【第11話】 テキ屋の親分〔メンバー・チェンジ〕
原宿の屋台は、「日本堂」っていう会社組織になってるの。
大きいテキ屋グループなんだ
屋台のおじさん、色々 気を使ってくれてた。
「今度、正月のイベントに出演してもらうからさぁ。三が日、飲み食いしながら演奏するだけで、ギャラいっぱい貰えるぞ」
「ヘー、ギャラ付きですかぁ。いいっスね」
「だろ? 去年まではスモウ部屋から力士呼んで、もちつき大会やったんだけどな、お前らの方がよっぽど人集められそうだ。社長に話、通すからな」
社長っていうのは 日本堂の社長のことで、あそこらへん一帯の屋台をしきる テキ屋の親方のこと。
「今、おやじ別荘の方に行ってるから、帰ってきたらな」
「あっ、別荘持ってるんですかあ。いいなぁ」
って言ったらね。
「バカ。別荘って言ったら おめえ、塀の中のことだよ」
日本で購入禁止の、おクスリか何かを間違ってやり取りしたみたいで「別荘」行ってるんだって。ヤバイ。ヤバイ。
で、その社長 「別荘」から帰ってきて、ウワサを聞いてオレらを見に来た。
ステージを見て。一発で気に入ってくれてさ、ビール4ケースも差し入れしてくれたんだ。
幹部の人を紹介されて、その年の正月のイベントの打ち合わせをした。
幹部の人、のどの所に深い刺し傷があんの。
アレ 見ただけで恐いよ。どんな修羅場くぐってんだろうってね。
正月、そのライブをやってたら、関西の方から「ソレ」もんの人たちが いっぱいアイサツに来てた。皆知ってる、有名な大組織の「あばれん坊」さんたちだね。レイ ギャングのことを気に入ったらしくて、「関西に連れて帰ろうかな」なんて話してるのを、日本堂の社長が止めてくれたりさ。ちょっと危険と隣り合わせの部分もあるんだけど。
テント小屋のこたつに入りながら、日本堂の社長がオレに持ちかけるわけ。蜜柑 食べながら。
「リーダー、気に入った。今度の夏、葉山の方に“海の家”出すから、その前で演奏しろよ。売り上げの何%か出すからさぁ」
って。屋台のおじさんたちは、うらやましそうに、「やれ やれ」って言うの。
「経営は俺たちに任せて、リーダーはバンドの事だけ考えてりゃいいから」って。
「それで、一夏 300万円はカタいぞ。そのぐらいのギャラは払えるぞ」
ってね。
何だかスゴくデカい話で、ちょっと気が引けた。
他のメンバーも、コタツの中でオレの足をつついて「NO!」「NO!」って目くばせするの。失敗したら、どんな責任取らされるか解らないからって。
最初、ウヤムヤな返事をしていたんだけど、ああいう人たちの目って鋭いね。じっと強い光を放った目で、こっちの目の中をのぞいてくる。心の中をそのままのぞかれてる感じでさ。適当にお茶を濁したりは出来ないと思った。覚悟を決めて、相手の目を見て 素直に、
「やりたいけど、怖いから出来ません」
って謝ったんだ。
そうしたらニコッと笑って、「わかった」って納得してくれた。ふぅ・・
その頃、ファンとメンバーとの間が ちょっとギクシャクしだしたんだ。
理由? そう、たとえば こういうの。
オレはファンとは、必要以上には親しくしない主義で。
ある程度の一線を守らなければ、ファンとミュージシャンの関係は保てなくなると思ってる。秘密のベールに包まれた部分を残さなければ、カリスマにはなれない。「絶対にロックスターになってやる」と思っていたオレはグループのプロデュース、どういうふうに人から見られているか、ってことにはすごく気を使っていたからね。「ホコ天のスターにはなったけど、こんなところで終わってたまるか」と必死だった。
でも そういうこと、わかってる奴が何人いたか。
ファンの子に手を出す。
いいぜ、別に。恋愛は自由だ。
でも、そうなった子は もうファンじゃない。バランスが崩れるんだよ。向こうだって「彼女」になったと思って見にくるじゃんか? すると別の「彼女」とカチ合うワケで・・ ワカル?
