだ。しばらく自分のバンド活動をやる気が起きない。ジーニアスのことしか、頭にないから」
って言われたって。
「自分たちのバンド活動まで邪魔しないで下さいよ」
って笑ってたけど、冗談ヌキで それぐらいの影響力があった。
ロックンロール・ジーニアスはもはや、いつデビューしてもおかしくない「知る人ぞ知る」バンドになってたんだ。
音的にもパフォーマンス的にも充実していた時に、あの「アトリエ フォンティーヌ」のライブでしょ ? そりゃあ 受けるさ。外人もたくさん見に来てた。そういうライブだった訳。「 金網越しの DOWN TOWN 」ライブは。
そんな感じで 客席の雰囲気は最高だったんだけど、ステージ裏は正反対の空気に包まれていたな。
マコトは別の楽屋を作っちゃって、彼女と2人で孤立し、もう他のメンバーとは口も聞かない。「イングウェイ マルムスティーン」って感じで、わがままミュージシャンに徹していた。オレはグラハム・ボネットの心境だったよ。孤独・・
ヒカルは いつの間にか そんなマコトのコピーみたいになっていたし。トモコ チビ太は二人のギタリストに責められて、いつもびくびく 暗い表情をしていた。
技術がピークに達した頃、内部の人間関係が最悪になるーー
バンドには ありがちのことだね。
オレの経験では、バンドの旬は三年。三年だと思う。
三年の間に、バンドカラーを作り上げて、勝負出来れば オイシイ話にめぐり合い易い。メンバーの気持ち的にも、そのぐらいが 一番シックリしてて、お互いのサウンドを認め合ってて楽しいし、ね。
オレたちは この時、もう五年が過ぎていた。
何にも無い所から作り上げてきたから、当然といえば当然だけど、時間がかかり過ぎたんだ。五年というのは・・ 特にお互いの好みがチグハグなバンドには、ヤバい年月だった。
ファンにあれほど支持されたライブも、メンバーにとっては「こなさなきゃいけない ノルマ」だと思われていたようでね。
「ああ、もう一度ハッピーになろうとしてやった事が 裏目に出てしまった・・・・」
オレもさすがに落ち込んじゃって、イベントライブが終わってから
「もう こんな思いはイヤだな。いっそ解散するか」
そう思いはじめていた。皆の気持ち的にもね、そっちの方へ流れていってたんだよね。
ところが。
運命というものは皮肉なもので。
全ての憂鬱を吹き飛ばすような、スゴいチャンスがやってきたんだ。
= つづく =