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17/2/9

あなたの人生は誰のもの?(23)~負の連鎖の恐怖~

Image by Olia Gozha


無事出産を終えた私だったが、翌日からが地獄だった。

バカンスが命のこの国では、長期休暇中、病院の医師や看護婦の数が極端に少ない。


私が出産した病院もまた、例に漏れていなかった。

昼間はまだ良いが、夜になると医師は不在。21人の赤ちゃんに対し、赤ちゃん担当の看護婦が1人、お母さん担当の看護婦が1人しかいなかった。


当初完母のつもりだったが、帝王切開となっては事情が違う。母乳があまり出ず、息子を離すとすぐに泣くので、ずっとおっぱいをあげているが、そのうち腕がちぎれそうになってくる。全く眠れない。

昼間主人が来ているうちに寝たいのだが、相部屋の人の訪問者が後を絶たず昼間も眠れない。仕切りもなかった。


4日目の夜にとうとう限界がきて、赤ちゃん担当の看護婦に「やっぱりミルクに替えたい」旨伝えても、「もっと頑張れ」と冷たく突き放された。


私は頭がおかしくなりそうになり、明け方に怒り狂って主人に電話をした。その姿を見たお母さん担当の看護婦が、さすがにまずいと思ったらしく、「責任はとれませんよ」と言ってミルクを放り投げてきた。


私も息子も殺されてしまう


逃げるように予定日より先に退院したが、その前日に他のお母さん達も一気に退院したとの事で、限界だったのは私だけではなかったのだろう。




退院後は、何とか主人と二人で乗り切り、慣れないながらも楽しく育児をしていた。

しかし息子が6か月になった頃から、またどこからか心の声が聞こえてくるようになった。


私、なにやってるんだろう・・・


息子は確かに可愛い。しかし、まだ言葉を話さぬ息子を前に、言葉を失ってきた私は何を話しかけたらよいか分からない。ひっそり静まり返った部屋で、息子を眺めているだけの毎日。散歩に出ても、日中は皆仕事に出ており人通りもない。


社会から取り残された気分になった。そしてこんな言葉が頭の中をリフレインする。


母みたいにはなりたくない


専業主婦だった母が嫌いだった。いつも幸せそうでない母が嫌いだった。でも、今私が進んでいる道は、正に母が進んだ道と同じなのではないだろうか?


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