「何 アンタ」
「アンタこそ何?私は誰々の・・・・」
てな話でモメるだろ? そういう話はファンの間をすさまじいスピードで駆けめぐるからね。「私、遊ばれた」とか、「何だ、ジーニアスもやっぱりそういうグループなんだ」って話になっちゃう。そうならないように。グループのメンツが保てるように。こっちは影で調整しなきゃならない。
でも、そんなことより。オレが一番頭に来るのは、他のメンバーをけなす奴がいるってことなんだ。
「このグループは俺でもってるんだ」
ってフロシキ広げてるうちは、まだいいんだけどさ。
「あのメンバー、ヘタでさ」
とか始まる。
「あいつのフォローするの大変なんだよ。音楽も知らねぇくせに、カッコばっかはいっちょまえで」
なんて話、ファンの前でする。
ファンは素直だからね。ピュアというか・・
うのみにしちゃうじゃない?
「そうなんだあ。あの人が足引っぱってるのか」
だんだん、バンドのファンっていうよりも個人のファン。派閥みたいなものが出来てきちゃってね。バンドのイメージを維持するのに苦労した。オレの努力とは裏腹に、グループを駄目にしていく奴がいるからさ。チグハグしだしたんだよ。
わからないのかな?
グループが駄目になったら、自分の評価だって下がるってこと。
わからなかったんだよな、きっと。今ならわかるだろ?
あの頃、TVの取材を受けて。スタジオの練習風景を撮ったビデオがあるけど、オレ 疲れた顔してるもんね。もう病気みたいだよ、表情が・・
それからしばらくして、「トミノスケ」と「ツッパリ・クミコ」がやめたんだ。
2人は、バンドがはじまって すぐつき合いだしたの。
そうしたら、クミコの言動がおかしくなってきた。
トミノスケの代弁者みたいになっちゃって。どんどん遠く離れていった。精神的に違う人間になっていった。
「おい、クミコ。どこへいっちゃうんだ」
と思っていたら・・・ グループを抜けることになっちゃって。
寂しかったな。ずっと一緒に苦労しながら積み上げて来て。根性もあるし、才能的にも、いいもの一杯持ってるのにさ。しょうがない。女の子は、1つのことに真面目に突き進んで形にしていく能力はすごいけど、男でくずれる時も早いね。残念だ。
残念と言えば、会長。
あいつは、もうとっくにやめていた。あまり派手な場所を好まない奴でさ。プロになる気も無いって言ってたから。いい奴だったけど、もう ずっと前に辞めたよ。
オレは、別の道を歩こうとする奴を引き止めたりはしない。どんなに寂しくても。 追いかけたって戻って来ないことは、今までの経験でイヤッてほど知ってるから。トミノスケが 「やめたい」って言って来た時も、「あっそ、わかった」って それで終わり。後でアイツ、言ってた。「全然引き止めて貰えなくて、寂しかった」って。でも、そういう駆け引き 嫌いだな。
「やめる」って言ったらやめる。「やる」って言ったら、やる。
うじうじした、「引きとめごっこ」なんて大っ嫌いだ! くだらない。
トミノスケの様子は、もう大分前からおかしかった。ドラム叩くって言うよりも、不満を殴りつけるような、荒れたドラムになっていたからね。
「どうした? 何か気に入らないことでもあるの?」
って聞いても
「別に。何でもないよ」
って。ただ答えるだけ。
多分、バンドの音楽性が、最初はじめた頃と違って行ったのが理由かな。バンドを始めた頃は トミノスケが音楽的主導権を握っていた。そこにマコト・クレイジーが入って、どんどんハードロックのサウンドになっていったんだよね。オレはブルース・ロックが好きだったから、マコトのサウンドも厳密に言うと違うんだけど、トミノスケの作ってくる楽曲よりマコトのサウンドの方がやりたい事に近いわけだ。つまり。
オレたちはロックバンドを目指しはじめ、トミノスケは もっと巷で流行っているようなメジャーな曲がやりたい訳だから。イライラは、つのる一方だったみたい。
”ヒッコリー”っていう高いスティックを使っていてさ。リムにからませてショットするんだけど、
「バキーッ」
と、スティックが折れて飛んでくる。
1曲持たないの。わざと折ってるとしか思えない。練習が終わると、折れたスティックが束になってるんだ。薪ストーブにでもくべられるぐらいの量だ。
「もうスティック無いから叩けない」
なんて言われて。皆でカンパし合って、アイツのスティック買ってやったり。う~~ん。本人は、もう 完全にやる気を失くしちゃってる。アイツにとっても、オレにとってもツラくなってきた。トミノスケにとって、バンドなんか もうどうでもいいんだ。だけど、「やめる」とは言わない。今やめると、自分の活動に支障をきたすから。ソロデビューを狙って、せっせとレコード会社に自分の曲を送ったりしてた。練習の無い日にスタジオをのぞくと、MTRでレコーディングしていてね。
「ヨッ」
って声を掛けると、「あ~」って機材をしまったりして。別に、堂々としてればいいんだけど。そういう雰囲気じゃなくなってたのかな、お互いに。「俺はソロになりたいから準備してるんだ」って言えば、皆だって応援すると思うんだけど秘密でやるから、どんどんメンバーとの溝が深まっていった。あいつもキツい時期だったんだろうけどね。
メンバーチェンジはやりたくなかったけど、もう時間の問題だった。
山梨にイベントのオーディションに行った時。
トミノスケが、その日は都合が悪いっていうんだ。
「えーっ!? 何で?」
「もう先方と約束しちゃったじゃん。今さらスケジュール変えられないぜ」
皆で説得しても、のらりくらり。
「行きたくない」
って言葉をくり返すんだ。気持ちが離れちゃって、もうアイツ自身自分に嘘がつけなくなってたんだろうな。こうやって振り返ると、当時の彼の気持ちもわかるけど・・・
今まで、こんなことはなかった。
バンドのスケジュールを最優先させるっていうのが、ルールだったからね。オレたち、ただでさえ人数が多いんだから。1人1人が自分の都合を言い出したら、きりがない。全員がベストのスケジュールなんて、あるわけないじゃん。誰かが無理して、それでもバンドを優先させてきたから、今のジーニアスがあるんじゃないか。
そうやって活動を続けて、ファンがついて、歩行天ブームを作って、音楽的にも成長してこれた。誇りだったんだよ。年間100ステージ、休まず LIVE してこれたのが。
でも・・バンドにほころびが出はじめた・・・仕方がない。「いよいよ駄目か」と思って、別のドラマーを連れて行くことにしたんだ。ヒカルは反対したんだけどね、優しいヤツだから。「トミノスケが行けないんだったら、中止すべきだ」って。
結局、それがきっかけになって、トミノスケは去ったーー
人は去って、人は来る。次のメンバーは、その山梨のイベントで叩いてくれた奴。
「A」っていうマージ―ビートが好きなドラマー。
ビートルズみたいなバンドをやっていたんだって。
うまくはないけど明るいし、ストレートで力強いドラムスタイルは好感が持てた。やっぱり前向きってことは大事だよ、進んでいくためにはね。彼は作詞作曲もできたから。グループとしての武器が増えたんだ。Aの作る曲は、ポップな割りに、マコトのハードロック アレンジにも、よく合った。新しいジーニアスが生まれる予感があったんだ。
1か月だったか、2か月ぐらいかな?
ストリートを休んで。Aに 徹底的に、オレたちのオリジナルを覚えこませた。それからロックのカバーをたくさんやって、ライブメニューに組み込んだんだ。
グランド ファンク、ステッペン ウルフ、エアロスミス、リック デリンジャーなんかをね。
ここらへんから バンドにも、オレ自身にも・・ロックのルーツが作られていくんだよ。
= つづく =